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F番外編「自分を信じましょう」

日々書くことの蓄積が今回で304回目のコラムとなりました。
まあ、よくくだらないものを延々と書いたものだ、と皆さんには笑われるかもしれません。しかし、書いている本人は極めて真面目に書いてきました。
どう表現したらよいでしょうか、まるで自分の脳味噌に入っているものを根こそぎ吐き出しているような作業です。ですので大変辛い、でありながらどこかしら一種の爽快感を味わう作業でもありました。

さて、最後にお伝えするのは、ぜひご自分を信じていただきたいということです。
人間の可能性は無限です。もちろん、天才にはなれないでしょう。しかし、凡人として与えられた範囲で言えば、まさに人間の可能性は無限です。そして、それを伸ばすも伸ばさないも要は自分自身なのです。

そうした人間の可能性を誰が信じてくれるでしょうか。ごく恵まれた人は親御さんが信じてくれるかもしれません。さらに恵まれた人は師(先生)が信じてくれるかもしれません。さらにさらに恵まれた人は友が信じてくれるかもしれません。
しかし、ほとんどの人はそういった幸運には恵まれません。
唯一、それを信じてくれるのは自分自身なのです。
自分自身が自分を信じ、愛さなければ、いったい誰が自分を信じ、愛してくれるでしょうか。
ですから、皆さんもぜひご自分を信じ、ご自分を愛してください。
それが、皆さんが皆さんに与えられている無限の可能性を伸ばすエネルギーなのです。

もちろん、皆さんの中には不遇な人もおられるでしょう。
何と自分は恵まれていないことか、と空を仰ぐ人もおられるでしょう。
しかし、禍福はあざなえる縄の如し、です。
世の中、良いこともあれば悪いこともあります。
とはいえ、朝の来ない夜は無く、春を迎えない冬も無いのです。

筆者がこよなく愛する宮城谷昌光さんの言葉をお借りしましょう。
「大業を成す者は、かならずといってよいほど、耐えがたきことを耐えている。忍耐は人格を涵養(かんよう)するといってよい。」~管仲より~
仮に不遇だ、恵まれていないと思う方がおられるならば、それはあなたのこれからを明るくするためのいっときの闇だと考えていただきたいのです。

確かに就活は大変です。希望どおりに進路が決まる人は恵まれているとしても、そうではない方もたくさん産まれてしまいます。
だからといって、それで人生がすべて決まる訳でも無いのです。
常に自分の心に希望の灯りをともし、一歩一歩と前に進めば、道は開けると信じましょう。

それでは、読者の皆さんの実り多い旅路を願い、筆者もしばしのお別れを告げましょう。また、いつの日かお会いできることを祈りつつ。

F番外編「能力を伸ばしましょう」

ビジョンを持ちましょう、というのが前回のメッセージです。
しかし、ビジョンは放っておいても実現されません。他の人が皆さんに代わって汗をかいてくれることはありえないのです。
従って、ビジョンを実現させるのは皆さん自身でしかありません。

では、どうしたらビジョンは実現できるかです。あるいは、どうしたらビジョンに近づけるかです。
それには、自分自身の能力を伸ばすしかありません。
自分自身の価値は、どうあがいても自分自身の能力に比例するものです。
そう考えますと、ここは辛くても能力を伸ばすしか方法はないのです(私たちには天から与えられた才能=天才はほとんど無縁なのですから)。

では、どうしたら能力を伸ばせるかです。
それは意識して行動することです。意識しない行動では負荷がかかりません。負荷がかからないかぎり能力は伸びないのです。ちょうど、アスリートがトレーニングで体に負荷をかけるように、私たちも意識した行動で精神に負荷をかけて、はじめて能力を伸ばせるのです。
しかし、意識すると言っても、何を意識したらよいかということになります。
その際は、このコラムでお伝えしたように、知識(第76話、第77話)、スキル(第78話~第112話)、コンピテンシー(第46話~第49話)、動機(第17話~第19話)で、伸ばすべき能力の概要を知ることです。
知らないものを意識することはできません。
ですので、まずは能力とはどういったものかを知る。そして、知ったものを意識する。意識できたらそれを行動へ移す。そういった繰り返しを続ける以外に方法は無いとお考えください。

幸いなことに、能力の概要を知れば、それを深めるために役立つ書籍は世の中に数多く存在します。また、能力を伸ばすためのトレーニングも(有料であればなおさら)、世の中にたくさん開催されています。
そうして書籍を読み、トレーニングに参加し、能力への理解を深め、そうした理解のもとに意識して日常の行動で実践する。
意識して行動すれば必ず何かしらの結果が産まれます。その結果を自分で検証し、何がまずかったかを認識できれば、次の行動はさらに洗練されたものとなるでしょう。
よくビジネスで教えるPDCAサイクル(Plan:計画→ Do:実行→ Check:評価→ Act:改善)を自分自身のトレーニングにも活かしていただければよろしいのです。

最後に、言い古された諺(ことわざ)をお伝えしましょう。
「ローマは一日にしてならず」です。
生きているかぎり、残念なことに特効薬はありません。急によくなることは稀なこと。それよりも日々の努力を積み重ねることが結果につながるとご記憶いただければ幸いです。

F番外編「ビジョンを持ちましょう」

昨年5月1日から、このコラムを書きはじめました。長丁場の連載となりましたが、一応2月末日で今年度の掲載は終わることになります。
読者の皆さんには長らくお付き合いをいただきまして本当にありがとうございました。
読者の皆さんからお寄せいただいた数多くの質問に触発されることも多く、それにお答えするキャッチボールの過程で議論がより深まったことには大変感謝しております。こうした中から、①これから社会に参加する若者の皆さんに「働く」、あるいは「ビジネス」ということがどういったものなのかを知っていただく、②中小企業や小規模事業者で働くために重要な知識やスキル、あるいは社会人基礎力を身につけていただく、③中小企業や小規模事業者の海外進出において必要とされるさまざまな国や地域の情報や文化風土などの基盤的な知見を知っていただく、そうした狙いが実現できたのであれば、筆者として喜びを感じるところです。

さて、残すところ3回の第1回目は「ビジョン」です。
要するに、皆さん自身の価値観や動機などで形作られた皆さん自身の望む方向性のもとに、ある時点までに「こうなっていたい」と考える到達点のことです。
皆さんの年代であれば筆者のような還暦のころの自分を想像するのも大変でしょうから、例えば概ね40歳代くらいまでに「自分はこうなっていたいな」と考える自分自身の姿です。
これを持って社会に出るのと、これを持たないで社会に出るのでは大きな違いがあります。
具体的に言えば、ビジョンを持たずに「何となく仕事にありつけそうだ」という感覚で社会に出て仕事に就きますと、どうも自分の望んでいたのとは違う、選択を間違ったのではないか、などというストレスに悩まされる危険性が増すでしょう。その結果、「自分に向いている仕事」などという幻想に囚われて、あちらの会社で三年、こちらの会社で二年などと転職を繰り返し、そのたびに幻滅を味わう結果になりかねません。
もちろん、私たちのような凡人は「天から与えられた才能」にも恵まれず、「天から与えられた使命」にも縁遠く、「天から与えられた仕事」もありません。ですから、ほとんどの仕事を何とかこなすことが可能です。これが天才ですと、「天から与えられた仕事」以外の仕事に就くと大きなストレスを感じてしまいますが、私たち凡人はそういった大きなストレスではなく、多くの場合は単なる仕事の壁にぶちあたっているに過ぎず、ほとんどの仕事の壁は一所懸命に努力すれば乗り越えられるからです。
とはいえ、自分自身の価値観や動機とまったく異なった道を選ぶのはお勧めできません。本当のストレスにぶちあたる危険性があるからです。

お薦めするのは、まずは皆さんが自分自身の「ビジョン」をよく考えていただく、もちろんそれは精密なものである必要はまったくありません。例えば、「人に指図されることが少なくなるような立場になる」とか、「生まれ故郷のために何かできるようになる」とか、「わくわくする仕事をする」とか、「会社のトップに近づく」とか、「家庭を作って家庭を守れる」とか、そういった漠然としたものであってよろしいのです。
そして、そうした「ビジョン」を実現しやすそうな、「ビジョン」と大きなズレの無さそうな、そういう仕事(あるいは会社)を選ぶのがよろしいと思います。その際には、あなたが選ぼうとしている会社の企業風土と言いますか、その会社のビジョンなり価値観なりをお調べになり、それが自分自身のビジョンや価値観とどう違うのかも把握する必要があるでしょう。それがまったく相容れないものであれば、あなたの「ビジョン」を実現することはかなり難しいからです。
前回もお伝えしたように「ビジョン」を持たずに就社(就職ではなく、まさに会社に就くのです)すれば、その会社と一蓮托生するしかなく、好むと好まざるとに関わらず、その会社の価値観や企業風土と一体化しないかぎり、心の平安は訪れないでしょう。しかしながら、そうして個人が思い込むほどには、会社は個人と一蓮托生になどなってくれないものだ、という現実をぜひご記憶いただきたいと思います。

C番外編「読者からの質問51~ビジネスにおける撤退~」

Q:先日「ビジネスをつくる仕事(講談社現代新書、小林敬幸著)」という本を手にとって読んでいたところ次の一文を見つけました。
「ビジネスとは、持続的に新たな価値を客に提供する仕事のことだ。~中略~ 小さな工夫であろうとも、常に新しい価値を見つけ、産み出し、提供することがビジネスである。これを持続させるのに必要となる洞察・試行などの準備の過程、終結・撤退の作業もまたビジネスである。」
ここで私が着目した点は「終結・撤退の作業もまたビジネスである」という一文です。「ビジネスをつくる」というと「起業や新規事業立ち上げ」といったことをイメージしやすいのですが、失敗した際の次に繋げるための終結・撤退という点も価値を提供する一つの手法として捉えていることが印象的でした。学生の段階だと知識の捉え方が浅はかであり、こういった「ビジネス=起業・新規事業立ち上げ」といった固定概念をなくすことが今の学生には必要なことではないでしょうか?
A:ビジネスを考える際に重要なのは、その出口が何なのか、ということでしょう。これを考えないでビジネスをはじめますと、いつまでも続くハツカネズミの回し車のように、永遠に自転車をこぎ続けないといけなくなります。
もちろん、家業のようにそうでなければならないビジネスもあります。
とはいえ、家業であったとしても、その世代で到達しようという出口が無ければ、これは惰性のようなものであって、辛い日々になってしまいます。
例えば、筆者の知り合いは陶器(焼き物)の古い窯元ですが、当代には当代が極めようという作風があり、それを継ぐ息子さんには息子さんが極めようという作風があります。まったく親の真似をするのではありません。
こうした出口の考え方の一つに、新しく手掛けた事業やプロジェクトの見極めというものも存在すると思います。
事業やプロジェクトを立ち上げる際に、どの程度の期間に、どの程度のエネルギーを投入し、どの程度のリターンを得るのか、そして、その段階での市場での立ち位置はどうなっているのか、それを到達した時点でその後はどうするのか、そういった出口設計は欠かせないと思います。
筆者の知り合いに事業再生を手がけている若者がいますが、経営がおかしくなったお店や会社を引き受けて立て直すのが仕事です。しかし、彼が出口を設定しなければ、ほぼ永遠にお店や会社の経営をし続けなければならなくなります。本業は事業再生屋であるにも関わらず、いつのまにか〇〇商店の経営者に陥ってしまうことになるのです。
事業再生の目途がついたら、その事業を譲渡する、あるいは事業に携わっている現場のスタッフに引き渡す、そういった出口設定が必要になる訳です。
「ビジネスをつくる仕事(講談社現代新書、小林敬幸著)」をお書きになった方もそういうことを伝えたいのではないかと思います。
また、こうした出口設定は、実は皆さんが社会に出る際の自分自身のビジョンというものに似ているとも言えます。
自分がどうなりたいのか、というビジョンなしに会社へ勤めることは、就職ではなく就社になってしまい、いつのまにか会社と自分が一蓮托生の関係に陥るのではないでしょうか。もちろん、「それでよい」というのであれば問題はないのですが、基本的に会社と自分は一蓮托生だと思うのはあくまでも個人の側の感情であり、会社がそんなことを考えてくれるかどうか、極めて怪しいと言えるでしょう。
※これで「読者からの質問シリーズ」は終わりにしたいと思います。このコラムも残すところ数回ですので、あとはまとめと言いますか、終わりに際してのふりかえりのような内容にしたいと考えています。質問をお送りいただいた読者の皆さまには心から感謝を申し上げます。

C番外編「読者からの質問50~大学入試改革~」

Q:日本の大学と言えば、「国公立大入試、2次の学力試験廃止、人物評価重視にする」といったニュースが騒がれていました。学力試験と人物評価でどちらがよいという議論は置いておいて、なぜ日本の国公立大学はこういった施策を一斉にしないといけないのでしょうか?各大学、各学部で求める人材像やレベルは違うはずです。なぜ、適材適所の対処法ができないのか疑問です。信州大学と東京大学の抱える問題は明らか違います。こういったところから社会面、制度面を変えるイノベーションが必要になってきますね。
A:まず、最初に入試の情報から整理したいと思います。これは、政府の教育再生実行会議(座長、鎌田薫・早稲田大総長)が、国公立大入試の2次試験から「1点刻みで採点する教科型ペーパー試験」を原則廃止する方向で検討するというものです。同会議の大学入試改革原案では、1次試験で大学入試センター試験を基にした新テストを創設、結果を点数グループでランク分けして学力水準の目安とする考え。2次試験ではペーパー試験を廃し、面接など「人物評価」を重視することで、各大学に抜本的な入試改革を強く促す狙いがあるようです。
要するに、政府が進めようとしている大学入試の改革案だということです。ですから、金太郎飴のように進めようという話ではなく、とりあえずペーパーテストの極端な重視は止めましょう、ということのようです。
これは、人間の能力をどう測るのか、という観点から言えば、知識=能力ではないのですから、知識以外の能力の要素を重視する方向性はよろしいのではないでしょうか。
例えば、コミュニケ―ションに関わるさまざまなスキル、あるいは小論文などに現われる論理的思考力、あるいは自信や対人理解力などのコンピテンシー、そういったものにも重点を置こうというのであれば、知識のみに優位性を見出そうという偏りは減るのではないかと思います。
しかし、問題はこうした能力の評価が大学側ではたして可能なのか、「人物評価」と言いながら、結局は審査員の好みのパターンを選んでしまうことにはなりはしないか、そういった心配も隠せないでしょう。
また、あなたが心配しているように、どの大学でも横並びのやり方で「人物評価」をすることになりはしないか、という問題もあります。
筆者が思い出すのは、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスがAO入試(アドミッションズ・オフィス入試)を導入したら、多くの大学が「船に乗り遅れるな」とばかりにAO入試に走り出すという日本的風景です。
これでは、各大学、各学部の特性は活かせないでしょう。
その意味で言うならば、知識偏重を是正して「人物評価」を組み込む、という方向性には問題はないのですから、こうした方向性を尊重しながら、各大学が入試のあり方を考え、工夫するということが求められるのではないでしょうか。そして、その中では、このコラムでさまざまにお伝えしてきた社会的動機、価値観、コンピテンシー、スキルといった能力要素を導入し、その評価を丁度可知差異(ちょうどかちさい、just noticeable difference、JND、多くの人間が差異を認識できるだけの差)、あるいは最小可知差異(さいしょうかちさい)という概念で整理していただきたいものです。

C番外編「読者からの質問49~中小企業で冒険する~」

Q:先日、とあるWebの記事で「海外進出とは企業にとって冒険であり、その冒険とは弱者の役目であり、日本においてはその弱者は国内市場を支配できていない中小企業である。」という一文を見つけました。確かにそうだと思います。しかし、世界から見たら日本の企業は弱者に向かう道をたどっており、これからは多くの企業は「冒険」をしないといけない「弱者」になります。このコラムでも「海外進出」「外貨の獲得」といった「冒険」をテーマに勉強させていただいております。友人と話していても働くなら「海外で働きたい」「日本を豊かにしたい」と話をしますが、これらは結局「冒険をして外貨を稼ぐ」ということに通じますね。仕事を考える軸を「冒険」と捉えることもあながち間違っていないような気がします。そういう意味では自分の希望の大手企業に決まらないのなら、「冒険ができる」素晴らしい中小企業に入って船出することにも可能性は縮まっていないということですね。
A:ご意見にあるような選択肢を検討いただけるのであれば、このコラムを書く意味もあるのだろうと思います。そもそも、このコラムは中小企業や小規模事業者が地域で学んだ大学生などを地域において円滑に採用でき、かつ定着させるための自立的な仕組みを整備すること、そして、そうした若手人材を継続的に確保し、中核人材として育成することで、中小企業や小規模事業者の経営力強化を進めることが大きな目的だからです。
それはさておき、筆者は中小企業や小規模事業者で働くということの大きな意味は、自分自身のプレゼンスを現わしやすいということだろうと考えています。昔から「鶏頭となるも牛尾となることなかれ」と言いますが、大きな所帯に属していますと、安心感はあるかもしれませんが(ちょうど鰯が群れるように)、その中で埋没する危険性も否み切れません(埋没できるから鰯は群れるのですが)。
例えば、東証一部に上場している財閥系の大企業に入社すれば、30歳代で係長、40歳代で課長、50歳手前で部長、そこから先にようやく取締役、常務、専務、副社長、社長と、順調に階段を登っていっても気の遠くなるような歳月が必要になります。この長い階段、他者の批判を可能なかぎり避け、大きな失点を侵さないように慎重に行動し、などと考えますと、ますます気の遠くなる話です。
そこへ行きますと、企業の規模が小さければ、より早い段階で重要な仕事に関わる可能性も高く、自分自身の存在価値をアピールするチャンスも大きいというものです。
こう考えますと、要は「あなた自身がどう生きたいのですか」「あなたの将来ビジョンは何ですか」ということに戻るのではないでしょうか。
おっしゃるように「冒険する」、あるいは「挑戦する」ということに価値を見出して生きて行きたい、というのであれば、実にさまざまな選択肢が目の前にあるのではないでしょうか。
また、働くなら「海外で働きたい」「日本を豊かにしたい」とお考えであれば、なおさらさまざまな選択肢があると言えるでしょう。
くれぐれも、「仕事に就く」のであって、「会社に就く」のではないと意識していただければと思います。仮に「会社に就く」という道を選ぶのであれば、好むと好まざるとに関わらず、その会社の価値観や企業風土と一体化しないかぎり、心の平安は訪れないと、そうお考えいただければと思います。

F番外編「読者からの質問48~判断する際に自信は大切です~」

Q:好景気での就職は学生に有利、大企業は海外が主戦場、会社の価値観と自分の価値観の合致(重なる)、大事なアドバイスありがとうございます。そして、「自分はどう生きるのか」ということを自分で考えることですね。自分のプレゼンスに自信のある人間は中小企業や小規模事業者と共に戦える覚悟ができると思います。あとは、「どのように自分を分析して決める」という行動指針が大事になってきますね。
A:コンピテンシー(行動特性)の話は第46話から第49話までお伝えしました。「その人が持っている行動特性で、仕事を行う際のおおもとになっている能力」と言うことができます。これは、社会で実際に仕事をしている人たちの中で優れた実績をあげている、あるいは実績をあげていない人の行動を分析したところ、こういった行動を取ると実績に結び付く、という客観的な結果から生まれたものです。それが“関係構築力(個人的な信頼関係を築き、人脈を構築しようとする)”であったり、“リーダーシップ(メンバーを効果的にともに働くように導く、動機づける)”であったりするのですが、「どのように自分を分析して決める」際に重要な役割を占めるのが“自信(リスクの高い仕事に挑戦したり、権力のある人に立ち向かう)”であろうと思います。
これがないとなかなか自分では「決められません」。
こうお話しますと、「私は自信がなくて」という答えが返ってきそうですが、それが若いからとか、経験がないからとか、そういった理由であれば、明らかに間違っています。
そもそも、皆さんが社会に出る際に皆さんと競争関係にあるのは皆さんの世代です。年上でも年下でもありません。同じ世代の年齢や経験に大きな差が出るはずもありません。
「有意の差」が見えないレベルでの戦いなのですから、年齢や経験を理由にすることは合理的とは言えないでしょう。
また、能力に関しても「有意の差」が出るのはよほどのことです。筆者も長いこと生きていますが、どうしようもないほどの能力差を感じることはそう多くはありませんでした。確かに、英語が話せるとか、特定のスキル(例えばIT)が無茶苦茶できるとか、身体能力が人並み外れているとか、そういうケースはよくありましたが、それは能力のごく一部に過ぎません(これまでのコラムでおわかりのはず)。そうして考えますと、「まいった」と言いたくなるほどの能力差に直面するのは極めて稀です。もちろん、年齢差が加わるとそれは稀ではなくなりますが。
とすれば、要するに自分をどこまで信じてあげられるか、ではないでしょうか。自分を信じてあげられれば、「自分の可能性を信じて難問に取り組む」「たとえ間違っても前向きに対応する」「事態が難しくなるほど気合が入る」といった行動がとれるものです。
ただし、信頼も自信も一散に獲得できるものではありません。コツコツと小さな成果を積み上げる中から信頼を得ることも、自信を持つことも可能になります。
まさに、「ローマは一日にしてならず」でありまして、一夜漬けではすぐ剥げ落ちることになりかねないのです。
そして、そういった“自信”を育むことができれば、中小企業であれ、小規模事業者であれ、あるいは大企業であれ、「自分は共に戦える」という判断ができると思います。
第10話「挑戦する」を思い出してください。
「(海を渡る古代の」こうした冒険家たちの旅を考えますと、私たちが挑戦しようとする冒険などは、ほんのささやかなものだと思うのですがいかがでしょうか。」

A番外編「読者からの質問47~戦争体験の無い世代~」

Q:私たち(平成生まれで“ゆとり世代”と称される世代)は祖父母の世代が戦争を経験していますが、自分自身の戦争経験が無いのは当然としても戦争に関する知識も乏しい限りです。そのような世代がこれから戦争で傷を負った国々と対等に付き合うには、教養や姿勢をしっかりと身につけなければなりませんね。
A:皆さんのような平成生まれの方々は、戦争経験はもとより、バブル時代の記憶もほとんどないでしょう。そうした皆さんがこれからのグローバル社会を生きてゆくには、何よりも多くの知識を身に付けることが求められます。そして、そうした広範な知識を巨視的に見通す能力も欠かせません。ものごとをミクロに見てゆくのではなく、マクロの視点から見廻す、いわばブロードスキャン(broad scan、幅広に読み取ること)です。
また、日本を取り巻くさまざまな国々には当然ですがさまざまな文化や価値観が存在しています。それは、明らかに私たちの文化や価値観とは異なります。こうした「自分とは違う」文化や価値観とどう向き合うのか、ということも重要になります。「自分とは違う」ことを理由としてそれを排除するならば、皆さんは日本に閉じこもるしかありません。しかし、日本に閉じこもっていて未来が開かれるだろうかと言えば、皆さんは既にそれが難しいことを認識しているはずです。何せ、根室のメガネ屋さんがベトナムへ進出する時代です(番外編第23話)。
となりますと、さまざまな文化や価値観を受け入れることが必要になります。いわば、“多文化・多価値観受容性”とでも言えるような能力が皆さんには重要になってくるのではないでしょうか。
こうした能力を重視しようという考え方は、国際市場を相手にしている企業では既にかなり取り入れられているようです。例えば、ロレアル(第187話参照)という世界的な化粧品メーカーでは、次のような企業統治のポリシーを公開しています。
「異なる文化、価値観、考え方、信念・・・世界は、近年急速に多様化の一途をたどっている。この多様性が社内に培われていることが、さらなるクリエイティビティを生み出し、消費者理解を深めることを可能にする。その結果、消費者に求められる製品を市場に送りだすことができるのだ。(Jean-Paul Agon, CEO)」
そして、こうしたポリシーを具体化するためにさまざまなトレーニング(タレントディベロップメントプログラム)や、人事異動システム(インターナル・モビリティ)を展開しています。
日本の企業でも近年“ダイバーシティー(多様性)”という考え方を企業統治に組み込みつつありますが、皆さんがこれから活動するグローバル社会とは、まさにそうした流れにあると認識していただきたいと思います。
ただ、“多文化・多価値観受容性”と言ってもピンとこない人も多いでしょう。少し、具体的に考えてみますと、文化や価値観に対する好奇心と言いますか、指向性と言いますか、そうしたものがまず必要でしょう。それには自分自身に対するもの(アイデンティティ)も含まれます。
また、「どうしてこの人がそういった行動をとるのか」と疑問に思う場合、その背景となるものを見極めようとすることも重要になります。番外編第24話「常識と非常識」でお伝えしたように、呉昇桓(オ・スンファン)投手が「どんぶりを持ってください」という新聞社カメラマンのお願いに「エッ」と驚いた背景には、彼が育った韓国社会の礼儀作法があるのですから。
さらに、当然ですが相手の言葉を使ってコミュニケーションできる力もある方が有利でしょう。
という具合に、“多文化・多価値観受容性”を考えてみますと、どういう行動が求められるか見えてくるのではないでしょうか。

F番外編「読者からの質問46~ストレスとの関わり方~」

Q:「すごい」人とだけではなく関係を構築することは人間にとって非常にストレスがかかることだと思います。「ストレス(負荷)=成長への寄与」とお考えですが、これに対しても非常に共感します。どの分野でも人間には「成長=負荷をかける」ということは必要です。しかし、負荷の種類もいくらかあると思います。「精神的ストレス」「肉体的ストレス」だけではなく、「環境ストレス」もあるでしょう。「これからはタフ・マメな人間にならないといけない」と以前教えられました。「ストレスの付き合い方」「またストレス(精神、肉体、環境)の選び方」などのお考えがあれば教えて欲しいです。
A:ストレス、ちょっとウィキペディアの情報をお借りしましょう。ストレスとは、生物学的には何らかの刺激によって生体に生じた歪みの状態を意味している。元々は材料力学上の言葉で、例えばスプリングを引き伸ばしたり、ゴム球を押し縮めたりした時にその物質の内部に生じた応力(おうりょく、物体が外力を受けたとき、それに応じて内部に現れる抵抗力)のことを言う、ということだそうです。
私たちは日々さまざまなストレスを感じています。例えば、自分が正しいと考えていること(いわゆる価値観)と、自分を取り巻く状況が異なる場合、当然ですがストレスを感じます。また、自分が喜びを感じる状態(いわゆる動機)と、自分を取り巻く状況が異なる場合もストレスを感じます。
具体的に自分に課せられている基準、例えば「この仕事をいついつまでに片付けなさい」という基準が課せられているにも関わらず、それがクリアできない場合もストレスを感じます。その背景には、課せられている基準はクリアしなければいけない、という価値観、あるいは課せられている基準をクリアすることに喜びを感じるという動機(達成動機)を持っていることに他なりません。こうして考えますと、ストレスの多くは自分の価値観や動機との自分を取り巻く状況との不一致により生じるということでしょう。こうした不一致は、自分と同じ人間だけで集団を構成しているのではないかぎり、自分一人で生きられるのでもないかぎり、私たちが生きている以上、常に付きまとうものです。
しかし、ストレスのほとんどはそこまで深刻なものではなく、「課せられている基準がクリアできない」という現象そのものから生まれているのではないでしょうか。従って、解決するには課せられている基準をクリアすればよろしいのです。多くの仕事には「壁」があります。こうした「壁」を乗り越えられないことでストレス状態に陥るのですが、ここを逃げ出す訳にはいきません。一所懸命に頑張れば、多くの場合、「壁」は越えられるものです。そういった局面を「切所(第59話参照)」と言います。
問題はそれでもストレスを感じたらどうするか、です。
一つの道は、そういった状況から遠ざかることです。辞めてしまえばよいのです。
しかし、なかなか現実はそれを許さないでしょう。遠ざかりたいのに遠ざかれない、辞めたいのに辞められない、それが浮世(うきよ、憂き世)というものです。
そうした際にお薦めしているもう一つの道は、“呪文”を唱えることです。それは「夏は暑い、冬は寒い」という“呪文”です。
以前、知り合いが出世しまして重要なポジションにつきました。ところが上司との折り合いが悪く、大変なストレスを日々感じるようになってしまいました。そのうち彼は、とうとう職場に出ることができなくなりました。いわゆる「出社拒否症」です。
この知り合いに何か助言を、と頼まれまして、筆者が知り合いに伝えたのがこの“呪文”です。「夏は暑い、冬は寒い」のです。夏を寒くできることもなく、冬を暑くできることもなく、しかし、私たちはそれを受け入れ、夏や冬を過ごしています。心の中で、早く秋が来ないかな、早く春が来ないかな、と思いながらも、目の前の夏の暑さや冬の寒さを拒むことはできないのです。
同じように、折り合いの悪い上司をどうにもできないとすれば、あるいはその職場を辞められないとすれば、私たちが夏の暑さや冬の寒さを受け入れているように、その上司の存在を受け入れるしかありません。あとは、“呪文”を口ずさむしかないのです。永遠に続く夏もないし、春の来ない冬もないのです。
いかがでしょうか、まずは「壁」を乗り越えましょう。それでも駄目ならば辞めましょう。それもできないのであれば“呪文”で現実を受け入れましょう。

A番外編「読者からの質問45~中国やアジアとの関係②~」

Q:「外貨を稼ぐ」という点から行くと、中国経済がいかに外貨を稼いだか(外国投資家の参入も含む)、中国から見るアメリカ(経済大国1位2位として)、人民元市場について、中国の金融市場が世界の金融市場に及ぼす危機について、といったテーマも面白い記事だと思います。
A:中国という国や経済をお伝えすることの難しさは、このコラムで「中国を知る」シリーズがわずか6回、第159話の自由貿易試験区で止まっていることからもおわかりいただければと思います。
何よりも巨大です。人口13億人を優に超えます。
何よりも複雑です。複雑という意味は、その国土の広大さや多様さもありますし、社会主義的側面と資本主義的側面の存在、中国共産党を中心とする上意下達の政治体制と「上に方針あれば下に対策あり」という精神風土の存在、56もの少数民族の存在、膨張を続ける富裕層と1日2ドル未満で暮らす貧困層(約2億4,300万人)の存在もあります。まことに複雑です。
何よりも成長です。今や世界の中でGDP第2位、貿易額第1位、国際経済から中国を排除することはありえないのです。いや、排除できない、と言ってよいでしょう。
とはいえ、せっかくのご質問ですので、いくつか中国を読み解くヒントをお伝えするとともに、中国そのものに関する絵解きのシリーズは来年度の楽しみに取っておきたいと思います(来年度もこのコラムが続くとよいですが)。
今回は、中国の貿易に絞ってお話したいと思います。
中国の外貨準備高は昨年9月末時点で3兆6,600億ドル(約370兆円)、これは世界第2位の日本の約3倍という巨額に達しています。第51話「国際収支」でお伝えしたように、外貨準備高はその国の国際的な貯金のようなもの、これが少ないと、いざ海外へ借金を返そうとか、海外からの資金が逃げ出すとか、そういう局面には辛くなります。番外編第27話「金利引上げ」でお伝えしたように、自国の通貨を買い支える上で欠かせない手持資金だからです。
それが巨額の黒字である、ということは、多額の海外通貨(主に米ドル)を中国がどう運用するかで、世界経済は大きな影響を受けかねません。そして、かたや貿易も財政も家計の赤字というアメリカの存在も忘れてはいけません。簡単に言いますと、アメリカが作る巨額の借金を、中国の巨額な外貨準備高が支えるという図式が成立しているのです。
そうして考えますと、アメリカと中国はある意味では支え合う存在でもあります。
また、中国の貿易額はアメリカの過剰消費と中国の大量輸出で膨らんできました。ここでもアメリカと中国はある意味では支え合う存在でもあるのです。そして、この巨大な貿易構造が世界経済を動かしてきたのも事実です。
アメリカは世界経済の中心であるという神話のもとに、貿易でも財政でも家計でも赤字を垂れ流しながら(そのためにドルを刷り続けて)莫大な消費を産み出し、中国は世界の工場として巨大な輸出を続けるという構造です。
しかし、それがいつまで続くか、という問題に両大国は直面しています。
既に皆さんは第55話「バーナンキ・プット」でご承知のように、アメリカの量的金融緩和は縮小の方向に動きはじめています。また、中国も増え続ける国民消費を支えるための石油や食料などの輸入急増、労働賃金の上昇などの問題で輸出競争力に陰りが出はじめています。
筆者は2014年という年は、アメリカと中国がそれぞれの弱みを支え合うという蜜月時代が終わりを告げるはじまりになるのではないかと考えています。そして、その先に何が来るのか、これに注目をすべきではないかとも考えています。それは、何がエンジンになって世界経済を動かすのか、という問題でもあるのです。

D番外編「読者からの質問44~中国やアジアとの関係①~」

Q:第86話「中国を知る④~リコノミクス~」では「中国バブル」に対する対策、「リコノミクス」や「金利自由化政策」をテーマに書いていただきましたが、このような単語レベルで調べやすいテーマだと学生にとっての「学び」が大きいと思います。実際これを読みながら「リコノミクス」や「金利自由化政策」を検索いたしました。また、中国の市場だけでなく、アジア全体の市場に対する知見を増やす記事として「タイを知る」「ミャンマーを知る」「シンガポールを知る」「アフリカを知る」という切り口で書いて下さるとyahoo newsでアジア経済のトピックを断片的に読むより、知見を深めることができると思います。さらに、一番身近である日本企業がその地域にどのように市場を捉え、ビジネスを展開していったかなどの具体例が含まれますと、より学生が社会を俯瞰的にみる手助けになると思います。
A:あなたが送っていただいたこの感想をもとに、第160話からの「アジアとの付き合い方」東南アジアシリーズ・東アジアシリーズ・北アジア&中央アジアシリーズ・南アジアシリーズ、第196話からの「東南アジアに見る市場開拓」シリーズをお届けすることができました。
その中では、日本の中小企業や小規模事業者の海外進出に際してのヒントや参考をお伝えできたのではないかと考えています。
とりわけ、貿易赤字の悪化に歯止めがかからず、国内市場が先細りする中にあって、日本経済にとって海外市場の占める割合は非常に大きくなりつつあります。しかしながら、海外市場において日本が占めていた優位性が通用しにくくなっており、激しさを増す国際競争において日本の中小企業や小規模事業者がどう戦えばよいのか、まさに正念場を迎えていると言えるでしょう。
しかし、日本の国内市場で鍛えられた高度な品質やサービスのきめ細かさは、それに「普遍性」が加わるならば、必ず大きな競争力になると筆者は考えています。
問題は、多様な国際社会の中で、どういった「普遍性」を見出すのか、そこにあります。
それを解く鍵は、国際社会の抱える複雑で広範な「多様性」そのものを認識し、理解し、受容することにあるでしょう。
思い出していただきたいのは、第202話「東南アジアに見る市場開拓⑦~タイのサハ・グループ~」の中でお伝えしたサハ・グループの経営者ブンチャイさんの至言です。
「とかく成功体験の多い日本の企業ほど、成功したビジネスモデルをそのまま海外で展開しようとします。何か新しい手法を導入しようと提案しても、必ず日本の本社へ問い合わせ、本社がNoであれば駄目、こういう事例が多すぎます。」
これでは駄目だ、ということに気付くならば、道は自ずと開かれるでしょう。
そして、こうした過ちに陥らないためには、企業自らの中に「多様性」を受け入れ、その中から企業自らが発信する「普遍性」を見出すことが欠かせません。
それを補完するのは、女性、外国人、中途採用、そういった社会的少数派(マイノリティ)に開かれた組織風土を持てるかどうかではないでしょうか。そうした意味で、近年、大企業を中心としてもてはやされている「ダイバーシティ経営」なるものが、一過性の流行なのか、それともマジョリティ優先の企業統治が多くを占める日本の組織風土を変えるターニングポイントになるのか、十分見極める必要もあるでしょう。

F番外編「読者からの質問43~この人がいなければ職場は廻らない~」

Q:「この人がいなければ職場は廻らない」人への道とはどういったものでしょうか。どこの組織やコミュニティにおいてもそうですが、「この人がいなければ職場は廻らない」人には常になりたいものです。私が親和動機の強い人間だからかもしれませんが、どうやったらそのような人材になれるのかと日々考えています。成果を出す、仕事(作業)を作り出す、自分にしかないノウハウを持つ、という以外にまだ見つからないのですが、ご意見くだされば嬉しいです。
A:一言で言えば、自分の役割と責任をきちんと果たす、ということでしょう。
難しく言えば、ローマは一日にしてならずで、そんな簡単にそうはなれませんよ、ということでしょう。
まず考えていただきたいのは、そういった人は関係するほとんどの関係者から「信頼」を得ていると思います。筆者がかつてお会いしたビル・ミラーというシリコンバレーのリーダーはこう教えてくれました。「集める期待はできるだけ小さく、与える成果はできるだけ早く」と。筆者はこの積み重ねが「信頼」につながると思います。むやみに大法螺を吹かず、自分が思ったことを発言し、言ったことはきちんとやりきる、しかもできるだけ早く成果を出す、その成果は小さくて良い、ということでしょう。あるいは言葉を替えますと、「あなたは言いたいことは必ず明らかにする、あなたが言ったことは必ず行われる、あなたは言葉に裏表が無い、あなたは信頼できる人だ」ということかもしれません。
最初から大きな「信頼」を得ようとすれば空振りしかねません。こつこつと小さな「信頼」を積み重ねることが、大きな「信頼」を産むのです。
また、属している組織や職場を鳥瞰する意識も忘れてはいけません。自分がたとえ下っ端だろうと、属している組織や職場の全体像を見るように努めてください。それが「鳥瞰(ちょうかん)」という感覚で、鳥が空の上から地上を見るように、全体を見渡して欲しいのです。そうしますと、必ずどこかまずいところが見つかるものです。そのまずいところを自分で何とかできないか、考えてみてください。そこにチャンスがあるのです。
どんな組織にも風土があります。仕組みがあります。ルールがあります。例えば、ビジョンが明らかに示されているかとか、役割分担はなされているかとか、達成すべき基準が決められているかとか、基準をクリアした際の評価は適正かとか、そういったことです。こうした風土や仕組みやルールがすべてうまくいっている組織はほとんどありません。必ず改善すべきところがあるはずです。
こうした改善すべきところに自分はどう貢献できるか、それを考え、それを発言し、それを実行する、ということが「この人がいなければ職場は廻らない」人への一歩になるでしょう。ただし、ここで言う「実行する」とは、なんでもかんでも自分でする、という意味ではありません。例えば、自分の上の立場の人の手助けをすることかもしれません。例えば、仲間を励ますことかもしれません。例えば、誰もがしたがらないことを率先して引き受けることかもしれません。
こういったことを積み重ねることが、「信頼」と同時に「この人がいなければ職場は廻らない」人へ近づく道なのではないでしょうか。

C番外編「読者からの質問42~学歴と非正規社員~」

このコラムは読者とのキャッチボールも重要と位置づけており、その作業の中から①これから社会に参加する若者の皆さんに「働く」、あるいは「ビジネス」ということがどういったものなのかを知っていただく、②中小企業や小規模事業者で働くために重要な知識やスキル、あるいは社会人基礎力を身につけていただく、③中小企業や小規模事業者の海外進出において必要とされるさまざまな国や地域の情報や文化風土などの基盤的な知見を知っていただく、そうしたことを深堀したいと考えています。そういう観点から、久しく中断していました読者からの質問にお答えしたいと思います。

Q:第81話で「パートタイマーの平均年齢は40歳代と高く、学卒者も多く、企業勤務などの社会経験もあって、組織での仕事の仕方も理解しています。」とありますが、これは教育レベルの向上が結果的に非正規雇用を増加させたという因果関係があるのではないでしょうか?これから世界中で教育レベルが上がる国でも同様の問題が起きそうですね。教育レベルの上昇がビジネスや雇用への影響について書いていただけると、「これからの日本」の想像に繋がり、学生には大事な情報になると思います。
A:ご質問にある教育レベルと非正規雇用の増加に因果関係があるとは言えないでしょう。それは、学卒者や企業勤務経験者が子育てなどの理由で一度退職し、その後、社会復帰する際に正社員の道がほとんど閉ざされている、あるいは正社員の勤務形態で働くのが難しい、といった理由で非正規雇用を選んでいるのだと思います。
いわば、教育レベルの高い人たちのライフサイクルと、労働市場のルールや仕組みが一致していないために生じている現象ではないでしょうか。
日本の場合はM字現象と言いまして、30歳代の女性の就業率が低くなり、M字の底を形成していることがよく知られています。日本では、結婚や出産、子育ての期間は仕事を辞めて家事や育児に専念し、子育てが終了した時点で再就職するという女性のライフスタイルが根強くあります。女性がほとんどの家事や育児を負担するという考え方が一般的で、女性が働き続けるための社会的な条件が整っていないのです。このために、育児が終了した後の再就職は非正規雇用にならざるを得ない、という現象を産み出しています。
しかし、世界的には必ずしも一般的なものではなく、アメリカやヨーロッパ(特に北欧)では、この30歳代の女性の就業率がむしろ高いという逆M字現象が現われていますので、社会的な条件を整えることで、日本のM字現象も克服することができるのです。
現在の安倍政権が成長戦略で女性の雇用拡大を掲げている理由もここにあります。仮に女性の就業率が男性並みに向上すると、日本全体で約800万人もの労働力が産み出されることになり、人口の減少、とりわけ労働力人口が減り続ける日本にとって大きな福音となるからです。
また、同じようなライフサイクルと労働市場のルーツや仕組みの不一致は他にも見ることができます。例えば、今でこそ企業の多くは海外を相手にした活動を支えるためにダイバーシティ・マネジメント(Diversity Management)を導入し、企業内の多様性を求めて女性や帰国子女、外国人、中途採用などを積極的に雇用しはじめています。G(グローバル)5と呼ぶ大学の卒業者は引く手あまたになっています。秋田市にある国際教養大学(AIU)、立命館アジア太平洋大学(APU)、国際基督教大学(ICU)早稲田大学国際教養学部、上智大学国際教養学部がG5ですが、ほんの一昔前であれば、女性や帰国子女、外国人、中途採用などを評価する企業はほんの一握りでした。
このように、ライフサイクルと労働市場のルーツや仕組みの不一致はよく生じることです。そう考えますと、できるだけ不利益は受けたくない、不一致で悩みたくない、という大学生の皆さんの気持ちはよく理解できますが、自分自身の根源的な部分(動機とか価値観)とまったく相容れない道を選ぶのも幸せな選択とは言えないでしょう。
世の中がどういった方向に進んでいくのか、という観点から自分自身の道を考えるのはよろしいと思います。しかし、第19話「気をつけるべき動機」でお伝えしたように、仕事(自分の進路)と動機が二律背反に至ると(本当に嫌いな仕事を押し付けられると)、人間はとんでもない行動に走ることがありますので、「選ぶ段階で嫌いな仕事(自分の進路)を選んではいけません」という点にも注意していただきたいと思います。みんなが右に行くからといって、自分も右に行かなければならない訳ではないのですから。

C番外編「世界中の赤ん坊の3人に1人」

市場が産まれる、という感覚はここまでのコラムで皆さんの頭に浮かぶようになったのではないかと思います。
そういう意味で言いますと、恐るべき市場が登場しつつあります。

世界中で1年間に生まれる赤ん坊の数は1億4千万人くらいだと推計されています。総人口70億人の2%というところでしょう。
この赤ん坊人口をどの国がどれだけ占めているか、と言いますと、日本ではわずか100万人、人口の1.3%くらいしか赤ん坊は産まれませんが、インド、パキスタン、バングラディシュという南アジアの三ヶ国(第248話から第256話)、このたった三ヶ国だけでなんと3,500万人、世界中の赤ん坊の3人に1人が産まれているのです。この数は日本の35倍にも達します。
そうしますと、経済水準が日本の35分の1だとしても、日本の赤ん坊市場と同じだけの規模がそこにあることになります。しかも、年々経済水準は向上しますので、市場規模はその分だけ拡大するのです。
いかがでしょうか、とんでもない市場だとおわかりいただけると思います。

そうしますと何が起きるか、です。
まずは紙おむつ、それにミルクや離乳食、いずれは教育などもビジネスチャンスになりそうです。
こうしたビジネスチャンスを見逃すようでは、経営者失格です。
そこで、日本の企業は我も我もと南アジアへ押し寄せ、それを支援するビジネスも番外編第5話で紹介した繁田奈歩さんのように大忙しとなります。もちろん、それぞれの国のカントリーリスクには十分な注意が必要です。しかし、間違いなく市場はそこにあるのです。

別の視点で見てみましょう。これだけたくさん産むということは、もしかしたらそのうちのかなりの部分が死んでしまうのかもしれません。そこで調べますと、新生児の死亡率は日本では1,000人に対して1人であるのに対して、パキスタンは36人、インドは32人、バングラディシュは26人という多さです。比較するために中国を調べてみますと、これはわずか9人に止まっています。日本の赤ん坊の9倍の確率で中国では赤ん坊が亡くなり、パキスタンではさらにその4倍も亡くなる、ということになります。
こうなりますと、親が子どもを思う気持ちに洋の東西はありませんから、何とかして亡くなるのを防ぎたいと思うでしょう。今はお金が無くて、医者にかかれず、薬を買えず、清潔なおむつや肌着を用意できないかもしれませんが、お金ができれば、親は何をおいてもそうしたものを求めるでしょう。
となれば、医薬品、衛生用品、栄養補給剤、肌着、そういった需要が爆発的に起きるでしょう。

さあ、皆さんならどうしますか。三ヶ国ともにカントリーリスクは少なくありません。生活も文化も風俗も食習慣も宗教も違います。交通網も未整備です。停電もざらに起こります。賄賂を要求されることも稀ではないでしょう。
そうしたカントリーリスクとビジネスチャンスを天秤にかけて、「さあどうするか」となるのです。これが、中小企業や小規模事業者に限らず、あらゆる企業、海外に市場を開拓しようとする企業の経営者が立たされる究極の選択なのです。もちろん、どちらが正しいかはわかりません。しかし、多くの企業の経営者はこうした未来への岐路に立たされている、と言えるのでしょう。

C番外編「グーグルとモトローラ」

モトローラという老舗IT企業がありました。マイクロプロフェッサ(MPU)をはじめとする半導体ではインテルとしのぎを削り、携帯電話ではRAZRモデルで一時期世界のトップを走り、通信インフラでも大きなシェアを占めていました。筆者の生活する会津地域でも昭和50年代に生産工場を設け、数百名規模の雇用を生み出していました。
皆さんは気づいたはずです。全部過去形か、と。
そうです、かつての老舗IT企業は今ではモトローラ・ソリューションズという情報サービス部門が残っているだけ、製造部門はレノボ、ノキア、パナソニック、GEなどにばらばらに切り売りされてしまいました。
それはそれとして、企業の経営資源をどう集中させるか、という話ですので、それがモトローラの株主に多くの利益をもたらしたのであれば、このコラムで取り上げる話題ではありません。

今回は、このIT老舗企業から端末部門(スマホなど)を125億ドルで買収したグーグルが、わずか2年でレノボへ譲り渡す、という出来事を扱いたいと思います。しかも、買収価格の4分の1、29億ドルという売却価格です。筆者のような貧乏人ですと、差し引きで100億ドル近く、円換算で1兆円近い損を2年で出したのですから、これはちょっとした事件です。

まず筆者が驚いたのは、グーグルという典型的なサービス型のベンチャー企業が、一番そこから遠いモトローラというメーカーを買収したという違和感です。これは想像に過ぎませんが、両者の社風、組織風土はまったく異質でしょう。例えば、グーグルでは「勤務時間の20%を自分の気に入ったプロジェクトに割くよう義務付ける規則」がありますが、モトローラでは想像もつかない仕組みです。これでは、まるで水と油でうまくゆくの、という心配です。
また、アンドロイドというOSを提供する企業がそれを搭載するスマホを作るという違和感です。大昔、ブリヂストンというタイヤ屋さんがプリンスという自動車屋さんを持っていたのと同じような違和感です。まるで右手と左手で握手しているようないかがわしさを感じてしまいます。

そうしましたら、「案の定」と言えるかどうかは別として売却になり、「スマホ市場は競争が厳しくなっており、多くの経営資源を持つレノボの傘下に入る方が得策だ」とグーグルのCEOは説明(釈明)しています。これは、グーグルには製造業としての経営資源が乏しいのでうまくいかなかった、と言っているのと同じことです。
もちろん、グーグルが買収当時に「スマホは収支均衡すればよい」と説明していたように、買収はモトローラの保有するIT関連特許を押さえ、マイクロソフトやアップルからの特許侵害の訴訟を防止することが主目的だったのかもしれません。しかし、モトローラの持つ特許が1兆円もの価値があったとは到底信じられません。
どう考えても、異質すぎる企業買収の問題点が露呈したということでしょう。

ここで皆さんにぜひご記憶いただきたいのは、川上から川下まで一貫して自社で賄う垂直型の経営モデルでは、なかなか時代の変化のスピードについていけない、という現実です。日本の電機メーカーの多くが陥った袋小路にグーグルでさえはまることがある、まさに経営判断の過ちには東西の別はなく、老舗やベンチャーの別もない、ということなのでしょう。

C番外編「エントリーシート」

一昔前ですと履歴書、それに希望調書あたりでしたでしょうか、就活で企業へ提出する書類は。しかし、今はエントリーシートが大流行りです。
エントリーシートは主に一次選考として応募者の絞込みに使用されるようで、有名企業では書類選考的な意味を持たせているところも多く、応募者の大部分がこれで不合格となる場合もあるそうです。
こうなりますと、エントリーシートの書き方にはある種の緊張感が働きそうです。
そうしてWebを調べますと、これがあること、あること。
ES制作委員会(http://es-board.jp/lp/):ここは有料添削サービスですね。
Open ES(https://open-es.com/):これはエントリーシートの作成サイトですね。
賢者の就活(http://kenjasyukatsu.com/es-taisaku):ここは使えそうな雰囲気が。
Fラン理系の就活対策(http://rikeishukatsu.sitemix.jp/):例文がたくさんあります。
就活コーチ(http://s-coach.com/es):コーチと表示しているだけに分析的です。

基本的にこの種のビジネスモデルはすべて「囲い込み型」ですから、登録が前提になるケースが多いのですが、無料なところはどんどん使えばよろしいと思います。

とはいえ、あまりに情報が多すぎるという問題もありますので、少しエントリーシートを「ビジネスの世界で使う文書」の一種だと考えて、基本的な書き方のコツを紹介したいと思います。
第一は、読む人が一読して中身がわからないといけません。一読して何が書いてあるかわからないようでは、大量のエントリーシートの中で最初に捨てられるでしょう。
そこで覚えておいて欲しいのは、「句読点を使って文章を短くする」ということです。
長い文章は長ければ長いほどわかりにくいものです。役所の作る書類を見たら実感できるはずです。あれは、どう読まれても問題にならないように書かれていますから、わかるかどうかという基準では作成されていません。従って、文章中に肯定形や否定形が入り乱れ、括弧書きも入り、かつ接続詞でつながっていて、非常に長く、わかりにくいものなのです。これと逆に考えてください。ですので、文章は「。」で切る回数を増やすこと。「。」で切れない場合は、「、」で区切ってください。
それから、次のジュリアス・シーザーの言葉を思い出してください。「文章は、用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間うちでしか通用しない表現は、船が暗礁を避けるのと同じで避けなければならない。」
いかがでしょうか、格好よく書こうなどと色気を出して、普段使わない言葉を使おうとすれば、どこかでボロが出るものです。また、相手にわからないような言葉を使ってもいけません。

第二は、読んだ人に行動を促すものでなければいけません。エントリーシートの場合は、読み手があなたに会ってみたいという行動を促さないといけないのです。そのためにはどうするか、です。
まずはあなたが言いたいことは何なのか、それがはっきりしていることです。「私はあなたの会社で活躍したい、期待に応える自信はある」ということでしょうか。
次に、それを裏付けるものがはっきりしていることです。どうして期待に応える自信があるのか、と聞かれれば、それは私にはこういった経験がある、私はこれだけ会社のことを調べて、会社の進む方向性を理解している、まあ中身はいろいろあるでしょう。病気になったことがなく、体力と気力は人並み以上だ、というのもあるかもしれません。
次に、整っている見た目の重要性でしょう。メラビアンの法則に基づけば、第一印象ははじめて会った時の5秒以内で決まり、またその情報のほとんどを視覚情報から得ているとのことですから、エントリーシートもその例に漏れません。汚い字で乱雑に、隙間なく書かれていれば、誰だって読みたくなくなります。

読んでわかること、行動を促すこと、この二つを頭に入れれば、自ずとある程度のレベルは保証されるものです。あとのテクニカルな話は、上で紹介したサイトにいろいろ情報があるでしょう。

E番外編「女性の就活」

政府や企業が女性の活用を言い出してから、女性の就職状況も変わってきたようです。いまやダイバーシティ(diversity、多様性)と言えば、女性と外国人というご時世です。
それはさておき、かつての「女性はコピー取りかお茶汲み」と言われた職場環境は今や過去のもの。女性が貴重な戦力であることに、ようやく政府や企業が注目しだした、ということでしょう。

日本経済新聞の2月1日付けの特集「女子就活模様」では、その辺の現状を的確にとらえていますので、ここでご紹介し、皆さん(の中の女性)が社会に出る際に参考にしていただければと思います。
まず女性が活躍しやすい会社を選ぶポイントを紹介しています。
第一は、「女性管理職の比率や人数」です。その会社に女性の管理職が多ければ、当然ですがそれを前例として女性はそうなりやすいでしょう。
第二は、「平均勤続年齢の男女差」です。女性の勤続年数が男性より短ければ、それは女性の勤務が長続きしない会社だ、ということです。
第三は、「有給休暇の取得状況」です。制度として保障されている有給休暇を取っていないとすれば、休まずに働かなければならない会社という危険性があります。
第四は、「育児休暇や介護休暇の利用状況」です。これも有給休暇と同じです。
第五は、「休職や再就職制度の利用状況」です。これも有給休暇と同じです。
第六は、「フレックスタイムや短時間勤務制度の有無」です。多様な働き方が保障されているほど、女性にとっても働きやすいと言えるでしょう。
第七は、「転勤の状況」です。海外も含めた遠隔地への転勤に際して、事前に意向の確認があるかどうかは、女性にとって重要です。
第八は、「社員の多様性」です。外国人、女性、シングルマザー、中途採用など、いろいろな社員が働いている会社であれば、女性にとっても働きやすいかもしれません。
第九は、「人事評価制度」です。成果やプロセスを評価する会社であれば、女性の実力も適切に判断してくれる可能性が高いでしょう。
第十は、「社風」です。ビジョンが明確に示されているか、役割分担が明確か、責任所在がはっきりしているか、評価基準が合理的か、事務的な煩雑さが少ないか、といった社風にも注意する必要があります。
こういった情報は開示されているものもあれば、そうでないものもあるでしょう。開示されていないものは、同じ学校の先輩や周辺の関係者にどんどんヒアリングするのもよいでしょう。結構、会社の評判は世の中に出回っているものです。

また、国や大学などが女性の活躍しやすい企業の情報を公開しています。例えば、経済産業省では「ダイバーシティ経営企業100選(http://www.diversity100sen.go.jp/)」を紹介しています。また、昭和女子大学では「女子学生のためのホワイト企業ランキング(http://www.isfnet.co.jp/release/2013/pdf/ranking20131113.pdf)」を紹介しています。
以前、第193話「中小企業とは②~若者応援企業~」でお伝えした「若者応援企業」とあわせて、参考にしていただければと思います。

A番外編「食の基本」

「食」の問題は私たちが生きてゆくために欠かせません。
しかし、「食」とはそもそもどういうことでしょうか。
ウィキペディアによれば、「基本的には栄養、すなわち人間が生命を維持し活動し成長をするために必要な栄養素を摂る行為」です。要するに、生きるために必要な栄養を摂ることだ、ということです。
ということは、栄養を摂ればよいのか、となりますが、実際はもう一つの要素が加わります。それは、「美味しいものを食べたい」という人間の欲求です。「生きるために必要な栄養」だけではなく、「美味しいもの」という別の基準が加わることになります。いくら栄養があっても、美味しくなければ食べない、ということになりかねません。

私たちが「食」というビジネスと向き合う際には、この二つの要素を考慮しないといけない訳ですが、今回は「必要な栄養」という観点に絞ってお話をしたいと思います。それは、そもそも私たち人類が人口をどんどん増やしていって、はたして食べるものが足りるのか、という問題が今起きつつあるからです。
現時点でも世界の70億人の人口のうち、10億人が飢餓(食べ物が足らなくて飢えている状態)、1分間で17人が飢餓で死んでいる、という現実があります(日本国際飢餓対策機構のデータによります)。

ここで考えていただきたいのは、「何を食べるのか」ということです。
一つの指標としてオリジナル・カロリーというものがあります。私たちが食べる肉や魚といった食べ物を作るために、どれだけの餌(穀物など)が必要か、という考え方です。
例えば、牛肉を1㎏作るには、餌となる穀物は20㎏必要になります。マグロを1㎏作るには、餌となるイワシは10㎏必要になります。
皆さんは“食物連鎖”という考え方をご承知だと思います。植物プランクトンを動物プランクトンが食べ、動物プランクトンをイワシが食べ、イワシをサバが食べ、サバをマグロが食べ、マグロを人が食べる、ということです。
そうして考えますと、“食物連鎖”のできるだけ下にあるものを直接食べた方が効率はよさそうです。牛肉を食べるよりも穀物を食べる、マグロを食べるよりもイワシを食べる、ということです。同じ量の穀物やイワシがあるとすれば、それを牛肉の餌にして牛肉を食べ李よりも)、あるいはマグロの餌にしてマグロを食べるよりも10倍から20倍の人口が養えることになるからです。

しかし、はたしてそうなるでしょうか。
私たちは経済成長に伴って、どんどんと牛肉やマグロを食べるようになりました。例えば、コーリャン(モロコシ、トウキビ、ソルガム)という穀物があります。今から5,000年も前にアフリカで栽培されるようになり、今では世界中で栽培されています。当然、人間が食べるために栽培したのです。しかし、今では人間が食べるよりもはるかに多く牛や豚、鶏の餌、あるいは蒸留酒(白酒・パイジュウ)の原料となっています。それは簡単な理由で、米や小麦と比べて、コーリャンは美味しくなかったからです。そして、米や小麦よりも牛や豚、鶏の方が美味しかったからです。

さて、こうして「食」という問題を「生きるための栄養」という観点と、「食べ物としての美味しさ」という観点で考えますと、将来の食糧不足に備えるには、「美味しくないものをどうしたら美味しくするか」ということが重要かもしれません。もっと簡単に言いますと、栄養はありながらこれまで食べなかったものを食べる工夫が必要なのかもしれません。
第35話「地域における産業振興を考える」でご紹介したジビエ料理(gibier、野生の食材を使った料理)もそういった観点から考えていただくのもよいかもしれません。何せ、人間が駆除したシカやイノシシは食べられることもなく、その多くはただ捨てられているだけなのですから。

C番外編「金利引上げ」

番外編の第25話で「カントリーリスク~通貨下落~」として、政情不安、インフレ、経常収支(の赤字)が引き起こす通貨下落の危険性についてお伝えしました。
では、通貨下落を抑えるにはどうしたらよいでしょうか。
方法は二つあります。
第一の方法は、自国の通貨を買い支えることです。トルコならばリラをトルコ自身が市場から買う、買う人がいれば値下がりは抑えられる、という理屈です。ところが、これには大きな問題があります。自国の通貨を買うには他国の通貨(主に米ドル)が手元に無いといけません。「信用」では買えないからです。しかし、他国の通貨をどれだけ持っているかとなりますと、経常収支が赤字の国は慢性的に外資不足ですので、そもそも外貨準備高はそう多くありません。かつて、アジア通貨危機の際に韓国が大打撃を受けたのは、外貨準備高が少なく、ウォンを買おうにも買えずにいたら、どんどんどんどんとウォンが売られて下落し、そのうちにどうしようもなくなった、ということでした。
第二の方法は、自国の通貨を買いたくなるように市場を誘導することです。具体的には国内の金利を引き上げれば、運用して得られる利益が膨らみますので、それを狙って海外から資金が流入し、結果して通貨下落が止まる、という理屈です。そうですね、例えば筆者が100億ドルの手持があり(持ってみたいですね)、それをどの国で運用しようかと考える際に、日本では年利1%、トルコでは年利10%であれば、日本の国債を買わずにトルコの国債を買おうか(リラを買うことになります)、ということになるでしょう。
第三の方法は、姑息に買い支えをしたり、金利引上げをしたりせずに、国の魅力そのものを向上させることで、長期的に自国の通貨の価値を高める、という理屈です。これは「正道」ですが、いかんせん時間がかかって、今の今には間に合いそうもありません。
従って、論理的に通貨下落に立ち向かおうとするならば、まずは買い支え(可能な範囲で)、ついで金利引上げという手立てに頼ることになります。
しかし、金利引上げには別の副作用があります。それは、景気を冷やす、ということです。

日本経済新聞が紹介するトルコのヒュリエット紙、イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙の(インドに関する)記事が的確にそれを指摘しています。
まずはトルコです。「リラが急落した衝撃を受けて、中央銀行は長い間避けてきた政策金利という武器を手にせざるを得なくなった。金利は5.5%引き上げられ、4.5%から10%となった。高金利は投資と消費の両方を妨げる。主に建設業の景気が後退する。税収も減るので財政赤字は拡大する。一方、高金利は輸入と経常赤字を減らすだろう。」
ついでインドです。「世界の多くの国は日本のようなデフレを心配しているが、抑えの効かないインフレに直面しているのがインドだ。消費者物価はここ5年間、毎年10%近く上昇している。中央銀行総裁は、第一に金利を引き上げてインフレと戦う姿勢を明確にしている。第二にターゲットを消費者物価に絞って、国民生活を安定させようとしている。第三に金融政策委員会を設立し、政治家が介入する危険性を減らそうとしている。」

いかがでしょうか、論理性では金利引上げという手法は十分考えられるのですが、実際にそれを進めようとすれば、景気の後退を怖れる人々(主に政治家)が抵抗する、という図式が行間から見て取れないでしょうか。
筆者はここにも論理性ではなく「関係性」が重視されやすい現実を感じてしまうのです。
いずれにしても、アメリカの量的金融緩和の終わりが世界にさまざまな影響を与え、新興国からの資金引上げが通貨下落、金利引上げという局面にまで来ている、と認識していただきたいと思います。なぜならば、このドラマはこれからが本番になり、日本もその渦の中に巻き込まれるだろうと考えるからです。

C番外編「ソニーはどこへ行く」

ソニーと言えば、日本を代表する大企業、“メイドインジャパン”の象徴のような高品質のメーカーです。
1946年の創業以来(当時は東京通信工業)、「真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ自由豁達(かったつ)ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」という理念のもと、世界で影響力のあるブランド第2位を謳歌した過去もあります。
それがどうでしょうか。

創業以来の主力であるエレクトロニクス事業で低迷を続け、今期の決算でも1,100億円の最終赤字に転落します。
もちろん、日本の電機メーカーのほとんどは円高や不採算部門の整理が遅れたことなどにより、ここ数年悲惨な経営状況にあります。その典型がシャープであることは皆さんもご承知のとおりです。
しかし、日立、東芝、松下(パナソニック)などがいずれも事業の再編成を積極的に進め、業績回復を果たしつつあるのとは対照的に、ソニーの低迷はいまだ突破口を見い出せずにいるようです。

今回の決算を受けて、平井社長は①パソコン事業(VAIO)の売却、②テレビ事業の分社化、③国内外で5.000人のリストラ、④モバイルはスマホとタブレット、ゲームへ集中、といった再建策を打ち出しました。
こういった再建策が成功するのかどうかの判断は、多くの経営評論家にお任せするとして、筆者はソニーから漏れてくる情報に非常に興味を持ちました。
それは
「VAIOは経営に影響力を持つ出井元CEOがはじめた事業だけに撤退は難しかった」
「テレビは創業者が手掛け、世界的に成功した過去もあり、VAIOとは重要度がまるで違う」
というものです。

筆者の脳裏には富士通での社長解任事件が呼び覚まされます。
この事件の背景には、当時の社長が子会社のニフティの売却を進めていたのですが、ニフティの子会社化を手がけた元社長が反対し、それが社長解任にまで発展したのです。
メーカーが抱えるプロバイダー企業の前途が明るくないことは、NECによるビッグローブの売却を見ても明らかですが、そういう論理性ではない別のエネルギーが働いたのです。

いかがでしょうか、「ソニーよお前もか」と言いたくなりませんか。
元CEOが手掛けたからとか、創業者が手掛けて過去では成功したからとか、そういった要因が重要だとするならば、ソニーという会社では論理性よりも別のエネルギーが優先される、そういった体質があるのだ、と自ら証明しているようなものです。問題は過去にではなく、今現在にあるのですから。

こうした論理性とは別のエネルギーのことを「関係性」と言うことができるでしょう。誰との関係、誰と誰との関係がまずは優先される、別の言い方を借りると「あの人の顔はつぶせないから、当分はまずいけれども今のままで」ということです。
ソニーも外国人(ストリンガー)をCEOにしたり、本社経験のほとんどない平井社長をその後任にしたりと、こうした非論理性(関係性)の組織風土から抜け出そうとはしているのでしょうが、その道はいまだ遠いと言えるのかもしれません。

C番外編「カントリーリスク~通貨下落~」

カントリーリスクのことは、第214話「アジアのカントリーリスク~エネルギー~」をはじめとして、何度かお伝えしてきました。
海外投融資や貿易を行う際、相手国の政治・経済・社会環境の変化のために、個別の商業リスクとは無関係に収益を損なう危険の度合いのことです。
これは、どのような国にも付きまとうもので、もちろん日本にもカントリーリスクは存在します。しかし、中小企業や小規模事業者が海外へ進出する際には、できるだけ注意して観察し、カントリーリスクに対する備えをする必要があります。当然ですが、ハイリスク・ハイリターンという言葉が示すように、リスクが大きいほど、リスクを回避できたときのチャンスも大きいのですから。

今、第55話「バーナンキ・プット」で紹介したように、アメリカの量的金融緩和が縮小の方向に動く中で、世界的な株安、新興国を中心とした通貨安(円高)が進行しています。こうした局面ほどパニックが起きやすいので、よくカントリーリスクの棚卸をすることが必要です。
2月4日付けの日本経済新聞からかいつまんでお伝えしようと思います。
ここでは、カントリーリスクを三つの観点で整理しています。
第一は、政情不安です。皆さんも日々見聞きするようにタイではタクシン派と反タクシン派の対立がかなり深刻になっており、総選挙が無効か有効かを争う局面にまで入りつつあります。こういった現象が政情不安というカントリーリスクです。
第二は、インフレです。消費者物価が急騰すれば、当然ですが国民生活は混乱します。これがインフレというカントリーリスクです。
第三は、経常収支です。第51話「国際収支」でお伝えしたように、経常収支が赤字になると、それを埋めるために海外から借金をする、海外から投資を入れる、海外から援助を受ける、そういったことでお金を導入することが必要になります。しかし、海外からの資金が途絶えればどうなるか、です。これが経常収支(の赤字)というカントリーリスクです。

こうしたカントリーリスクは、それが大きければ大きいほど、世界的な信用が低下します。信用が低下すると、その国の通貨が下落します。通貨が下落すると、借金返済や輸入のコストがそれだけ増加することになります。
そして、起きるのが外貨準備高(その国の国際的な貯金のようなもの)の急激な目減りです。こうなりますと、何せ手持ちの現金が無くなるうえに、借金返済や輸入のコストは増える一方ですので、借りたお金を返せない、買ったものの代金が支払えない、という状況に追い込まれます。
これがデフォルト(債務不履行、本来支払われるべき金が支払われない)という現象で、会社で言えば不渡りを出すようなもの。いわば、国の倒産です。

もちろん、こんな単純に物事が進むことはありません。国際的な支援体制があるからです。しかし、仮にそうした事態が引き起こされると、以前もお伝えしたようにアジア通貨危機やアルゼンチンでの返済不履行宣言のように世界的な金融不安が引き起こされます。何せ、貸していたお金が戻ってこないのですから、銀行はリーマンショックのように大変な損失を蒙る訳です。

さて、日本経済新聞に戻って、現時点でのカントリーリスクの状況を見てみましょう。
政情不安は、タイ、ウクライナ、アルゼンチン、トルコ。
インフレは、ロシア、ベネズエラ、ブラジル、インドネシア、インド、南アフリカ、アルゼンチン、トルコ。
経常収支(の赤字)は、ウクライナ、チリ、コロンビア、ペルー、南アフリカ、ブラジル、インドネシア、インド、トルコ。
その結果としての通貨下落は、大きい方からお伝えします。
アルゼンチン39%、ベネズエラ32%、南アフリカ24%、トルコ21%、インドネシア21%、ブラジル15%、チリ14%、ロシア13%、インド13%、コロンビア12%、ペルー9%、タイ8%、ウクライナ7%。
いかがでしょうか、こうした視点もぜひご念頭に置いてください。あくまでも、2月4日現在ではありますが。

D番外編「常識と非常識」

常識、という概念があります。
Wikipediaによれば、「社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観、知識、判断力のこと。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。」ということです。
非常識、という概念があります。
常識の反対概念(対義語)ですので、「社会の構成員が有していない価値観、知識、判断力のこと。また、客観的に見て当たり前でないと思われる行為、その他物事のこと。」ということです。

ここで重要なことは、「自分の属している社会において」ということでしょう。
従って、属する社会が異なれば、当然のように常識も非常識も違ってくる、ということになります。

私たちが、あるいは日本の中小企業や小規模事業者が別の社会で行動すると、こうした常識や非常識の違いに直面することになります。
そうした違いにどう向き合うのか、そうした違いを前提としてどう行動するのか、これが大きな問題になります。
なぜならば、自分の常識を相手に押し付けることはできず、むしろ反発を生みかねないからです。

面白い記事を見つけました。
阪神タイガーズに入団した呉昇桓(オ・スンファン)投手、韓国プロ野球で最優秀救援投手に輝き、今年、契約金2億円、年俸3億円、移籍金5,000万円の2年総額8億5,000万円で契約した期待の剛腕投手です。
その呉がキャンプ地の売店で選手メニュー丼の写真撮影に臨んだときのこと。「どんぶりを持ってください」という新聞社カメラマンのお願いに「エッ」と驚いたそうです。商品がきれいに見えるよう、日本人なら自然な発想。でも、呉が目を丸くするのも無理はありません。韓国では礼儀作法として、「食器を持たない」のがマナー。それでも、優しい呉は受け入れて、写真を撮らせてくれたそうですが、こんなエピソードを明かしてくれました。「日本に来て、食器を持って食べるようになったのですが、韓国に帰ったときに同じ食べ方をしたら、父から『行儀が悪いぞ』と怒られました」とのこと。

いかがでしょうか、日本の常識は韓国では非常識。
こういった事例は枚挙に暇がありません。
そうしたときに重要になるのは、佐久間陽一郎さんの教える「多文化受容力」というコンピテンシーです。
言語化しますと、自身や他者の文化に対する感受性、異文化に対する好奇心、異文化に対する共感力、異文化と接する際に文化的枠組みやコミュニケーション手法を操る能力といった行動化能力でしょうか。
こうした「多文化受容力」を身に付けることが、私たち、あるいは日本の中小企業や小規模事業者が別の社会で行動する際には重要になるでしょう。
ちなみに、阪神の呉投手は十分に「多文化受容力」を身に付けていると言えるでしょう。

C番外編「根室のメガネ店がホーチミンへ」

“エキサイト・アジア”というNHK衛星の番組があります。アジアで活躍するさまざまな日本人を紹介するドキュメントですが、実に面白く、よく見ています。
そうしたら、「ここまで来たか」という話題が取り上げられていました。いやあ、驚きました。

北海道の根室にあるメガネ屋さん、その三代目の社長さんが生き残りをかけて、ベトナムのホーチミンへ店を出した、というのです。
驚きは、第一に根室の小さなメガネ屋さんです。
第二に三代目ということは「家業」としての中小企業です。
第三に北海道の札幌や首都圏へ進出するのではなく、ベトナムのホーチミンだ、ということです。
これはそんなに簡単な話ではありません。
筆者の感覚で言えば、喜多方のラーメン屋さんが二店舗目をベトナムへ出した、というような話です。

「実に凄いな」と思うのです。
衰亡する地方都市の市場は全国どこでも縮小する一途です。今さら市場が拡大することなど、どう考えても難しいでしょう。せいぜい今の規模を維持するのが関の山。
ではどうするか、です。
当然、新しい市場を開拓するか、あるいは業態転換するしかありません。
しかし、新しい市場を開拓するにしても、それが海外、しかも東南アジアでも日本人にはまだなじみの薄い社会主義国ベトナム、というのですから、その挑戦精神はただものではありません。

この社長さんはサンマの輸出を図ろうと根室市が送り込んだベトナム訪問団に同行し、ベトナムのメガネ屋さんのサービスや品質を見て、「ビジネスチャンスがある」と考えたそうです。
確かに、日本式メガネ屋さんのサービスはなかなかマネのできることではありません。ましてや、ちょっと前までは国営企業がほとんどだったベトナムでは「まったく異質」のサービスと言えます。
これをベトナムでも徹底しようと、社長さんは根室とホーチミンを往ったり来たり、日本式サービスを教え込むのに大わらわです。
お客さまが気持ちよくショッピングするために、徹底してお客さまに密着します。例えば、お客さまのメガネの試着をする際、店員が鏡を持って、お客さまが見やすいようにするなど、ベトナムでは考えられないからです。置かれている商品のメガネをいつも磨いてピカピカにする、なんてのも考えられせん、これを徹底するのですね。

もう一つの驚きは、この社長さんがスカウトしたベトナムの女性マネージャー、根室で十ヶ月ほど研修をした際に、「社長さん、私は短い期間ですべてを覚えないといけません。ですから、休みは要りません。もちろん、残業代も要りません。私がベトナムへ帰ったらマネージャーとして店を切り盛りできるように鍛えてください。」と申し出たそうです。
これも「凄い」と思うのです。
まさにこれから経済成長しようとするベトナムの女性が、その中で一所懸命に自分も成長しようとする気合が滲み出てくるようです。

もちろん、この社長さんの挑戦がそうたやすく成功するとは思えません。山あり谷ありでしょう。しかし、間違いなくこの社長さんは新しい市場へ打って出るという、田舎のメガネ屋さんの生き残りをかけた「経営判断(decision making)」をしたのです。
こうした経営判断ができるかどうか、まさに中小企業経営者の力量が問われていると言えます。

C番外編「就職活動で注意する点」

前回はDeNA、今回はパソナ、こうして見ると日本の企業の漢字離れはかなり進んでいるのですね。
就職活動、いわゆるシュウカツですが、筆者はほとんど真面目にしたことがありませんでした。というのは、どう考えても面接や学校推薦では優位性がなさそうで、ひたすらペーパー試験に絞っていたからです。どうにもこうにも面接できちんとするとか、よい子ぶるとかできそうもなく、下手をすれば面接官と論争をしてしまいそうで、そんなこんなの20歳代でした。

それはさておき、シュウカツです。
シュウカツ支援のプロ、パソナの担当者はこう言います。
第一に意識、「企業側からどう見られているのかをまずは意識して」ということ。「あなたがたは評価される立場だとわきまえてください」と言わなければならないのですから、なかなかシュウカツ支援も大変です。
当然ですが、シュウカツは自分という商品を企業へ売り込む行為です。自分という商品の価値を評価していただかないことにははじまりません。「自分にとってよいか」ではなく、「企業にとってよいか」なのです。

第二に言葉づかい、「相手の目を見ながら、自分が話すときには口をしっかり動かす」「最初に『私は』、最後は『~です』『~ます』とする」「最初と最後をしっかり話し、簡潔にまとめる努力をする」、こうして分解すればそうたいしたことではありません。
付け加えれば、「相手の目を見る」「語尾を伸ばさない」「ぼそぼそと口ごもらない」あたりも大切でしょう。当然ですが、絵文字のメールなどは最悪です。
それと、相手が話しているのを聞くときは、「私は聞いていますよ」というメッセージを出さないといけません。耳を傾ける姿勢は当然ですが前のめりになりますし、話の中で共感できることがあればうなずくものです。そうした体で示すメッセージは相手によく伝わるものです。

第三に身繕い(みづくろい)、残念なことに人の評価はその多くが第一印象で占められ、第一印象の多くは視覚情報だということです。これを“メラビアンの法則”と言いまして、人物の第一印象ははじめて会った時の3〜5秒で決まり、その情報のほとんどを視覚から得ており、「見た目・表情・しぐさ・視線」の視覚情報が55% 、「声の質・話す速さ・声の大きさ・口調」の聴覚情報が38%、「言葉そのものの意味・話の内容」の言語情報が7%と言われているのです。まあ嫌な話ですが、事実は事実なので受け入れるしかありません。
そこで、ネクタイ、襟、髪の毛、靴、フケ、ちりやほこり、朝の鏡とトイレの鏡でチェックを忘れずに、です。洋服用ブラシやハンガー、スチーム、防虫カバー、靴クリームなどの小道具も揃えておくと便利です。型崩れしたスーツや薄汚れた靴は興ざめです。

しかし、何よりも重要なことは「自信」です。
「自分は役に立つ人間だ」「自分は社会や企業に貢献する意思を持っている」、そういう「自信」がなければ、仏造って魂入れず、です。
「山より大きなイノシシは出ません」「命まで取られることはありません」、そう考えてチャレンジブルに頑張ってください。

E番外編「若手女性社員に伝える3つのポイント」

ディー・エヌ・エー(DeNA)創業者の南場智子さんと言えば、今を時めく女性創業者です。新潟市に生まれ、津田塾大学を出てマッキンゼー(世界的なコンサルティング企業)に入り、ハーバードでMBAを取得し、DeNAを創業した女性です。
その南場さんが若手女性社員向けのキャリアプランについて考えるイベント「DeNA Women’s Night」で示唆に富んだ講演をしていますので、その概要をお伝えしましょう。女性を重要な戦力だと考えているDeNAらしい取り組みであり、これから労働力人口がどんどん減る日本社会では、こうした女性への働きかけは大きな意味を持つのではないでしょうか。「女性=補助」という考え方は到底通用しなくなるでしょう。

南場さんの教えは三つに絞られます。
第一は「仕事がうまくいかない時、理由を『女だから』に求めない」ということです。これは当然で、「学歴が無いから」とか「中途採用だから」とか「正社員じゃないから」とかに逃げ込んでみても、そこからは何にも生まれません。まずは自分のやり方や考え方など自力で変えられる部分を見直してみることです。そういう意識で自分を見つめ直せば、いろんな可能性が見えてくるでしょう。いわゆる「できる人」に性別や学歴は関係ないと考えてください。

第二は「人や自分よりも、コトに向かう」ということです。
南場さんは、「前線に立つことだけが正解ではないし、人に仕事を任せられるのも大事な能力。自分の立場や成長だけを考え過ぎずに、チームとして一番いい結果が出すことを考えるきっかけになるはず。少し引いた立場から自分の向上心をあえて抑えて、チームを俯瞰する経験をしてもらいたい。」と話しています。
これを少し分解しますと、まず「人と問題を分離せよ」というネゴシエーション・スキル(第104話)で学んだ考え方です。「とかく、私たちは〇〇さんが言うことは信じられないとか、△△さんのやることには間違いが無いとか、人と問題を一緒にしがちです。そうなりますと、いくら正しいことを〇〇さんが言っていても、〇〇さんは信じられない、の一言で片づけられてしまいます。まずは、これを止めましょう、ということです。誰が言ったかではなく、何を言ったのか、に注目すべきなのです。」
いかがでしょうか、まずは「コト」に向き合うであって、「誰がするか」ではない、ということでしょう。そして、人に仕事を任せられる能力とは、まさにエンパワーメント・スキル(目標を達成するために組織メンバーへ自律的に行動する力を与えること)そのもので、それができることではじめて「(自分は)チームを俯瞰する」ことができるのです。

第三は「制度を堂々と活用する」ということだそうです。これは女性でないと、なかなか思いつかないことかもしれません。そういう意味ではピア・アドバイス(同じ立場からの助言)なのかもしれません。
女性は出産や子育てなどで長期にわたり仕事を休むことがまま起こります。そうした際に、会社が定めた支援制度を使うのに遠慮をするな、復帰後は経験をもとに後輩が同じ立場になった時にお返しとして積極的にサポートしてくれればうれしい、ということです。
これは女性に限らず男性にも言えそうです。人間致し方のないことはままあるものです。そうした際に、それを支援する制度があるのであれば、気後れせずに休めばよいのです。

さて、いかがでしょうか。
これからの日本社会では間違いなく労働力が不足します。そうした際に期待されるのは女性であり、あるいは高齢者であり、あるいは外国人であるのです。そうした時代に直面するとき、DeNAのような会社では2014年時点でこういうことを考えていたのだ、とご記憶いただきたいと思うのです。

C番外編「ラストワンマイル」

インターネットを通じた物販の発展は第242話「BtoCと実店舗」で、「12月8日付けの日本経済新聞によれば、こうしたネット経由でのシェアは、音楽やソフトでは2割を超え、海外旅行では予約の56%に達し、書籍や家電でも1割に達しているそうです。」とお伝えしました。
それからわずか一ヶ月ですが、1月23日付けの日本経済新聞によれば、ラストワンマイル(顧客に商品が渡る最後の間合い)を巡る戦いは過熱の一途を辿っているようです。
既にビッグデータの解析を通じて、顧客の購買行動はかなりの精度で予測できるようになっていますが、顧客が選んだ商品をどう顧客に届けるか(ラストワンマイル)、が戦場になっているようです。アマゾンでは、アマゾン・ロッカーというシステムを整備中です。これは、アマゾンで購入した商品をアマゾンが設置したロッカーで受け取れるというサービスで、このロッカーをコンビニストアへどんどん設置しているのです。
日本でもファミリーマートではアマゾンや楽天の商品、ローソンではアマゾンの商品、サークルKサンクスでは楽天の書籍が受け取れるようになりつつあります。
こうなりますと、買い回り商品はインターネットで選んでコンビニで受け取り、最寄り商品は受け取りのついでにコンビニで買う、という行動様式が定着しそうです。

これに対してセブンイレブンでは、オムニチャネル戦略と名付け、セブン&アイグループのネット通販の受け取り拠点としてセブンイレブンの店舗網を利用しようとしています。オムニチャネル、即ちウェブサイトやスマートフォンなどのデジタル分野と実店舗などのリアル分野、双方に無数の顧客接点を設け、これらを融合して究極の顧客満足を実現する、という考え方です。オムニチャネルの「オムニ(Omni)」とは、「なにもかも」の意味とお考えください。
要するに、あらゆる手を使って顧客を囲い込み、すべての消費行動の自社の中で完結させようという戦略ということです。

そして、それをさらに加速化するのは、購入した商品を自宅にまで届ける、という「物販+宅配」という方法です。セブンイレブンでは、一部の店舗で食品のお届けサービスをはじめており、アマゾンでは小型の無人ヘリコプターを利用して商品を配送する計画を進めています。アマゾンのヘリコプターは最大2.3キログラム程度の荷物を運ぶことができ、アマゾンが扱う商品の86%が対象になるそうで、物流センターから16キロメートル以内に住む利用者を対象に、注文から30分以内に商品を届けるのが目標とのこと。

こうなりますと、その他の小売商売はどうしますか、ということです。
筆者の周りにもある地方のスーパーチェーン、商店街の食料品店や雑貨店、そうした小売商売はこのオムニチャネルにどう戦うのか、です。
オムニチャネル戦略を取るだけの資本力は期待できません。ビッグデータ解析も無人ヘリコプターもお届けサービスも難しそうです。
そうなると、彼らは「どこで」「どうやって」戦うのか、です。
一般的にサービス業(物販や飲食を含む)では、顧客に卓越したサービスを提供することが競争に勝ち残る最大の要件とされています。では、「どこで」「どうやって」卓越するか、です。
それは、肌触りの良い接客サービスかもしれません、軽妙な会話かもしれません、主婦の懐具合を考えた調理メニューかもしれません、徹底した顧客管理かもしれません。
いずれにせよ、ただ手をこまねいていては世界規模の大資本のオムニチャネル戦略に呑み込まれることは確実です。
こうしたところにも中小企業や小規模事業者のビジネスチャンスが待ち受けているようです。

B-D番外編「エジプト」

西アジアシリーズの最後はエジプトです。「エジプトはアフリカでは」という声もあると思います。「エジプトがアジアなの」という声もあると思います。
既に番外編の第6話「西アジア俯瞰」でお伝えしたように、エジプトは“メソポタミア”を取り巻く環の西縁にあり、狭隘なガザ地峡(パレスチナ)で西アジアにつながっており、さらに北アフリカ、そしてサハラ以南のブラックアフリカへとエジプトから道は開かれているのです。そういう意味では、大陸としてはアフリカに属し、文化的にはイスラム社会として西アジアと共通し、同時に地中海を囲んで古くからヨーロッパ社会ともつながりの深い、複雑な要素で成り立っているのがエジプトと言えるでしょう。
このため、イスラム社会の大国として8,000万人を超える人口を擁していますが、国内には800万人近いコプト教徒(第124話参照、キリスト教東方諸教会)、さらにアルメニア人やギリシャ人、トルコ人などの少数民族も存在しているのです。

また、ピラミッドに代表される古代エジプトの歴史、イスラエルの建国以来、常に第一線で戦火を交えてきた経過、さらには人口の大きさや2,500億ドルにのぼる国内総生産の規模(パキスタンを上回り、香港やナイジェリア、フィリピンと同規模)から、イスラム社会のリーダーとしても位置付けられています。

しかし、そうした歴史的、政治的な存在価値とは裏腹に、国内経済は常に多額の貿易赤字に悩まされ、出稼ぎや欧米を中心とする経済援助に頼らざるを得ないという危うさの中にあります。いわば、歴史的、政治的な存在価値を使って、冷戦時代にはソビエトロシアとアメリカを、冷戦終了後はイスラム穏健派とイスラム過激派を天秤にかけ、エジプトは一種のバランサーとして自らを位置づけた、という見方もできるかもしれません。
さらに、複雑な内外情勢を乗り切るために1956年のナセル体制以降、ナセル~サダト~ムバラクと60年近くも軍部政権が続いており、国民の不満をなだめるために小麦や石油といった生活必需品の価格を抑える多額な財政支出を行う必要がありますので、まさに援助抜きには国家がもたないという状況に追い込まれています。

その意味では、イスラム系政権を倒した今回の軍事クーデターは欧米にとって経済援助を控えざるを得ない状況を作り出しましたので、エジプト経済は危機に陥ったのですが、今度はイスラム穏健派を代表するサウジアラビアやペルシア湾岸諸国が1兆円近い緊急支援を行い、それを救ったのです。それほど、エジプトの不安定化は西アジアや北アフリカに大きな影響を及ぼすと怖れられています。

こうして見ますと、エジプトの安定化には一にも二にも貿易赤字を解消するための経済振興が望まれますが、長年援助に馴らされたエジプトがどう変われるのか、それが問われているのかもしれません。

今回の西アジアシリーズで見えてきたことは、経済格差はイスラム回帰をはじめとする政情の不安定化を招き、政情の不安定化は経済の不振を招き、さらに経済格差を拡大するというマイナスのスパイラルです。こうしたスパイラルに陥らないようにどうすればよいのか、私たちは大きな問題に向き合っているのかもしれません。

さて、これで東南アジアからはじまったアジアシリーズは一応の完結を見ました。次回以降は時事の話題を中心にお伝えしてゆきたいと考えています。

B-D番外編「トルコ」

トルコについては、これまでも第64話「イスラム社会を知る⑤~世俗法~」、第145話「トルコと新しい市場(アジアとの付き合い方外伝)」で部分的にお伝えしてきました。
それは、トルコがアジアとヨーロッパの結節点であり、イスラム社会の大国として西アジア、さらには中央アジアへも影響力を持っている、ということです。また、建国の経過から宗教分離を国是としながら、このところイスラム系政党が政権を握り、経済成長と不安定さのはざまにある、ということでもあります。

さて、それではもう一度建国の経過を辿ってみましょう。それは第一次世界大戦でオスマントルコ帝国が敗北したときにはじまります。老大国オスマントルコはまるで朽木が倒れるように崩壊しました。スルターン(君主)という世俗的な権力がイスラム法の後ろ盾となる二重構造がこの世から消えたのです。
そして、イギリスやギリシャなどの侵攻に晒される中で、ムスタファ・ケマル・アタテュルクが自ら軍を率いてギリシャ軍を撃退し、ようやく近代トルコは共和制を確立することができたのです。この戦乱の中で、独立の動きを示していたクルド人やアルメニア人への迫害が起こり、トルコ領に住んでいた150万人のギリシャ人と、ギリシャ領に住んでいた100万人のトルコ人がそれぞれ故郷を追われて交換されるという事件も起きました。こうしたギリシャとの緊張関係は今でもキプロス島におけるギリシャ系政権とトルコ系政権の対立という事態を招いています。

さまざまな問題を内包しながら誕生したトルコ共和国は、オスマントルコ帝国における政教一致の支配体制と決別するため、シャリーア(イスラム法)の廃止や宗教学校の閉鎖、アラビア文字からアルファベットへの転換などの政教分離を進め、世俗主義、民族主義、共和主義を柱とする近代国家を目指すこととなったのです。この世俗的性格こそがイスラム社会におけるトルコの重要性であり、トルコが欧米とイスラム社会の架け橋的役割を果たす背景にもなったと言えるでしょう。

このような政治の方向性は必然的にヨーロッパへの接近をもたらし、トルコは1952年にはNATO(北大西洋条約機構)、設立時の1961年にはOECD(経済協力開発機構)に加盟し、1970年代に入るとEU(欧州連合)への加盟を希望しているほどです。また、こうしたヨーロッパへの接近は、貿易においても投資においてもヨーロッパに多くを依存する経済体制をもたらし、ドイツを中心として300万人を超える労働者をヨーロッパへ送り出すなど、トルコ経済とヨーロッパは深く結びついているのです。

こうした中、近年のトルコに色濃いのがイスラム社会への回帰現象です。1980年代から国内の経済格差を背景としてイスラム系政党が躍進し、21世紀に入るとイスラム系政党が政権を握る状況が続いています。こうしたイスラム系政権と国是である世俗主義との軋轢がトルコの大きな不安定要因になっているのです。

これを出稿する現時点でもエルドアン現政権では、閣僚の親族による汚職が疑われ、イスラム勢力内部の抗争、世俗主義勢力からの反発など、政情不安が激しさを増しています。そして、第55話の「バーナンキ・プット」でお伝えしたアメリカの量的金融緩和の縮小が新興国からの資本流出、通貨安を招くという怖れも現実のものとなりつつあります。既にトルコ・リラは年初から7%以上も下落し、政情不安ともあいまって国際経済に暗い影を落としつつあります。
そして、アジアとヨーロッパの結節点に位置するこの大国が、経済的にも政治的にも不安定になることは、西アジア全体に波及しかねない強い影響力を秘めているのです。
皆さんもこうした観点から、日本とも縁の薄くないトルコの行く末をご注目いただきたいと思います。