C「読者からの質問①~何か他人と違うことをしないと駄目なのか~」

Category: シュウカツ俯瞰
「地域中小企業の人材確保・定着支援事業」の一環として、①これから社会に参加する若者の皆さんに「働く」、あるいは「ビジネス」ということがどういったものなのかを知っていただく、②中小企業や小規模事業者で働くために重要な知識やスキル、あるいは社会人基礎力を身につけていただく、③中小企業や小規模事業者の海外進出において必要とされるさまざまな国や地域の情報や文化風土などの基盤的な知見を知っていただく、そうしたことを大きな狙いとするこのコラムも、5月1日の開始から二ヶ月を経過しました。この間、読者の方からさまざまなご質問やご要望をいただいてまいりましたが、二ヶ月を経過したタイミングで、お返事をお伝えしたいと思います。
なお、このコラムは読者とのキャッチボールも重要と位置づけておりますので、ご質問、ご要望に限らず、ご意見、ご感想も含め、何なりとお便りをいただければと願っております。お問合せ先は以下のアドレスとなりますので、お名前をご記入の上、送信をお願いいたします。なお、お返事がリアルタイムレスポンスとなるよう努めますが、若干の時間差はお許しください。また、わかること、できることと、わからないこと、できないことがありますので、この点もお許しください。
お問合せ先:yoshida@nojuan.com

Q1:何か他人と違うことをしないと駄目という風潮の学生が多いです。ちゃんと考えて行動していればよいのですが、ただ行動したことや結果だけに満足して、次につながらないことが多々あります。「経験した」ということで満足するのではなく、その一つ一つの行動や現象から、共通する要素(共通項)を見つけ体感することが、どのような変化の時代が来ても対応できる人間になれるのではないでしょうか。
A:筆者がかつてお城の文化財や古美術品の整理を担当していた頃、著名な郷土史家の方から教えていただいたことがあります。それは、ものの良し悪しを見る目を養うためにはどうしたらよいでしょうか、という筆者の質問へのお答えでした。
「悪いものを数多く見ても何の意味もありません。目筋(めすじ、ものを見極める尺度や感覚のようなもの)を伸ばすには、とにかく良いものを見ることです。良いものをじっくりと見ると、自然と目筋が肥えてきます。良いものは何かと言いますと、多くの人が評価するものが良いものだ、というところからはじめるのがよろしいでしょう。ご自分の好みで良し悪しを判断するのはまだ先のことです。
それから、文化財や古美術品の愛好家に二通りのタイプがいます。最初のタイプはとにかく文化財や古美術品が好き、ものそのものが好き、という人たちです。次のタイプは歴史のような書物から文化財や古美術品に興味を持つ人たちです。最初のタイプは見た直感と言いますか、鑑賞眼や美意識に流され、次のタイプはものを育んだ当時の歴史や、ものに対する知識に流されます。ものそのものが美しいかどうかという感覚と、そのものが作られた歴史的な背景、あるいはそのものが作られた当時の暮らしや文化のあり方のような知識と、その二つを磨かないと、本当の意味でものを見極めることはできないと思います。」
筆者はまさに名言であると受け止めております。
私たちはやってみないとわからない、とにかくやってみればわかるはずだ、みたいな思い込みと、知識偏重な頭でっかちの癖と、そうした二面性を持っているのだと思います。言葉を変えますと、プリミティブ(原初的なもの)とインテリジェンス(知性)というアンビバレンス(ambivalence、愛憎相半ばする関係)な二つが同時に内在しているのが私たち現生人類だとしますと、そのいずれも受容することが大切だと、筆者は考えています。
そうした意味で申し上げれば、何かを経験することと、多くの人が薦める名著を読むことを、両立させるのがよろしいのではないでしょうか。
何かを経験することは極めて個別的な、ある意味ではその人だけの特殊性に属しますが、名著を読むことは極めて一般的な、誰にでも通用する普遍性に富んだものです。名著に現わされている尺度で個別の行動から普遍的に価値のあるものを紡ぎ出す、そんな感じかもしれません。
筆者は7月に中国の日本研究者と会うために奈良へ行きますが、奈良に関する数々の名著、例えば和辻哲郎の「古寺巡礼」がこの旅をさらに深めてくれるでしょう。ただし、旅が「古寺巡礼」の単なる受け売りやエピゴーネン(Epigonen、模倣者)であれば、本を読むだけで済む話です。この辺がアンビバレンスと言うポイントではないでしょうか。