C第15話「三越」

Category: シュウカツ俯瞰
次の問題は、コミュニケーションです。
すこし話は古いですが、有名な三越事件を取り上げてみたいと思います。

“三越”と言えば、三井財閥発祥である呉服の越後屋をルーツとする小売業の名門中の名門、「贈り物は、やっぱり三越」というキャッチコピーに見られるように百貨店業界の中でも特別のステータスを誇っていました。
その三井グループの旗頭のような名門企業が大激震に襲われたのが1982年、今から30年ほど前になります。
俗に三越事件と言われるこの大騒動の影響は、その後も長く“三越”を苛み、とうとう2011年には新興の伊勢丹に吸収される形で独立企業としての歴史に幕を閉じることになったのです。

さて、1982年、この年の6月、“三越”はその優越的な地位を使って、納入業者に対する商品や映画前売券の押し付け販売、協賛金や社員派遣の要請、種々の催し物への費用負担などの不公正な取引方法を行ったと、公正取引委員会から指摘されたのです。実は、こうした“三越”の横暴さが今のクロネコマヤトを産んだという皮肉な出来事もありました(“三越”との取引停止から宅急便へ本格進出)。
また、8月には“三越”で開催された「古代ペルシャ秘宝展」の出展物の大半が贋作であることが判明。
さらに、当時の代表取締役の取り巻きとの不明朗な取引が告発されるなど、収集のつかない状態に陥ったのです。

そして、運命の日がやってきました。1982年9月22日、“三越”の取締役会で代表取締役解任の動議が出され、とうとう事件の主人公である代表取締役はその座を追われたのです。このとき、彼が発した「なぜだ!」という悲痛な叫びはその年の流行語にも選ばれたほど、実にショッキングな事件でした。なにせ、社長でも解任されることが衆目に晒されたのですから。

さて、“三越”のような名門企業に何が起こったのか、です。
それは、ごく簡単に言いますと、会社という「組織」の中ではコミュニケーションがまったく成立しなかった、ということです。
コミュニケーションとは相互に意味と感情をやり取りする行為ですが、当時の“三越”では代表取締役から下へ発せられるメッセージが唯一の意味と情報であり、代表取締役とコミュニケーションする立場にない社員にはその上位者から代表取締役のメッセージを受け取ることだけが会社の伝える唯一の意味と情報になってしまっていたのです。

その背景には、代表取締役は〇〇天皇と呼ばれるほど、社内で強烈なワンマン体制を確立し(大株主でもないサラリーマン社長としては希有のことですが)、周辺にはイエスマンだけを残し、すべてのライバルを社外へ追い出し、ほとんどすべてを自らの独断で進めていた、ということがあります。
そうした代表取締役の暴走を許す大企業というのも不思議な話ではあるのですが、10年間の社長時代にそういうワンマン体制が確立されたのは事実のようです。

いずれにせよ、こうして“三越”という「組織」ではコミュニケーションが成立しない、極端な上意下達の状態に陥っていたのです。
こうなりますと、「組織」に“関係性”や感情がはびこるのは皆さん既におわかりのはずです。
要は、代表取締役、あるいはその取り巻きのイエスマンとの“関係性”に最大の意味があり、彼らにマイナスの感情を与えないように振る舞うことが最善の選択となるのです。

この三越事件は当時の日本に大きな衝撃を与えましたので、高杉良の「王国の崩壊」、大下英治の「小説三越・十三人のユダ」といった優れた経済小説を産み出しています。
皆さんもいずれかの機会に一読されると、企業というもののある意味での実相が見えてくるかもしれません。

さて、これで“雪国まいたけ”の信賞必罰、“三越”のコミュニケーションとお伝えしてきましたので、いよいよ次回はビジョンです。
ビジョン、それは経営理念で規定された経営姿勢や存在意義に基づき、こうなっていたいと考える到達点、目指すべき中期的なイメージを投資家や従業員や社会全体に示したもの、この大切さに触れてみたいと思います。