F第44話「固定観念を捨てましょう」

Category: シュウカツ俯瞰
「こうするのが当たり前」と思っていることが実は当たり前ではない、ということはよくあります。
私たちはそれぞれに異なる過去を辿ってきました。
そうした異なる過去で身に着けた常識、それにこだわることを固定観念と呼びましょう。
それぞれの過去が異なるのと同じように、それぞれの常識も異なるのが当たり前なのですが、それをそうは思えないで、「自分の常識が正しい、常識外れなのは相手の方だ」と思ってしまうのが固定観念なのです。

例えば、「水道の水はそのまま飲める」というのは常識でしょうか。
実は世界の中で、水道の水をそのまま飲める国はそう多くありません。特にアジアで水道の水をそのまま飲むのはかなりの勇気が必要です。
ところが、「水道の水はそのまま飲める」という固定観念を持った日本人観光客は何のためらいもなく水道の水を飲み、下痢になったり、体調を崩したりしてしまいます。

例えば、筆者の暮らしている会津地域ではお雑煮は角餅を焼いて醤油仕立というのが常識ですが、京都にゆけば丸餅を煮て白味噌仕立というのが常識です。
ですので、会津の人が京都を寒い時期に旅行してお雑煮をいただきますと、「これは何と言うお料理ですか」ということになってしまいます。

少し極端な話をしてしまいましたが、自分が常識だと思い込んでいることが、所を変えると常識としては通用しないのが、実は当たり前だと考えていただきたいのです。

これは、皆さんが社会に出て、会社に勤めた際に味わうことでしょう。
これまで、学生で、あるいは親元で、ごく普通に通用していた習慣や仕草が通用しない世界がそこにあります。
言葉遣いや挨拶、お辞儀、時間の守り方、指示や命令、守るべき組織のルール、実にさまざまに違う常識が待っています。
ここで皆さんが問われるのは、これまでの常識、固定観念を捨てられるか、ということです。ちょうど、さなぎが蝶になるように、です。

ここからが本番です。
皆さんがこれまでの常識を脱ぎ捨てて、新しい組織の中で順応してゆく、それが社会人として求められることです。
しかし、そうして皆さんが新しい組織の中で身に着ける常識、それもそれ以前に身に着けた常識と同じように、所を変えると常識としては通用しないということを忘れないでいただきたいのです。
そうでなければ、「自分の常識が正しい、常識外れなのは相手の方だ」という固定観念の世界に入ってしまうでしょう。それは、とても狭い世界なのです。

「そうは言っても組織(会社)の中でしか生きていないのに」という意見もあるかもしれません。
そこで重要なことが、前々回にお伝えしたように「ネットワークを拡げる」ことです。「ネットワークは、皆さんのタコツボ状態を解放してくれます。自分一人では見えない世界を見させてくれる」のですから。

そして、前回にお伝えしたように「鳥の目を持つ」ことです。「自分の属している組織、あるいは自分の持っている価値観から離れてものを見る、という行為が巨視的であり、鳥の目である」のですから。

さらに、究極の方法は見知らぬ外国を歩いてみることです。費用対効果で考えるならばアジアがよいでしょう。
日本における常識が通用しない、という現実と向き合うことができます。
「言葉も使えないのに」という方もおられるでしょうが、多くの場合、言葉が使えなくてもどうにかなるものです。特に、若者は余計な心配を先にしないのがよろしいでしょう。