F第48話「待つということ」

Category: シュウカツ俯瞰
皆さんにはいろんな夢があるはずです。
あれをしたい、これをしたい、さまざまな夢があり、プランがある、まさにそれが青春です。
しかし、現実は往々にして厳しいもの。
夢やプランがすぐ実現できることは少ないでしょう。
そうしたとき、皆さんには三つの選択肢があります。

一つ目の選択肢は、無理だとはわかっていても、その夢やプランに突き進む、という道です。
とにかく全力投球で現実にぶつかる、結果が玉砕でもかまわない。
これも悪いとは言いません。
若さはいくらでもやりなおしが効くからです。

二つ目の選択肢は、もう諦めてしまう、違う道を探して、昔の夢やプランは忘却の彼方、という道です。
まさに現実主義、虚しい望みは棄ててしまう。
これも悪いとは言いません。
大過なく過ごすのも一つの生き方ではあるからです。

三つ目の選択肢は、夢やプランを心の中に潜ませて、自分一人で温め続ける、という道です。
いずれ世に出すときもあると、じっくり構える。
これも悪いとは言いません。
今回のテーマは、まさにこの道です。

宮城谷昌光(みやぎたにまさみつ)という小説家がいます。
40歳を超えてはじめて小説家として評価され、今日では日本を代表する歴史小説家、司馬遼太郎の後継者として名高い作家です。
しかし、彼がそこに辿りつくまでには長く苦しい雌伏の時期があったことでも知られています。
若くして小説家を志したのですが時を得ず、大学卒業後は出版会社勤務や家業の土産物屋を手伝ったあと、郷里愛知県で英語の塾を開いて生計を立てていたのです。
そして、立原正秋から使う言葉について厳しい指摘を受け、それ以来、日本語と漢字についての研究を重ねました。また、中国の故実を学ぶために数多くの漢籍(漢字で書かれた古い書物)を読んで研鑽を積みました。
そうしてようやく書き上げた「王家の風日」という、たった500部の私版本が偶然にも司馬遼太郎の目に留まり、続く「天空の舟」が出版されて世に出ることができたのです。

いかがでしょうか。
彼、宮城谷昌光は小説という夢を捨てず、漢字や漢籍を学んで夢を温め、司馬遼太郎という大作家との出会いを活かして、ようやく夢を実現することができたのです。
まさに、第三の道を、それこそ二十年以上の雌伏を費やして過ごしたと言えるでしょう。

皆さんも自分の夢やプランを簡単に棄てないでください。
今はできないとしても棄てることなく心の中に潜ませ、温め、出会いや時の流れに恵まれたとき、それを花咲かせる、そうした道もあるのですから。
そういう意味で、モンテ・クリスト伯(岩窟王)の言葉を送りましょう。
「待て、そして希望せよ」