シュウカツ俯瞰


技術相談 (通年)

  ■法人会員企業からの技術相談を専属のコーディネータがお受けいたします。
    こちらのフォームよりお申し込みください。

リレー講演会等イベント開催情報


AREC AREC

F番外編 第1話「セルフトレーニング」

「このままでは駄目だという危機感、何かをしなければいけないという切迫感はあるが、何を目指せばよいか、何を学べばよいか、具体的にはわからない。」
おそらく、読者の皆さんの多くはこういった状況にあるのではないでしょうか。

皆さんが社会人になると、さまざまな経験を通じて成長することができます。
そういった経験の中でもっとも効果のあるのが「仕事上での経験」と言われています。
次に効果のあるのが「影響力のある先輩の薫陶(一歩先をいくリーダーが若手に与える仕事上の機会やそこでの経験を通じての、価値観や持論の伝授・浸透)」。
そして、最後にくるのが「研修やセミナー、あるいは読書」だそうです。

とはいえ、「仕事上での経験」や「影響力のある先輩の薫陶」は必ずしも誰にでも平等に与えられるものではありません。
かなりの頻度で「出会い」の運が左右しそうです。
それと比べれば、「研修やセミナー、あるいは読書」は、本人に意欲さえあれば、ほぼ間違いなく効果を上げてくれます。
そういう意味では、実社会での「出会い」を大切にしながら、自分自身の努力で研鑽する、という姿勢がもっとも重要なのでしょう。

しかし、地方に住んでいますと、そもそも「研修やセミナー」の機会に恵まれないことも多々生じます。
こうした場合、どうしたらよいか、です。
その意味では「読書」は大きな意味を持つのですが、今の世の中はインターネット社会です。
わざわざ本を買わなくても、しかも中身もわからないで本を買うのもかなりの散財です。

そうした方に、手っ取り早く、かつリーズナブルにセルフトレーニングが可能なツールを二つ紹介したいと思います。

最初のツールは、“WEEKLY GLOBAL COACH”という無料のメルマガです。
株式会社コーチ・エィが毎週水曜日に配信している公式(無料)メールマガジンです。
基本的にはコーチングという角度から、能力の向上、組織の活性化、目標の達成といった問題を実際のケースを使って紐解いてくれます。
例えば、Vol.773(2015年1月21日)では、「上司の『基準』、部下の『基準』」と題して、自分の「基準」に部下を引き上げようとするA店長と、部下の「基準」に部下を到達させようとするB店長の差をわかりやすく伝えています。
18万件を超える配信数ですので、かなりの愛読者がいるようですね。
皆さんもぜひ、以下のURLから申し込んでみてください。
https://www.coacha.com/wgc/

次のツールは、“スキルアカデミー”というWBT(Web Based Training)のサイトです。
「あらゆる人に、自立したプロフェッショナルになるための、すべてのスキルの学習機会を、あらゆる時間/場所で利用可能な形で、提供する」ことをミッションにしていますので、自宅のパソコンでも通勤のスマホでも利用可能。
講座のカテゴリーは基礎編と応用編に分かれており、キャリアプランニングから経営戦略、企業会計まで、社会人として必要な知識とスキルを網羅する試みです。
ただし、講座は無料のイントロ単元と有料の単元に分かれています。
そこでお薦めなのは、以下のURLから登録していただくと、有料講座も2割引になる、このコラムの読者への特別サービスです。
皆さんも、まずはここからお入りになり、数多く設定されている無料講座で“スキルアカデミー”がどんなものかお試しください。
https://www.skillacademy.jp/regist/indexs?is=1

このほかにも、無料な、あるいはお手頃なツールを見つけたら、その都度、お知らせしたいと考えています。
ご期待ください。

F第50話「終わりに際して」

このコラムは、「地域中小企業の人材確保・定着支援事業」の一環としてお届けするものです。
この事業は、中小企業や小規模事業者が地域で学んだ大学生などを地域において円滑に採用でき、かつ定着させるための自立的な仕組みを整備することを目的としています。そして、そうした若手人材を継続的に確保し、中核人材として育成することで、中小企業や小規模事業者の経営力強化を進めようとしています。
このため、このコラムでは①これから社会に参加する若者の皆さんに「働く」、あるいは「ビジネス」ということがどういったものなのかを知っていただく、②中小企業や小規模事業者で働くために重要な知識やスキル、あるいは“社会人基礎力”や一般常識を身につけていただく、③中小企業や小規模事業者の海外進出や市場開拓において必要とされるさまざまな国や地域の情報や文化風土などの基盤的な知見を知っていただく、そうしたことを大きな狙いとしています。
時には幅広い知見をご紹介するために、少々間口を拡げることもあるでしょうが、それもこれからの日本を背負う皆さんに求められる一種のリベラル・アーツだとご理解をいただければ幸いです。また、このコラムを書くに際して、日本経済新聞とウィキペディア(Wikipedia、ウィキメディア財団が運営しているインターネット百科事典)から多くの情報を得ていることをあらかじめお伝えいたします。

こういった書き出しではじまったコラムも今回で最終となります。
昨年度259話、番外編45話、今年度50話、長らくのご愛読ありがとうございました。
最後に際し、いくつかのメッセージをお送りしましょう。

まず、自分の可能性を信じることです。
私たちは天才ではありません。いわゆる凡人です。
しかし、凡人には多くの伸び代(のびしろ、成長する余地があること)があるのです。
それを伸ばすも伸ばさないも自分自身です。

そのためには、挑戦する心を大切にすることです。
現状に満足しない、常に新しいことにチャレンジする、その気持ちが大切です。
コツは単純で、自分の背丈の5cm上に目標を設定することです。
高すぎる目標はついつい挫けるもの、低すぎる目標は意味がありません。
ですので、現状の少し上を狙いましょう。

挑戦を成功させるものは、一つ一つの努力の積み重ねです。
最初から大きな成果を狙っても空振りするだけ。
大切なことは、大きな成果ではなく素早い成果です。
故人曰く、ローマの道も一里から、です。

最後に、他人を受け入れましょう。
就職も結婚も、もちろん家庭も他人との出会いです。
他人の持っている過去、価値観、目標、そういったものを受け入れなければ、出会いは豊かな果実をもたらしません。
丸呑みにしろ、と言っているのではありません。
自分と異なる存在を認めることが自分を豊かにする、ということです。

皆さんが船出する21世紀初頭の日本は激動の渦にあります。
そこで浮かぶも沈むも自分次第、さあ頑張りましょう。

F第49話「インテグリティ」

インテグリティ(integrity)、辞書をひけば「高潔」「誠実」「完全な状態」といった日本語が並んでいます。
この言葉は、ドラッカーが経営者やリーダーに欠かせない能力(コンピテンシー)としてよく取り上げています。
ちょっと長いですが、参考までにこんなことを言っています。
「うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、人づきあいもよくないボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。好かれている者よりも尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。このような素質を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人づきあいがよかろうと、またいかに有能であって聡明であろうと危険である。そのような者は、マネジャーとしても、紳士としても失格である。」
ここで「真摯さ」「素質」と言っているのが、インテグリティだと考えてください。

皆さんが中小企業に勤める、あるいは社会に出ていずれかの組織に属するとしましょう。
その際に、ビジョンとして組織の将来に関与するという目標を立てるとすれば、もちろん、その中には組織のトップになるとか、経営陣に入るとか、そうではなくても組織をよりよくするためにチームワークを心がけるとか、そういったいろんな幅のある目標が含まれますが、いずれにせよ組織の流れるままに自分も流れるのは嫌だと思うのであれば、ぜひ考えていただきたいのがインテグリティです。

他人に好かれるよりも、他人からの尊敬を重視する生き方がそれだ、と考えてもよいでしょう。
例えば、いわゆる八方美人、誰からも嫌われないように相手に応じて伝える内容を変える、そういった生き方は、確かに嫌われることは少ないでしょうが、はたして尊敬されるでしょうか。
例えば、いわゆる付和雷同、みんなの意見をよく把握して、そこから外れるような意見は言わない、そういった生き方は、確かに仲間外れにされる危険は少ないでしょうが、はたして土壇場の時に頼られるでしょうか。

もちろん、自分勝手ではいけませんし、自分のためにだけ行動するのは論外です。
このインテグリティが極めて強い経営者の一人にGEの元CEOであるジャック・ウェルチがいますが、彼は「リーダーにとって一番重要なことは何ですか」という質問に次のように答えています。
「自信、シンプルに考える力、他人の成功を自分の成功と思う遺伝子の三つだ。自信がないと、物事を複雑に考えすぎてしまう、簡潔に考える力がなければ、複雑で不透明な状況で大きな決断ができなくなってしまう。他人の成功を自分の成功と思う遺伝子がなければ、いずれ誰もついてこなくなる。(中略)リーダーシップとは、自分のためではなく、周りの人のために働くことだ。」
ここでの「他人の成功を自分の成功と思う遺伝子」「リーダーシップとは、自分のためではなく、周りの人のために働くこと」という部分が、ジャック・ウェルチにとってのインテグリティではないかと思うのです。

個人的にお勧めしたいのは、次のような価値観を持つことです。
第一に、表裏が無いことです。
最悪なのは、面従腹背(表面では服従するように見せかけて、内心では反抗すること)です。心から従おうと思うのであれば従う、そうでないのであれば狎れたり、お愛想したり、従ったふりはしない(もちろんイコール反抗するという意味ではありません)、そういう姿勢が必要でしょう。
組織の中で面従腹背がはびこるようになると、多くの場合、その組織は駄目になってゆきます。いわゆるイエスマンだけが目立つ組織ですね。
第二に、異なる価値観を尊重することです。
最悪なのは、自分の価値観を押し付けることです。それが他人と共有できる普遍性を持つのであれば別ですが、そうでないとすれば、いわゆる正義の押し付け、これほど厄介で迷惑な話はありません。
自分が尊敬されたいと思うのであれば、他人を尊敬できなければいけないのです。もちろん、心から尊敬に値すると思えるのであれば、です。
第三に、これが自分の核心だという価値観を曲げないことです。
最悪なのは、相手の価値観とあわせて、その都度、その都度、判断する基準を変えることです。もちろん、相手の価値観を心から正しいと思うのであれば、過ちを改むるに憚ることなかれ、です。そうでもないのに、あっちへふらふら、こっちへふらふらでは話の他です。
異なる価値観を尊重することと、自分の核心だという価値観を曲げないことは、努力すれば両立できると考えてください。互いの違いを認めあえてこそ、はじめて互いに尊敬できると考えていただいてもよろしいでしょう。時に好敵手ほど相手を認められるのですから。

いかがでしょうか、インテグリティにふさわしい日本語が最後まで出てきませんでしたが、何となくインテグリティの持つ意味がおわかりいただけたでしょうか。ちなみに、佐久間陽一郎さんという能力開発の先達はインテグリティを「尊厳性」と表現しています。その佐久間陽一郎さんが主導しているスキルアカデミー(https://www.skillacademy.jp/)の紹介を差し上げます。
これは、「自分を知れば、将来の自分のキャリアを実現できる」をビジョンとして掲げ、ビジネススキルアップ/キャリアアップを支援するためのオンライン学習サイトです。
サイトに掲載された講座では、それぞれ無料体験コースが設定されています。お時間があれば、ぜひアクセスしてみてください。また、有料講座については、いずれかの段階で割引専用URLが設定されますので、それまではお待ちください。設定された際には、このコラムの号外でお知らせいたします。
皆さんも将来の自分のキャリアに挑戦してみませんか。

F第48話「待つということ」

皆さんにはいろんな夢があるはずです。
あれをしたい、これをしたい、さまざまな夢があり、プランがある、まさにそれが青春です。
しかし、現実は往々にして厳しいもの。
夢やプランがすぐ実現できることは少ないでしょう。
そうしたとき、皆さんには三つの選択肢があります。

一つ目の選択肢は、無理だとはわかっていても、その夢やプランに突き進む、という道です。
とにかく全力投球で現実にぶつかる、結果が玉砕でもかまわない。
これも悪いとは言いません。
若さはいくらでもやりなおしが効くからです。

二つ目の選択肢は、もう諦めてしまう、違う道を探して、昔の夢やプランは忘却の彼方、という道です。
まさに現実主義、虚しい望みは棄ててしまう。
これも悪いとは言いません。
大過なく過ごすのも一つの生き方ではあるからです。

三つ目の選択肢は、夢やプランを心の中に潜ませて、自分一人で温め続ける、という道です。
いずれ世に出すときもあると、じっくり構える。
これも悪いとは言いません。
今回のテーマは、まさにこの道です。

宮城谷昌光(みやぎたにまさみつ)という小説家がいます。
40歳を超えてはじめて小説家として評価され、今日では日本を代表する歴史小説家、司馬遼太郎の後継者として名高い作家です。
しかし、彼がそこに辿りつくまでには長く苦しい雌伏の時期があったことでも知られています。
若くして小説家を志したのですが時を得ず、大学卒業後は出版会社勤務や家業の土産物屋を手伝ったあと、郷里愛知県で英語の塾を開いて生計を立てていたのです。
そして、立原正秋から使う言葉について厳しい指摘を受け、それ以来、日本語と漢字についての研究を重ねました。また、中国の故実を学ぶために数多くの漢籍(漢字で書かれた古い書物)を読んで研鑽を積みました。
そうしてようやく書き上げた「王家の風日」という、たった500部の私版本が偶然にも司馬遼太郎の目に留まり、続く「天空の舟」が出版されて世に出ることができたのです。

いかがでしょうか。
彼、宮城谷昌光は小説という夢を捨てず、漢字や漢籍を学んで夢を温め、司馬遼太郎という大作家との出会いを活かして、ようやく夢を実現することができたのです。
まさに、第三の道を、それこそ二十年以上の雌伏を費やして過ごしたと言えるでしょう。

皆さんも自分の夢やプランを簡単に棄てないでください。
今はできないとしても棄てることなく心の中に潜ませ、温め、出会いや時の流れに恵まれたとき、それを花咲かせる、そうした道もあるのですから。
そういう意味で、モンテ・クリスト伯(岩窟王)の言葉を送りましょう。
「待て、そして希望せよ」

F第47話「スルー力」

ものごとには相性というものがあります。
どうもあの人とは馬が合わないとか、あの人とはフィーリングが合うとか、皆さんも日常的な出会いの中で感じることがあると思います。
これがよい場合は何の問題もありません。
問題は相性が悪い場合です。

筆者の知り合いがあるトラブルに巻き込まれてしまいました。
この知り合いは、大きな組織の一員で、真面目で、仕事もできて、周りからの評価も高く、順調な昇進を続けてきました。
その結果、いわゆるエリートセクションに配属されることになったのです。
本人は周りの期待や評価に背かないようにと、それこそ一所懸命に働いていました。
ところが、彼の上司との相性が極端に悪いのです。
上司から見ると、彼のやることなすこと、何かにつけ面白くない。
彼がいろいろ工夫をしても面白くない。
そこで、顔をあわせるたびに彼に叱責、怒号、侮蔑を浴びせる始末。
周りも二人のピリピリ状態になすすべもなく、遠ざかって見守るのみ。
そんな生活が半年も続いていましたら、とうとう彼は会社に出られなくなってしまい(いわゆる出社拒否症)、家で閉じこもるか、図書館あたりでボーっと時間を潰すか、まったく困った状態になってしまいました。

そうこうしておりますと、彼の友人が筆者にSOSを投げかけてきました。
「彼と会って、何か解決策を授けていただけないでしょうか」と。
もちろん、そんな大したことができる訳ではないのですが、いささか彼よりは人生の経験を積んでおりますので、早速彼に会うことにしました。
そして、助言したのは「夏は暑い」ということです。

夏は暑いのが当たり前です。
暑いのが嫌だと言っても、夏が寒くなる訳ではありません。
せいぜい、薄着をするとか、冷房を効かせるとか、どうにか夏の暑さを凌ぐしか方法はないのです。

相性の悪い上司も同じようなものです。
上司に働きかけて、相性の悪さをなおしていただくことも難しいでしょう。
あるいは、自分自身を変えて、相性をよくしてゆくことも難しいでしょう。
どちらも自分は悪くないと思っているから、それこそ相性が悪いのです。
相性が悪いからと言って、上司を代える力は彼にはありません。
また、相性が悪いことを理由に、職場をすぐ異動することもやはり難しいでしょう。
そうなりますと、正面から夏の暑さとぶつかるのではなく、暑い夏をどうやり過ごすのか、です。

それからの彼は、上司の顔を見るたびに「夏は暑い」「夏は暑い」と呪文のように独り言を言い、そういうものだと自分を慰め、我慢することができたそうです。
結果して、会社に出社できるようになり、定期の人事異動でその上司と離れることができ、今ではこれまでのように一所懸命働いています。

このように、どうしようもない事態にぶつかったとき。
それが本当に自分の力ではどうしようもないとき。
方法は一つです。
それをどうにかして凌ぐ、やり過ごすことです。
これを「スルー力」と名付けましょう。
日本語にすると、聞き流す、見て見ぬふりをするということ。
人間は困難な事態に遭遇したとき、それに対して全力で挑もうとすることがしばしばあります。
ちょうど、正面から夏の暑さにぶつかるようなものです。
しかし、時にはそれを無視して事なきを得たほうがよい場合もあります。
それを的確に判断し、実行する能力を「スルー力」と名付けましょう。

皆さんも仮にそうした事態に陥ったとき。
「夏は暑い」という言葉を思い出し、「スルー力」を発揮してみてください。
いずれ夏は過ぎ、涼しい秋が訪れるものです。

F第46話「フェイディアス」

つい先ごろ、薬師寺の仏像を見る機会がありました。
国宝の薬師三尊像、中央に薬師如来、右に日光菩薩、左に月光菩薩の美しいブロンズの仏像です。
今回は光背を取り除いた「素」のお姿を拝見できましたので、普通は見られない背中までじっくりと。
そうしましたら、正面の造作だけではなく、隠れている背中の造作までもが精緻で、美しい造形を保っているのに驚かされました。

このコラムは、当然ですが白鳳時代の仏像の美を論じることが目的ではありません。
問題は、普段は見えない背中までも手を抜かずに、秀麗に作り上げられている、というところにあるのです。

ドラッカーの著書に次のような話があります。
ギリシャの彫刻家フェイディアスの話です。
紀元前5世紀のアテネ、フェイディアスは西洋では最高の彫刻の一つとされているパンテオンの屋根に建つ彫刻群を完成させました。
その後、フェイディアスの請求書に対してアテネの会計官は支払いを拒んだそうです。
「彫刻の背中は見えないのに、そこまで彫って、しかも請求してくるとは何ごとか」と言ったそうですが。。。
それに対して「そんなことはない。神々が見ている。」とフェイディアスは一言。

いかがでしょうか。
皆さんの仕事も同じです。
誰かが見ているから一所懸命やろう、ではいけないのです。
誰が見てようが、誰も見ていまいが、なすべきことはきちんとなし遂げる、それがプロフェッショナルというものです。

ドラッカーはフェイディアスの話をしたあとに、次のように続けています。
「人は誇れるものをなし遂げて、誇りを持つことができる。
仕事が重要なとき、自らを重要と知る。
成功の鍵は責任であり、自らに責任を持たせることである。
あらゆることがそこからはじまる。
大事なものは、地位ではなく責任である。
責任ある存在になるということは、真剣に仕事へ取り組むということであり、仕事にふさわしく成長する必要を認識するということである。
他の者が行うことについては満足もありうる。
しかし、自らが行うことについては、常に不満がなければならず、常によりよく行おうとする欲求がなければならない。」

なかなか手厳しいですが、まさに「仕事とは何か」をこれほど的確に示している文章はないと思います。
中途半端に満足するのではなく、常に自分自身が責任を認識し、よりよく行おうとすることで誇りを感じ、成長することができるのでしょう。

皆さんも会社に入りますと、仕事を与えられます。
前回お伝えしたように最初はそう大きな仕事ではないでしょう。
しかし、その仕事をよりよく行おうと努める、中途半端に満足しないで頑張る、そうした中から少しずつ信頼や評価を得ることができ、より大きな、より責任の重い仕事を任されるようになる、これを続けることが皆さんの成功を保証するとお考えください。

そして、その到達点としてフェイディアスの彫刻や、薬師寺の仏像のように後世まで伝えられることが出てくるのかもしれません。
歌舞伎の名人と言われた六代目尾上菊五郎は死に臨んで一言。
「未だ足らぬ、踊り踊りてあの世まで」

F第45話「仕事が寄ってくる」

筆者がよく読んでいるブログに「西山牧場オーナーの(笑)気分」があります。そのほとんどは馬に関する話題なのですが、たまに経営者としての視点から興味深いテーマを書き込んでくれる日があります。
これが実に秀逸で、「なるほど」と思わされることがよくあります。

一つご紹介しますと、「急ぎの仕事は忙しい人に頼め」というテーマがありました。
「雑用を嫌な顔せずに、サッとこなせる社員に次の雑用が行き、そして大事な、大きい仕事が回っていきます。
雑用を頼まれて、『俺はこんな雑用をするために、入社したんではない。もっと大きい仕事がしたいんだ。』
こんな社員に、大事な仕事を任せることはありません。
以前にも書きましたが東大生に『高校時代、どんな勉強をしましたか?』
みんな声を揃えて『ふだん授業でやる小テストを大事にしてきました。』
いきなり、模擬試験や入試ばかりを狙ってもうまく行きませんね。
これを読んだうちの社員へ。
いい仕事をしたかったら掃除や買い物など小さな雑用を大切に。
サラリーマンに雑用は本業です。
雑用を笑顔でたくさんこなした社員がいい仕事が回り、給料が上がり、賞与も上がり、昇格します。」

いささか、経営者寄りに過ぎるかもしれませんが、真実の一端がそこにあります。
信頼や評価は一朝一夕では得られません。
一つ一つ小さな実績と努力を積み重ねることだけが、信頼や評価を得られる道だからです。

仮に皆さんが会社へ入り、いろんなことを頼まれるとすれば、それは「できる」と思われているからに他なりません。経営者でも職場の上司でも先輩でも、「できない」と思う相手には頼みません。
もちろん、最初から大きなことを頼まれることはないでしょう。しかし、一つ一つ頼まれたことをこなしているうちに、だんだんとよい大きなことを頼まれるようになります。
そうしたらしめたものです。
まさに西山さんが言うように、「雑用を嫌な顔せずに、サッとこなせる社員に次の雑用が行き、そして大事な、大きい仕事が回っていきます。」ということです。
これが釣りで魚が入れ食いになるように、会社で「仕事が寄ってくる」という状態なのです。そこまでどうもってゆくか、これが大切なのです。

それでは、皆さんがいろんなことを頼まれて手一杯な状態になっているとしましょう。でも、さらに頼まれる。どうやって捌こうか、という問題が出てきます。
ここで考えないといけないのが、優先順位です。
まずは、それをいつまでに片付けないといけないのか、というスピードの順位。
ついで、重要性やエラーの許される度合い、というウェイトの順位。
最後に、誰から頼まれたのか、というヒューマンの順位。
これを組み合わせて、「やらなくてはならない仕事を後回しにして、順番で先に頼まれたからと急ぎでない仕事に時間を使う人」にはならないように注意しないといけません。

また、「いつまでならば片づけられる」という目安をあらかじめお伝えするのも重要です。もちろん、優先順位の上のものであればあるほど、その「いつ」は早くなければいけません。
何よりも悪いことは、約束を裏切ることであり、期待を裏切ることです。裏切るくらいならば、安請け合いしない方がまだしもましです。
可能な範囲で、できるだけ早く、しかも的確に、という原則を忘れなければ、自ずと成果が出てくるものです。

F第44話「固定観念を捨てましょう」

「こうするのが当たり前」と思っていることが実は当たり前ではない、ということはよくあります。
私たちはそれぞれに異なる過去を辿ってきました。
そうした異なる過去で身に着けた常識、それにこだわることを固定観念と呼びましょう。
それぞれの過去が異なるのと同じように、それぞれの常識も異なるのが当たり前なのですが、それをそうは思えないで、「自分の常識が正しい、常識外れなのは相手の方だ」と思ってしまうのが固定観念なのです。

例えば、「水道の水はそのまま飲める」というのは常識でしょうか。
実は世界の中で、水道の水をそのまま飲める国はそう多くありません。特にアジアで水道の水をそのまま飲むのはかなりの勇気が必要です。
ところが、「水道の水はそのまま飲める」という固定観念を持った日本人観光客は何のためらいもなく水道の水を飲み、下痢になったり、体調を崩したりしてしまいます。

例えば、筆者の暮らしている会津地域ではお雑煮は角餅を焼いて醤油仕立というのが常識ですが、京都にゆけば丸餅を煮て白味噌仕立というのが常識です。
ですので、会津の人が京都を寒い時期に旅行してお雑煮をいただきますと、「これは何と言うお料理ですか」ということになってしまいます。

少し極端な話をしてしまいましたが、自分が常識だと思い込んでいることが、所を変えると常識としては通用しないのが、実は当たり前だと考えていただきたいのです。

これは、皆さんが社会に出て、会社に勤めた際に味わうことでしょう。
これまで、学生で、あるいは親元で、ごく普通に通用していた習慣や仕草が通用しない世界がそこにあります。
言葉遣いや挨拶、お辞儀、時間の守り方、指示や命令、守るべき組織のルール、実にさまざまに違う常識が待っています。
ここで皆さんが問われるのは、これまでの常識、固定観念を捨てられるか、ということです。ちょうど、さなぎが蝶になるように、です。

ここからが本番です。
皆さんがこれまでの常識を脱ぎ捨てて、新しい組織の中で順応してゆく、それが社会人として求められることです。
しかし、そうして皆さんが新しい組織の中で身に着ける常識、それもそれ以前に身に着けた常識と同じように、所を変えると常識としては通用しないということを忘れないでいただきたいのです。
そうでなければ、「自分の常識が正しい、常識外れなのは相手の方だ」という固定観念の世界に入ってしまうでしょう。それは、とても狭い世界なのです。

「そうは言っても組織(会社)の中でしか生きていないのに」という意見もあるかもしれません。
そこで重要なことが、前々回にお伝えしたように「ネットワークを拡げる」ことです。「ネットワークは、皆さんのタコツボ状態を解放してくれます。自分一人では見えない世界を見させてくれる」のですから。

そして、前回にお伝えしたように「鳥の目を持つ」ことです。「自分の属している組織、あるいは自分の持っている価値観から離れてものを見る、という行為が巨視的であり、鳥の目である」のですから。

さらに、究極の方法は見知らぬ外国を歩いてみることです。費用対効果で考えるならばアジアがよいでしょう。
日本における常識が通用しない、という現実と向き合うことができます。
「言葉も使えないのに」という方もおられるでしょうが、多くの場合、言葉が使えなくてもどうにかなるものです。特に、若者は余計な心配を先にしないのがよろしいでしょう。

F第43話「鳥の目を持つ」

人間はどうしても自分の所属している「内」を向き、一つのことにこだわりたがる生き物です。
しかし、人間の社会は多様性に満ちています。
こうした「内」と「外」の矛盾を解消するのがビジネスだと考えてもよいでしょう。
ビジネスの世界は、ものやサービスを提供するサプライヤーと、ものやサービスを受け取るコンシューマー(カスタマー、ユーザ)が存在します。
そして、それを取り巻くさまざまな利害関係者(ステークスホルダー)も存在します。
これだけ複雑で多様な環境で生き残る(成功する)ためには、「内」を向いているだけではいけませんし、一つのことだけにこだわってもいけません。

これを別の言い方で現わしますと、より巨視的なものの見方をすることが必要だ、と言えます。
巨視的(ものごとを全体的に観察する)、これもわかりにくいと言う方もいらっしゃるでしょうから、さらに別の言い方をしますと、蟻の目から鳥の目に変わることです。
地面だけを見ていれば蟻と同じです。ひたすらに歩き回り、仲間のあとをついてゆく、あとは物量作戦で、とにかく数の多さで何とかするしかありません。
それと比べると、鳥は違います。空の上から地面を見ることができます。広い視野の中から餌を探し、仲間を探すことができます。
結果して、蟻の世界は狭く、鳥の世界は広いのです。
そして、その差は地面という限定された環境から離れたことにはじまります。

これはビジネスも同じことです。
つい先ごろ、マクドナルドのナゲットから異物が見つかるという事件がありました。
これはサプライチェーンマネージメント(SCM)という考え方を知っていればより深く背景がわかるのですが、外食産業は世界規模の供給網(サプライチェーン)の中にあります。例えば、野菜は中国から、魚はアラスカから、そして鶏はタイから、というようにです。
そうなりますと、企画⇒生産⇒加工⇒配送⇒供給という一連の流れの中にある、さまざまな要素や関係者を見通してコントロールしないと良質なものやサービスは提供できません。
今回のマクドナルドの事件はそうしたサプライチェーンのどこかしらでトラブルが発生したのでしょう。
これまでにように、企画は企画だけ、生産は生産だけ、加工は加工だけ、配送は配送だけ、供給は供給だけを考え、見ているだけではトラブルの解決は難しいと言えます。そして、マクドナルドはどこかしらで巨視的な組織風土を失い、タコツボ状態になってしまったのかもしれません。

このように、自分の属している組織、あるいは自分の持っている価値観から離れてものを見る、という行為が巨視的であり、鳥の目であると考えていただきたいと思います。
もちろん、最初は自分の属している組織からものを見るのですし、自分の持っている価値観からものを見るのですが、それにこだわり、それに閉じこもるといけない、ということです。

では、どうしたら巨視的に、あるいは鳥の目でものを見ることができるのでしょうか。
その最初の糸口は、前回にお伝えしたネットワークです。
自分とは異なる組織に属し、異なる価値観を持っている他人とのつながり、出会いの中から、さまざまなヒントをいただくことができます。
例えば、公務員は特別な法律で縛られ、全体の奉仕者であるという教育と束縛の中で生きています。ですので、理屈としては全体(住民)へ奉仕しなければいけないとわかっているはずです。
しかし、どうでしょうか、公務員ほど目線の高い人種はいない、とよく言われます。
公務員が住民への奉仕を価値観としながらも、住民の目線でものを考えることができないとすれば、その最大の原因は公務員が外に向けたネットワークをあまり拡げていないことにあるのではないでしょうか。
それほど、組織の外に拡がるネットワークは重要なのです。

次に、幅の広い知識を身に着けることです。自分の仕事に関係のある知識だけに埋没しては、いつまでも蟻の世界から抜け出せないでしょう。
そのためにもっとも効率的な方法は、日本経済新聞を読んで理解できるようになる、ということです。
立花隆の言葉を借りれば
「僕が、『現代の常識』のレベルとしてよく例に出すのは、日経新聞を初めのページから最後の文化欄までをちゃんと理解できる、これが現代人が持つべき知識の基本ラインである、という表現です。(立花隆「東大生はバカになったか」2001年10月、文藝春秋)」
ということです。

いかがでしょうか。
ネットワークと鳥の目、互いに関連し、互いにより高め合う道筋ではないでしょうか。
まずは、タコツボから一歩外に出てみましょう。

F第42話「ネットワークを拡げる」

コミュニケーションが職場で取れるようになったら、少し目を外に向けてみましょう。
人間は組織に所属していると、どうしてもその組織の一員としてものを考え、ものを見るようになってしまいます。
それはそれで仕方のないことなのですが、そればかりに囚われていますと、タコツボ状態に陥ってしまいます。
そうなりますと、どうしても視野が狭くなり、価値観も偏ってしまいます。

この弊害を軽くするには、自分の目を外に向けることです。
内向きから外向きです。
人間はどうしても自分の所属している「内」を向く生き物ですので、「外」を意識することが必要です。

そのためにどうしたらよいのかですが、皆さんが会社に入ったとしても、会社以外のお付き合いは少なくないはずです。
同級生との呑み会もあるでしょうし、地域の付き合いもあるはずです。
そうした関わりを大切にしていただくのが一番です。
すぐに会社で役立つことはもちろん多くはありませんが、そうした「出会い」には多様性があります。
同級生を考えてみましょう。おそらく同じ会社に入った人はいないでしょう。少なくとも所属している会社は違うはず。
それだけではなく、大企業を選んだ人もいれば、中小企業を選んだ人もいる、故郷を出た人もいれば、故郷で生きている人もいる、親の仕事をついだ人もいるかもしれません。
そんな具合に、いわば日本という社会のさまざまな断面が見られるはずです。

このように、皆さんがここまで生きてきた経路の延長線でも「外」を見ることができます。
しかし、それだけではつまりません。
同級生は同世代ですし、地域は狭いもの。
より広い世界に目を向けることも忘れないでください。

そのためには、公私ともに訪れる「出会い」を大切にすることです。
仕事で出会う人もいれば、プライベートで出会う人もいます。
都会ではわざわざ出会いの場を作るために、イベント交流のサイトまでビジネスになっているほどです(参考までに三つほど上げておきます)。
http://koryupa.jp/、http://www.statusparty.jp/、http://www.reservestock.jp/

いずれにせよ、公私ともに訪れる「出会い」をどう活かすか、です。
その際、これはあまりよろしくないと思うのは、変わった格好をして目立とう、ということです。
気持ちはわからないではありません。
しかし、インパクトというものはプラスにもマイナスにも働くことを忘れないことです。
筆者が昔、公務員の方々を相手にビジネスをしていた頃、とにかく髪の毛を長くしている若者がいました。
確かに目立ちます。でも、どうなんでしょうか。
目立つことで得られる評価と、髪の毛が異常に長いということで失う評価をバランスにかけたら、ということです。
本質的にできる人は、普通の格好をしていても目立つのです。
人間の魅力は自ずと滲み出るものだ、と自信を持ってもよいのではないでしょうか。

もちろん、「出会い」で自分の存在を認めていただく、覚えていただくのに工夫は必要です。
例えば、名刺をいただいたらその日のうちにメールを差し上げ、出会った感謝をお伝えするのは、おそらくマイナスは少なく、プラスが大きいでしょう。
あるいは、名刺もお仕着せではなく、ちょっと自分の個性を加えたものにする、というのも会社が許すのであればよいかもしれません。
そんな控えめなアピールをする、その程度で十分ではないでしょうか。

こうしたちょっとした努力をすることで「出会い」がその後につながってゆく、それを繰り返すことで、皆さんのネットワークは一歩ずつ拡がってくるのではないでしょうか。
そうしたネットワークは、皆さんのタコツボ状態を解放してくれます。自分一人では見えない世界を見させてくれます。
この数字に現わしにくい価値を大切にしていただきたいと思うのです。

過去の記事