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C第24話「思い込みがまねく失敗~エドセル~」

以前、4Pという切り口でマーケティングを考えてみました。
今回はアメリカを代表するフォード社でもこんな間違いをしてしまうのだ、という笑い話をお伝えし、お客さま目線の大切さを理解していただきたいと思います。

時代は1950年代後半、明るく豊かなアメリカ全盛時代。フォード社はアメリカを代表する自動車メーカー、GE(ゼネラルモーターズ)、クライスラーと並んでビッグスリーと呼ばれる大企業です。
そのフォード社の車種ラインナップに専門家から一つの提案がありました。「大衆車ブランドと高級車ブランドの間、中級車のブランドが欠けていますね。これを埋めるような新しい車を開発販売したら万全でしょう。」と。

これを深刻に受け止めたフォード社の経営陣は、さっそく社運をかけて新しい車「エドセル」の開発に取組みました。
当時としては斬新なトランスミッションやシートベルト、スイッチ式の操作パネルといった機能を盛り込み、当時としてはこれも奇抜なフロントグリルデザインを備え、車名は初代社長の息子で現社長の父親にあたるエドセル・フォードから「エドセル」と名付け、さらにテレビを使った大々的な広告キャンペーンを展開したのです。
フォード社としては、4Pの「Product=車」「Price=価格」「Place=販売網」「Promotion=キャンペーン」の全てを押さえたと信じていたでしょう。

しかし、この「エドセル」はまったく売れませんでした。3年間で売れたのはわずか10万台少々という惨状でした。これが今でも語り継がれている「マーケティング史上に残る最大の失敗の実例」です。

これだけの大失敗ですから、その原因は何度も調べられ、分析されてきました。
曰く、「奇抜なデザインが受け入れなかった」。
曰く、「時代に先駆けた機能が余分だった」。
曰く、「価格帯設定が中途半端だった」。

しかし、今日ではドラッカーの意見に集約されていると言えるでしょう。
「その失敗の第1原因は、消費者がそれまでのような階層構造毎に一定のパターンの車を購入するやり方を変えていたのに、相も変わらず古い消費傾向に基づいた(前年のリサーチ・データを基に)車を作っていたことにある。第2の原因は、顧客志向を表向きは謳いながらも、エドセルというネーミングそのものが、フォードを継ぐはずだった長男の名を冠した自己・自社中心の志向を反映していたこと。したがって、作り手中心のプッシュ志向であったことにある。」

要するに、買い手である消費者の視点はまるで欠けていたのです。
これでは売れませんね。実際、消費者はアメリカ経済の発展を実感し、背伸びして高級車を買うか、今までの大衆車で我慢するかのいずれかを選んだと言われています。
ちなみにドラッカーはこの実例から(階層構造毎に一定のパターンの車を購入するやり方が変わった)、消費者動向の変化を読み取る中からビジネス・チャンスは生まれると説いています。

同じような失敗はついこの前も起こりました。これも自動車で、インドのタタ・モーターズが売り出した超低価格者「ナノ」です。
10万ルピー(約28万円)という価格帯は衝撃的で自動車を求めるインドの大衆に歓迎されるだろうと思われていましたが、これもまったく売れませんでした。
車は豊かさの象徴なのに、ナノ=安物と受けとめられたのが最大の原因とされています。

いずれのケースも作り手の独断が原因となり、消費者が本当に求めるものを見失ったと言えます。
いかがでしょうか、思い込みは往々にして失敗を招きかねません。その意味では、現実を多様な観点から分析することの重要さがおわかりいただけるのではないでしょうか。

F第23話「自分自身をマネージメントする」

マネージメントという概念は20世紀初頭、科学的管理法を提唱して「経営学の父」と呼ばれたフレデリック・テイラーがそのはじまりとされ、また「管理原則の父」と呼ばれたアンリ・ファヨールにより学問として成立したもので、ドラッカーが経営理論として体系づけて提案したものです。今ではごく普通に使われますが、目標を効果的に達成するための問題解決活動と考えてよいでしょう。

私たちも目標を達成することを生きる上での大きなテーマとしています。ですから、私たちにとってもマネージメントは重要な考え方です。
その意味では、私たちも自分自身の目標を効果的に達成するために自分自身をマネージメントしている、いやマネージメントしなければいけないと言えるでしょう。

しかし、多くの場合、人間は自分自身をマネージメントできている訳ではなく、時としては他人の手にそれを委ね、あるいはマネージメント自体を放棄していることもよくある話です。
筆者もそうですが、自分がどうなるべきかもわからず、世の中の流れに漂っていたり、あるいはただただ本能的にエネルギーを放散している時期も少なくないのです。
そうした成長段階の議論はさておくとして、ここでは自分自身をマネージメントする際に何が重要か、という問題を考えてみたいと思います。

その第一は仕事です。
自分自身が向き合っている仕事を管理し、目標を達成することは当たり前に要求されます。
ドラッカーは皮肉交じりに「仕事においては自分を自分で面倒みなさい。他人をあてにせずに、自分のいる場所で期待されていることをよく承知して遂行しなさい。」と言っています。

第二は知識です。
仕事を管理し、目標を達成するためには、それに使う知識が欠かせません。この知識をどのように習得するのか、それを自分で考え、自分で実行するという意味で、知識もマネージメントの対象となります。
例えば、筆者の知り合いの経営コンサルタントの方は、必ず年に1回は渡米し、自分の専門分野の学会に参加して、最新の情報に触れるように習慣づけています。

第三は関係です。
仕事にせよ知識にせよ、他者との関わりが常に求められます。「朱に交われば赤くなる」という諺は常に真実の友です。皆さんが誰と付き合うのか、誰と情報や感情を共有するのか、誰に教えを乞うのか、誰とネットワークを築くのか、そうした関係をマネージメントできなければ、仕事や知識をマネージメントすることは難しいでしょう。

第四は時間です。
あらゆる資源の中でもっとも平等に与えられているものは時間です。経営者であろうと、従業員であろうと、政治家であろうと、失業者であろうと、与えられる時間は年に365日、日に24時間しかありません。計算すれば年間8,760時間しか私たちは利用できないのです。
この誰にでも平等で、かつ限られた時間をどう使うのか、ここに目標を達成できるかどうかの鍵があります。
ドラッカーは「成果を上げる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。まず、何に時間がとられているかを知ることからスタートする。次に、時間を奪おうとする非生産的な要求を退ける。そして、得られた自由な時間を大きくまとめる。」と言っています。
皆さんも自分がどういう具合に時間を使っているのかを把握し、その中から必要な量の時間をまとめないといけません。ぜひ、大学受験の際に自分がどう時間を使っていたのかを思い出していただきたいのです。

このように、仕事、知識、関係、そして時間という観点で自分自身をマネージメントできるようになれば、皆さんの目標達成率は驚くほど改善されるでしょう。
それを日本では昔から「自分を律する」と表現してきました。
自分自身をマネージメントする=自分を律する、真実は洋の東西を問わないのです。

C第22話「ビジョンを共有する」

先週お伝えしたように目標を掲げることは、企業であれ職場であれ個人であれ、とても重要です。「目標なければ成長なし」と言ってもよいでしょう。
目標はビジョンと言い換えてもよいですが、重要なポイントは、「自信」のところでも紹介しましたが、次のようなものです。
「最初に、仕事でも家庭のことでもかまわないから、現実的な目標を立てる。この目標は達成可能なハードルの低いものにしておくこと。最初に期待を膨らませすぎてはいけない。
その目標を達成すると、いい気分になる。そうなるはずだ。
次に、もう少しだけ大きな目標を立てる。少し大胆で、ちょっと努力が必要なくらいがベストだ。その目標を達成するともっといい気分になる。こうした具合に、ゆっくりと、しかし着実に前進し、一歩ずつ自信を築いていく。(ジャック・ウェルチ「私なら、こうする!」より)」
いかがでしょうか、簡単にできるレベルではなく、極めて困難なレベルでもなく、頑張ればクリアできそうなレベルに目標を置く、ということです。

もう一つのポイントは、その目標が本質的なものかどうか、ということです。というのは、目標はどんどんステップアップしてゆきますが、そのように変化する目標にはどこかしら芯柱(しんばしら)が立っていなければ信頼感は生まれません。
ドラッカーがよく使う表現にインテグリティ(integrity)という言い方があります。首尾一貫としていること、表裏がないこと、矛盾がないこと、誠実であるとともに強固な倫理原則を維持できている状態、となかなか適当な日本語はありませんが、佐久間陽一郎さんは尊厳性とも言っています。
要するに、ふらふらしていないで、きちんと自分と向き合って、周りからの期待を受け止めて、なおかつ成果を出す、というような感じでしょうか。
このインテグリティが目標にも貫かれていると、それを見た人たちは安心し、信頼することになります。
例えば、小僧寿司が持ち帰り寿司に苦戦する中で、宅配ピザに手を出したり、宅配どんぶりに手を出したり、全商品1円値引きをしてみたり、はたまた社内外を問わずに経営方針に関する意見募集したりするのが、インテグリティとは正反対の状態だと思ってください。日本語ではこういう状態を「迷走」と表現します。

さて、こうして頑張ればクリアできそうなレベルに目標を置き、かつその目標は本質的でぶれていないものであったとして、それで十分か、というのがこのコラムでお伝えしたいことです。

そうした目標が上からの押し付けと受け止められれば、その効果は限定的なものになるでしょう。
ここが最大のポイントで、ビジョン(目標)は関係者(ステークホルダー)に共有されなければ意味がない、のです。

では、どうしてビジョンは共有されるのか、です。
第一にビジョンを考える際に関係者がそれに参加する仕組みがあると、共有はかなり容易になります。
第二にビジョンはそれがどうして必要なのかを関係者にきちんと伝える仕組みがあると、共有の可能性は高まります。
第三にビジョンがもたらす未来の価値を関係者に伝える仕組みがあると、共有へ近づくことができるでしょう。

このように、参加、背景への理解、未来価値の認識、という三つの観点でビジョンを考えていただければ、上からの単なる押し付けやノルマではないあり方が見えてくるのではないでしょうか。

筆者が経験した最悪のビジョンは、第一にそれは常に経営者から降りてくるご託宣のようなもので、従業員は黙々と従うのみ、第二にそういう目標がなぜ必要なのかはまったくわからず、第三にそれを達成して従業員の得られるものがはっきりしない、というものでした。
これはモチベーションという意味では最低です。結果してその企業では社員の早期退職が収まる気配もなく、常に求人を続け、年々企業の人的体力が落ち続ける、というありさまでした。
こうならないためには、ビジョンの共有と、それによる企業や組織や個人の成長が欠かせないのです。

C第21話「4Pで考えるマーケティング」

中小企業に限らず、企業活動で重要なことは「ものやサービスをどう売るか」です。どんなに優れたものやサービスであっても、売れなければ何の意味もありません。そういう事例は世の中ではいくらでも起こっています。

この難問を解く鍵の一つが「マーケティング・ミックス(marketing mix)」です。市場(お客さま)から行動につながる反応を引き出すために、どういったツールを組み合わせて市場へ働きかけるか、という考え方です。
それにはいくつかのアプローチがありますが、今回は4Pという考え方で整理してみたいと思います。皆さんも「優れた(と自分が考えている)ものやサービスがお客さまに受け入れられない」という局面に立った際に、ぜひ参考にしてみてください。

第一のPはProduct(製品)、言うまでもなく提供しようとするものやサービス、それ自体が優れたものであるかどうか、です。
第二のPはPrice(価格)、いくら優れていても高すぎては二の足を踏んでしまいます。
第三のPはPlace(流通)、ものやサービスをどうやって提供するのか、です。どういう
チャネル(流通経路)にそれを乗せるのか、どこでそれを売るのか、お客さまはどうやってそれを手に入れるのか、そういった問題が含まれます。
第四のPはPromotion(プロモーション)、提供しようとするものやサービスの存在をどうやってお客さまに伝えるのか、です。

プロジェクト・セールスでよく言われるように、ものやサービスのもたらす効果が必要な対価(コスト)を上回ればお客さまが行動を起こす可能性は高くなります。しかし、そうした効果は購入してから生まれるものですから、どういった効果が生まれるのかをお客さまにきちんと伝える、あるいはお客さまに想像していただかなければならない訳です。
この辺を実現するためには、どうしても上の4つのPを組み合わせなければいけません。
Productそのものが効果を生まないものであれば意味はありません。その際に注意すべきは、お客さまの求めている効果でなければならないことで、「優れた(と自分が考えている)ものやサービスがお客さまに受け入れられない」という陥穽は多くの場合、お客さまが求めていない効果を生むケースです。
Priceが高価過ぎてはこれも意味はありません。例えば、タバコが一箱1万円になったら誰が買うだろうか、ということです。ごく一部のニコチン中毒気味の愛煙家は買うかもしれませんが、市場はごくごく小さいものに萎んでしまうでしょう。
Placeが面倒過ぎても意味はありません。京都あたりではままあることですが、どこにも看板が出ていない、宣伝もしていない、そうした隠れた名店というのがあって、一見さんはまず辿りつかないのです。これなどはもともとお客さまを増やす考えがありませんから、昔からその店を知っているお客さまやそうしたお客さまの紹介だけでよい、というケースで一般的には参考になりません(嗜好品の場合は買いにくいことが付加価値につながるケースがありますので注意が必要です)。
Promotionがゼロでは、そもそも存在そのものを知っていただけないことになります。上記の京都のお店では、それを「限られた口コミ」で対応していることになります。

この4つのPを組み合わせて考えることが、「優れた(と自分が考えている)ものやサービスがお客さまに受け入れられない」という罠に陥らない一つの方法だとお考えいただければよろしいでしょう。

それでは、一つ実際の事例で4Pを考えてみたいと思います。
それは、先月お伝えした「小僧寿司」の事例で、「小僧寿司」が主戦場としている持ち帰り寿司という市場です。
かつて、持ち帰り寿司というサービスは極めて斬新でした。家庭で握り寿司を気軽に味わえるというビジネスモデルはお客さまに大いに受けたのです。
しかし、4Pという観点で見ますと、近年、持ち帰り寿司というサービスは急激に競争力を失ったことがわかります。
持ち帰り寿司のコンペティター(競争相手)は、同じ寿司業界の中にも生まれてきました。その一つが回転寿司であり、もう一つが宅配寿司です。
回転寿司は1990年代に普及し、持ち帰り寿司全盛期の1980年代と比べれば後発です。しかし、この後発者は味と価格、そしてメニューの三点で急激な成長を遂げました。美味しく、安く、そして品数が豊富になったのです。その結果、「Product=味やメニュー」「Price=価格」において回転寿司は持ち帰り寿司より優位に立ち、「Place=お客さまにどう届けるか」や「Promotion=お客さまの認知度」についても遜色がなくなったのです。こうなりますと、回転寿司が持ち帰り寿司の市場を蚕食するのは当然です。
宅配寿司は銀のさら、大黒屋、寿司ざんまいと目白押し、持ち帰り寿司を自宅まで持ち帰るのはけっこう面倒、というお客さまには重宝されています。その結果、「Place=お客さまにどう届けるか」では宅配寿司は持ち帰り寿司より圧倒的に優位に立ち、今や「Product=味やメニュー」「Price=価格」や「Promotion=お客さまの認知度」についても遜色がなくなったのです。持ち帰り寿司は回転寿司に続いて、宅配寿司にも市場を蚕食されることになりました。

このように整理しますと、「小僧寿司」が今考えなければならないことは、持ち帰り寿司というビジネスモデルに固執するならば、「Product=味やメニュー」「Price=価格」「Place=お客さまにどう届けるか」「Promotion=お客さまの認知度」のどこかしらで回転寿司や宅配寿司に勝つ必要があります。また、持ち帰り寿司というビジネスモデルに固執しないのであれば、これまで培ったノウハウや顧客情報をもとに新しい市場を開拓しなければいけません。

いかがでしょうか、「小僧寿司」という現実のケースで考えますと4Pの理解はしやすかったのではないでしょうか。
そして、この4Pという考え方を活用して、「優れた(と自分が考えている)ものやサービスがお客さまに受け入れられない」という陥穽から抜け出していただければ幸いです。

F第20話「目標を掲げる」

人間は生きているかぎり成長する生き物です。というと、「背は大人になると伸びないよね」という意見があるでしょう。そうではなく、ここでの成長は「精神的な」という意味です。
このことを「おとなが育つ条件~発達心理学から考える(東京女子大学名誉教授柏木惠子著、岩波新書)」では、「『自分とは何者か』『私はどう生きるか』というアイデンティティは、おとなにとって重要な発達課題であり、『どんな自分になりたいか』という自己認識がおとなの成長・発達を左右する。」と主張しています。
脳科学では人間の大脳は3歳までに80%完成すると言われています。実際、中高年になると脳の機能が後退するというのは事実で、学習力や短い時間の記憶力低下が認められています。
しかし、脳の知性をつかさどる部分は高齢になっても成長し続けていることがわかりました。神経科学者の研究によると中高年の脳は実際に起こった事例からある種の法則を見出す帰納推理力や、信頼性や状況を見極める判断力が若者と比較して向上しているというのです(ニューヨークタイムズの医療科学部門編集長であるバーバラ・ストラウフの意見)。
ま、脳の話は専門家にお任せするとしても、私たちがかなりの年齢になるまで精神的に成長することは事実のようです。

では、具体的にどうしたら精神的な成長を実現できるのか、これが問題です。
一般的には、先の柏木教授の著作で取り上げられているように、「どうなりたいのか」というテーマと言いますか、ビジョンと言いますか、そうした目標を掲げることが重要だとされています。
振り返ってみて欲しいのですが、皆さんが大学受験を間近に控えた高校時代、明確に目標を掲げて受験勉強していたはずです。〇〇大学に入学する、あるいは偏差値を〇〇まで上げる、あるいはセンター試験で〇〇点を取る、というようにです。
そうした目標でもなければ、あの無味乾燥な受験勉強に耐えるのはかなり難しいでしょう。
これとまったく同じで、皆さんが社会人になったのは単なる通過点で会って、それがゴールではありません。社会人になって、その後、自分はどんな人間になりたいのか、それを目標に掲げることがとても重要だと思うのです。

しかし、目標を掲げるだけで目標が達成できる訳でもありません。
目標を達成するためには、それに向けた努力を積み重ねないといけませんが、これが難しい。ともすれば、日々の忙しさにかまけて、目標を見失い、あるいは目標を置き忘れてしまうことが多いものです。
では、どうするか、です。

よく職場で目にするのが、スローガンや計画値を貼り出している風景です。皆さんも「〇〇を達成しよう」みたいな貼り紙を目にしませんか。
現代中国では、いたるところに目指すべき行動指標が貼り出されています。「一に規律、二に文化、三に環境」とか「ごみを捨てるな、道徳観を大切に」という感じですね。
また、筆者のよく知る経営者は、毎年自分の会社が来年どうなっていたいのかを数字で示し、それを紙に書いてオフィスの目立つところに一年間貼っています。

こうした行為をどことなく恥ずかしいとか、格好悪いとか、意味あるのとか、否定する感覚を私たちは持ってしまいがちです。
しかし、こうした行為は大昔から続けられて今に至っています。それはどうしてでしょうか。ごく簡単な話で効果があるからです。

脳科学ではこういう事例が知られています。
大脳の中に海馬(Hippocampus、かいば)という部位がありまして、目や耳からの情報は大脳新皮質で分析されたあと、海馬を一周した後、再び大脳新皮質に送り返されます。記憶が作られるには、特定の海馬の神経細胞同士の間のつながりが強くなって回路ができる必要があるそうです。しかし、これが永久に続く回路になってしまっては、次々脳に入ってくる新しい情報を記憶していくことはできません。そこで、海馬の神経細胞には、情報が入ってくるとすぐに記憶し、しばらくたてば忘れてしまうような、都合のいい仕組みがあります。同時に海馬の神経細胞には、何度も何度も繰り返し電流が流れると、その回路に電気が流れやすくするLTP(long-term potentiation、長期増強)という特殊な現象を起こす性質があって、現在ではこのLTPこそが、私たちの多様な記憶を作る基本原理の一つだと考えられています。
要するに、何度も何度も繰り返し情報が送られると、それは海馬で記憶になってゆくのです。ちなみに、アルツハイマー病(認知機能低下)ではこの海馬が最初に駄目になるそうです。

そう考えますと、目標を目につくように貼り出すという行為は、視覚を通じて、何度も何度も目標を海馬に送り届け、海馬によって「記憶」として保存されることになります。
目標が「記憶」として保存されれば、簡単に忘れたり、見失ったりすることは避けられそうです。
いかがでしょうか、皆さんも自分自身の成長のために、まずは目標を立てる、目標を立てたらそれを書きだして目立つところに貼り出す、この単純な行為で目標が達成される確率が高まるのだとすれば、これはありがたい話ではないでしょうか。

F第19話「ものは簡潔に書く」

仕事柄、よく他人の書いた文章(原稿)を拝見する機会に恵まれています。自分の文章はどうなのかと問われますと、さほどの自信がある訳ではないのですが、筆者から見て読みにくい文章に出会うことがよくあります。
また、「どうしたらわかりやすい文章を書けるのでしょうか」と聞かれる機会も少なくありません。
これは、要するに“ライティング・スキル”の話をされているのでしょう。

ここでお伝えするのは、あくまでもビジネスにおける文章の話でありまして、決して小説を書くとか、詩を書くとか、恋文を書くとか、そういう芸術的、あるいは私的な話ではありません。
従って、重要なことは書いた内容が相手にきちんと誤解なく再現できるように伝わるかどうか、という問題になります。

さて、ビジネス文章が備えている要素はなんでしょうか。
まず、第一にビジネス文章には読み手がいるということです。自分勝手なもの、あるいはまったく私的なもので、特に言語化しなくても意味や感情が通じ合う環境とは明らかに異なり、あくまでも他人が読むということです。
第二に読み手が受け入れるものでなければなりません。いくら立派な内容でも、読み手が拒絶するようなものであっては意味がないのです。
第三に読み手を行動へ導くものであることです。単に理解させるだけでは意味がなく、その文章が伝える内容によって、読み手が何かしらの行動に移らなければ、それは小説や詩と同じで鑑賞の対象でしかありません。

そう考えますと、だんだんと必要な作業が見えてきたのではないでしょうか。
その一つは、伝えたいことが明確かどうか、です。皆さんに伝えたいことがなければ、あるいは伝えたいことがあやふやであれば、ビジネス文章を書く意味がありません。
次の一つは、伝えたいことが論理的に組み立てられているかどうか、です。伝えたいことには、その背景があり、背景から導かれる理由があり、それを裏付ける証拠やデータが必要です。そうした伝えたいことを構成する要素が順序立てて整理されていることが求められます。よく言われる5W1H、Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(なぜ)How(どのように)が明確であることがその前提になります。
もう一つは、曖昧な表現を避けることです。これは、官僚が多用する言い回しをできるだけ使わないことです。官僚は多くの場合、責任を問われ、失敗することを極度に恐れます。このため、曖昧な表現を使うことで、責任の所在をあやふやにし、行動する内容をぼかすのです。例えば、前向きに、慎重に、検討する、調整する、見直す、図る、確立する、といった言い回しは極めて曖昧です。そうではなく、主語をテーマとし、述語を具体的な行動のYes/Noにすると実にわかりやすくなります。
最後の一つは、文章をできるだけ短くすることです。長い文章は必ず誤解を産みます。人間はさほど多くを記憶できません。従って、長い文章を読むと、前の部分を適当に理解してしまうケースが多いのです。そこでは、主語の取り違えや述語の錯覚などがよく発生します。皆さんもご存じの伝言ゲーム(何人も他人伝えに情報がつながると、最初の内容とまったく異なる内容にすり替わってしまう)が文章を読んでいるうちに起こってしまうのです。

このように、伝えたいことの明確化、論理的な構成、曖昧な言い回しの回避、短い文章という四点を押さえると、はなはだ文章はわかりやすくなります。

では、その練習はどうしたらよいか、です。
いくら頭で理解しても、筆がそう進まなければ意味がありません。
具体的には、以上の四点を頭に入れて、これまで自分の書かれた文章を読みなおすことです。それで皆さんのビジネス文章の欠点が明らかになります。
欠点が明らかになったら、あとは数をたくさん書くことです。その際、以上の四点と自分の欠点を考慮するのは言うまでもありません。
最後は、書いた文章を誰かに読んでもらい、評価を受けることです。

筆者の敬愛する郷土史家の先生がおられました。もう十年以上前にお亡くなりになられましたが、この先生の書く郷土史の論文は実にわかりやすいのです。
そこで、先生にそのコツをお聞きしました。
先生曰く、第一に俳句を学んでおり、できるだけ簡潔に表現することを心がけている。
第二に必ず原稿は奥さま(郷土史のずぶの素人)に読んでいただき、理解できたかどうかを確認している。
この二点を教わったものです。
まったく、ビジネス文章を書く要点と同じです。

さて、ここからは余談になりますが、どうしたら「うまい」文章を書けるか、です。
これはビジネス文章の必要条件には含まれません。別に「うまい」かどうかは問われないからです。とはいえ、「うまい」文章の方が読み手を動かすことが多いことも事実です。ですので、できるならば「うまい」文章を書きたいと思っても不思議はありません。
この結論は実に簡単です。
それは皆さんが今日まで読んだ本の量に左右される、ということです。
読んだ本の量が多ければ、様々な言い回し、言葉遣い、熟語、格言、諺、故事などを知ることになり、それを使いこなすことも見えてきます。しかし、そもそもそういった知識がなければ、使いこなすことはできません。
従って、今さら急に「うまい」文章を書くことは不可能であり、それを望むのであれば、そもそもの読書量を増やす地道な作業を積み重ね、数年後にはじめてそれに近づける、ということでしかないのです。
そうしますと、「うまい」文章を書こうなどと欲をかかず、簡潔で、わかりやすく、読み手に行動を促すような文章を書くことでよしとした方がよろしいでしょう。

F第18話「信頼」

「自信」の話を前回差し上げました。同じように若い人からこういう言葉をよくお聞きします。「職場で信頼されていないので、重要な仕事を任せてもらえない」ということです。なかなか若い人は難しいもので、やったことのない仕事に挑戦するのも気後れするが、かといってつまらない仕事ばかりでは満足できない、のかもしれません。

では、どうしたら「信頼」を得ることができるのでしょうか。
自分のまわりから「信頼」を得るための能力は、おそらく一般的には「チームワーク(他のメンバーを理解し、組織の円滑な運営を促進するよう行動する)」というコンピテンシーと、「組織感覚力(組織の基準・ニーズ・目標を理解し、それを促進するために行動する)」というコンピテンシーに、「達成指向性(高い目標を設定し、目標に執着してそれを超えることや、そのために計算されたリスクをとる)」というコンピテンシーが加わったものと言えます。
そう考えますと、自分の所属する組織の目指している方向を認識し、それが実現されるように他のメンバーとともに努めることが重要になります。

もう少し具体的に考える材料として、一つのブログを紹介しましょう。これは、西山茂行さんという経営者が長年続けているもので、世の中では西山さんが著名な二代目馬主なので競馬ファンによく知られていますが、その一方、西山産業という企業のオーナー経営者が従業員に対するメッセージを掲載しているのです。そういう意味では、世の中の多くの中小企業経営者と同じ立場で、経営者が従業員に何を期待しているのかを生々しく知ることができる貴重なブログで、筆者はビジネスを考える際によく参考にさせていただいています。
その西山さんは7月8日に、次のようなメッセージを書き込んでいます(西山牧場オーナーの(笑)気分、http://ameblo.jp/nybokujo/より)。
「自分が任されている仕事をしている時に雑用を頼まれたとき、どっちを優先するか?
サラリーマンのセンスが出ます。
雑用を嫌な顔せずに、サッとこなせる社員に次の雑用が行き、そして大事な、大きい仕事が回っていきます。
雑用を頼まれて『俺はこんな雑用をするために、入社したんではない。もっと大きい仕事がしたいんだ。』
こんな社員に、大事な仕事を任せることはありません。
以前にも書きましたが東大生に『高校時代、どんな勉強をしましたか?』
みんな声を揃えて『ふだん授業でやる小テストを大事にしてきました。』
いきなり、模擬試験や入試ばかりを狙ってもうまく行きませんね。
これを読んだうちの社員へ。
いい仕事をしたかったら掃除や買い物など小さな雑用を大切に。
サラリーマンに雑用は本業です。
雑用を笑顔でたくさんこなした社員にいい仕事が回り、給料が上がり、賞与も上がり、昇格します。賞与の中身を吟味してください。」

いかがでしょうか。
前回、「自信」のところでも申し上げましたが、日々の小さな積み重ねの上にはじめて変化が訪れるものであって、特効薬のように何かが効いて変わることができる、というものではないのです。
ですので、「信頼」を勝ち得るためには、何か特別の、ドラスティックな、小説にでも出てくるような、衝撃的な成果を上げることが必要なのではありません。
職場があなたに何を求めているのか、職場はどこへ進んで行こうとしているのか、それに職場のメンバーはどう対応しようとしているのか、それらを冷静に見つめる中から、自分にできること、自分に求められていることを一つ一つ達成するという、いかにも地味で日常的な努力を積み上げることが一番大切だ、という事実に気付いていただきたいのです。

ちょうど、プロ入りして一軍に上がったばかりのルーキーが代打で肩に力が入り過ぎ、とんでもないボール球を大振りして三振、これでは二軍へ舞い戻るしかありません。
守備力が買われたのか、走力が買われたのか、選球眼が買われたのか、監督やコーチの期待を的確に掴んで、なおかつ緊張せずに、力み返り過ぎずに、普段通りに自分の能力を発揮する、こうでなければ一軍に定着することは望めないのです。

皆さんもついつい肩に力が入り過ぎていないですか。できそうもないことに大振りしていませんか。
重要なことは「継続」です。自分の能力を普段通りに出し続けること、自分に求められていることを日々積み重ねること、そこに皆さんが大きな「信頼」を勝ち得る一歩があるのです。

F第17話「自信」

私ごとですが、今年は二回、ビジネススキル・トレーニングを開催しました。皆さんが既にご承知のスキルやコンピテンシーを伸ばすためのものです。
そうしますと、受講者は圧倒的に若い方になります。だいたい、20歳代から30歳代まで、ですから自分と比較しますと20歳以上の年下、なかなか話題があわないときもあります。
とあれ、そうした若い方からよく聞くのが「自信がないんです」とか「自分にできるでしょうか」とか、何となく不安げな言葉です。
若いのですから当然経験値は高くありません。さまざまなケースに出会ったこともありません。難題を自分で解決したことも少ないでしょう。若いのに経験値が高く、多様なケースを知り、自分の力で難題を解決した過去があるとすれば、いったい年寄りは何にアドバンテージを求めればよいのでしょうか。ですので、若い方からこうした言葉が出てくるのは当然とも言えます。

さて、ビジネススキルでは「自信」も一つのコンピテンシーとして考えています。コンピテンシーとは「成果を出すために安定して発揮される行動特性(行動の癖)」と定義しますが、詳しくは昨年6月に掲載した第46話「コンピテンシー」から第49話「コンピテンシーを伸ばす」をご覧ください。
そういった行動特性の一つに「自信」が位置付けられ、具体的には「リスクの高い仕事に挑戦する、あるいは権力のあるひとに立ち向かう」という行動で現わされます。
そうですね、若い人にとって多くの仕事はいまだ経験したことのない仕事ですから、どうしてもリスクが高く見えがちです。そうした仕事に挑戦するには、この「自信」が欠かせないものです。

ビジネススキルは、その存在を意識して、それを伸ばすための行動をすることによって向上します。その意味では、「自信」も向上させることが可能な能力の一つです。では、どうしたら「自信」を向上させることができるのか、です。

ここで一つ考えていただきたいのは、突然人間が変わることはない、という事実です。何か特別のことをすれば人間は変わる、と信じる方も多いかもしれません。しかし、大変残念なことですが、人間に限らず生き物全般に言えることは、経路依存症の影響力は極めて大きく、過去に縛られて現在があり、現在に縛られて未来がある、という現実です。従って、それを断ち切ろうとして人間はさまざまな努力をしますが、それが特効薬のように効いて変わることができる、というものではないのです。

事実はまったく小説的なものではなく、日々の小さな積み重ねの上にはじめて変化が訪れる、ということであり、その変化ははっきりと目に見えるほど目覚ましいものではなく、変化はかなりの時間が経過してはじめて明瞭に現われる、ということなのです。
これを大リーグで活躍した長谷川滋利投手はアジャストメント(adjustment、調整すること、適応すること)という表現で説明しています。彼は、伊良部投手や野茂投手のように日本人離れした身体能力があった訳ではなく、日々の努力を積み重ねて、9年間も大リーグで活躍した希有な人材です。
その彼が言うアジャストメントとは、自分に足りない部分を冷静に見つめる力、それを改善するための具体的な処方箋を考える力、さらにそれを続ける実行力を指しています(「適者生存―長谷川滋利メジャーリーグへの挑戦 1997‐2000」より)。そこにはドラスティックな出来事もなければ、小説にあるような特別な自己変化もありません。まったくもってビジネススキル・トレーニングが教えるような、PDCAサイクル(Plan:計画→ Do:実行→ Check:評価→ Act:改善の4段階を繰り返す手法)です。

これとまったく同じようなことをジャック・ウェルチも言っています(「私なら、こうする!」より)。
「最初に、仕事でも家庭のことでもかまわないから、現実的な目標を立てる。この目標は達成可能なハードルの低いものにしておくこと。最初に期待を膨らませすぎてはいけない。
その目標を達成すると、いい気分になる。そうなるはずだ。
次に、もう少しだけ大きな目標を立てる。少し大胆で、ちょっと努力が必要なくらいがベストだ。その目標を達成するともっといい気分になる。こうした具合に、ゆっくりと、しかし着実に前進し、一歩ずつ自信を築いていく。」

いかがでしょうか、皆さんはどうしたら「自信」を身に付けることができるのか、そのヒントが長谷川滋利やジャック・ウェルチから得られるのではないでしょうか。
そうです、「自信」は新たな課題に挑戦する行動からしか生まれないのです。ただし、新たな課題は自分の身の丈よりほんの少し上に設定しましょう。それよりも低ければ、あまりにも簡単に達成できてしまい、能力を向上させる必要が生じませんし、それよりも高ければ、達成できない喪失感だけが残りかねません。あくまでも努力すれば達成できそうなもの、であることが重要なのです。
それでは、そうした経過を踏まずに生じる「自信」、天性の「自信」はありえないのでしょうか。それはごく稀に天才には備わっていますが、多くの凡人の場合には単なる「過信」や「思い上がり」で終わってしまいがちなものです。