C第11話「信賞必罰」

Category: シュウカツ俯瞰
戦国時代の末、今から2,300年ほど前になりますが、韓非子という思想家が中国で産まれました。
法に基づく支配体制を唱えたことから、韓非子をはじめとする一群の人たちを「法家」と呼んでいます。
今日のような現代社会とは大きく異なる当時の社会での考え方ですので、そのまま通用する訳はありませんが、その考え方の中には今でもなるほどと思える内容もたくさん含まれています。

そのうちの一つに「二柄(にへい)」という考え方があります。
それは、国を治めるに際して重要な権力には、「刑」と「徳」の二つがある、というもので、それを道具としての柄(え)に例えたものです。
「刑」は言うまでもなく罰すること。
「徳」は同じように褒めること、です。

韓非子は次のように伝えています。
「明君と呼ばれる人達は、たった2本の柄(権力)で臣下を統率するものである。その2本の柄とは、刑と徳というものです。刑と徳が何かと説明しますと、刑とは犯罪に対する罰のことであり、徳とは功績に対する賞のことです。臣下達は、刑罰を受けるのを畏れて、恩賞を得るのを喜ぶものです。ですから人の上に立つ者は、自らその刑と徳を用いなければなりません。そうすれば、臣下達は皆、その権威を畏れ、その恩に従うようになるからです。ところが、世にはびこる奸臣達は、主君からその権限を盗み取って、嫌いな者には罰を、好きな者には恩賞を与えようとするのです。ですから、君主たる者は、賞罰の権限を他人に委譲してはなりません。もし、重臣の一人にその権限を委譲したのなら、国中の人々は皆その重臣を畏れるようになり、君主を軽んじることになります。人心は、君主から去り、その重臣に帰することになるのです。これが、君主がこの2つの権力を失ったことに対する災禍なのです。」

さて、これを現代の「組織」に置き換えますと、要は信賞必罰(賞すべき功績のある者には必ず賞を与え、罪を犯し、罰すべき者は必ず罰するという意味とに他なりません)です。
前回、“関係性の罠”という表現で、「組織」で“関係性”や感情が幅を利かせる危険性をお伝えしました。
そして、「組織」が“関係性”や感情に流されないあり方はどういうものなのかを考えますと、その最初のヒントがここにあります。

仮に「組織」が功績を上げたものを賞せず、罪を犯したものを罰しなければどうなるでしょうか。仮に功績を上げていなくても自分と関係が近いことを理由にして賞し、罪を犯しても自分と関係が近いことを理由にして罰しなければどうなるでしょうか。
一つの参考に産経新聞が取り上げた事例をご紹介しましょう。
「~優しい教師による友達感覚の学級運営が瓦解を招く~
年度当初、保護者は自分の子供は受けいれられていると感じ、教師との信頼関係が築かれる。だが、内実は先生と個々の子供の関係ばかりが大切にされ、集団としてのまとまりに欠けている。教師は友達口調で子供に接し、子供に善悪を理解させず、曖昧(あいまい)な態度を取ることが多い。学級のルールが守れなくても、今日は仕方がないなどと特例を設け、私語を許すなどルール作りがおろそかになり、子供側にはルールは先生の気分次第という空気が生まれる。やがて教室内には、教師の気を引く言動が無秩序に生まれ、あの子がほめられて面白くない、先生は私と仲良くしてくれないなどの不満が噴出。告げ口が横行し、学級の統制が取れなくなる。」
こうした学級崩壊のパターンを「なれ合い型学級崩壊」と呼ぶそうですが、実際の学級崩壊の多くはこうしてはじまるそうです。

「組織」が崩壊することはなかなか起こりませんが、「組織」が無秩序に、あるいは非効率的に陥ることは少なくありません。
その原因の一つがここにあります。
罰すると褒めるが両方存在していないと(信賞必罰を行わないと)、どうしても「組織」は“関係性”や感情に流されがちになります。
これでは、「組織」の未来は見えてきません。

しかし、信賞必罰はその前提となる「基準」が示されていなければ何の価値もありません。
何をしたらよいのか、何をしたらいけないのか、そうしたルールが明らかになっている。
これがなければ、信賞必罰の根拠が見えませんので、誰もが疑心暗鬼になる、ふたたび「組織」は“関係性”や感情に流されてしまいます。

こうした「基準」を定めること、これが最初の一歩なのでしょう。
よく聞くのは、事務のデスクワークなので「基準」を決めるのが難しい、ということがあります。
もちろん、生産工場のように成果を可視化しやすい職場では「基準」は簡単に決められるでしょう。
しかし、どんな仕事であったとしても、それが何らかの成果を上げるために行われるものであれば、そうした成果をベースとした「基準」を決めることはできるはずです。
また、「基準」を決める際にどういった参加形態を取るべきか、という点にも注意が必要です。
単に上から押し付けられる「基準」よりは、自分自身が参加して決めた「基準」の方がそれを遵守する意識は高まるものです。

そう考えてみますと、まずはできるだけ多くの参加を求めながら職場で「基準」を決める、その上で「基準」に沿った信賞必罰が行われる、これが「組織」が“関係性”や感情に流されないあり方の第一ステップなのではないでしょうか。
どうか皆さんも、ご自分の属する「組織」ではどうなのか、よく観察していただきたいと思います。