過去の記事

F第46話「フェイディアス」

つい先ごろ、薬師寺の仏像を見る機会がありました。
国宝の薬師三尊像、中央に薬師如来、右に日光菩薩、左に月光菩薩の美しいブロンズの仏像です。
今回は光背を取り除いた「素」のお姿を拝見できましたので、普通は見られない背中までじっくりと。
そうしましたら、正面の造作だけではなく、隠れている背中の造作までもが精緻で、美しい造形を保っているのに驚かされました。

このコラムは、当然ですが白鳳時代の仏像の美を論じることが目的ではありません。
問題は、普段は見えない背中までも手を抜かずに、秀麗に作り上げられている、というところにあるのです。

ドラッカーの著書に次のような話があります。
ギリシャの彫刻家フェイディアスの話です。
紀元前5世紀のアテネ、フェイディアスは西洋では最高の彫刻の一つとされているパンテオンの屋根に建つ彫刻群を完成させました。
その後、フェイディアスの請求書に対してアテネの会計官は支払いを拒んだそうです。
「彫刻の背中は見えないのに、そこまで彫って、しかも請求してくるとは何ごとか」と言ったそうですが。。。
それに対して「そんなことはない。神々が見ている。」とフェイディアスは一言。

いかがでしょうか。
皆さんの仕事も同じです。
誰かが見ているから一所懸命やろう、ではいけないのです。
誰が見てようが、誰も見ていまいが、なすべきことはきちんとなし遂げる、それがプロフェッショナルというものです。

ドラッカーはフェイディアスの話をしたあとに、次のように続けています。
「人は誇れるものをなし遂げて、誇りを持つことができる。
仕事が重要なとき、自らを重要と知る。
成功の鍵は責任であり、自らに責任を持たせることである。
あらゆることがそこからはじまる。
大事なものは、地位ではなく責任である。
責任ある存在になるということは、真剣に仕事へ取り組むということであり、仕事にふさわしく成長する必要を認識するということである。
他の者が行うことについては満足もありうる。
しかし、自らが行うことについては、常に不満がなければならず、常によりよく行おうとする欲求がなければならない。」

なかなか手厳しいですが、まさに「仕事とは何か」をこれほど的確に示している文章はないと思います。
中途半端に満足するのではなく、常に自分自身が責任を認識し、よりよく行おうとすることで誇りを感じ、成長することができるのでしょう。

皆さんも会社に入りますと、仕事を与えられます。
前回お伝えしたように最初はそう大きな仕事ではないでしょう。
しかし、その仕事をよりよく行おうと努める、中途半端に満足しないで頑張る、そうした中から少しずつ信頼や評価を得ることができ、より大きな、より責任の重い仕事を任されるようになる、これを続けることが皆さんの成功を保証するとお考えください。

そして、その到達点としてフェイディアスの彫刻や、薬師寺の仏像のように後世まで伝えられることが出てくるのかもしれません。
歌舞伎の名人と言われた六代目尾上菊五郎は死に臨んで一言。
「未だ足らぬ、踊り踊りてあの世まで」

F第45話「仕事が寄ってくる」

筆者がよく読んでいるブログに「西山牧場オーナーの(笑)気分」があります。そのほとんどは馬に関する話題なのですが、たまに経営者としての視点から興味深いテーマを書き込んでくれる日があります。
これが実に秀逸で、「なるほど」と思わされることがよくあります。

一つご紹介しますと、「急ぎの仕事は忙しい人に頼め」というテーマがありました。
「雑用を嫌な顔せずに、サッとこなせる社員に次の雑用が行き、そして大事な、大きい仕事が回っていきます。
雑用を頼まれて、『俺はこんな雑用をするために、入社したんではない。もっと大きい仕事がしたいんだ。』
こんな社員に、大事な仕事を任せることはありません。
以前にも書きましたが東大生に『高校時代、どんな勉強をしましたか?』
みんな声を揃えて『ふだん授業でやる小テストを大事にしてきました。』
いきなり、模擬試験や入試ばかりを狙ってもうまく行きませんね。
これを読んだうちの社員へ。
いい仕事をしたかったら掃除や買い物など小さな雑用を大切に。
サラリーマンに雑用は本業です。
雑用を笑顔でたくさんこなした社員がいい仕事が回り、給料が上がり、賞与も上がり、昇格します。」

いささか、経営者寄りに過ぎるかもしれませんが、真実の一端がそこにあります。
信頼や評価は一朝一夕では得られません。
一つ一つ小さな実績と努力を積み重ねることだけが、信頼や評価を得られる道だからです。

仮に皆さんが会社へ入り、いろんなことを頼まれるとすれば、それは「できる」と思われているからに他なりません。経営者でも職場の上司でも先輩でも、「できない」と思う相手には頼みません。
もちろん、最初から大きなことを頼まれることはないでしょう。しかし、一つ一つ頼まれたことをこなしているうちに、だんだんとよい大きなことを頼まれるようになります。
そうしたらしめたものです。
まさに西山さんが言うように、「雑用を嫌な顔せずに、サッとこなせる社員に次の雑用が行き、そして大事な、大きい仕事が回っていきます。」ということです。
これが釣りで魚が入れ食いになるように、会社で「仕事が寄ってくる」という状態なのです。そこまでどうもってゆくか、これが大切なのです。

それでは、皆さんがいろんなことを頼まれて手一杯な状態になっているとしましょう。でも、さらに頼まれる。どうやって捌こうか、という問題が出てきます。
ここで考えないといけないのが、優先順位です。
まずは、それをいつまでに片付けないといけないのか、というスピードの順位。
ついで、重要性やエラーの許される度合い、というウェイトの順位。
最後に、誰から頼まれたのか、というヒューマンの順位。
これを組み合わせて、「やらなくてはならない仕事を後回しにして、順番で先に頼まれたからと急ぎでない仕事に時間を使う人」にはならないように注意しないといけません。

また、「いつまでならば片づけられる」という目安をあらかじめお伝えするのも重要です。もちろん、優先順位の上のものであればあるほど、その「いつ」は早くなければいけません。
何よりも悪いことは、約束を裏切ることであり、期待を裏切ることです。裏切るくらいならば、安請け合いしない方がまだしもましです。
可能な範囲で、できるだけ早く、しかも的確に、という原則を忘れなければ、自ずと成果が出てくるものです。

F第44話「固定観念を捨てましょう」

「こうするのが当たり前」と思っていることが実は当たり前ではない、ということはよくあります。
私たちはそれぞれに異なる過去を辿ってきました。
そうした異なる過去で身に着けた常識、それにこだわることを固定観念と呼びましょう。
それぞれの過去が異なるのと同じように、それぞれの常識も異なるのが当たり前なのですが、それをそうは思えないで、「自分の常識が正しい、常識外れなのは相手の方だ」と思ってしまうのが固定観念なのです。

例えば、「水道の水はそのまま飲める」というのは常識でしょうか。
実は世界の中で、水道の水をそのまま飲める国はそう多くありません。特にアジアで水道の水をそのまま飲むのはかなりの勇気が必要です。
ところが、「水道の水はそのまま飲める」という固定観念を持った日本人観光客は何のためらいもなく水道の水を飲み、下痢になったり、体調を崩したりしてしまいます。

例えば、筆者の暮らしている会津地域ではお雑煮は角餅を焼いて醤油仕立というのが常識ですが、京都にゆけば丸餅を煮て白味噌仕立というのが常識です。
ですので、会津の人が京都を寒い時期に旅行してお雑煮をいただきますと、「これは何と言うお料理ですか」ということになってしまいます。

少し極端な話をしてしまいましたが、自分が常識だと思い込んでいることが、所を変えると常識としては通用しないのが、実は当たり前だと考えていただきたいのです。

これは、皆さんが社会に出て、会社に勤めた際に味わうことでしょう。
これまで、学生で、あるいは親元で、ごく普通に通用していた習慣や仕草が通用しない世界がそこにあります。
言葉遣いや挨拶、お辞儀、時間の守り方、指示や命令、守るべき組織のルール、実にさまざまに違う常識が待っています。
ここで皆さんが問われるのは、これまでの常識、固定観念を捨てられるか、ということです。ちょうど、さなぎが蝶になるように、です。

ここからが本番です。
皆さんがこれまでの常識を脱ぎ捨てて、新しい組織の中で順応してゆく、それが社会人として求められることです。
しかし、そうして皆さんが新しい組織の中で身に着ける常識、それもそれ以前に身に着けた常識と同じように、所を変えると常識としては通用しないということを忘れないでいただきたいのです。
そうでなければ、「自分の常識が正しい、常識外れなのは相手の方だ」という固定観念の世界に入ってしまうでしょう。それは、とても狭い世界なのです。

「そうは言っても組織(会社)の中でしか生きていないのに」という意見もあるかもしれません。
そこで重要なことが、前々回にお伝えしたように「ネットワークを拡げる」ことです。「ネットワークは、皆さんのタコツボ状態を解放してくれます。自分一人では見えない世界を見させてくれる」のですから。

そして、前回にお伝えしたように「鳥の目を持つ」ことです。「自分の属している組織、あるいは自分の持っている価値観から離れてものを見る、という行為が巨視的であり、鳥の目である」のですから。

さらに、究極の方法は見知らぬ外国を歩いてみることです。費用対効果で考えるならばアジアがよいでしょう。
日本における常識が通用しない、という現実と向き合うことができます。
「言葉も使えないのに」という方もおられるでしょうが、多くの場合、言葉が使えなくてもどうにかなるものです。特に、若者は余計な心配を先にしないのがよろしいでしょう。

F第43話「鳥の目を持つ」

人間はどうしても自分の所属している「内」を向き、一つのことにこだわりたがる生き物です。
しかし、人間の社会は多様性に満ちています。
こうした「内」と「外」の矛盾を解消するのがビジネスだと考えてもよいでしょう。
ビジネスの世界は、ものやサービスを提供するサプライヤーと、ものやサービスを受け取るコンシューマー(カスタマー、ユーザ)が存在します。
そして、それを取り巻くさまざまな利害関係者(ステークスホルダー)も存在します。
これだけ複雑で多様な環境で生き残る(成功する)ためには、「内」を向いているだけではいけませんし、一つのことだけにこだわってもいけません。

これを別の言い方で現わしますと、より巨視的なものの見方をすることが必要だ、と言えます。
巨視的(ものごとを全体的に観察する)、これもわかりにくいと言う方もいらっしゃるでしょうから、さらに別の言い方をしますと、蟻の目から鳥の目に変わることです。
地面だけを見ていれば蟻と同じです。ひたすらに歩き回り、仲間のあとをついてゆく、あとは物量作戦で、とにかく数の多さで何とかするしかありません。
それと比べると、鳥は違います。空の上から地面を見ることができます。広い視野の中から餌を探し、仲間を探すことができます。
結果して、蟻の世界は狭く、鳥の世界は広いのです。
そして、その差は地面という限定された環境から離れたことにはじまります。

これはビジネスも同じことです。
つい先ごろ、マクドナルドのナゲットから異物が見つかるという事件がありました。
これはサプライチェーンマネージメント(SCM)という考え方を知っていればより深く背景がわかるのですが、外食産業は世界規模の供給網(サプライチェーン)の中にあります。例えば、野菜は中国から、魚はアラスカから、そして鶏はタイから、というようにです。
そうなりますと、企画⇒生産⇒加工⇒配送⇒供給という一連の流れの中にある、さまざまな要素や関係者を見通してコントロールしないと良質なものやサービスは提供できません。
今回のマクドナルドの事件はそうしたサプライチェーンのどこかしらでトラブルが発生したのでしょう。
これまでにように、企画は企画だけ、生産は生産だけ、加工は加工だけ、配送は配送だけ、供給は供給だけを考え、見ているだけではトラブルの解決は難しいと言えます。そして、マクドナルドはどこかしらで巨視的な組織風土を失い、タコツボ状態になってしまったのかもしれません。

このように、自分の属している組織、あるいは自分の持っている価値観から離れてものを見る、という行為が巨視的であり、鳥の目であると考えていただきたいと思います。
もちろん、最初は自分の属している組織からものを見るのですし、自分の持っている価値観からものを見るのですが、それにこだわり、それに閉じこもるといけない、ということです。

では、どうしたら巨視的に、あるいは鳥の目でものを見ることができるのでしょうか。
その最初の糸口は、前回にお伝えしたネットワークです。
自分とは異なる組織に属し、異なる価値観を持っている他人とのつながり、出会いの中から、さまざまなヒントをいただくことができます。
例えば、公務員は特別な法律で縛られ、全体の奉仕者であるという教育と束縛の中で生きています。ですので、理屈としては全体(住民)へ奉仕しなければいけないとわかっているはずです。
しかし、どうでしょうか、公務員ほど目線の高い人種はいない、とよく言われます。
公務員が住民への奉仕を価値観としながらも、住民の目線でものを考えることができないとすれば、その最大の原因は公務員が外に向けたネットワークをあまり拡げていないことにあるのではないでしょうか。
それほど、組織の外に拡がるネットワークは重要なのです。

次に、幅の広い知識を身に着けることです。自分の仕事に関係のある知識だけに埋没しては、いつまでも蟻の世界から抜け出せないでしょう。
そのためにもっとも効率的な方法は、日本経済新聞を読んで理解できるようになる、ということです。
立花隆の言葉を借りれば
「僕が、『現代の常識』のレベルとしてよく例に出すのは、日経新聞を初めのページから最後の文化欄までをちゃんと理解できる、これが現代人が持つべき知識の基本ラインである、という表現です。(立花隆「東大生はバカになったか」2001年10月、文藝春秋)」
ということです。

いかがでしょうか。
ネットワークと鳥の目、互いに関連し、互いにより高め合う道筋ではないでしょうか。
まずは、タコツボから一歩外に出てみましょう。

F第42話「ネットワークを拡げる」

コミュニケーションが職場で取れるようになったら、少し目を外に向けてみましょう。
人間は組織に所属していると、どうしてもその組織の一員としてものを考え、ものを見るようになってしまいます。
それはそれで仕方のないことなのですが、そればかりに囚われていますと、タコツボ状態に陥ってしまいます。
そうなりますと、どうしても視野が狭くなり、価値観も偏ってしまいます。

この弊害を軽くするには、自分の目を外に向けることです。
内向きから外向きです。
人間はどうしても自分の所属している「内」を向く生き物ですので、「外」を意識することが必要です。

そのためにどうしたらよいのかですが、皆さんが会社に入ったとしても、会社以外のお付き合いは少なくないはずです。
同級生との呑み会もあるでしょうし、地域の付き合いもあるはずです。
そうした関わりを大切にしていただくのが一番です。
すぐに会社で役立つことはもちろん多くはありませんが、そうした「出会い」には多様性があります。
同級生を考えてみましょう。おそらく同じ会社に入った人はいないでしょう。少なくとも所属している会社は違うはず。
それだけではなく、大企業を選んだ人もいれば、中小企業を選んだ人もいる、故郷を出た人もいれば、故郷で生きている人もいる、親の仕事をついだ人もいるかもしれません。
そんな具合に、いわば日本という社会のさまざまな断面が見られるはずです。

このように、皆さんがここまで生きてきた経路の延長線でも「外」を見ることができます。
しかし、それだけではつまりません。
同級生は同世代ですし、地域は狭いもの。
より広い世界に目を向けることも忘れないでください。

そのためには、公私ともに訪れる「出会い」を大切にすることです。
仕事で出会う人もいれば、プライベートで出会う人もいます。
都会ではわざわざ出会いの場を作るために、イベント交流のサイトまでビジネスになっているほどです(参考までに三つほど上げておきます)。
http://koryupa.jp/、http://www.statusparty.jp/、http://www.reservestock.jp/

いずれにせよ、公私ともに訪れる「出会い」をどう活かすか、です。
その際、これはあまりよろしくないと思うのは、変わった格好をして目立とう、ということです。
気持ちはわからないではありません。
しかし、インパクトというものはプラスにもマイナスにも働くことを忘れないことです。
筆者が昔、公務員の方々を相手にビジネスをしていた頃、とにかく髪の毛を長くしている若者がいました。
確かに目立ちます。でも、どうなんでしょうか。
目立つことで得られる評価と、髪の毛が異常に長いということで失う評価をバランスにかけたら、ということです。
本質的にできる人は、普通の格好をしていても目立つのです。
人間の魅力は自ずと滲み出るものだ、と自信を持ってもよいのではないでしょうか。

もちろん、「出会い」で自分の存在を認めていただく、覚えていただくのに工夫は必要です。
例えば、名刺をいただいたらその日のうちにメールを差し上げ、出会った感謝をお伝えするのは、おそらくマイナスは少なく、プラスが大きいでしょう。
あるいは、名刺もお仕着せではなく、ちょっと自分の個性を加えたものにする、というのも会社が許すのであればよいかもしれません。
そんな控えめなアピールをする、その程度で十分ではないでしょうか。

こうしたちょっとした努力をすることで「出会い」がその後につながってゆく、それを繰り返すことで、皆さんのネットワークは一歩ずつ拡がってくるのではないでしょうか。
そうしたネットワークは、皆さんのタコツボ状態を解放してくれます。自分一人では見えない世界を見させてくれます。
この数字に現わしにくい価値を大切にしていただきたいと思うのです。

F第41話「コミュニケーションを取りましょう」

このコラムは、「地域中小企業の人材確保・定着支援事業」の一環としてお届けするものです。
この事業は、中小企業や小規模事業者が地域で学んだ大学生などを地域において円滑に採用でき、かつ定着させるための自立的な仕組みを整備することを目的としています。そして、そうした若手人材を継続的に確保し、中核人材として育成することで、中小企業や小規模事業者の経営力強化を進めようとしています。
このため、このコラムでは①これから社会に参加する若者の皆さんに「働く」、あるいは「ビジネス」ということがどういったものなのかを知っていただく、②中小企業や小規模事業者で働くために重要な知識やスキル、あるいは“社会人基礎力”や一般常識を身につけていただく、③中小企業や小規模事業者の海外進出や市場開拓において必要とされるさまざまな国や地域の情報や文化風土などの基盤的な知見を知っていただく、そうしたことを大きな狙いとしています。
時には幅広い知見をご紹介するために、少々間口を拡げることもあるでしょうが、それもこれからの日本を背負う皆さんに求められる一種のリベラル・アーツだとご理解をいただければ幸いです。また、このコラムを書くに際して、日本経済新聞とウィキペディア(Wikipedia、ウィキメディア財団が運営しているインターネット百科事典)から多くの情報を得ていることをあらかじめお伝えいたします。

こうした書き出しで一昨年の5月にはじめたこのコラムも、残すところ10話となりました。足掛け3年に渡り、ご愛読をいただきましてありがとうございました。
泣いても笑ってもわずか10話ですので、今年は皆さんがこれから実際に社会に出、中小企業で活躍する際に、これだけは頭に入れておいてください、という話題を書いてゆきたいと思います。

その最初は、コミュニケーションです。
当たり前のことですが、人間は独りでは生きてゆけません。
どうしたって他人と付き合わないといけません。
そうしますと、他人とコミュニケーションすることが必要になります。
コミュニケーションとは、意味と感情を他人とやりとりする行為です。

ところが、なかなかコミュニケーションが取れない、という悩みを抱える人が少なくありません。
相手から無視する、あるいは相手を無視してしまう、そんな状況に陥るとこれは辛いものです。
若い人のよく使うのが「シカトする「シカトされる」という言葉です。
これがコミュニケーションできていない状況を的確に現わしています。

例えば、筆者の研修の受講者からこんな相談を受けました。
「どうも会社の年配の人たちとうまくコミュニケーションできないんです」
そこで、こういう行動を取られたらどうですか、と助言を差し上げました。
「朝一番、お会いした際には必ず自分から明るく元気に大きな声で挨拶してみてはどうですか」
そうしたら、「話す機会が増えました、なんとなく対処法のようなものが見えてきた気がします」とのこと。

そうなんです。
コミュニケーションの基本は“挨拶”です。
まずはそこから入りましょう。
少し難しい言い方をしますと、私は相手の存在を認めています、そういうメッセージを発信することなのです。
これをコーチング・スキルではアクノリッジメント(acknowledgement)と言います。
“成功するコーチング!失敗するコーチング!!”というサイトから紹介しますと
「アクノリッジメント(承認)とは、あなたがそこにいることを私はちゃんと気づいていますよ、というメッセージをあなたに伝えることです。存在承認であり、あなたがその職場、その会社、その場所にいても良い、輪の中に入っていますよ、というメッセージです。」と説明されています。

これのもっとも簡便なメッセージが挨拶なんです。
逆に言えば、挨拶もしない、挨拶もされない状態が、一番まずいアクノリッジメントであり、コミュニケーションであると考えてください。

昔の人はよく言ったものです。
「ちゃんと挨拶できるようになれば一人前だ」と。

さあ、おわかりですね。
皆さんがこれから実際に社会に出、中小企業で活躍する際に、まず最初にすべきことは明るく元気な声で挨拶をする、これです。
とりわけ、苦手な気の難しそうな年配の方には、さらに意識して挨拶する、これを続けると徐々に雰囲気が変わるものです。
ぜひ、試みてください。