F「経路依存症」

Category: シュウカツ俯瞰
社会、とりわけ中小企業や小規模事業者で働く際に重要なものに能力があります。前回は能力を構成する要素の一つである“コンピテンシー(行動特性、行動の癖)”についてお話しいたしましたが、今回は「人間の能力」をその人の生い立ちから見てみたいと思います。そして、「人間の能力」を構成する要素の一つである“価値観”にも触れたいと思います。

“path dependency”という言葉があります。
日本語では経路依存症というようですが、要するに制度や仕組みが合理的な理由よりも過去の経緯によって拘束されていることを意味します。
よく例に出されるのがPCのQWERTY配列で、なんであんなキーボードになったのかと言いますと、機械式のタイプライターの頃にそうであったのが(ガチャンと字を打つバーが絡まないように)今でもそのままになっているので、特に合理的な理由はありません。
こういうように、過去にそうであったので、今もこうなっている、ということを意味します。

筆者がいつも思うのは、私たちの人生がいかにも経路依存症であるということです。
私たちの人生はその多くを過去に拘束されています。
私たちは親を選べませんが、その親から多くの影響を受けています。
また、小学校も中学校も自分で選ぶことは難しいですが、そうした学校から多くの影響を受けています。
例えば、何をしてよいとか、何をして悪いとかいう基準(価値観)は、多くの場合、親や学校から植えつけられたものです。NO.1に出てきた価値観のことです。
そして、そうした基準に沿って私たちは高校を選び、大学を選び、会社を選び、あるいは配偶者を選ぶことになります。
こうして選んだ(と自分では思っている)高校や大学、会社や配偶者によって、人生のほとんどは決まってしまいます。
まったくもって、過去の経緯によって拘束されている経路依存症が私たちの人生のようなものではないでしょうか。

しかし、仮にそれだけであるならば、私たちの人生というものはほとんど決められていることになります。本当にそうでしょうか。
筆者は必ずしもそうは思いません。経路依存症から抜け出して、新しい人生を歩むことは可能だと思うからです。
そして、私たちが経路依存症から抜け出すためには、過去からの経路を外れるための出会いが必要です。
しかし、そうした出会いは単なる偶然ではありません。
そうした出会いには必ずある種の準備が必要です。
「いつかは経路依存症から抜け出す」という意識のもとに、常日頃から出会いをイメージし、出会いへ向けた関係構築力の向上に努め、そして出会いの場を積極的に求めて行動する、こうした準備が必要なのです。

こうした出会いによる経路依存症からの脱出が無ければ、貧乏人の子は貧乏人、金持ちの子は金持ちのようなもので、まったくつまらない世の中になってしまいます。
ですので、世の中を楽しくできるかどうかも、実は私たちが経路依存症から脱出できるかどうかにかかっているのかもしれません。
皆さんも新たな出会いを求めて、今まで以上に意識して行動されてはいかがでしょうか。そして、出会いを通じて、自分の能力を少しでも高められたら素晴らしいとは思いませんか。社会に出る、そして中小企業や小規模事業者で働くという選択も重要な出会いとなるのです。