B-D「トルコと新しい市場(アジアとの付き合い方外伝)」

Category: シュウカツ俯瞰
2020オリンピックが東京に決まりました。どのような手立てであれ、景気浮揚のきっかけが欲しい安倍政権としては、ほっと一息でしょう。また、お祭りの好きな人たちにとっても、これは喜ばしいことでしょう。
しかし、少し危惧するのは、この決定がトルコをイスラムへと引き戻すきっかけにならないか、ということです。
トルコは、まさにイスラムとヨーロッパの分水嶺に立っています。そして、世俗主義(イスラム法の支配ではなく近代法の支配を選択)の道を建国以来歩んできました。
であればこそ、NATOへ参加し、EUへの参加を熱望し、オリンピックにも5回も手を挙げてきたのです。しかし、そうしたトルコの願いはことごとく潰えようとしています。
そうした想いが、トルコをイスラムへと引き戻す流れを作らないかどうか、はなはだ心配する筆者がいます。「よいとこどりはできない」という真実からすれば、日本とトルコが同時に満足する選択肢はありません。日本=東京の喜びは、トルコ=イスタンブールの悲しみとなります。幸せが何かが難しいのと同じように、世界の調和も難しいのでしょう。

そこで、よい機会ですのでイスタンブールを抱えるトルコってどういう国なのか、少しおさらいしてみましょう。
①面積:780,576平方キロメートル(日本の約2倍)
②人口:75百万人(日本の約60%)
③首都:アンカラ(イスタンブールは最大の都市ですが首都ではありません)
④政治体制:共和制(複数政党制で、2002年以来、エルドアン首相率いる公正発展党=AKPが単独政権を維持。AKPはイスラム色が強く、世俗主義を掲げる建国理念との緊張があります。)
⑤GDP:7,862億ドル(日本の6兆ドルの約8分の1)
⑥一人あたりGDP:10,504ドル(日本の4万ドルの約4分の1)
⑦経済成長率:2.2%
⑧失業率:9.2%
⑨経済収支:貿易収支は赤字ですが、観光収入と出稼ぎの所得収入で経常収支はトントン。
⑩外貨準備高:約750億ドル(日本の約1兆ドルの13分の1)
⑪主たる貿易相手国:輸出は宝石・貴金属・自動車・機械類でドイツ(8.6%)イラク(7.1%)イラン(6.5%)…日本(わずか0.2%で第59位)、輸入は石油・天然ガス・機械類・鉄鋼でロシア(11.3%)ドイツ(9.0%)中国(9.0%)…日本(わずか1.5%で第15位)

では、トルコ人って、昔からトルコ(アナトリア半島)に住んでいたのでしょうか。
いえいえ、それは違います。昔々その昔、中国が周の時代(今から3,000年ほど前)、周のまわりには狄、夷、蕃、戎という異民族が住んでいたと言われますが、この狄(てき)がトルコの人々の遠い祖先なのです。
中国の北方には、ツングース(縄文人と類縁)、モンゴル、チュルク(トルコ人の祖先、モンゴロイド)、タージーク(イラン系で胡人とは彼ら、コーカソイド)と、東から西へと、だいたい今の満州(中国東北部)から中央アジアにかけてグラデーションのように並列して住んでいたと考えられます。そのチュルクは、唐の時代、突厥という巨大な遊牧国家を作りますが、その滅亡後、一部が西へ西へと移動を重ね、その途中でイスラム教やコーカソイド(白人種)の集団を受け入れながら、ウイグル王国、カラハン朝、セルジューク朝などのさまざまな征服王朝を形成し、最終的には14世紀にアナトリア半島(今のトルコ共和国の地)でオスマン朝という国際帝国を作り上げるのです。

このオスマン朝(オスマントルコ)は、東ローマ帝国の息の根を止め、地中海を支配し、西は北アフリカ・エジプトから東はメソポタミア・イラン高原まで、広大な領土を誇る帝国でした。しかし、巨大な帝国も老木のように衰え(瀕死の病人と呼ばれました)、18世紀以降は新興のヨーロッパの国々に領土を侵食され、とうとう第一次世界大戦で崩壊してしまいました。このオスマントルコの領土を切り分けてできた国々がエジプトであり、サウジアラビアであり、ヨルダンであり、レバノンであり、シリアであり、イラクであるのです。

そして、アナトリア半島にはトルコ人を中心とするトルコ共和国が作られたのです。
しかし、イギリスをはじめとするヨーロッパの国々はそのアナトリア半島すら、ケーキを切り分けるように分配しようと、ギリシャを誘って第一次世界大戦が終わっても5年にわたる戦火に巻き込んだのです。
この祖国解放戦争でムスタファ・ケマル・アタテュルク大統領がギリシャ軍を追い返し、ようやくトルコ共和国が今の姿となったのです。そして、戦後には100万人のギリシャ正教徒がトルコからギリシャへ、50万人のイスラム教徒がギリシャからトルコへと移住することになりました(住民交換による純化)。また、この祖国解放戦争の中で、分離独立を目指したアルメニア人やクルド人を迫害し、「トルコ共和国に住む人はすべてトルコ人」という考え方を推し進めたので、今でもフランスなどの国々がトルコのEU加盟を拒否するのは、この時の異民族迫害の歴史があるからなのです。

こうしてできあがったトルコ共和国は、オスマン朝の政教一致の統治体制をすべて否定しましたので、世俗主義(宗教=イスラム教に基づかない国家運営)、民族主義(トルコ共和国に住む人はすべてトルコ人)、共和主義(議会制民主主義の採用)を国家の基本とし、政教分離、ローマ字採用、女性参政権などの近代化政策をやつぎばやに断行したのです。
そういう意味では、トルコはイスラムの大国ですが、イスラムに埋没することなく、常にヨーロッパへの窓を開いた国造りを進めたと言えるでしょう。

その結果が、1948年にはOECD(経済協力開発機構)、1952年にはNATO(北大西洋条約機構)へ加入して、ヨーロッパ西側諸国に与し(くみし)、2005年にはEUへの加盟交渉が開始されるなど、イスラムとヨーロッパをつなぐ役割を果たしているのです。
しかし、先に述べたアルメニア人やクルド人への迫害の歴史、キプロス(今も南北に分断されています)に代表されるギリシャとの緊張関係、公正発展党のイスラム寄りの政治姿勢などから、必ずしもヨーロッパに好意的に受け入れられるには至らず、イスラムとヨーロッパの間を揺れるスイングカントリーとなっているのです。

なお、日本人の中には日露戦争でのロシアへの勝利や和歌山県串本町沖で発生したエルトゥールル号遭難事件での日本の対応が評価されたことなどから「トルコは親日的だ」という思い込みがあるようですが、現実の社会経済面で日本の存在は希薄で、中国や韓国の存在感が大きくなっています。こういうところにも、日本の“内弁慶外味噌”の傾向がよく現れていると言えるでしょう。
世界第17位のGDPと7,000万人を超える人口を持ち、ヨーロッパと中東やアジアをつなぐトルコは、日本の中小企業や小規模事業者にとって可能性のある魅力的な市場だと言えるでしょう。ぜひ、皆さんもトルコの市場を開拓してみてください。