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F「プレゼンテーション・スキル④~スキル・チェック~」

プレゼンテーション・スキルの「ちょっとのコツ」、残りの三つです。

まずは、「かっこいいプレゼンテーション」とは考えないことです。これを意識すると、間違いなく失敗します。下手に力が入るとはこのことで、うまくいかないと相場が決まっています。人間、欲をかくとろくなことにならないのです。平常心でプレゼンテーションに臨むには、「かっこいい」という欲を捨てることです。そうです、最悪のプレゼンテーションより良ければ十分なのですから。

次に「スタート」です。映画でいうイントロ、聴衆をどう引き付けるか、これに凝る訳です。しかし、皆さんはそんなことは考えなくてよろしいのです。そういうことを考えますと、「かっこいい」という欲に囚われて、失敗の憂き目を見ることになります。ただし、「声」だけは注意してください。「声」は最初のトーンや大きさを最後まで引きずることになります。最初にぼそぼそとはじめると、最後までぼそぼそで、何を言っているのかさっぱりわからないことになりかねないのです。最初に暗くはじめると、最後まで暗い、何かお通夜のご挨拶のようになってしまいます。ですから、最初は大きな声で明るく、この「スタート」がよろしいと思います。

最後が「文章にしない」です。どうしてもプレゼンテーションに慣れないうちは、完璧にしようとプレゼンテーション資料のほかに文章を作ります。ところが、文章を作ると、プレゼンテーション資料は二の次で、文章を読んでしまうのです。皆さんが文章を読めば、皆さんは「話す」人(Announcer)になってしまうのです。ですから、文章を作ってはいけません。作ってしまったら、プレゼンテーション会場へ持参してはいけません。勝負はプレゼンテーション資料を頼るのです。そして、プレゼンテーション資料を読んでもいけません。それでは聴衆にお尻を向けることになります。そうではなく、後ろを振り向いて、プロジェクターの画面を使うのはポイントだけです。あとは、聴衆に向かって、きちんと説明をする、という姿勢を大切にしていただきたいのです。

以上がプレゼンテーション・スキルの七つの「ちょっとのコツ」です。
いかがでしょうか、特別なことをする必要はないとご理解をいただけたでしょうか。

それでは、以下のスキル・チェックはいかがでしたでしょうか。
①「言いたいこと」が無いのにプレゼンテーションは絶対できない、逆に「言いたいこと」があるならプレゼンテーションは恐れるに足らない、ということを理解する。⇒理解できれば〇です。
②「最悪のプレゼンテーション」のイメージを持ち、「これより良ければよいのだな、その位なら」と思える。⇒思えれば〇です。
③論理的にしっかりしたプレゼンテーション資料を作ることがプレゼンテーション成功の基礎。⇒そう認識できれば〇です。
④トピック・センテンスは難しいが、非常に重要。また、トピック・センテンスをつなげて読むと、内容が良くわかるようでないといけない。⇒そう認識できれば〇です。
⑤プレゼンテーションそのものは、リラックスして、ということ、あと、ちょっとのコツを。⇒そう思えれば〇です。

F「プレゼンテーション・スキル③~ちょっとのコツ~」

プレゼンテーション・スキルの「ちょっとのコツ」を七つほどご紹介いたします。いずれもプレゼンテーションを効率よく行い、皆さんが伝えたい中身を相手に伝えるには欠かせないものです。原典は佐久間陽一郎さんに依存しておりますので、詳しく知りたい場合は、佐久間陽一郎さんの書かれた「THE NEXT 21世紀ビジネスマンの戦略戦術~最強のプレゼンテーション~(講談社)」をお探しください。

①必ず「ドライラン」を
②「唄う」では駄目、「話す」も駄目、「語る」のだ
③「場」をコントロールする(無理はしない)
④困った質問には「一歩前へ」
⑤「かっこいいプレゼンテーションをしよう」と思うからあがる
⑥スタートは大事、準備をしておこう(無理はしない)
⑦話すことを文章にしてはダメ

最初は「ドライラン」です。ドライラン(dry run)、要するに本番へ向けた練習です。これをきちんとやらないといけない、ということです。筆者が大きなプロジェクトをセールスする際、書類審査の後でプレゼンテーションがありますが、本番前には何度も何度もドライランをします。専門的な内容の場合は、できるだけ専門家ではない普通の人に聞いてもらい、意味や中身がきちんと伝わったかどうかを確認します。そして、好感が持てたかを確認します。それを繰り返して本番へ臨みます。そういうことです。

次が「語る」です。これは何を言っているかと言いますと、「唄う」と「話す」ではいけないということです。ときどき、プレゼンテーションで「唄い」だす人(Singer)がいます。まるでカラオケで、自分に酔っているのです。カラオケなんてお酒でも入らないととても聞けるものではありませんし、ましてや自分の飲み仲間でもない他のお客さんのカラオケなんて、面白くも何ともありません。これをプレゼンテーションでやらないことです。同じように「話す」人(Announcer)もいます。まったく感情の入っていない、単に事実だけを伝える、というやり方ですが、これも熱意が感じられないので却下です。要するに、緊張の度合いと自己陶酔の度合いのバランスを取るには、「誰かに語りかける」というレベルがよろしいということになります。

次に「コントロール」です。これは無理をしてはいけません。会場の全ての聴衆の耳目を集めるのは無理とお考えください。そうではなくて、会場の聴衆の中には皆さんのプレゼンテーションを聞いてくれる人が必ず何人かはいます。この何人かの味方に「語りかける」ようにすればいいのです。逆に会場の聴衆の中には皆さんに無関心な、聞いていない人も必ず何人かはいます。これは「捨てる」のです。そうして、聞いてくれるのでもなく、聞いていないのでもない、中立の立場の聴衆を徐々に引き付けられれば十分だと、その程度に考えればよろしいと思います。

次に「困った質問」です。実際、プレゼンテーションをすると必ずこういう聴衆がいます。聞いて欲しくないこと、用意していないこと、面倒なこと、これを聞いてくるのです。その際、絶対にしてはいけないのが、逃げること、退くこと、後ずさりすることです。これをすると、とたんに会場の雰囲気は皆さんを信用しなくなります。どんなに辛い質問でも逃げず、退かず、後ずさりせず、むしろ一歩前に出て、「よく聞いていただきました、実は。。。」という具合に対応してください。

残る三つのコツは次回にしたいと思います。

F「プレゼンテーション・スキル②~トピック・センテンス~」

ここで、「プレゼンテーション・スキル」のチェック・リストを確認しておきましょう。
①「言いたいこと」が無いのにプレゼンテーションは絶対できない、逆に「言いたいこと」があるならプレゼンテーションは恐れるに足らない、ということを理解する。⇒理解できれば〇です。
②「最悪のプレゼンテーション」のイメージを持ち、「これより良ければよいのだな、その位なら」と思える。⇒思えれば〇です。
③論理的にしっかりしたプレゼンテーション資料を作ることがプレゼンテーション成功の基礎。⇒そう認識できれば〇です。
④トピック・センテンスは難しいが、非常に重要。また、トピック・センテンスをつなげて読むと、内容が良くわかるようでないといけない。⇒そう認識できれば〇です。
⑤プレゼンテーションそのものは、リラックスして、ということ、あと、ちょっとのコツを。⇒そう思えれば〇です。
いかがでしょうか、かなり多めのチェック・リストになりますが、まだお伝えしていない内容もありますので、その説明を先にしたいと思います。

最初に「最悪のプレゼンテーション」です。これは、皆さんがこれまでの人生で見たことのある最悪のプレゼンテーションでかまいません。それよりはましならば良いのです。例えば、結婚式のスピーチで固まってしまった人を見たことはありませんか。ああいうのが「最悪」なのです。従って、固まらなければ良いのです。

次に、プレゼンテーション資料の作り方をご説明いたしましょう。
通常はPower Pointで資料を作り、プロジェクターで投影するのでしょうから、それを前提にお話しいたします。
その際にまず注意して欲しいのは、資料は論理の構造が見えることです。論理の構造が見える資料は、非論理的な資料よりもはるかに理解しやすいのです。論理の構造については、「論理的思考力(ロジカル・シンキング)」でご説明いたしますので、今は「論理的にできていることが重要だ」とお考えください。
そして、Power Pointのそれぞれのページのトップには、“トピック・センテンス”が不可欠です。トピック・センテンスでは、そのページで現わしたい、伝えたい中身が簡潔な文章で現わされていなければなりません。いわば、言語化スキルの極致の文章になります。“What’s your point?(何が言いたいの)”に応えるものでなければいけないのです。
そして、このトピック・センテンスをつなげてゆくと、プレゼンテーション資料で伝えたい中身が良くわかる、ということになります。このトピック・センテンスがきちんとできていることが最も重要で、その下にくる情報は問題点や論点、注意点などを箇条書きで示し、それを証明するデータをグラフで現わす程度でよろしいのです。くどくどと文章を書き連ねるのは最低だとお考えください。見易さが大切で、ごちゃごちゃしたのは大きなマイナスになります。
例えば女性をくどくプレゼンテーション資料であれば、トピック・センテンスとして最初のページに「あなたを愛しています」、次のページに「あなたに愛されなければ死んでしまいます」、次のページに「誠実な男で決して嘘は言いません」、次のページに「あなたを一生守り抜きます」、次のページに「あなたを必ず幸せにします」という感じですね。その下には、ちょっとしたポンチ絵とか、写真とか、トピック・センテンスを証明する情報がコンパクトに現わされていれば十分ではないでしょうか。

ということで②「最悪のプレゼンテーション」のイメージを持ち、「これより良ければよいのだな、その位なら」と思える。⇒思えれば〇です。
③論理的にしっかりしたプレゼンテーション資料を作ることがプレゼンテーション成功の基礎。⇒そう認識できれば〇です。
④トピック・センテンスは難しいが、非常に重要。また、トピック・センテンスをつなげて読むと、内容が良くわかるようでないといけない。⇒そう認識できれば〇です。
はご理解いただけたと思います。
次回は「ちょっとのコツ」をお伝えいたしましょう。

F「プレゼンテーション・スキル①~伝えたいことがあるか~」

さて、順番ですと「論理的思考力(ロジカル・シンキング)」なのですが、これはお伝えするのがかなり難しい、というよりも筆者の苦手なスキルなので、少し考える時間をいただき、先に「プレゼンテーション・スキル」を片付けてしまいましょう。
これは、「コミュニケーション・スキル」と並んで、世の中で数多く取り上げられるスキルですし、本も研修も見つけやすいはずです。また、会社でも要求されることが多く、あなた自身が実行する羽目になる可能性が大変高いスキルになります。従って、この機会にその概要を知っておき、若干体験してみましょう。

では、プレゼンテーションとは何でしょうか。このシリーズでは皆さんの中にある相手に伝えたいもの(ここでは「中身」と呼ぶようにしましょう)、それを相手に伝え、認識し、評価してもらうことです。ですので、まずは中身が相手にきちんと伝わらなければ意味がありません(しかも多くの場合は相手が複数です)。そこで、最初に注意すべきことは、皆さん自身に伝えたいことがあるかどうか、です。
木田元という哲学者の書いた「新人生論ノート(集英社新書)」の一節をご紹介しましょう。
「一つ心得ておかなければならないのは、(読むための)語学の勉強をするには、それを使って読みたい本がなければならないということである。無目的に漠然と語学の勉強をしてもあまり意味がない。」
いかがでしょうか、皆さんが英語を中学校からかれこれ十年近く学んでいてもさっぱり上達しないとしたら、それは英語を使って読みたい本、話したい相手がいないからではないでしょうか。
同じように、プレゼンテーションも訴えたいこと、伝えたいことが皆さん自身に無ければ、これは学んでもあまり意味がありません。

そこで一つ例題を差し上げたいと思います。
例題:二人のプレゼンターがいます。そのどちらが良いプレゼンターか選んでください。
Aさん:伝えたい中身が100あって、伝え方があまり上手ではなく(伝導率20%)、相手に中身は20しか伝わらなかった。
Bさん:伝えたい中身は50しかないが、伝え方が上手で(伝導率40%)、相手に中身が20伝わった。
※伝導率とは中身を相手に伝えられる度合いを示します。
さて、皆さんはAさんとBさんでどちらが良いプレゼンターだと思いますか。正解はこのコラムの最後にご紹介しましょう。

次に、伝導率そのものをどうしたら向上させられるかについて考えてみたいと思います。
伝導率は、数式的に現わせば「環境」×「熱意」×「テクニック」です。
「環境」はあらかじめ準備できるもの、具体的には使用する機材(プロジェクター、マイクなど)、会場、席の並べ方、プレゼンターの身なり、そういったものです。
「熱意」は言うまでもなく、中身を伝えたいと思う気持ちの強さです。
「テクニック」は技巧そのものですから、態度や目遣いや声といったものです。この後、「ちょっとのコツ」としてポイントをお伝えいたします。
この三つが重なって伝導率が構成されることになります。

わかりやすくするために、男性が女性をデートに誘うという行為に置き換えてみましょう。「環境」はデートの場所、そこでの食事や飲み物、場合によってはテーブルの上の赤い薔薇、ムードのあるバックミュージックなんかも入るでしょう。一軒目はイタリアンレストラン、二軒目はホテルの夜景の綺麗なバー、そういった順番も入るかもしれません。要するに、事前に準備のできる外的な環境そのものです。「テクニック」はまさに言語化スキルそのものです。そこに「熱意」が加わると、デートは実りを産むかもしれません。いかがでしょうか、プレゼンテーション・スキルの極致は、「男性が女性をデートに誘う」という行為にこそ現われるのです。そして、残念なことに、世の中の多くの女性は「熱意」よりも「環境」や「テクニック」に弱いのです。

ここで例題の正解です。
これはAさんに軍配が上がります。
その理由は、伝導率を改善することは容易ですが、中身を改善することは難しいからで、Aさんが伝えた中身はBさんと同じ20ですが、もともとの中身は2倍の100あります。ですから、伝導率さえ改善すれば40以上の中身を伝えることが可能なのです。一方、Bさんはもともとの中身が50しかありませんので、伝導率を天才レベルの100%にまで改善しても中身は最大で50しか伝わらないのです。
いかがでしょうか、女性も伝導率よりは中身(男性の本質、女性を想う心)、環境やテクニックよりも熱意で男性を評価した方が間違いは少ないかもしれませんね。

F「コミュニケーション・スキル②~アクノリッジメント~」

例題:2005年12月14日衆議院国土交通委員会の証人喚問での発言。
姉歯建築士:正規の計算書で作成した図面を見て「鉄筋量が多い、合わないから減らして欲しい」と言われた。これ以上は無理と何度も言った。それ以上できないというのは、「法律に触れる」という意味で言った。
篠塚支店長:偽装は一切無い。鉄筋の削減は法律の範囲でと話すことはあるが、法令順守と経済設計を求めている。法を犯すことは全く認識していなかった。
正解は、姉歯建築士の「それ以上できないというのは、『法律に触れる』という意味で言った」、ここにあります。ここで姉歯建築士は致命的な表現のミスをしています。それは、「という意味で言った」ではなく、「法律に触れますからできません」と言わなかったことです。「法律に触れる」という意味で言ったのは姉歯建築士だけのことで、篠塚支店長は「法律に触れる」とは聞いていない、「法律に触れる」とはまったく認識していなかった、と言えばそれまでのことです。いかがでしょうか、コンテンツ(誰にでも通用する表現)を使うことの重要さをご理解いただいたでしょうか。

さて、ここでチェック・リストのおさらいをしてみましょう。
①特にテクニックと呼ぶようなものでないという認識を持つ。⇒そう認識できたら〇です。
②要は、「言語化スキル」が基本であり、出口は「プレゼンテーション・スキル」であるという構造がわかれば十分。⇒わかれば〇です。

次に、コミュニケーション・スキルの向上へ向けた施策を考えてみたいと思います。ちょっと昔になりますが、第7話の「アクノリッジメント(Acknowledgement)」です。この行動こそが、コミュニケーション・スキル向上のための第一歩です。
再掲しますと
「あなたがそこにいることを私は認識していますよ、決して無視していませんよ」、と相手に伝えることです。これがあると、相手は安心できます。そこではじめて「コミュニケーション」に進めることになります。
では、どうやったら相手に伝えられるか、ですが、これにはたくさんの段階があります。その最初のステップは、なんということはありません、挨拶することです。「おはようございます」「はじめまして」「こんにちは」、何でもかまいませんが、挨拶はその対象がいないとできないものです。
ですので、挨拶するということは、相手の存在を認める最初の行為だと言えるでしょう。昔からよく言うではありませんか、「挨拶もできない奴」という悪口を。ですから、「コミュニケーション」を考えるならば、最初は相手の存在を認めていると相手に伝えることで、その第一歩は挨拶なのです。
ただし、それを格好よくやろう、などと欲を出してはいけません。あなたなりのやり方でやればよいのです。ただし、ほんの少しでもよいですから、相手への敬意が入っていれば十分です。

いかがでしょうか。これをあなたの周りのたくさんの人に実行してみてください。できれば、あなたが実は苦手だ、そう思っている人にこそ実行して欲しいのです。間違いなく、あなたのコミュニケーション・スキルは前進すると思います。要は、最初の一歩を踏み出すあなたの勇気なのです。

F「コミュニケーション・スキル①~コンテクストとコンテンツ~」

皆さんはスキルの第一関門である「言語化スキル」の概要を知り、いささかそれを体験されました。次は「コミュニケーション・スキル」です。
「コミュニケーション・スキル」、あるいは「コミュニケーション能力」、これは企業が皆さんに強く求める能力です。それは、他者とコミュニケーションを上手に行うことが企業活動では極めて重要だからです。従って、世の中には「コミュニケーション・スキル」に関する本や研修が花盛りです。

では、このシリーズではどうでしょうか。
コミュニケーションとは、相手との間で“意味”と“感情”をやり取りする行為です。従って、求められる能力は相手の言いたいことを的確に要約する力であり、相手が言葉で表現できないことまで表現できれば素晴らしいことです。「あなたの言いたいことは・・・ということですね」と言える、これはどこかでありましたね。そうです、言語化スキルの「レベル3:相手が言葉で現わせないことを的確に表現できる」ということに他なりません。そして、相手の感情を伝える非言語的な要素(相手の表情、眼の動き、沈黙、場の空気など)に十分な注意を払うことで、相手の気持ちを推察することも大切になります。これは、スキルというよりは、“対人理解力”というコンピテンシーに近いものです(第46話)。
従って、必要なのは「言語化スキル」であり、このあとご説明することになる「自分の思いを伝えるプレゼンテーション・スキル」ということになります。
スキル・チェックとしては、次の二つになります。
①特にテクニックと呼ぶようなものでないという認識を持つ。⇒そう認識できたら〇です。
②要は、「言語化スキル」が基本であり、出口は「プレゼンテーション・スキル」であるという構造がわかれば十分。⇒わかれば〇です。

注意すべきこととしては、コンテクスト(Context、仲間うちでしか通用しない表現)を使わず、コンテンツ(Contents、誰にでも通用する表現)を使う、ということに集約されます。それは何故か、と言いますと、インナー社会(身内社会)では、その内部でしか通用しない言葉がたくさん使われます。ヤクザの世界がその代表でしょうが、身内にしか通用しない言葉を使うことで、自分たちのある種の聖域を作っているようなものです。そういった言葉を使うようになれば、世の中から離れて集団に入れてやる、という感覚ですね。これはヤクザに限らず、公務員でも教員でもタレントでも、自分たちは特殊だと自覚している集団では必ず身内だけにしか通用しない言葉や言い回しがあるものです。公務員の「検討する」などが格好の例でしょう。この真実の意味は往々にして「やりません、やらないための理由を探します」なのですから。要するに、こうした隠語のような表現を避けるのがコミュニケーション・スキル上達の基本と考えてください。
また、筆者の住んでいる会津地域では〇〇期の卒業と言う表現がよく使われます。これは地域の名門高校をいつの年次で卒業したのかを現わすもので、その期によって年齢が上か下か(地域社会における年功序列)を見分けるための隠語のようなものですが、これを他の地域の人に言ってもわかる道理がありません。こうしたコンテクストは避けなければなりません。そうです、第82話でご紹介したジュリアス・シーザーの名言「文章は、用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間うちでしか通用しない表現は、船が暗礁を避けるのと同じで避けなければならない。」そのものなのです。

さて、そういう意味で一つ例題を差し上げましょう。
これは実際にあった話で、あのマンションの構造計算の偽装事件で計算した姉歯建築士と発注した木村建設の篠塚支店長が国会で証人喚問された際のやり取りです。ここでどちらかが致命的な表現のミスをしています。その結果、片方は逮捕され、片方は逮捕されませんでした(偽装事件については)。どちらのどの表現に問題があったのか、見つけ出してください。
例題:2005年12月14日衆議院国土交通委員会の証人喚問での発言。
姉歯建築士:正規の計算書で作成した図面を見て「鉄筋量が多い、合わないから減らして欲しい」と言われた。これ以上は無理と何度も言った。それ以上できないというのは、「法律に触れる」という意味で言った。
篠塚支店長:偽装は一切無い。鉄筋の削減は法律の範囲でと話すことはあるが、法令順守と経済設計を求めている。法を犯すことは全く認識していなかった。

B-B「中国を知る④~リコノミクス~」

二ヶ月近くも中国の話を差し上げず、申し訳ありませんでした。読者の中からは「中国についてさらに深く知りたい」というご意見もあったのですが、皆さんが直面する能力に関する連作に取り組んでいたこともあって手が廻りませんでした。とはいっても、日本の最大の貿易相手国であり、製造業からサービス業に至るあらゆる日本企業にとって今や巨大な市場になっている中国を無視することはできません。特に中小企業や小規模事業者であれば、新規市場を考える上で中国は大きな存在です。これからも機会を捉えて、中国の情報も提供したいと考えていますので、お許しください。

そうした中国でこのところ、金融に関する動きが矢継ぎ早に伝えられています。一つは李克強首相が進める「リノミクス」と呼ばれる金融引き締め政策です。もう一つが中国人民銀行(日本で言えば日銀)の周小川総裁が進める金利自由化政策です。
筆者は、このいずれも中国に蔓延しているバブル経済をソフトランディングするには効果的な政策だと評価をしていますが、個人的な評価はさておき、どうして中国ではこういった政策を取っているのか、あるいは取ることができるのか、について今回はお話を差し上げたいと思います。それは、皆さんが中小企業や小規模事業者で働く際、中国を認識する上でいささかお役に立つのではないか、と思うからです。

それには、まず中国という国は中国共産党の支配下にある世界と、それに対して面従腹背(上の命令に下は従ったふりをする)する世界の二重構造の中にある、という現実があります。また、同じ意味で国家が統制する社会主義の面と、日本よりも放埓な自由主義の面がある、という現実があります。
まず、中国共産党の話からお伝えいたしましょう。中国の憲法に「中華人民共和国を領導(上下関係を前提とする指導)する政党が中国共産党」と明記されているように、中国共産党は中国の最高権力集団です。その党員の数は8,000万人を超え、全国津々浦々の地方政府、企業、団体、学校、あらゆる組織には中国共産党の支部(党組)が置かれ、その指導下にあるのです。ですので、日本人は間違いやすいのですが、〇〇市という地方政府で一番偉いのは市長さんではなく、その市における中国共産党の支部のトップ、通常は〇〇市党書記と言いますが、その彼なのです。
全国の優秀な若者は、大学時代に選抜されて共産党青年団に入ることが許され、そこで実績を積んではじめて党員となり、地方の党組に配属されて、強烈な出世競争に入ることになります。最終的には中央委員会政治局常務委員(たった7名だけ)が頂上になりますが、その下の政治局委員(20~30名)、その下の中央委員(200名くらい)、その下の中央委員候補(百数十名)、それを選ぶ全国大会代表(約3,000名)、それを選ぶ地方の党大会(郷⇒県⇒省)、と考えますと、気が遠くなるようなピラミッド構造が中国社会に聳えていることになります。この巨大な党が、人民解放軍、国務院(日本で言えば内閣)、全国人民代表大会(全人代、日本で言えば衆議院)、政治協商会議(経済界、少数民族、著名人などを集めた日本で言えば参議院のようなもの)などの国家組織を社会主義的に統制しているのです。例えば、中国中央銀行のトップである周小川は中央委員どまりでしたから(今はそれも退任して政治協商会議の副主席)、中国共産党の序列では上から100番目くらいの地位ということになります。

しかし、これだけ巨大な中国共産党が中国社会をすべてコントロールしているか、と言えば、必ずしもそうではありません。中国の諺(ことわざ)にある「上に方針あれば下に対策あり」はまさにその喩(たとえ)で、中国共産党中央の意向に必ずしも地方が従順な訳でもなく、一般国民に至ってはなおさら、ということです。これが中国の持つもう一つの面、自由放埓で統制の利かないところなのです。それがとんでもない規模にまで膨れたのが、中国のバブル経済と言えます。なにせ、中央がどう制御しようと、地方がどんどん借金を膨らませて不動産開発に血道を上げるのですから、今では400兆円とも言われる規模にまでバブルが巨大化してしまったのです。こうした状況に危機感を抱いたのが、今回の新しい指導部(習近平主席・李克強首相)で、冒頭の二つの政策に踏み切った、ということです。

さて、これから中国経済がどうなるかは国際経済の専門家にお任せをするしかありませんが、筆者は先ほども申し上げた中国の二重構造がこの問題を解決すると考えています。それは、強権的な対策は中国共産党が、それを現実とすり合わせる対策は地方政府や企業、一般国民が、それぞれに行うのではないか、と思うからです。強権的な対策だけでも、現実とのすり合せだけでも解決は難しいですし、少なくとも強権的な対策が可能で、それが一定の成果を上げうる「社会主義国家」中国のある意味では良い面が発揮されるのではないかと思うからです。従って、多少の波乱はあるでしょうが、依然として中国市場は日本の中小企業や小規模事業者にとって魅力的であり続けるでしょう。
中国の最新情報が入り次第にまたお届けしたいと思います。

F「言語化スキル④~具体的な施策~」

例題:
ミュージックステーションの司会のタモリは、歌手の出番が来る前に歌手とトークをしますが、そのトークをはじめる前、タモリが歌手に必ず「よろしくお願いします」と言います。この「よろしくお願いします」を全員が共通の理解ができるレベルに言語化してください。正解(の一つ)は、以下のようなことではないでしょうか。
「これからあなたとトークをはじめますが、視聴者の方が喜ばれるような会話で、この時間を盛り上げてください。あなたをあてにしてよろしいですね。」
正解(の一つ)という意味は、これとは違う文章で「誰もが間違いなく再現できるように」言語化することは、何種類でも可能だからです。いかがでしょうか、おそらくタモリがトークで歌手に期待している内容はこういったものではないかと考えられます。

なぜ、こうしたことまで気遣って言葉を選ばなければならないのか、と言いますと、これも繰り返しになりますが、相手に自分の言いたいことが正確に伝わらなければ、その先のコミュニケーションもプレゼンテーションもネゴシエーションも危なっかしい砂の楼閣のようなもので、どんな誤解から問題が発生するかわからないからです。従って、可能なかぎり不要な誤解を防ぐ、これがスキル・トレーニングの基礎となります。

例えば、どちらも有名なプロ野球の指導者で、言語化スキルという意味では正反対の二人がいます。
一人は指導する際に「ブーンと振れ」とか、「ビュッと投げろ」とか、極めて感覚的な表現を使うそうです。でも、この指導者はいわばプロ野球の天才ですから、指導された方はそれだけで感激し、その場ではなんとなく「ブーンと振ることができ」「ビュッと投げることができ」、上手になれたと思うそうです。しかし、次の日になると、「あれ、どうやって振ったのかな」と元の木阿弥になるケースも多いそうです。
もう一人は実に細かく「あと3センチだけ上を握れ」とか、「一歩前に右足を出して踏み込め」とか、極めて具体的な表現を使うそうです。言われた方は「なんでそんな細かいことを言うのか」と思うことも多いそうですが、次の日になっても、「3センチ上を」「一歩前に右足を」という指導は再現することが可能で、おかげでこの指導者は再生工場という評判を得ることができたそうです。
要するに、言語化スキルの効果とはそういうことです。「誰もが間違いなく再現できる」ので、そこには何の誤解も生じません。また、時間がたっても誰でも同じことを実行することが可能になります。

ただし、言語化スキルの意味するところは「上手に文章を作る」ということではありません。あくまでも、「ものごとを、簡潔に、過不足無く、かつまた誰もが全く同じイメージを結ぶように言葉で表現する」ことが目的ですので、美文である必要も無ければ、相手を唸らせる表現力も不要です。多くの人が間違うのは、「言語化スキルとは上手に文章を作ることだ」と思い込むことです。もちろん、簡潔で過不足無い文章は往々にして一種の魅力があるのも事実ですが、それは本来的な目的とは違う、ということを忘れないでいただきたいと思います。

それでは、皆さんの言語化スキルを向上させるために何をすべきか、です。
これは皆さん一人ひとりの環境も違いますし、言語化スキルの現時点でもレベルも違いますので、共通の施策とは言えないかもしれません。が、あえてそうした前提でお薦めするとすれば、「日頃、言語化しなくても意味の通じる相手に意識して言語化して会話する」という施策です。具体的に言えば、「あれ取ってきて」と、「これ欲しいんだよね」とか、「あれこれそれ」という代名詞を使わず、できるだけ固有名詞を言うこと。言葉に出さなくても通じている感情表現を言葉に置き換えること。要するに、あなたの恋人がいるとして、言葉に出さず目とか仕草で伝えている愛情を言葉にする。あるいは、あなたのご両親にも言語化を意識して会話する。そういったことです。
いかがでしょうか、できるだけ身近な人に言語化を意識して会話してみてください。一週間もすると目覚しく言語化スキルは向上するはずです。
そして、向上した言語化スキルは、必ず新しい発見を産むでしょう。新しい“知”の世界がドアを開けるのです。

さて、以下のスキル・チェックはいかがでしたでしょうか。
①「言語化スキル」は全てのスキルの基本であり、最も奥が深く、本当に力を付けるには相当の訓練が必要であるという認識を持つ。⇒そう認識できたら〇です。
②このトレーニングの中では、「言語化スキル」の意味するところ、大切であるということがわかれば十分。⇒わかれば〇です。

F「言語化スキル③~目標となるレベル~」

例題:
筆者の住んでいる福島県で地域限定ビールが売り出されました。
そのビールには次の文章が印刷されていました。
この文章を「誰もが間違いなく再現できるように」言語化してみてください。
正解は次回とさせていただきます。
「福島が生んだ世界的医学者、野口英世博士」

「言語化スキル」は「ものごとを、簡潔に、過不足無く、かつまた誰もが全く同じイメージを結ぶように言葉で表現する」ということです。
そういう観点からしますと、「福島が生んだ世界的医学者、野口英世博士」という表現には問題があります。誰もが全く同じイメージを結べるかと言えばそうではないからです。
従って、正解(の一つ)は次のようなものとなるでしょう。
「世界的医学者である野口英世博士は、日本の東北地方にある福島県の猪苗代町で生まれました。」
いかがでしょうか、こうですと、「福島さんという人が生んだ野口博士」と誤解されることもありません。福島というレアな固有名詞の説明もできているのではないでしょうか。誰もが、という中には日本語のわかる、しかし日本に詳しくない外国人も含まれる、とお考えいただければ「福島が生んだ」という表現の曖昧さ、誤解を与える危険性がおわかりいただけるでしょう。

さて、このように私たちが日常使っている表現は言語化スキルという意味では不十分なことが多いものです。それでも大きな問題に至らないのは、一つには親しい関係では不十分な言語化スキルでも相手がその意味や意図を類推してくれますので、誤解が拡大することが少ないからです。そして、もう一つには日常の会話ではそんなに大変な判断を迫られることが少ないので、多少の誤解は大きな問題に発展せずに済むからと言えるでしょう。
しかし、これがノモンハンのように“生き死に”に直結するような判断につながる場合は、言語化スキルが低いとかなり怖い事態を招きかねません。
そういう意味では、重要な局面になればなるほどあなたの言語化スキルが問われますが、言語化スキルを向上させるのは日常の意識した行動になりますので、泥縄(どろなわ)では追いつかないことになります。従って、常日頃から言語化スキルを意識していただくのが重要です。その具体的な施策(スキルを向上させるための意識した行動)については次回お話を差し上げたいと思います。

それでは、言語化スキルを向上させるに際し、目標となるレベルはどういったものでしょうか。ちょうど、第77話では知識で目標とするレベルについてお話しいたしました。
レベル2:その専門領域につき、自分なりの考えを持ち、他人の考えについて、批判を加え、論評することができる。
というレベルでした。
では、言語化スキルでのレベル設定はどういったものが考えられるのでしょうか。
レベル0:レベル1のレベルに達していない。
レベル1:自分の言いたいことがあるのはわかるのだが、自分でうまく表現できない。
レベル2:自分の言いたいことをかなり的確に表現できる。
レベル3:相手が言葉で現わせないことを的確に表現できる。
レベル4:自分と相手の経験及び対話から新しい発見を表現できる。また、言語化スキルを指導することができる。

いかがでしょうか、このレベルを見ますとやはりレベル2、できればレベル3を目指したいものです。ちなみにレベル3の「相手が言葉で現わせないことを的確に表現できる」とは、「あなたがお話になりたいことはこういうことでしょうか」と相手の言いたいことをかわりに言語化してあげることを意味します。いわゆる“問い直し”です。これができるようになれば、言語化スキルはとりあえず卒業と言ってよいでしょう。

それでは、前回同様に例題を差し上げたいと思います。
正解は次回とさせていただきます。
例題:
ミュージックステーションの司会のタモリは、歌手の出番が来る前に歌手とトークをしますが、そのトークをはじめる前、タモリが歌手に必ず「よろしくお願いします」と言います。この「よろしくお願いします」を全員が共通の理解ができるレベルに言語化してください。

F「言語化スキル②~重要な再現性~」

「言語化スキル」は「ものごとを、簡潔に、過不足無く、かつまた誰もが全く同じイメージを結ぶように言葉で表現する」ということです。
これが不十分であれば、相手に誤解や錯覚を与えることになります。誰でも同じように再現できないのです(違うイメージを形作ってしまいます)。これは、往々にして不幸な結果をもたらすことになります。

かつて、日本が大陸を侵略していた時代、日本とソビエトロシアが戦ったことがありました。満州や樺太、千島での悲惨な昭和20年夏の戦いではありません。その6年前、昭和14年の夏、ノモンハン高原(今の中国黒龍江省北西部のモンゴル国境地帯)で、1万人近い日本の兵隊さんが異国に倒れ、大地を赤く染めた戦いでした。当然のことですが、日本軍は戦車や装甲車で機械化されたソビエト赤軍の前に大敗を喫したのです。
この戦いの最中、前線で戦う一つの部隊へ上官がやってきました。もう持ちこたえられない、というのがすぐにわかりましたので、上官はその部隊の指揮官へある命令を下しました。とはいえ、「撤退しろ」とは言えません。当時の日本軍では禁句に近いからです。そこでその上官は部下の指揮官へ、「俺の目を見ろ、何が言いたいかわかるな」と言って本部へ引き返していったのです。さて、部下の指揮官はどうしたのでしょうか。上官が“言外”へ込めた「もう無理だから本部まで撤退しろ」という意味を理解したのでしょうか。
実際は、その部隊は前線で全滅しました。その指揮官は上官の言いたかったのは「最後まで頑張れ」だと受け止めてしまったのです。いかがでしょうか、言語化されないメッセージがどれほど誤解されるかご理解いただけたでしょうか。

同じような話になりますが、皆さんがよく使う言葉に「信頼」という言葉があります。英語ではトラスト(trust)です。しかし、この「信頼」という言葉の意味は、日本とアメリカでは随分と違うようです。それぞれに言語化してみましょう。
アメリカ:「お前は言いたいことがあればそれを必ず表明する。そして『言ったこと』はその通りに実行され、腹蔵がない。お前は信頼できる男だ。」
日本:「お前と俺は仲間だ。俺がお前に何を期待しているかは、言語化するまでもなく(言わなくても)、わかっているはずだ。俺はお前が俺の期待どおりに動いてくれることに、100%の確信を持っている。お前は信頼できる男だ。」
いかがでしょうか、言語化してみると両者の違いが一目瞭然です。しかし、きちんと言語化しないとアメリカ人と日本人は同じ「信頼」という言葉を使っても、恐ろしいほどに違う意味で使うことになります。これは当然に誤解を産みます。そういえば、鳩山元総理もオバマ大統領に「Please trust me.(どうか私を信じて下さい)」と英語で話しかけ、「信じる」と答えてもらったそうですが、はたして同じ意味で「信頼」を使っていたのでしょうか。その後の両者の展開を見れば、まさに鳩山元総理の「言語化スキル」が試されたと言えるでしょう。

このように「言語化スキル」はあらゆるスキルの基本です。これがきちんとできていないと、いくらコミュニケーションだとか、プレゼンテーションだとか、ネゴシエーションだとか言っても、自分の言いたいことが相手にきちんと伝わらないのですから話になりません。

それでは、皆さんには実際に「言語化スキル」を発揮していただきましょう。
例題:
筆者の住んでいる福島県で地域限定ビールが売り出されました。
そのビールには次の文章が印刷されていました。
この文章を「誰もが間違いなく再現できるように」言語化してみてください。
正解は次回とさせていただきます。
「福島が生んだ世界的医学者、野口英世博士」

F「言語化スキル①~日本語の情緒性~」

さて、皆さんの能力開発の最後のシリーズ、スキル・トレーニングに入りたいと思います。
これから皆さんが中小企業や小規模事業者で活躍するには、こうした能力開発が欠かせません。

既に第76話でご紹介したように、スキルとは「知っているが、体得するまでに訓練が必要で、汎用的に使える能力」です。「実践して体で覚える」という能力ですから、頭で覚える知識とは違います。
今回から「言語化スキル」「コミュニケーション・スキル」「論理的思考力」「プレゼンテーション・スキル」「ネゴシエーション・スキル」「ミーティング・マネジメント」「ファシリテーション・スキル」の順番で進めてゆきます。ただし、スキルは体得するものですから、こうしたコラムを読むことで全てのスキルをマスターすることなど、できるわけがありません。
基本的にスキル習得の第一歩は、そのスキルの存在を知ることにあります。存在すら知らないでいますと、将来にわたって習得することは不可能に近いでしょう。逆に、スキルの存在を知り、その必要性を認識していれば、将来自然と身に付く可能性があります。
このため、このシリーズでは①スキルの概要を知る、②基本的なスキルの実習を経験する、という二点に重きを置いて進めたいと思います。

ということで、まずは「言語化スキル」です。具体的には、「ものごとを、簡潔に、過不足無く、かつまた誰もが全く同じイメージを結ぶように言葉で表現する」ということになります。
実は、この「言語化スキル」はスキル・トレーニングの中でも極めて難しい方に入ります。それをなぜ最初にするのか、と言いますと、それはこの「言語化スキル」は全てのスキルの基本なので、これをまず知って経験することがスキル・トレーニングの入り口にあたるからです。

それでは、実際に説明をしてゆきますが、スキル・トレーニングでは必ずスキル・チェックを行い、どこまでスキルを習得できたのかを、スキルごとに確認します。この「言語化スキル」でのスキル・チェックは二つです。
①「言語化スキル」は全てのスキルの基本であり、最も奥が深く、本当に力を付けるには相当の訓練が必要であるという認識を持つ。⇒そう認識できたら〇です。
②このトレーニングの中では、「言語化スキル」の意味するところ、大切であるということがわかれば十分。⇒わかれば〇です。

さて、古今東西の政治家の中で演説の上手なベストスリーに必ず上げられるのが、古代ローマの天才ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)です。「賽は投げられた」(Alea jacta est)、「来た、見た、勝った」(Veni vidi vici)といった名文句でも知られています。そのシーザーが文章表現についてこう言っています。
「文章は、用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間うちでしか通用しない表現は、船が暗礁を避けるのと同じで避けなければならない。」
筆者はこれも名言であると認識しています。というのは、要するに自分勝手ではいけない、ということを強く戒めています。できるだけ平明にわかりやすく、即ち簡潔に、過不足なく、ということです。

しかし、日本語という言語は「言語化スキル」の目指す平明さや、誰でも同じように再現できる再現性には不適当な言語だと言えます。言語そのものが持つ意味だけではなく、文字で現わされた表現に内包されている感覚のようなものを大事にする、そういった情緒的な表現方法を持っています。これが日本語のわかりにくさにつながっています。
例えば、有名な松尾芭蕉の俳句を見てみましょう。
「古池や かわず飛び込む 水の音」
これを文字で現わされた表現だけで読み取ると
「古い池があり そこに蛙が飛び込んだ そうしたらドボンと水の音がした」
ということになります。
しかし、私たちはこの俳句を目にしたときに、そういった表面的な意味ではなく、その中に内包されている静かな池の情景とか、あるいはその周りに鬱蒼と静まりかえる森の気配とか、そういったものを想像し、認識し、共感しているのです。
同じように、加賀の千代女の俳句を見てみましょう。
「朝顔に 釣瓶とられて もらい水」
これも文字で現わされた表現だけを読み取ると
「井戸の釣瓶に朝顔の蔓が巻きついて水が汲めない お隣の家に水をもらおう」
ということになります。
しかし、私たちが感じるのは、夏の朝の爽やかな情景ではないでしょうか。
そして、さらに想像をたくましくすれば、その情景を彩る妙齢の奥さまの和服姿まで目に映るかもしれません。

このように日本語表現の難しさがある中で、ではどうして「言語化スキル」と習得するか、次回にそのヒントを探ってみたいと思います。

C「非正規雇用~その可能性~」

皆さんのこれからの進路には、正規雇用と非正規雇用の選択があることは既にいろいろとお話をしてまいりました。今回は、その非正規雇用です。

2012年の就業構造基本調査(総務省)のデータによれば、日本の非正規雇用はとうとう2,042万人と2,000万人を超えました。1992年の調査では1,053万人でしたから、この10年間で1,000万人近く増えたことになります。
これは働く人全体の38.2%を占めますので、今では3人に1人以上が非正規雇用ということになります。要するに、パートタイマーやアルバイト、臨時、嘱託、派遣など、正社員以外の人たちがそれだけ存在し、かつ今でも増えている、ということです。
中でも女性は非正規雇用の比率が57.5%と、半数を大きく上回っています。また、正社員だった人が転職の際に非正規雇用になる流れも強まっています。過去5年の間に転職した人を見ますと、転職前に正社員だった人のうち40.3%が転職後は非正規雇用になっています。逆に非正規雇用が転職するケースで転職後に正社員になったのは、4人に1人にあたる24.2%にとどまっています。
既に皆さんは、正社員と非正規雇用の違いはご承知です。非正規雇用は5年で雇い止めになる危険性が高いこと(第14話)、正社員を解雇することは大変難しいこと(第28話)、非正規雇用では社会保障でカバーされないケースが多いこと(第29話)などでお伝えしてきました。
しかし、「非正規雇用=将来が無い」と言い切ることができるでしょうか。

イオングループの食品スーパーであるマックスバリューが進めている制度では、パートタイマーに店長クラスまでの職階を設定し、教育だけでなく給与体系もほぼ正社員と連動させています。
埼玉県のヤオコーグループでは、「従業員への自己株式譲渡」として、正社員や契約社員だけでなくパートタイマーも自社株譲渡の対象としました。
セブン&アイ・ホールディングスのイトーヨーカ堂でもパートタイマーのままで店長へ登用する制度をはじめました。
スーパーマーケット、特に食品スーパーの場合、品揃えが多品種にわたることや、生鮮加工業務が含まれることもあり、限定された業務にパートタイマーを投入することはあっても、発注や商品開発など店舗の根幹となる業務をパートタイマーへ任せることはなかなか難しかったのが現実でした(牛丼チェーンの店長とは比較になりません)。
しかし、パートタイマーの平均年齢は40歳代と高く、学卒者も多く、企業勤務などの社会経験もあって、組織での仕事の仕方も理解しています。こうした前提のもとに、パートタイマーが店舗における中心戦力となるにつれて、パートタイマーに対する処遇や待遇改善を図る動きが強まっているのです。

このように、「非正規雇用=将来が無い」と言い切ることはできないのです。
ポイントは、「この人がいなければ職場は廻らない」と評価されるか、「会社の未来と自分の未来を重ね合わせる」まで会社(あるいは店舗)と一心同体になるか、「パートタイマーを基幹戦力として評価する」会社を選ぶか、そういうことが可能であれば、「非正規雇用にも未来はある」と言うことができるでしょう。特にこれから成長しようという中小企業や小規模事業者であればなおさらです。

F「書評から得る知識」

書物を読むのは幼少の頃からの癖で、今でもなかなか治りません。「雀百まで踊り忘れず」ということですから、よほど深い層に入り込んだ癖なのでしょう。
しかし、この頃は本屋廻りも億劫で、出版リストを入手するなんて面倒くさく、暇つぶしのものはブックオフみたいな古本屋、まともなものはネットで、というのが購入パターンになっています。
そうした際に便利なのは新聞の書評です。これは内容も垣間見られるので便利です。もっとも、書評に取り上げられない良書は見逃すことになってしまいますが、致し方ありません。

このところの日本経済新聞の書評で三冊ほど、皆さんのお役に立ちそうなものがありましたので、今回はそれをご紹介したいと思います。皆さんがこれから社会に出て、特に市場汎用知識が必要とされる中小企業や小規模事業者に勤める際にはかなり役立つと思います。

最初はこのところ話題のビッグデータです。Webの社会がどんどんと進化し、かつては想像もできないほどの巨大な情報を蓄積し、分析することが可能になった今日、皆さんにも大きな影響を与えるテクノロジーだと言えます。
ハーバード大学のラタンヤ・スウィーニー(Latanya Sweeney)教授は「年齢、性別、ポストコード(日本の郵便番号)さえわかれば87%の個人は特定できる」と指摘しているほど、ビッグデータによる分析はプライバシーも無意味にしかねないのです。
特に筆者が重要だと思うことは、これまでの科学的な分析は、第一に仮説を立て、第二に仮説をデータから検証し、第三に検証の結果から物事の因果関係を明らかにする、という経路を辿っていた訳ですが、今や有効な仮説が無くても、世の中の動向、個人の行動、消費者の嗜好、そういった現象がビッグデータの相関関係による分析で明らかになる、そういう時代に入ったようです。
こうなりますと、私たちが考えていた学問というものの内容が大きく変わる、いわばパラダイムシフト(paradigm shift、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが劇的に変化すること)が起こっていることになります。言い換えますと、Why(なぜ)を思索する行動がビッグデータを介在させたHow(どのように)を求める行動へ移行する、ということになるのかもしれません。ちょっと怖いような話です。ある意味では人間が本質的に考える必要が無くなるかもしれないのです。まあ、そこまではいかないでしょうが(そうしたHowの積み重ねからWhyを考えるでしょうから)、How優先の風潮が加速化する、という意味では要注意なのかもしれません。
この話をさらに突き詰めたい方には、「ビッグデータの正体:ビクター・マイヤー・ショーンベルガー&ケネス・クキエ著(講談社)」をお薦めします。

次のお薦めは、これも皆さんご存知のフェイスブック(Facebook)の話です。今や全世界で10億人以上が利用するSNS(social networking service、ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、この創業時に働いていた女性社員の内幕本が出版されました。「退社した人間はその会社を良く言わない」というのが世の常ですが、それにしてもフェイスブックを運営する人たちの価値観がリアルに伝わってきます。それは「インターネットを支配すれば世界を支配できる」という知的エリートの価値観です。
これも詳しくは、「フェイスブック 子どもじみた王国:キャサリン・ロッシ著(河出書房新社)」をお読みください。

最後は、中小企業や小規模事業者のバイブルとも言えるピーター・ドラッカーものです。内容はいわゆるマーケッティングです。「顧客を創出する」という視点から、ピーター・ドラッカーが考えていたことを整理したもので、市場開拓に悩む中小企業や小規模事業者には必読と言えるものでしょう。
これも詳しくは「ピーター・ドラッカー マーケターの罪と罰:ウィリアム・A・コーエン著(日経BP社)」をお読みください。

なお、今回の書評は“日本経済新聞7月14日付け朝刊”よりたくさんの情報を得ておりますことをお断り申し上げます。

A「アジアとの付き合い方④~謝罪と評価~」

このところ、経営者や会社の見定め、皆さんの能力開発などの話題を集中して取り上げてきましたので、随分久々になりますが、面白いアンケートデータが見つかりましたので、少し日本とアジアの話を差し上げたいと思います。何よりも大企業はもとより、中小企業や小規模事業者にとっても、新規市場としてのアジアは重要ですし、まもなく8月になりますので(第二次世界大戦の終結)、皆さんにアジアを考えていただくヒントを差し上げたいと思います。

アメリカの調査機関である「ピュー・リサーチ・センター(Pew Research Center)」は、アジア太平洋地域の八ヶ国で、第二次世界大戦(太平洋戦争、日中戦争)の戦後における日本の謝罪に関する意識結果を公表しました。
それによりますと、「過去の軍事行動に対する日本の謝罪は十分ですか」という問いに対して、韓国では98%、中国では78%、フィリピンでは47%、インドネシアで40%、マレーシアとオーストラリアでは30%が「不十分」という回答を得たそうです。
これはなかなか興味深い結果で、戦後70年近くにわたる日本の戦後補償や無償援助、あるいは繰り返しでの反省と謝罪の表明にも関わらず、日本の占領下にあった国々ではその傷が癒えていない、ということだろうと思います。
かつて、第22話で「戦争の記憶は三代続く」と申し上げましたが、そういう現実に加えて、「そもそも謝罪の必要など無い」といった一部の人たちの発言が繰り返されるのですから、これは傷が癒されるどころではありません。まるで、生傷に塩を塗るようなものです。

仮に、戦争の契機が日本に起因しないとしても、また当時の経済情勢の中では半ば自衛的な戦争であったとしても、「日本が日本以外の土地へ出て行ってそこで喧嘩した」のは事実ですし、「日本は昭和20年に戦争に負けた」のも事実です。
言ってみれば、「何が原因かはわからないが自宅に隣人が押し入って、散々に家の中を荒らし回り、その騒動に巻き込まれて死んだ家人もいる、騒動の結果、隣人は警察に逮捕された」という現象には違いが無いのですから、そうした迷惑行為に対して謝罪するのは世の中の常識と言えるでしょう。
そして、世の中での謝罪が常に難しいのと同じように、こちらは謝ったと思っているが、相手は納得していない、という緊張関係は常に起こりうることなのです。そうしたとき、皆さんならどうしますか。もう面倒くさいから隣人と付き合うのは止めよう、ということも考えられますが、今の日本ではそうもゆきません。なにせ、貿易をはじめとする経済の相手として日常的なお付き合いがあるからです。では、どうするかです。

筆者は一つ安堵していることがあります。それは、同じ質問を日本人にしたところ、日本人の28%は、アジアの人々と同じように「謝罪は不十分だ」と考えている、この多様性と感受性の深さなのです。こうした深い層にまで至っている想いがあれば、同じ謝罪にしても「本気さ」がまるで違うと言えるでしょう。誰だって、謝る気など微塵も無いのに言葉だけ謝っている、それはすぐわかるものです。「謝るのであればごまかさないで本気で謝る」、これが唯一事態を動かす方法でしょう。その可能性は28%という数字に現われている、そう筆者は考えています。

そして、昔の話にはなりますが、もう一つのヒントは1920年代に石橋湛山(いしばしたんざん)という言論人(東洋経済新報主幹)が提唱した「小日本主義」です。
要約しますと、「武力で領土を奪っても日本の未来は開けない、そういう侵略行為を一切止め、海外の領土は放棄して小さな日本の国土で十分だ、領土は手放しても日本は孤立から逃れて世界中でたくさんの市場が開かれる」という考え方で、「武力で領土や権益を奪い、その物資で日本を豊かにする」という当時の風潮とは真っ向からぶつかる考え方です。これを、第一次世界大戦中に中国へ21ヶ条の権益譲渡を押し付け、その後の軍事国家への道をひた走ろうとする真っ只中に主張することは、今では想像もできないほど勇気のいることだったでしょう。
さすがに、戦後一時総理大臣を務めた人物だけのことはあります(吉田茂のあと)。

より深い層で相手を理解しようとする思索的な心、そして経済で日本を豊かにしようという積極的な発想、この二つを皆さんに記憶していただければ、皆さんが中小企業や小規模事業者でアジアを相手に活躍するとき、大きな力になると信じています。

F「知識とスキル③~基本的なスキル~」

“知識”は「受けている」教育と「自分で獲得する」教育を両立させることが容易です。しかし、“スキル”はなかなか大学や大学院では習得することが難しいのが現状でしょう。プロジェクト指向型教育を導入している、あるいは社会人基礎力※を指向している、そういった大学や大学院では“スキル”の一部を、例えばプレゼンテーション・スキルであるとか、ネゴシエーション・スキルであるとか、習得することは可能かもしれません。
※社会人基礎力:経済産業省が提唱している「職場や地域社会で活躍をする上で必要になる第3の能力」で、「前に踏み出す力(主体性、働きかけ力、実行力)」、「考え抜く力(課題発見力、計画力、創造力)」、「チームで働く力(発信力、傾聴力、柔軟性、状況把握力、規律性、ストレスコントロール力)」から構成されるものです。行動科学的には、スキルとコンピテンシーが混在しています。その話は別途差し上げたいと思います。

また、日経ビジネススクールなどでは、それなりの料金体系ではありますが、日帰りの日程で多くのスキルトレーニングを行っていますから、東京でそれを受講する、という方法もあるでしょう(http://www.nikkei-nbs.com/nbs/seminar/businessskill/)。

しかし、大学や大学院ではそうしたトレーニングがない、あるいは料金を払って東京で受講するのは難しい、という多くの読者のために、かなり簡易版ではありますが、このシリーズで「スキルとは何か」「スキルの全体像とは何か」「それぞれのスキルの概要を知る」「少しの実践を体験する」という四点に絞って、“スキル”に触れてみたいと思います。

「スキルとは何か」については、既に皆さんご理解されていると思いますので、「スキルの全体像とは何か」をお伝えしたいと思います。
まず、“スキル”には無数の“スキル”があり、時代の変化とともにそれは増加し、拡散することになります。このため、このシリーズでは佐久間陽一郎さんの知見に基づいて、基本的な“スキル”を取り上げたいと考えています。

それでは、このシリーズで取り上げる“スキル”を箇条書きでお伝えいたしますので、すべてを今覚える必要はありませんが、折に触れて確認するようにしていただきたいと思います。
<IT力クラスター>
1.コンピュータ・リテラシー:パソコンやオフィス・ソフトを巧みに使い切る。
2.インターネット・リテラシー:インターネットを巧みに使い切る。
<表現力クラスター>
3.言語化スキル:曖昧な知識を巧みに、簡潔に、表現する。
4.グラフィック表現スキル:複雑な概念を図式化する。
<説得力クラスター>
5.論理的思考力:複雑な知識を構造化し、わかりやすく再構成する。
6.プレゼンテーション・スキル:自分の考えを過不足なく相手に伝える。
<協働力クラスター>
7.ミーティング・マネジメント:ミーティングを効果的、効率的に運営する。
8.ファシリテーション・スキル:異種の知識を結合し、新しい知識を創造する。
<会話力クラスター>
9.コミュニケーション・スキル:会話により、相手との相互理解を深める。
10.ネゴシエーション・スキル:対立する利害を原則立脚型で合意に達する。
<仕事力クラスター>
11.プロジェクト・マネジメント:プロジェクトを所期の規定通りに進捗させ、終了させる。
12.プロジェクト・セールス・スキル:労働サービスのプロジェクトを巧みに売り込む。

このうち、1,2、4については大学などで皆さんご存知ですので割愛し、12についてはいささか高度すぎるので別の機会にお話しすることとし、11については実践的な事例を活用して別枠を設けるようにしたいと思います。
従いまして、このシリーズでは「3言語化スキル」「9コミュニケーション・スキル」「5論理的思考力」「6プレゼンテーション・スキル」「10ネゴシエーション・スキル」「7ミーティング・マネジメント」「8ファシリテーション・スキル」の順番で進める予定です。

しかし、“スキル”は体で覚えるものですので、本来はこうしたコラムを通じて、いわば本を読むように覚えるものではありません。このため、できるだけ例題を出し、“スキル”を体感していただくよう努めますが、対面できない限界がありますので、至らないところはご容赦ください。

F「知識とスキル②~知識のレベル~」

“知識”は頭で覚えるもの(読んだり聞いたりして習得)、“スキル”は体で覚えるもの(実践して習得)で、いずれも努力と訓練で習得することが可能な能力です。
このため、いわゆるトレーニングビジネス(教育も含め)では、この二つの能力を対称とすることが多いようです。
既に、皆さんは第70話で「受けている」教育と「自分で獲得する」教育を両立させることの重要さを学んだはずです。
このうちの「受けている」教育、即ち大学や大学院での教育は、その多くが“知識”に関するものでしょう。そして、一部が“スキル”に関するものでしょう。これは、何よりも安いコストで提供されていますので、きちんと習得されるべきです。その際、自分の価値観に適した、あるいは自分のビジョンに適した、あるいは出会いを豊富に与えてくれそうな、そういう先生に出会った方は幸いでしょう。仮にそうでないとしても、あるいはまったく異なっていたとしても、コストと品質のバランス、あるいは反面教師として有用ですので、諦めてはいけません。
問題は「自分で獲得する」教育で、このうちの“知識”に関しては本を読む、あるいは特別講義を聞く、といった方法で可能です。

その際、どの程度のレベルに自分があり、どの程度のレベルを目標として設定するのかに注意を払っていただきたいと思います。
佐久間陽一郎さんの指標をお借りしますと
レベル0:レベル1のレベルに達していない。
レベル1:ある専門領域の知識を持っており、専門家のいうことを聞いて理解できる。
レベル2:その専門領域につき、自分なりの考えを持ち、他人の考えについて、批判を加え、論評することができる。
レベル3:自分の専門知識・ノウハウを、日本の一般の組織に適用し、知的リーダーとなることができる。
レベル4:自分独自の専門的な理論を生み出すことができ、これを日本の大企業に適用し、知的リーダーとなることができる。
レベル5:その専門領域では、日本をリードする一人と認められており、専門書等に著書も多い。
レベル6:その専門領域では、世界的に認められている。
ただ、少なくとも言えることは、その“知識”は市場汎用知識(第71話参照、会社を辞めたとしても世の中で生きてゆくために活かせる、言い換えれば別の会社に勤めた場合にでも通用する知識)であることでしょう。
そして、今の皆さんの専攻については当然レベル2を目指さなければなりません。「日本経済新聞のはじめのページから最後の文化欄までをちゃんと理解できる(第9話参照)」というリベラル・アーツであればレベル1で十分かもしれません。

まずは、ご自分の行く末をシュミレーションして、それなりのビジョンを持ち、そのビジョンを実現するために必要な“知識”をピックアップし、それぞれに現状のレベルと目標とするレベルをお考えになるのがよろしいでしょう。

F「知識とスキル①~知識とスキルの違い~」

皆さんは既に行動科学的に人間の能力を把握することができます。
もっとも深い層に“社会的動機”が存在し、それを制御する“価値観”がその上の層にあり、さらに“コンピテンシー”、“スキル”、“知識”と層は上に重なることになります。

この能力のそれぞれの層はより深いところにあるものほど先天的(アプリオリ、a priori)なもので、それが深ければ深いほど変えることはなかなか難しいものです。「三つ子の魂百までも」という喩(たとえ)のとおりで、もっとも深い位置にある“社会的動機”を変えるのはかなり面倒な話なのです。

これに対して、能力の層のうち浅いところにあるものは後天的(アポステリオリ、a posteriori)なもので、言葉の意味のとおり「経験を通じて得られる」ものですから、容易に獲得し、変えることができます。「士別れて三日なれば刮目して相待すべし」という喩(たとえ)のとおりで、日々鍛錬していれば、その人は三日も経つと見違える程に成長できるのです。

具体的には、これから数回に分けてお話しする“知識”と“スキル”は、能力の層のうちもっとも浅いところにあるのですから、努力と訓練次第でそれを向上させることは可能だ、ということになります。
では、まず“知識”とは何か、“スキル”とは何か整理しておきましょう。佐久間陽一郎さんの説をお借りしますと
知識:ある専門領域において、仕事に利用可能な、知っていること
スキル:知っているが、体得するまでに訓練が必要で、汎用的に使える能力
ということです。

ちょっとどこが違うのかわかりにくいでしょうから、一つ例を上げてみましょう。
皆さんは「自転車に乗る」という能力をどうやって身につけましたか。
まさか、「これを読んだら自転車に乗れる」といったハウツー本を読んで自転車に乗れた、という人はいないと思います。これが、“知識”と“スキル”の違いです。
“知識”は頭で覚えるもの(読んだり聞いたりして習得)、“スキル”は体で覚えるもの(実践して習得)です。
自転車に乗れるようになるには、おそらく最初はお父さんに後ろを支えてもらい、補助輪をつけ、そのうち独りで何度も転びながら、体で乗り方を覚えたはずです。これが“スキル”です。
筆者はこうしてパソコンを使っていますが、一度も取扱説明書やアプリケーションのテキストで学んだことがありません。無我夢中でとにかく使っているうちにWordやExcelが使えるようになったのです(おかげでとても下手くそです)。これが“スキル”です。

何となく“スキル”はイメージできたと思います。要するに、実践して体で覚えないと身につかないのです。
これに対して“知識”は違います。要するに、皆さんがこれまで学校で、試験勉強で学んだことはすべて“知識”、理解するにしても、暗記するにしても、皆さんの頭の中に受け付けられなければいけませんし、その結果は試験で確認されるのです。
少し面倒な言い方をしますと、“知識”は言語化され、形式知化されていますので、「見える」ものです。しかし、“スキル”の根本的なところは言語化するのが難しいので(自転車に乗れるコツのようなもの)、暗黙知のままなので、「見えない」ものです。
ですので、“知識”は本から容易に得ることができますが、“スキル”は本からだけでは習得するのが難しいのです。「コミュニケーション・スキルの本」を読んで、コミュニケーション・スキルを知ることはできても、コミュニケーション・スキルを身につけることはできないのです。コミュニケーション・スキルを身につけるには実践し、体得するしか道はありません。

この二つの能力を認識し、理解し、できれば伸ばしてみる、そういった挑戦をこのシリーズでは試みたいと考えています。

C「名ばかり管理職~ブラック企業を選ばないために~」

皆さんが社会に出て、どういう会社に入るかはわかりませんが、世の中で「ブラック企業」と言われる会社もあります。具体的には、法令に反するか、法令に抵触する可能性があるギリギリのところで働かせ、あるいは法令に反するか、法令に抵触する可能性があるギリギリのところで営業販売活動を行わせ、あるいは健康面を無視した長時間の過酷な労働をさせ、それらを言語や処遇や圧力などの強制的な手段で拘束する、そういった体質のある企業を言うようです。
日本だけかと思いましたが、英語圏ではスウェットショップ(Sweatshop)と言うようですし、中国語圏では血汗工場(血汗工廠)と言うようですから、この問題は世界共通なのでしょう。まあ、要するに人を使い潰す会社のことです。

どういった症状が現われるかと言いますと、独裁的経営、従業員の大量消費、組織の硬直化、上層部の自己保身、従業員への過度な負担、従業員の封じ込め、激務で長時間労働、人事や給与の意図的な運用、強烈なノルマ、心身のストレス、キャリアアップは皆無、資格取得のノルマ化、常識的な円満退職は期待薄など、まあ、書くのもおぞましいようなことが多々発生することになります。

既に皆さんには、会社の企業風土や価値観、ビジョンなどの情報、あるいは経営者個人の価値観、経営方針などの情報をよくリサーチするようにお勧めしてきました。その理由は、皆さんがご自分の価値観や社会的動機とそれほどかけ離れていない、違和感をそう多く感じない、心身のストレスに苛まれないように、という想いですが、最悪のケースとして、こうした「ブラック企業」を選ばないように、という心配もあるのです。

と申しますのは、成長過程にある一時期の企業は強烈に働くことを求めます。生物学ではシグモイド(sigmoid、S字曲線)といって、急激に成長が進む時期が必ずあります。私たちの能力の向上にもそういう時期があります。ある地点を越えると(越えるまでの努力は大変ですが)、まるで壁を乗り越えたようにものごとがわかるようになる、そういうことがあります。こうした地点を「閾値(しきいち)」と言いますが、筆者は切所(せっしょ、第59話参照)と呼んでいます。
こういった時期には、強烈に働かなければいけません。会社の未来と自分の未来を重ね合わせ、それを切り開くためにがむしゃらに、向こう見ずに、自己犠牲を強いながら頑張る訳です。これを「ブラック企業」とは、筆者は呼びません。
問題なのは、会社の未来と自分の未来が重ね合わされないにも関わらず、ひどい場合は会社の未来そのものがわからない中で、ただやみくもに会社の利益を確保するために、ギリギリのところまで頑張らされる、そうであればこれは「ブラック企業」と呼んで差し支えないでしょう。

さて、そうした「ブラック企業」でよく使われる手に「名ばかり管理職」があります。これについて、少し皆さんに基本的な知識をお伝えしたいと思います。
どうして「名ばかり」などという管理職が出てくるのかです。これは簡単に言いますと、時間外労働への経費を支払いたくない、という会社側の都合がほとんどになります。
働く人は一日8時間労働となりますが、それを超えて働く場合があります。よく皆さんが“残業”とか“超過勤務“と聞くものがこれですが、時間外労働手当として時給の125%の割り増しが支払われます。ところが、こうした時間外労働が恒常化しますと、会社経営にはかなりの重荷になってきます。そこで、これを軽減する方法は無いものかと考える会社が出てくるのです。
その方法は四つありまして、一つはサービス残業、即ち時間外労働をしても当事者が申告しない(させない)ことで支払から免れる方法です。一つは裁量労働制、即ち実際の労働時間とは関係なく、労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなす制度を導入する方法です。一つは雇用ではなく請負、即ち特定の業務を個人へ請け負わせる方法です。しかし、サービス残業は明らかに労働基準法違反ですし、裁量労働制は導入できる職種が限定されていますし(研究、開発、専門職など)、請負は社会保障がありませんので、対象となる従業員に断られればおしまいです。
そうなりますと、法令に違反せずに時間外労働のコストを抑える方法として考えられたのが「名ばかり管理職」です。労働基準法で認められた「働く人を管理監督するもの」には、時間外労働という概念が適用されないので、自動的に時間外労働手当も支払わずに済む、という理屈です。わかりやすく言いますと、会社の経営者、あるいは経営陣には労働時間という概念がありません。何時間働こうが、あるいは何時間しか働かないとしても、それは自分で決めているのだから労働基準法の適用外、ということです。ですので、社長には“残業”はありません。普通は取締役にも“残業”はありません。
この「働く人を管理監督するもの」の範囲を広げればよい、という考えから実際は「働く人を管理監督する」権限が無いにも関わらず、経営陣に混ぜられているのが「名ばかり管理職」ということで、かなり多いのが〇〇店の“店長“という立場です。
しかし、社長に意見を言える立場でもなく、他の従業員と同じように働かされ、待遇もそんなに良くないのに、一体どこが管理職なのか、ということになります。そこで、国では「経営者と一体的な立場」「出退勤の自由」「地位にふさわしい待遇」が満たされなければ、「働く人を管理監督するもの」として認められない、という基準を定めていますが、まだまだ世の中では「名ばかり管理職」で働かされる事例が多いようです。
皆さんも「入社〇年で店長へ」といったキャッチコピーを見聞きすることが多いと思いますが、それが「名ばかり管理職」なのかどうか、会社の未来と自分の未来を本当に重ね合わせられるのか、十分注意されるとよろしいでしょう。

F「相性とスルー力」

皆さんの世代における新入社員の退社率は、入社3年以内で30%におよぶ、という恐ろしいデータがあります。その退社へ結びつく要因の一つが“相性”です。

世の中には残念ながら相性というものがあります。
相性があえば心地よい関係が築きやすく、相性があわなければ関係は緊張しやすくなります。
「性格の不一致」を理由とする離婚が多いのは、まさに相性の問題です。
行動科学的に言えば、相性とは社会的動機や価値観の差です。
自分の社会的動機や価値観と相手の社会的動機や価値観にギャップがあればあるほど、相性は悪くなります。
例えば、「自分は他人より正しいので他人の言い分に左右されてはいけない」という価値観を持ち、権力動機の極めて強い人間を相手にして、「人には必ず間違いがあるので他人の言い分はよく聞くようにしよう」という価値観を持ち、親和動機が極めて強いあなたがいれば、この二人の相性は最悪に近いでしょう。

皆さんが社会に出ると大学時代よりもはるかに相性と向き合うことになります。それは、大学と比べて社会では他人との関係がより近く、より多くの時間を占め、より生活に影響するからです。
そうした場合、上司や先輩との相性がよければ大きな問題はありませんが、相性が悪いとそれを克服する必要が出てきます。特に、上司の多くは権力動機の強いタイプが多いので、なおさらになります。権力動機の強い人はリーダーになりたがるのですから、あなたの上司にも権力動機の強い人がなる可能性は高いのです。権力動機が強い人は、あなたを強制して自分の意向に従うように求めます。そこで、相性の問題が出てくるのです。

どうしても相性があわない、辛いというときは、次の呪文を唱えることです。
「夏は暑い、冬は寒い」、何をあたりまえのことを言うのか、そう思われることでしょう。
「夏は暑い、冬は寒い」、まことにあたりまえです。夏が寒かったらおかしなものだし、冬が暑かったらおかしなものです。
従って、誰も夏を寒くしようとは思わないし、冬を暑くしようとも思わないでしょう。せいぜい、夏に冷房、冬に暖房を使うくらいです。

二年ほど前、知り合いの優秀な公務員が出社拒否症になってしまいました。
要するに、職場へ行けない心の病(やまい)です。昔風に言えばノイローゼ、今風に言えば鬱病。
本人はいたって真面目な人物で、達成動機も権力動機も人並みよりは強いのです。能力もあれば、自信も自負心も高いのです。人生も順風満帆、よくできた奥さんと利発な子供たちにも恵まれています。
何故?
これもよくあるパターンですが、上司がウルトラ権力動機のウルトラエリートなのです。彼のやることなすこと気に食わない。毎日毎日罵倒され、まるでイジメ状態。さすがの彼もとうとうおかしくなって、筆者が相談を受けることになりました。
で、昼食を食べながら教えたのが、「夏は暑い、冬は寒い」という呪文です。
問題の上司との関係を彼が変えられないとするならば、それを受容するしか道はありません。まさに「夏は暑い、冬は寒い」ことを私たちが受容しているのと同じように、問題の上司をあるがままに受容するしかないのです。
上司を変えようとか、上司からよく思われようとか、エネルギーを使うだけ無駄、むしろ事態はますます悪化しかねません。
ですから、「夏は暑い、冬は寒い」と呪文を唱えながら、あるがままに上司を、上司との関係を受容するのです。

佐久間陽一郎さんが「スルー力」と名付けたこのスキルは、人間が真面目であれば真面目であるほど、しっかりと身に付けなければなりません。
俗に「馬鹿には勝てない」とも言いますが、スルーせずに関われば関わるほど、こちらがどんどんと消耗し、抜け出せない状態にまで追い込まれかねません。
ですので、“潮目”が変わるまでは「夏は暑い、冬は寒い」ということです。“潮目”については、またの機会とさせてください。

A「海外進出と人材確保~グローバル人材への道~」

筆者の旧知の研究者に西澤正樹さんという亜細亜大学の教授がいます。彼が自営業的なコンサルタント時代からの付き合いで、亜細亜大学のアジア研究所に准教授として迎えられたときには、ひとごとながら万歳したものです。自営業的なコンサルタント、今の筆者がそうですが、この仕事の不安定さは言うまでもなく、安定した大学のポスト(非常勤講師ではなく)を得ることは研究にとっても生活にとっても大変ありがたい話なのです。
とあれ、その彼が関わっているプロジェクトに「アジア夢カレッジ」というものがあります。亜細亜大学が力を入れているアジア(中国)人材の育成プロジェクトで、亜細亜大学の学生を対象とし、①ダブルメジャー教育(所属学部との並行実施で所属学部の専門性とアジアの専門性を両方習得)、②産学連携教育(企業人を講師として招聘する実学教育)、③中国留学+インターンシップ(大連で150日間留学、うち一ヶ月は現地の日系企業でインターンシップ)、④中国語徹底教育(中国語3級からHSK=漢語水平考試を経て中国語専攻レベルを目指す)、⑤少人数制(数十名の規模でさらに5名程度の個別ゼミ)を特徴としています。
要するに、中国ですぐに活躍できるレベルまで日本の学生を育てよう、という野心的なプロジェクトです。

一方、大企業では空前のグローバル人材採用ラッシュです。例えば、楽天では社内公用語を英語にし、新採用にはTOEIC730点以上を条件としましたし、ユニクロ(ファーストリテイリング)では1,500名の新採用の5割以上を外国人とする予定です。もう少し古手の保守的な大企業でも、パナソニックでは1,450名の新採用のうち8割を現地採用とし、イオンでも2020年までに本社人員の半数を外国人とする方針です。

この二つを読み解けば、海外進出を進める企業ではそれに適した人材を必要としているが、日本国内ではなかなか確保できない、という現実が浮かび上がってくるはずです。
皆さんのこれからの進路の一候補にこうした“グローバル人材”があると、筆者は考えています。
「そういった教育環境にいないので無理」という方もいらっしゃるでしょう。でも、教育には皆さんが大学、あるいは大学院で受けている教育と、皆さんがご自分で獲得する教育の二通りがあります。ですので、「受けている」教育では難しくとも、「自分で獲得する」教育を加えれば、「アジア夢カレッジ」レベルに到達するのは不可能ではありません。
ダブルメジャー教育は、「受けている」教育と「自分で獲得する」教育を両立させれば実現できます。
産学連携教育は、企業で働いている人、あるいは経営者との出会いがあれば実学を身につけることは十分可能です。
中国留学+インターンシップは、毎年夏休みに大連や上海の日系企業でアルバイトすれば大丈夫でしょう。中国の生活費の安さを考えれば、渡航にLCC(Low Cost Carrier、格安航空会社)を使うなどの工夫で費用面はクリアできますし、相手方の日系企業はWebで探せるはずです。
中国語徹底教育は、中国語3級+HSKですから、第二外国語に中国語を選択する、中国からの留学生に学ぶ、中国語サークルに所属する、通信教育を受けるなど、習得する方法には困らないはずです。
少人数制は、もともと一人ですので問題なく、可能であれば一緒に挑戦する仲間がいるとなおよろしいでしょう。
いかがでしょうか、そんなに難しく考えずに、“グローバル人材”へ挑戦する、という道も皆さんには可能なのです。

C「読者からの質問⑤~海外に私たちの「物・サービス」を売っていく~」

Q:「日本はこれからも貿易で食べる時代」ということですが、お金を勝ち取るために、日本はリベラルアーツを学び、アジア・アフリカのことを学び、海外に私たちの「物・サービス」を売っていくのか、それをどのように予想できるのでしょうか?
A:ご質問のように、これから海外へどのように何を売っていくのか、ということは重要な問題です。そんなに日本に売れるものがあるのだろうか、という疑問にもなるでしょう。
まず、皆さんにお考えいただきたいのは、戦後70年間、あれほどの戦災にあい、かつ占領下に置かれたにも関わらず、1億人を超える国民を飢えもさせず、失業もさせず(今でも失業率は4%程度と世界的には低いレベルです)、1,400兆円を超える金融資産を溜め込み、国民一人あたりのGDP(国内総生産)も46,000米ドルとほぼアメリカに匹敵する世界第13位で中国の約8倍、という奇跡的な結果を残しえた国が私たちの住む日本だということです。
これは、ドイツと並んで、他の国々では比肩することが難しい成長の軌跡と言えます。
その結果、日本には他と比較して優位にある社会システムがたくさん存在しています。こうした社会システムの中には、まさに海外へ売ることのできる「物・サービス」がいろいろとある、ということです。
そして、日本を取り巻く多くの国々では、こうした社会システムの不備が原因で、成長軌道に乗り切れていない国々もたくさんありますので、「困っている人をみつける」ことが、ビジネスにおける需要を意味しているとすれば、まさにビジネスチャンスが数多く見えてくるのではないでしょうか。
例えば、筆者は福島市で焼酎専門のカウンターバーを贔屓にしていましたが、このお店の「飲食店」としてのシステムはまさに「売れる」システムでした。予約の取り方とその確認、お客さまの席への誘導、注文の受け方、飲み物や食べ物の出し方、食器の選び方、お客さまの動きを見逃さない姿勢、会計の間違いのなさ、などは飲み物や食べ物が美味しいかどうか、という以前に店としての心地よさを醸し出しています。
そこで筆者がそのお店のオーナーへお薦めしたのは、ぜひ中国、上海あたりに出店しませんか、ということです。ほぼ、間違いなく上海で繁盛する、儲かるという確信がありました。中国の接客マナーやおもてなしは、以前と比べれば段違いによくなりましたが、そうは言ってもまだまだで、アメリカ流のマニュアルを形だけなぞっている、「仏造って魂入れず」という状態に留まっています。一方、上海をはじめとする新富裕層はとてもそれでは満足できません。このギャップを埋める日本式のシステムは間違いなく市場価値があるのです。
この種のサービスギャップとでも言える現象は、とりわけ経済が急成長した中国で顕著に現われており、工場に代表される生産技術に留まらず、社会福祉、教育、宿泊、観光、輸送、物販(小売も卸売も)、保険など、実に広範な日本資本の中国進出が進んでいます。
具体的にいくつかご紹介しますと、ファミリーマート、伊藤忠商事の傘下にある国内第3位のコンビニエンスストアですが、国内では約9,000店に過ぎないものが、アジアでは約12,000店を展開し、中国に約5,000店を出そうとしています。こうなりますと、ファミリーマートは日本の企業なのかアジアの企業なのか、何とも言えないところにまで来ているのです。
また、ベネッセでは中国を中心として「こどもちゃれんじ事業」と称する幼児向けの通信教育を展開し、80万人もの会員を獲得しています。ベネッセの公式サイトから引用しますと、「中国では毎年1,500万人の子どもが生まれ、0歳から小学校低学年までの子どもの数は1億人以上になります。経済状況を考えると、そのうちの約2割、2,000万人程度が私たちのターゲットであり、ターゲットの10%を会員にできれば、会員数は200万人という計算になります。中国の経済成長率を考えると、ターゲットは5年先にはもっと増えていると思います。私たちは、2018年度の目標会員数200万人を掲げていますが、その先には、500万人、1,000万人という大きな夢を描いています。」ということです。
比較文明論のような観点から、日本の社会システムと海外の社会システムを分析すれば、そこにビジネスチャンスが見えてくると言えるでしょう。
また、海外へ進出する際の手法ということになりますと、これは進出する企業側の状況、進出しようとする相手国の状況により千差万別ですが、例えば日本貿易振興機構(通称:ジェトロ)という政府機関では、海外進出の支援サービスに乗り出しており、特に中国については中国進出企業支援センターを設置するなど、かつての輸出重視から海外進出支援へと方向転換しているほどです。また、商社や金融機関、あるいは経営コンサルタントなど、さまざまなサービスサプライヤーが海外進出支援をビジネスチャンスと捉えていますので、自力では難しい企業もこうした支援を受けやすくなっている現状にあります。

C「読者からの質問④~腕を磨く会社とは~」

Q:腕を磨く会社とは何でしょうか?そもそも新卒で入る会社の選び方(ノウハウではなく、考え方・捉え方)とは何かについてもう少し入り込んだ話をお聞きしたいです。
A:どういう会社を選ぶか、という問題は、どういう会社ならば入れるか、という現実問題と常に密接な関係にあります。
どういう会社ならば入れるか、については、あまりに個々の事情が違いますので、筆者のお答えできる範囲を超えており、ここはそれには目をつむって、どういう会社を選ぶか、に絞って考えてみたいと思います。
極端に結論を申し上げますと、それはあなたの価値観次第です、ということです。
そして、安定した生活を送りたいとか、高収入を得たいとか、長い時間は会社に拘束されたくないとか、そういった価値観で会社を選ぶのであれば、そもそもこのコラムでは回答が存在しません。と申しますか、そういった評価はほとんどインターネット上で得られる会社の情報で判断できるはずです。
人間は成長するものである、という前提で、自分が成長する場として会社を選ぶ、という価値観をお持ちであれば、筆者は以下のような助言を差し上げることができます。
皆さんは会社に入りますと(社会人になりますと)、その会社からさまざまな知識を得ることになります。知識とは何か、という問題にはこのコラムはまだお答えしていませんので、ここでは知識は「知っていること」だとしましょう。
皆さんが会社から得る知識には二通りあります。一つは会社固有知識、一つは市場汎用知識です。この区分、そして以下に記述する多くの助言は佐久間陽一郎さんの知見に基づいて筆者がアレンジしています。
会社固有知識とは、その会社で通用する知識です。その会社で生き、その会社で評価されるための知識です。例えば、あの上司にはこう話すと喜んでくれるとか、あの上司とこの上司ではどちらが出世株だとか、書類ではこういう風に書くと決裁が得やすいとか、あの上司はこの飲み屋が好きだとか、とにかくその会社だけで通用する知識です。
市場汎用知識とは、その会社を辞めたとしても世の中で生きてゆくために活かせる、言い換えれば別の会社に勤めた場合にでも通用する知識です。例えば、お客さまと良い関係を築けるやり方とか、お客さまの要望を察知する方法とか、職場の作業効率を改善する手法とか、とにかくどの会社でも通用する知識です。
自分が成長する場として会社を選ぶ、という前提に立つならば、会社固有知識より、市場汎用知識を得やすい会社を選ぶことです。別の言い方をしますと、その会社でしか通用しない常識や言葉遣いが横行する内向きの会社からは、なかなか市場汎用知識を得ることができません。逆に世の中で通用する常識や言葉遣いを尊重する外向きの会社からは、市場汎用知識を得ることが容易なはずです。
その会社が内向きか外向きかは、その会社の企業風土とか、企業文化とか、外へ漂ってくる臭いを分析することで見えてきます。
大企業であれば、かなりの情報がインターネット上に露出しています。会社自体が発表しているものもあるでしょうし、経営評論家のような専門家が発表しているものもあるでしょう。
中小企業や小規模事業者であれば、経営者本人にそういった臭いは染み付いているものです。その経営者が社会的なプレゼンスの高い方であれば、周りの評判もあるでしょう。
こうした会社の精神的な土壌のようなものを嗅ぎ分けることで、あなたにとって腕を磨ける会社はかなり絞り込まれるのではないでしょうか。
ただし、世の中には反面教師というものもあります。見込み違いで内向きの会社を選んだとしても、簡単に諦めるのではなく、「ああいう風にはしない」「ここは真似しない」と外向きに行動することで腕を磨く、即ち市場汎用知識を得ることは十分可能なのです。そうした行動がその会社で本当に許されないのであれば、そのときにはじめて転職を考えましょう。

C「読者からの質問③~「教育」の重要性~」

Q:個人的には「教育」も「経路依存症」の脱出として非常に重要なキーワードだと思います。「教育」の重要性についても言及していただきたいです。
A:経路依存症が必ずしも悪いものではないことはご理解いただいていると思います。要するに、過去においてあまり良い方向に向いていない場合の経路依存症を抜け出すには、という話で、そのためには出会いであり、関係構築力であるとお伝えしました。
ご質問の教育については、今の皆さんが出会っている新しい経路と言えるもので、ここで何を得るかによって、それ以降の経路は大きく変わることになります。
その意味では、教育も経路依存症に大変関わりがあると言えるでしょう。
同時に、教育は皆さんの価値観にも影響を及ぼします。価値観は行動の規範のようなものですから、教育の結果が今後の皆さんの行動にも関わってくるのです。
ただし、教育には皆さんが大学、あるいは大学院で受けている教育と、皆さんがご自分で獲得する教育の二通りがあります。
大学、あるいは大学院で受けている教育は、それこそ教育の専門家が担っているのですから、門外漢の筆者からどうこう申し上げることではありません。
ただし、それを前提とした上で二三、参考になりそうなお話を差し上げます。
第一は、Howに重きを置く教育が豊富に存在するとすれば、Whyに重きを置く教育を少し加味されるとよろしいと思います。近年、How中心の教育が主流となっていますが、Howでは知見(知識+知恵)の広がりや深みが生まれにくいという問題点があります。こうなりますと、いわゆる専門馬鹿の危険性が増しますので、Whyを問う教育でそれを補完するのがお薦めです。
Whyに重きを置く教育は、教え手の先生による場合と、教育の領域そのものがWhyに近い場合に分かれます。教え手の先生を選択するのは後段のように皆さんへお任せするとして、教育の領域、もっと言えば学問の領域としてWhyに近いのは伝統的に哲学、歴史学、社会学、心理学などの学問ではないかと思います。場合によっては、生物学や進化学もそれに類するかもしれません。
第二は、先生を選択されることです。ここは行動科学で学んだ人間観察のノウハウを使って、ご自分の価値観に適した、あるいはご自分のビジョンに適した、あるいは出会いを豊富に与えてくれそうな、そういう先生を見抜くことをお薦めします。ただ、そんなに学内では選択の幅が無いのかもしれません。そうした場合は、夏休みの特別講義を活用して、他の大学や大学院の先生の講義を聞くのもお薦めです。
筆者は学生時代、夏休みの特別講義で近畿大学の先生からマグロの完全養殖へ挑戦するお話をお聞きして、大きな感銘を受けましたし、その後の自分の挑戦する気持ちにもかなり影響を与えたと認識しています。
次にご自分で獲得する教育で申し上げれば、第一に「本」です。
「本」をお読みになることはまったくご自分の自由にできる教育です。「万巻の書を読み、万里の道を往く」というのは、古今東西を問わず知識人の夢とするところですが、そこまで本に淫することはなくとも、読むことは読まないことに勝ります。
問題はどんな本を読むか、ですが、ここはみんなが良いと評価する本は良いとお考えください。そこから、まずはじめましょう。
例えば、経済に関するものであればケインズとハイエクなどは古典であり、原点でもあります。
哲学に関するものであればサルトルやハイデッガーのような実存主義あたりから入るとよろしいかもしれません。
経営に関するものであればドラッカーは欠かせません。あるいは、ジャック・ウェルチやスティーブ・ジョブズ、あるいは美川英二のような傑出した経営者の本もよろしいでしょう。
歴史における人物がお好きであれば定番の司馬遼太郎や宮城谷昌光、あるいは城山三郎のように経営者や政治家に鋭い視点を持つ方もいますし、塩野七生のようにイタリアを通じて人間像を洞察する方もいますし、それこそ三国志や史記のような古典もあるでしょう。
特にこれから長い夏休みです。
遊ぶのもよし、祭りや旅もよし、アルバイトや家の手伝いもよし、研究や就活もよし、でも時間を見つけて特別講義や読書に挑戦されてはいかがでしょうか。

C「読者からの質問②~若者の立場での人との関わり方~」

Q:私は私の中で制限せずに人に会いすぎている傾向があり、危惧しております。また大人のいうことは全ていい話に聞こえがちで、話の見極めにも苦労しております。そういった若者の立場での人との関わり方のヒントをいただきたいです。
A:先ほどの文化財の話にもありましたが、良いものを見るのは、良い人に会う、ということに通じます。で、良い人はどういう人かと言いますと、これも多くの人が良い人だという人がだいたいは良い人なのです。
これを「評判」と言いますが、「評判」の良い人には必ず何かしら光るものがあるものです。そして、出会いには二つの要素が必要です。
一つは、皆さん自身が出会いを求める前向きの気持ちを持つことです。後ろ向きになれば出会いは自ずと遠ざかってゆくものです。
一つは、経路依存症です。第6話では経路依存症から抜け出すための出会いについて述べましたが、逆に一度良い人にめぐり合ったら、その経路を大切にすることです。良い人は良い人を紹介するものです。
ご自分で「あの人は良い人だ、評価できる人だ」と感じる人がいるのであれば、あとはどんどんその人から紹介していただければよいでしょう。そう感じる人がいなければ、そういう人と出会うまではとにかくたくさんの出会いを重ねるしかないのですが、そんなに時間はかからずに出会えると思いますよ、「評判」は意外と確かなものですから。
次に、話の見極めということですが、それには聞き手自身が見極める尺度を持たなければいけません。もちろん、そうした見極める尺度(目筋)は時間とともに成長するものですが、何にも無しではどうしようもありません。
そういう場合は、他人の尺度をお借りすることです。他人とは、これまでの人生で培った価値観(多くの場合は周りから植えつけられた)、あるいは先人の名著、あるいは友人や先輩の助言かもしれません。でも、他人の尺度を借りるのは何も恥ずかしいことではありません。自分自身の尺度が未熟な段階では、まだしも役に立つからです。
これも文化財の話で差し上げたように、「ご自分の好みで良し悪しを判断するのはまだ先のことです。」ということでしょう。

A:関係構築力で「誘われたら必ず呑み会に顔を出す」以外の心掛けをもう少し教えてくださると嬉しいです。
Q:筆者が社会的なプレゼンスの低かった時代、要するに若い頃ですが、関係構築力を高めるために心掛けていたことはそんなにたいした話ではありません。
具体的な事例で申し上げますと、まず名刺はお仕着せではなく自分自身のものを作りました。多くの場合は会社なり組織なり、あるいは団体なりで定型化したお仕着せの名刺があるのですが、自分でデザインしたものを特注で作っていました。季節ごとに色が変わるようにして、まあ、つまらない工夫をしていたものです。
今の時代はCI(コーポレート・アイデンティティ、Corporate Identity、イメージ戦略)がありますので、なかなかお仕着せではない自分自身のものは難しいのかもしれませんが、そこは工夫の仕方があると思います。名刺はわかればよい、のではなく、自分のこだわりを色とかデザインとかメッセージとか、そうしたもので現わすということです。
次にしたことは、お会いした人には翌日必ず絵葉書をお出ししていました。お会いした際の会話や印象からその方の趣味や美意識を探り、それにあっている絵葉書を選んで御礼をお書きするのです。ですから、筆者の趣味は全国のさまざまな絵葉書を集めることで、今でも美術館や旅行に行く際には、絵葉書を求めるのが癖になってしまいました。
要するに、社会的なプレゼンスの低い時代は、まず自分というものを覚えていただくのが先決ですから、そこに集中しました。ただし、当時は公務員でしたので、あまりどぎつくならない程度にですが。

C「読者からの質問①~何か他人と違うことをしないと駄目なのか~」

「地域中小企業の人材確保・定着支援事業」の一環として、①これから社会に参加する若者の皆さんに「働く」、あるいは「ビジネス」ということがどういったものなのかを知っていただく、②中小企業や小規模事業者で働くために重要な知識やスキル、あるいは社会人基礎力を身につけていただく、③中小企業や小規模事業者の海外進出において必要とされるさまざまな国や地域の情報や文化風土などの基盤的な知見を知っていただく、そうしたことを大きな狙いとするこのコラムも、5月1日の開始から二ヶ月を経過しました。この間、読者の方からさまざまなご質問やご要望をいただいてまいりましたが、二ヶ月を経過したタイミングで、お返事をお伝えしたいと思います。
なお、このコラムは読者とのキャッチボールも重要と位置づけておりますので、ご質問、ご要望に限らず、ご意見、ご感想も含め、何なりとお便りをいただければと願っております。お問合せ先は以下のアドレスとなりますので、お名前をご記入の上、送信をお願いいたします。なお、お返事がリアルタイムレスポンスとなるよう努めますが、若干の時間差はお許しください。また、わかること、できることと、わからないこと、できないことがありますので、この点もお許しください。
お問合せ先:yoshida@nojuan.com

Q1:何か他人と違うことをしないと駄目という風潮の学生が多いです。ちゃんと考えて行動していればよいのですが、ただ行動したことや結果だけに満足して、次につながらないことが多々あります。「経験した」ということで満足するのではなく、その一つ一つの行動や現象から、共通する要素(共通項)を見つけ体感することが、どのような変化の時代が来ても対応できる人間になれるのではないでしょうか。
A:筆者がかつてお城の文化財や古美術品の整理を担当していた頃、著名な郷土史家の方から教えていただいたことがあります。それは、ものの良し悪しを見る目を養うためにはどうしたらよいでしょうか、という筆者の質問へのお答えでした。
「悪いものを数多く見ても何の意味もありません。目筋(めすじ、ものを見極める尺度や感覚のようなもの)を伸ばすには、とにかく良いものを見ることです。良いものをじっくりと見ると、自然と目筋が肥えてきます。良いものは何かと言いますと、多くの人が評価するものが良いものだ、というところからはじめるのがよろしいでしょう。ご自分の好みで良し悪しを判断するのはまだ先のことです。
それから、文化財や古美術品の愛好家に二通りのタイプがいます。最初のタイプはとにかく文化財や古美術品が好き、ものそのものが好き、という人たちです。次のタイプは歴史のような書物から文化財や古美術品に興味を持つ人たちです。最初のタイプは見た直感と言いますか、鑑賞眼や美意識に流され、次のタイプはものを育んだ当時の歴史や、ものに対する知識に流されます。ものそのものが美しいかどうかという感覚と、そのものが作られた歴史的な背景、あるいはそのものが作られた当時の暮らしや文化のあり方のような知識と、その二つを磨かないと、本当の意味でものを見極めることはできないと思います。」
筆者はまさに名言であると受け止めております。
私たちはやってみないとわからない、とにかくやってみればわかるはずだ、みたいな思い込みと、知識偏重な頭でっかちの癖と、そうした二面性を持っているのだと思います。言葉を変えますと、プリミティブ(原初的なもの)とインテリジェンス(知性)というアンビバレンス(ambivalence、愛憎相半ばする関係)な二つが同時に内在しているのが私たち現生人類だとしますと、そのいずれも受容することが大切だと、筆者は考えています。
そうした意味で申し上げれば、何かを経験することと、多くの人が薦める名著を読むことを、両立させるのがよろしいのではないでしょうか。
何かを経験することは極めて個別的な、ある意味ではその人だけの特殊性に属しますが、名著を読むことは極めて一般的な、誰にでも通用する普遍性に富んだものです。名著に現わされている尺度で個別の行動から普遍的に価値のあるものを紡ぎ出す、そんな感じかもしれません。
筆者は7月に中国の日本研究者と会うために奈良へ行きますが、奈良に関する数々の名著、例えば和辻哲郎の「古寺巡礼」がこの旅をさらに深めてくれるでしょう。ただし、旅が「古寺巡礼」の単なる受け売りやエピゴーネン(Epigonen、模倣者)であれば、本を読むだけで済む話です。この辺がアンビバレンスと言うポイントではないでしょうか。

C「路線価」

経済指標として日銀短観のお話を差し上げましたので、もう一つ、路線価についてもお伝えしたいと思います。
皆さんの多くは「はじめて聞きました」ということでしょうが、路線価は国税庁が毎年7月に発表する土地の評価額のことです。
もともとは相続税をかける際の評価として調査されていたものですが、市町村が調査する固定資産税評価額、国土交通省が調査する公示地価と並んで、土地の値段を判断する重要な指標として利用されています。

路線価は、長期的にはバブル崩壊以降は値下がり傾向にあり、短期的にはリーマンショック以降は5年連続で値下がりしているのですが(一時期持ち直したことがあるので)、今回の調査で下げ止まりの傾向が明らかになりました。
まだ対前年比では1.8%のマイナスですが、下げ幅そのものは縮小していますので、“土地は値下がりする”という21世紀に入ってからの日本の“常識”がようやく終わりを告げるかもしれないのです。
“土地は値下がりする”ということは筆者のような年齢では考えられないことで、基本的に“土地は値上がりする”のが“常識”です。
というのは、経済の規模はいくらでも拡大することができますが、土地は基本的に定量です(空中権や埋め立てとかはありますが)。日本において使える土地の面積はほぼ決まっていますので、経済が拡大して土地の需要が増えれば土地は値上がりするしかありません。これが、古典的であり、かつ常識的なルールと言えます。ですので、昔は子孫に残す投資と言えば土地、と相場が決まっていたものでした。

では、なぜ“土地は値下がりする”のでしょうか。そこには、あのバブル景気があるのです。
1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間、皆さんが既に知識としてご承知の“過剰流動性”で大量のお金が市場へ流れ込み、「価値のありそうなものならば何でも買い漁る」という現象が生まれ、東京都の山手線内側の土地価格でアメリカ全土が買えるというほど日本の土地は高騰し、日経平均株価は1989年12月のピーク時には高値38,915円を付けるなど、路線価が毎年値下がりし、日経平均株価が13,000円台という現在では信じられないほどの状況が生まれたのです。
市場であふれかえったお金が、基本的には定量な(限られた)土地へ流れ込んだ、ということです。
こうして実態とかけ離れて値上がりするだけ値上がりした土地は、値下がりの長い坂道を転がり落ちることになりました。
その土地がようやく値下がりを止めようとしているとすれば、バブル崩壊から25年近くを経て、“土地は値上がりする”という当たり前のルールに日本は戻るのかもしれません。

さて、ここで注目していただきたいことが二つあります。
一つは、路線価の下げ止まりには地域格差がある、ということです。
例えば、都市部と農村部で格差があるのは当然としても、全国的に見れば愛知県と宮城県は既に値下がりから値上がりに転じています。また、筆者の生活する東北地方を見れば、宮城県は1.7%と全国最高の値上がり、福島県がマイナス1.6%、岩手県がマイナス4.0%で下落率を縮小していますが、青森県ではマイナス5.3%、秋田県でもマイナス5.2%でしかも下落率にも下げ止まりが見られません。
これは、路線価の動向がその地域の景気の動向を映す鏡だとすれば、日銀短観で示された日本の景気回復には地域格差がある、ということです。
皆さんがこれから社会に出る際、「どの地域でスタートするか」を考えるとすれば、こうした路線価のような経済指標にも十分な注意を払うべきではないでしょうか。もちろん、地域的に限定されない企業であれば問題はありませんが、活動が地域に限定される企業であれば、その地域の景気の動向は大きな意味を持つからです。

もう一つは、お金の野放図な拡大に歯止めをかける方向へ大きく舵をとった中国です。
中国の市場が日本経済にとって大きな位置を占めているのは既にご承知のとおりですが、その中国ではこのところの“過剰流動性”で大量のお金が市場へ流れ込み、まるで日本のバブル景気を思わせるような土地や株の値上がりが続いていたのです。これを放置しておけば間違いなくバブルがいずれ崩壊して大変な社会混乱を招く、という恐れがありましたので、新指導部(習近平政権)は野放図なお金の流通に歯止めをかけようとしています。
これはある意味では当然の対策なのですが、筆者が心配するのは急激にお金の流通を絞ってハードライディングすると土地や株の暴落を招く、という危険性です。もちろん、そうした乱暴なことをするとは思えませんが、日本経済とも大きな関わりを持つ中国経済ですので、これからの展開を注意して見守ろうと考えています。
そして、皆さんもアベノミクスが“過剰流動性”に陥らないかどうか、だぶついたお金がどこかで悪さをはじめないかどうか、注意を向けていただければと思います。それは、呑み過ぎの二日酔いと同じで、かなりの期間、日本経済、ひいては若者の雇用にマイナスの影響を与えかねないからです。

C「日銀短観」

経済の現状、あるいは今後を判断するときに重要なツールにさまざまな経済指標があります。
例えば、新車の販売台数とか、住宅の着工件数とか、平均株価とか、物価指数とか、実にさまざまな経済指標があります。
その中でも企業経営者が大変重視しているものに“日銀短観”、正確には全国企業短期経済観測調査と言って、四半期ごとに日本銀行が発表する経済指標があります。これは海外でも“Tankan(タンカン)”で通じるほどの影響力を持っています。
日本銀行の各支店が、全国の21万社の企業から1万社を抽出して、自社の業績から設備投資、雇用の実績や今後の予想を調査するもので、大企業から中小企業まで全国津々浦々の企業を対象としていますから、実際の企業経営者の情報を把握する意味でとても重要な役割を持っているものです。

今回は6月末、第一四半期としての調査になりますが、その結果は非常に興味深いものでした。
調査項目の一つにDI(景気動向指数)というものがあります。景気がよいと判断している企業の割合から景気が悪いと判断している企業の割合を差し引いた指標で、これがプラスになっていれば日本経済は景気がよいと見て問題ありません。ところが、2011年9月末の調査以降、実に2年近くにわたってマイナスが続いていたのです。まさに、前政権後半は日本経済が悪化の一途を辿っていたと言えるのです。
それが今回、大企業の製造業については、DIがプラス4となり、前回調査から12ポイントも改善されたのです。さらに、三ヵ月後の景気をどう見るかという先行きDIでは、プラス10とさらに景気が回復すると大企業が判断していることも明らかになりました。
また、設備投資計画についても大企業全産業では対前年度比で5.5%の増加と、前回調査のマイナスから大幅に改善しています。

問題は、これを中小企業の製造業で見てみますと、前回調査からは5ポイント改善されたもののマイナス14、中小企業の非製造業で見てみますと、前回調査からは4ポイント改善されたもののマイナス4となり、大企業と比べますと景気回復の足取りが重いということです。
これは、特に地方の中小企業に色濃く現われ、こうした地方の中小企業にまで景気回復の影響を行き渡せる対策が望まれるところです。

それには、何といっても地方の中小企業における最大の弱点である人材の確保をどう解決するか、ということになるでしょう。そのためには、地方の中小企業の魅力を伝える本事業のような対策も当然重要ですが、同時に地方の中小企業の経営そのものを求職者に対してよりオープンな、可視化されたものへと変化させることも欠かせません。

皆さんは既に経営者に必要なことの一つに「説明責任」があるとご存知なはずです。こうした「説明責任」の中には、従業員の採用における「説明責任」が含まれることは言うまでもありません。こうした「説明」の中で、中小企業や小規模事業者の経営の実態、今後の経営目標、そのための経営計画、あるいは雇用や福利厚生面での待遇、社内の意思決定をはじめとするシステム、そうしたものが含まれていなければ、皆さんはその企業に自分の人生を託してよいものかどうか、判断に困ることになるでしょう。
逆説的に言うならば、こうした「説明責任」がきちんと果されている中小企業や小規模事業者ならば、皆さんが自分の人生を託するに値する、と言えるかもしれません。
そういった意味で、皆さんも中小企業や小規模事業者の「説明責任」をご注目いただきたいと考えています。
なお、今回の日銀短観で見る限り、日本経済は間違いなく回復軌道に乗っているようですので、少なくとも皆さんの雇用面にはプラスに働くのですから、それもご認識いただきたいと思います。

C「経営のヒント」

6月30日の日本経済新聞に興味深い記事がありました。
「ハローワークへの求人情報を地方自治体へ開放する」というものです。
ハローワーク、いわゆる公共職業安定所はかなり以前から国による運営が適切なのかどうかが問われていました。
一つにはサービスの質の問題、一つには失業後、あるいは失業以前のリトレーニング(再教育)と就労斡旋の情報ネットワークの問題です。
サービスの質の問題からしますと、民間による運営を認めるべきという市場開放の論調になります。
リトレーニングや就労斡旋の問題からしますと、有効に就業を支援するには地域活性化のさまざまな対策との連携が必要だという観点から地域活性化の主体である地方自治体へ運営を移管するべきという地方分権の論調になります。
いずれにせよ、現状のハローワークをそれでよしとする意見は少ないと言えるでしょう。

そこで、アベノミクスの成長戦略としては、全面的に国営から民営、あるいは地方自治体営にするのは困難なので(この辺の困難さの具体的な中身はわかりませんが)、とりあえず求人情報を地方自治体へ開放し、第二弾として民間への開放を目指すということのようです。

これは間違いなく日本経済にとってプラスに働くでしょう。
例えば、求人情報を地方自治体が把握することによって、自分の地域における求人の現状や中身を分析することが可能となり、それに基づいて地域で進めるリトレーニング(多くの場合は職業訓練)の内容をリアルタイムで修正することも可能となります。ただでさえ、求人企業のニーズに最適なリトレーニングがわからずに苦労しているのが現状で、「トイレの無いマンション」と揶揄されるように、リトレーニングのしっぱなしが多いからです。
また、求人情報を地方自治体のネットワークで広く住民へ公開することもできるようになります。どんな市町村でも発行している広報紙へ求人情報を掲載することができるようになれば、まちがいなく求職者には便利なことです。
ここで考えなくてはいけないことは、そうした総合的な就労支援が可能になるとすれば、リトレーニングを担うのはその地域に根ざした企業や団体でなければならない、ということです。これが地域と関係の無い大企業であったり、あるいは国の出先機関であったりすれば、せっかく地域との関係性を密にしはじめた就労支援が「仏造って魂入れず」の状態に陥ってしまいます。それどころか、せっかくリトレーニングをして、就業力を増した人材が域外へ流出するだけ、ということにもなりかねません。

こうして考えますと、この日本経済新聞の記事をきっかけにして、地域で可能となる総合的な就労支援、なかんずくリトレーニングへビジネスチャンスを見つける中小企業や小規模事業者は見込みがある、ということです。
皆さんが企業を見極める際に一つお考えをいただきたいのは、「魚のいるところに網を入れる」企業かどうか、ということです。
企業、とりわけ地域の中小企業や小規模事業者にとって重要なことは、市場の先を見通す“先見力”です。「ハローワークへの求人情報を地方自治体へ開放する」という情報をもとに、どういったサービスを地域へ供給することができるか、これを考える企業であれば、かなり高い“先見力”があると思うのですが、いかがでしょうか。

同じように、「国民健康保険の地域格差が拡がっている」という記事もありました。
保険料の額では最大が16万円弱、最小が4万円弱で市町村によっては4倍以上も保険料が違うというのです。
また、医療費の額でも最大が40万円強、最小が10万円程度と、これも市町村によっては4倍以上も医療費が違うというのです。
こうなりますと、どこに住むかで国民健康保険の負担はずいぶん違うことになります。病気の予防や後発薬(特許切れの割安な薬)の使用などを一所懸命に行っている市町村では医療費も安く、保険料も安い。逆にそうした対策に野放図な市町村では医療費も高く、保険料も高い。これは国民健康保険という制度にとって大きな問題と言えるでしょう。
そうしますと、こうした国民健康保険の地域格差を無くす方向に新しいビジネスチャンスがある、ということです。

たかだか日本経済新聞を読むだけでも、これからのビジネスチャンスのヒントは盛り沢山です。あとは、こうした情報をもとに“先見力”を働かし、先手を打って行動するかどうかで、地域の中小企業や小規模事業者の未来は大きく変わるかもしれません。
そして、こうした中小企業や小規模事業者を発掘できるかどうかは、まさに皆さん自信の“先見力”と言えるのではないでしょうか。

A「イスラム社会を知る⑤~世俗法~」

前回はイスラム法(シャリーア)についてお話を差し上げましたが、今回はこうしたイスラム法がイスラム社会の中でどのような影響力を持っているのか、についてお伝えし、皆さんがイスラム社会を理解する上での一助になればと考えています。
そう遠くない未来、日本の中小企業や小規模事業者がイスラム社会で活躍することを信じているからでもあります。

イスラム法における最大の保護者はオスマントルコ帝国のスルターンでした。世俗の権力者であり、同時に宗教的な権威も兼ね備えた皇帝が存在した訳です。
従って、オスマントルコ帝国が滅びる20世紀初頭までは、イスラム社会では宗教法=世俗法と言ってもよいでしょう。
しかし、第一次大戦でオスマントルコ帝国が崩壊し、この世からスルターンが消えてからは(正確にはオマーン、マレーシア、ブルネイなどではスルターンという君主が存在しますが、イスラム社会全体に及ぼす影響は微々たるものです)、そうした世俗的な権力がイスラム法の後ろ盾となる構造は無くなり、私たちが日頃接している世俗法がイスラム社会へ導入されるようになりました。いわゆる、イスラム社会の近代化がはじまったのです。
その道筋は、トルコのようにスルターン制度の否定から政教分離を徹底する共和制の国、エジプトやイランのように王制の国、イラクやヨルダン、シリアのように預言者マホメッドの子孫が王となった国、サウジアラビアのようにイスラム法学者と深く結びついた王制の国とさまざまでした。

しかし、近代化は多くの場合では大衆の幸せを保証しませんでした。いや、むしろ近代化は貧富の差を拡大し、本来ザカート(喜捨)に代表されるようにイスラム同胞への分け与えを重視するイスラム社会においては、性的な近代化も含めて許容の限度を超えた「逸脱」と受け止められるようになりました。
その結果は、王制や共和制を打倒して軍が権力を握り、社会主義で腐敗を廃絶しようという1950年代以降の青年運動につながるのですが、そうしてできあがったエジプトのナセル~サダト~ムバラク体制であれ、イラクのフセインであれ、リビアのカダフィであれ、今動乱の中にあるシリアのアサドであれ、いつしか支配階層の固定化と貧富の差の拡大を生んだのです。

このような第一次世界大戦から今日に至るまでの近代化、ないしは西洋化への幻滅と絶望が世俗法からイスラム法への回帰を生んでいると言えます。
その代表がパーレビ国王を追放して、イスラム法に基づく国家運営(イスラム法学者が指導する体制)を選んだイランですが、同様にアルジェリア、チュニジア、リビア、エジプトと政権転覆のあとはイスラム法の影響力が増しているようです。

このように、近代化や西洋化が自分たちに幸せをもたらさなかったと感じる多くの大衆の存在が、それ以前の安定した豊かな社会として預言者マホメッド(ムハンマド)にまで遡るイスラム法への回帰をもたらしたと筆者は認識しています。
その意味では、貧富の差の解消と安定した豊かな社会の実現がイスラム社会をより私たちの世界から遠ざけずにすむ唯一の方法ではないかとも考えています。
おそらく、日本の中小企業や小規模事業者がイスラム社会で貢献し、活躍できるとすれば、それはイスラム社会における貧富の差を解消し、安定した豊かな社会の実現に寄与するものだとも思うのです。
そして、こうしたイスラム社会がイスラム法へと近づくのか、それとも世俗法へ踏みとどまるのかの試金石が、他ならぬイスラム社会のかつての中心であり、いち早くスルターン制を廃止し、政教分離の原則で進んできたトルコだと考えています。
皆さんも、ヨーロッパとイスラム社会の間で揺れ動くトルコの情勢をどうか注目してください。トルコが世俗法から離れれば離れるほど、イスラム社会全体に大きな影響を及ぼし、世界経済の不安定要素が高まり、結果として日本の中小企業や小規模事業者の市場拡大にもマイナスとなりかねないからです。
と書いていましたら、トルコより先にエジプトで動きがあるようです。エジプトも王制からナセル以降の軍政、そしてアラブの春へと政治は移り変わりましたが、基本的には世俗的な政治体制が続いていました。それが、貧富の差が拡大し、不安定な社会状況が続く中、イスラム法の影響力の強い政権が生まれましたので、さまざまな軋轢が生まれているようです。イスラム法を重視する農村部を中心とした勢力と、それを嫌い、世俗法優先を望む都市部の近代化された勢力との間で緊張が高まり、そこに軍が介入する余地が生まれているようです。アラブの大国エジプトでも、一日も早く貧富の差の解消と安定した豊かな社会の実現へ向けた歩みがはじまることを祈るばかりです。

A「イスラム社会を知る④~イスラム法~」

10年以上も前になりますが、インドネシアで味の素が大規模な非買運動にあったことがあります。
それは、味の素で使用している酵素が豚から取ったものだとわかってしまったからです。今ではこの問題は解決されたものですが、なぜ豚から取った酵素を使って味の素を作ったのが問題なのか、です。
それは、インドネシアはイスラム教徒が大多数を占める国であり、イスラム教徒はイスラム法(シャリーア)に従う伝統があり、イスラム法ではコーランなどに定められた食材をコーランなどに定められた方法で調理した食品、これを“ハラル”と言いますが、“ハラル”以外の食品を食べてはいけない、と定められているからです。そして、コーランで食べてはいけないと定められている食材の一つに豚が入っているからです。
こうした宗教法と無縁の日本人からすれば何とも奇妙に思えるでしょうが、ヒンズー教ではコブウシは聖なる家畜として食べることが禁じられ(水牛はかまいませんが)、イスラム教では豚は不浄なる家畜として食べることが禁じられ、この禁忌を犯すことは大きな罪と考えられているのですから、彼らからすれば当然のことです。

日本の多くの企業は、たとえ中小企業であれ小規模事業者であれ、これから開拓しなければならないのは海外の市場です。ですから、海外の市場におけるさまざまな制約には十分な知識と理解が必要です。そうでなければ、味の素のようなトラブルに直面することになります。そして、私たち日本人のような多神教と言いますか、信仰に遠い生活を送っている民族は実は世界では少数派に属することも認識しなければならないでしょう。
イスラム社会は言うにおよばず、南アメリカやヨーロッパ南部のカトリック社会、ロシアやヨーロッパ東部のオーソドックス(ギリシア正教)社会、ヨーロッパ北部や北アメリカのようなプロテスタント社会と、世界のほとんどはアブラハムの宗教である一神教の世界であり、神が日常生活で重要な位置を占めていることに注意が必要なのです。

では、イスラム法とは何でしょうか。ここでアブラハムの宗教のおさらいをしますと、神は人間に生き方のルールを与えます。何が正しく、何が間違っているかは神が定め、神が与えるものなのです。ユダヤ教ではモーゼの十戒をはじめとする律法を神が与えました。キリスト教ではキリストを世に遣わすことでどう生きるべきかを神が伝えました。
同じようにイスラム教では、“コーラン(クルアーン)”という神の言葉が預言者モハメッド(ムハンマド)に与えられました。これが一番根源となる定めです。
しかし、人間が生きる上でのさまざまな出来事のすべてに対応できるように神の言葉は与えられていません。仮にそうであれば、実に莫大な量の書物になってしまうでしょう。従って、神の言葉は基本的で重要な事柄に限定されているようなものです。
このため、コーランに書いていないことにはそれを補完する定めが必要になります。
その第一が預言者モハメッド(ムハンマド)やそれに続く後継者の言葉や行いで、これを“スンナ”と言いますが、預言者のよき行いに見習うことで正しい信仰の道を歩もうとしていると言えます。
しかし、スンナだけでも現実社会のさまざまな出来事に対応するには不十分です。なにせ、今から千年以上も前のアラビアでの生活から生まれたものですので、現代生活にそのまま応用できるとはかぎりません。
そこで合意(イジュマー)と類推(キャース)という手法を用いて、コーランやスンナではカバーできない事柄へ対応しているのがイスラム法の全貌と言ってよいでしょう。
合意(イジュマー)とは、イスラム法を研究する法学者や地域共同体の指導者、例えばイランの最高指導者のハメイニ師も高位の法学者の一人ですが、こうした人たちが議論をし、結論を導くという行為が合意(イジュマー)なのです。私たちの世界で言えば、関係者による合意形成(コンセンサス)と同根と言えます。
類推(キャース)とは、コーランやスンナに残されている言葉や行いから目の前の事柄に対応する方法を論理的に導き出そうとするものです。私たちの世界で言えば、ロジカル・シンキング(論理的思考力)でシミュレーションするようなものです。
こうして見ますと、イスラム法もそんなに私たちの日常世界とかけ離れたものではなく、根源となる法(コーラン)、それを解釈した細則(スンナ)、法と細則から解決策を論理的に見出す(キャース)、さまざまな解決策の中から最適解で合意する(イジュマー)、というシステムを取っているのです。

しかし、イスラム社会と私たちの社会を大きく隔てるのは、こうしたイスラム法が日常の世俗法(私たちの社会では世俗法しかありません)より上位に来る場合がある、ということです。
その背景には、イスラム教がユダヤ教やキリスト教とは異なり、はじめから支配する側に立っていた、という歴史があります。ユダヤ教は古代ローマによる征服以降、現代イスラエルの建国まで支配する側にはなく、キリスト教もその勃興期においては弾圧される側にありましたし、そもそもユダヤ教の厳しい律法へのアンチテーゼとして成立したこともあり、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に(マタイによる福音書より)」というように世俗の支配権との切り分けをしております。このため、ユダヤ教やキリスト教では宗教法が世俗法より上位にあるという歴史が希薄なのです。
これに対して、イスラム教は預言者モハメッド(ムハンマド)の時代から周辺を征服し、またたくまに西はイベリア半島から東はパキスタンまでを支配するという、いわば世俗の権力と宗教の権威が同居する歴史を過ごしてきましたので、宗教法=世俗法という関係に長くあったのです。
こうした歴史的な経緯があって、イスラム社会においては、世俗法よりイスラム法がより強い権威を持つ、という場合があることにご理解をいただきたいと思います。
次回は、こうした世俗法と宗教法の相互関係を地域的に、歴史的に遡って、皆さんのイスラム社会に対する理解の一助になればと考えています。

C「経営者を知る⑤~経営者に会う~」

4回にわたって経営者について考えてきました。
今回は、経営者と会社の関係について、中小企業や小規模事業者の特徴を考えてみたいと思います。

中小企業や小規模事業者と大企業の大きな差は、経営者個人によるところが多いかどうかにあります。
会社が経営を進める際に使える資源を経営資源と言いますが、例えば技術力、設備機材、知的所有権(特許など)、資金力、人材、システム、あげればきりがありませんが、その中の一つに経営者も含まれます。
この経営資源に占める経営者の割合は、大企業よりも中小企業や小規模事業者で大きくなるということです。

既にお伝えいたしましたが、中小企業や小規模事業者は経営者の成長と歩を一にして成長します。
多くの場合では、経営判断は経営者の暗黙知となっていますので、経営者の力量次第ということになります。
経営判断のシステム化は、まだ着手していないか、あるいは作りはじめたところか、できてまもないか、そういう感じです。
こうなりますと、まさに経営者=会社と言って間違いありません。
基本的なシステム化が終わっている大企業とはまったく違う状況と言えるでしょう。

そうしますと、経営者を見極めることが中小企業や小規模事業者の未来を見極めることに他なりません。
皆さんが会社を選択する上で、もっとも重要な位置を占めるのが経営者個人、そうお考えいただいてかまいません。

皆さんは既に人間の能力を行動科学的に考えることができます(スキルと知識についてはこれからになりますが)。
経営者の社会的動機はどういった構成なのだろうか、それを制御する価値観はどういったものなのだろうか、経営者の行動から見て取れるコンピテンシーは何が強くて何が弱いのか、こうした分析ができるはずです。
また、ご自分の社会的動機や価値観も同じように分析できるでしょう。
そうしますと、経営者の力量と同時に経営者とご自分との相性も考えることができると思います。

どうせならば、相性はよい方がよいのです(相性が悪い場合の対処については後日お伝えいたします)。
相性とは価値観のずれの差のようなものですから、相性があわないとどうにも居心地が悪いということになります。

では、どのような手法で経営者を知ったらよいか、ということになりますが、基本的に経営者は人間としてのエネルギーが強い傾向にあります。エネルギーの強い人間は、自分でするか周りがするかの違いはあっても、必ず何かしらの記録を残すものです。こうした記録は必ずインターネット上に痕跡があります。それを丹念に追いかけると、その経営者の実像にかなり近づくことができると思います。
そして、経営者が地域的に皆さんの近くにいるとするならば、ここは意を決してお会いすることです。
皆さんが「あなたの会社について知りたい」「自分の未来をお預けしてよいかどうか決めたい」と経営者にきちんと目的を告げるならば、忙しい経営者であればあるほど、どうにかしてでも時間を作り、皆さんと会ってくれるでしょう。
「暇な人間ほど時間を作るのが下手で、忙しい人間ほど時間を上手に作る」、「有能な経営者であれば、人材の確保を何よりも優先する」、これは常に的を得た格言です。
あとは、皆さんに少しの勇気と自信があるかどうか、です。