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B-D「アジアとの付き合い方29~アフガニスタン~」

「東南アジアだけではなく、中小企業や小規模事業者が市場として考えるアジアの他の国々も紹介して欲しい」というご意見をいただきまして、東南アジア以外の国々をご紹介してきました。いずれも中小企業や小規模事業者が今後考える海外進出の相手となる可能性がありますし、また、日本とは違う環境の中での市場を想像することは、日本国内におけるビジネスチャンスを考えるヒントにもなると思うからです。
ということで東南アジア、東アジア、北アジア、中央アジアとつないできました。この後は南アジア、西アジアと進んでゆく予定ですが、その前に本来は西アジアに入るアフガニスタンを先に紹介したいと思います。それは、この山国は古くから中央アジアとインド亜大陸をつなぐ架け橋であり、同時に中国と西アジアをつなぐシルクロードの要衝でもあったからです。

歴史を遡れば、アレキサンダー大王のペルシア征服の際に、その先鋒がインドへ侵攻する拠点ともなり、その後のギリシア文明とインド文明との融合はガンダーラの仏教芸術を産み(ここではじめて仏像が造られ、それが東遷して私たちの見ている仏像へとつながります)、16世紀から17世紀にインドで全盛を迎えるムガール帝国(世界遺産タージ・マハールが有名です)も中央アジアの故地からアフガニスタンのカイバル峠を通ってインドへ侵攻したのです。
このように、西はイラン高原へつながり、北はパミール高原から中央アジアへとシルクロードが辿る要衝の地であり、東と南はヒマラヤ山脈の東縁をつたわってインド亜大陸と接する地理的要因から、長い間、さまざまな民族がアフガニスタンを通って東西南北へ移動する歴史を繰り返してきたのです。

このため、アフガニスタンの民族構成は実に多様であり、人口の約45%を占めて国土の東南、パキスタンと接する一帯に住み、その過半はパキスタン北西部の主要民族となっているパシュトゥーン族、約30%を占めて北部タジキスタンと接する一帯に住むタジク族、約12%を占めてモンゴル帝国の末裔であるハザーラ族(モンゴロイドでシーア派)、約9%を占めて北西部ウズベキスタンと接する一帯に住むウズベク族のほか、北部をはじめとして遊牧のトルクメン族、金髪碧眼のヌーリスターン族など、その歴史の数だけの多様な民族が渓谷や盆地に点在しています。
とりわけ、イギリスが植民地化する過程で、植民地であるインドと、保護国化したアフガニスタンの国境を、パシュトゥーン族の存在を顧みずに線引きしたため、パシュトゥーン族は国としてのアフガニスタン、あるいはパキスタンという概念よりも、古くからのパシュトゥーン文化としての一体性が優先するという複雑さを今に伝えています。
このため、アフガニスタンでは最大の人口を抱えるパシュトゥーン族は、それよりも多くの人口がパキスタンに住むために、無条件に彼らがアフガニスタンでの中心勢力とはなりえず、反パシュトゥーンとしての合従連衡が発生しやすいという現象に陥っています。これは、今のカルザイ政権においても同様で、イスラム急進勢力タリバーンとの争いのほかに、タジク族やウズベク族、ハザーラ族などの軍事勢力がパシュトゥーン族中心の国家運営を許さないという事情があります。

さらに事態を複雑にしたのが、1973年のクーデターで王制を倒した軍事政権が急速にソビエトロシアとの接近を図り、これに抗うイスラム戦士ムジャヒディーンとの間のアフガニスタン紛争、さらにソビエトロシアの撤退とタリバーンとの内戦、タリバーン政権の樹立と同時多発テロを受けてのアメリカのアフガニスタン侵攻、そしてカルザイ政権と、ここ半世紀近くのうちに平和の日々が一日もないと言われるほどの戦火がアフガニスタンを引き裂くこととなりました。

その後の状況は皆さんもおわかりのとおり、イスラム急進勢力タリバーンとアメリカを中心とする国際治安支援部隊やカルザイ政権との争いは今も続いており、来年末の国際治安支援部隊撤退がはたして可能なのか、難しい局面に至っています。
人口約3,000万人、一人あたりのGDP約600ドル、ケシの栽培が蔓延し、未就学児童も数知れないという最貧国(世界187ヶ国中第175位)。このアフガニスタンの悲惨な現状にこそ、そこに住まう多くの人々の存在を無視した国家間の利害や思惑がどれほどの不幸と混乱をもたらすのか、という証明があると思います。それを私たちは心に刻み、海外進出に際しても、そういった過ちを犯すことのないように十分な注意をはらいたいものです。

さて、2013年はこの稿で終わりとなります。いささか明るくない終わり方となりましたが、私たちが今日向き合っている国際社会の現実の一端であることをおわかりいただくと同時に、こうした現実を乗り越える中から新しいビジネスチャンスが見えてくることを信じたいと思います。

B-C「インド亜大陸」

アジアを知るためのシリーズも、中国、東南アジア、東アジア、北アジア、中央アジア、番外編としてのコーカサスと進んできました。読者の中からは「これからの海外進出に重要な位置を占めるインドの話はないのですか」という質問もいただいております。
そこで、年末から年明けにかけて、南アジアの話をいくつか差し上げたいと思います。そして、年明けからは残る西アジアを紹介して、アジアを知るためのシリーズを一応終わりたいと思います。

筆者がアジアについてこれだけの回数をかけて掲載しているのは、日本の中小企業や小規模事業者にとって海外に新たなビジネスチャンスを見出すのは必然であり(直接的な市場進出であれ輸出であれ)、海外において地理的にも歴史的にも文化的にも身近なアジアの重要さは言うまでもないのですが、その割にはアジアについて知ることがあまりにも少ない、という認識があるからです。
その人口、その経済、いずれもヨーロッパやアメリカと並ぶ規模にありますが、その中でもアジアの巨人と言うべき地位にあるのが中国であり、インドであります。しかし、インド、この巨大で複雑な国を物語るには、インドを含めた南アジア、インド亜大陸について紹介する必要があります。それだけ、アジアの中では異質な世界がそこにあるからです。

インド亜大陸、日本の約15倍の巨大な陸塊に15億人を超える人が住み、インド、パキスタン、バングラディッシュ、スリランカで構成される世界です。
この亜大陸は巨大なパンゲア大陸から分かれて北上し、約5,000万年前にユーラシア大陸と衝突して今日に至りました。衝突の衝撃は、インド亜大陸を取り巻く一帯をめくれ上がらせ、西にはイラン高原やタール砂漠という広大な自然の障壁、北にはあの雄大なヒマラヤ山脈、東には中国雲南省やミャンマーとの境に山ひだが連なる複雑な地形を作り出しました。このため、インド亜大陸は「陸からの侵入が難しい」孤立した地形となっています。
その反面、インド洋は貿易風に恵まれ、春から夏にかけては南西風、秋から冬にかけては北東風が吹くため、古来よりインドはアフリカ、そしてインドシナをつなぐ中継地点として栄えてきました。ムンバイ(ボンベイ)、チェンナイ(マドラス)、コルカタ(カルカッタ)などの今日でも重要な貿易港は、こうした歴史の上に成り立っているのです。
こうした「海に開かれ陸に閉ざされた」インド亜大陸の特性は、次回にお伝えするアフガニスタンという国の性格(インド亜大陸への侵入口)を形作るとともに、インド洋の東西にインドの宗教や文化を伝える多数のインド系移民を生み出すことにもなり、インドシナという言葉はまさに「インド+シナ(中国)」であるほどです。

民族的には古く氷河時代に海岸線沿いにメソポタミア方面から訪れ、その後、インド亜大陸からオーストラリアまで広い地域に拡がったオーストロネシアの人々と基層とし、その後、中央アジアからアフガニスタンを経由してインド亜大陸へ侵入したアーリア人(コーカソイド)が混交して今日を迎えています。このため、南へ、あるいは東へ進むにつれオーストロネシアの人々の血が濃く(ドラヴィダ人、ベンガル人など)、インド北部とは異なる社会を形成しています。
また、宗教的には中央アジアのイスラム社会からの度重なる侵入に伴って、支配層を中心としてイスラム化が進み、アーリア人のバラモン信仰から生まれたヒンズー教、仏陀によるバラモン信仰の改革から生まれた仏教と、インド亜大陸には三大宗教が存在しますが、仏教の影響は主にスリランカに残るだけとなり、イスラム教を中心とするパキスタン(イスラム的に「清浄な国」を意味します)やバングラディッシュと、ヒンズー教を中心とするインドに分かれています。

いかがでしょうか、インド亜大陸の複雑、かつ多様な社会構造を把握していただけたでしょうか。このため、たかだか数回の掲載でその全体をお伝えするのは難しいとは思いますが、ひとまず新たなビジネスチャンスを見出すうえでの参考になる知識としてご理解いただけるように努めたいと考えています。

C「TPPと自由貿易」

これを出稿する12月上旬の段階では、世の中はTPP(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement、環太平洋戦略的経済連携協定)の交渉が大詰めを迎えているが、なかなか合意には至りそうもないと話題になっています。
とりわけ、交渉担当の日本の大臣がガンの初期症状で参加できない、というニュース、あるいは日本の農業が壊滅的になるのではないか、という心配などもあって、実に喧しいと言えます。
今回は、TPPなるものがどうして浮上してきたのかを歴史の経過とともに確認することで、TPPの行方を予想し、その予想の中から中小企業や小規模事業者のビジネスチャンスを垣間見たいと思います。

TPPが目指すのは、太平洋を取り巻く国々の間で、経済と貿易を自由化し(関税をゼロにし、関税以外の障壁も減らそう)、太平洋地域を自由で活発な経済地域に変えることです。設立当初の2006年には、シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの小国によるものでしたが、年々参加希望国が増え、現在ではアメリカ、オーストラリア、ベトナム、ペルー、マレーシア、カナダ、メキシコ、そして日本が参加交渉に加わっており、韓国も参加希望を表明しました。これは人口規模で7億人を超え、GDPは約24兆ドルと、世界の約3分の1を占める経済圏を意味します。

現時点で問題となっているのは、第一に日本の農業のようにそれぞれの国がどうしても守りたい分野での関税の取り扱い、第二にマレーシアの国営企業のように民間の自由な競争を排除している非関税障壁(関税以外の貿易の壁)、第三にアメリカが過半を握る知的所有権をどの程度認めるか、といったあたりで、この辺をどう整理して合意につなげられるかが当面のトピックです。

では、どうして特定の国々の間で経済や貿易を自由化しようとするのでしょうか。これはもともと、世界レベルで経済や貿易を自由にしてゆくためのルールづくりを進める構想が戦後まもなくはじまったことに起因します。それは、第二次世界大戦を引き起こした原因の一つが、特定の国同士が経済や貿易を自由にし、それ以外の国をその仕組みから排除し、排除された国が経済的に追い詰められたことにあるという反省に立ったものでした。
そして、GATT(ガット、関税及び貿易に関する一般協定)として1947年に成立し、約50年間にわたり世界の多角的貿易体制を支えました。しかし、経済がさまざまに変化する中、新しい仕組みにチェンジしようと、1995年にはWTO(世界貿易機構、World Trade Organization)という常設の国際機関が作られ、それとあわせて、新しい世界レベルでの経済や貿易のルールを作るためにウルグアイ・ラウンドという国際会議を10年間にわたって開催し、一定の合意が取り付けられました。日本がミニマム・アクセスとして年間約80万トンの米を輸入しているのは、このときの合意に基づくものです。
しかし、こうした世界レベルでのルールづくりでは、複雑多様に変化している世界の国々の利害得失を整理して、合意に至ることがはなはだ難しくなっています。このため、ウルグアイ・ラウンドの次の国際会議であるドーハ・ラウンドは2001年の開始以来、ほとんど何の成果もあげるに至っていません。
このような交渉(多角的貿易交渉)が行き詰まる中、それに代わるものとして登場したのが特定の国々による二国間、あるいは複数国間の自由貿易協定(Free Trade Agreement、FTA)で経済や貿易の自由化を進めようという動きです。TPPもこうした流れの中にある「地域間のFTA」と理解してください。

さて、このような世界レベルの経済や貿易の流れの中で日本はどういった対応を迫られるのでしょうか。これは考えるまでもなく、GDPの3割以上を貿易に依存し、今や海外からの利子や配当の収入が経常収支を支える日本が、経済や貿易の自由化に背を向けることなど考えられないでしょう(もちろん、経済成長を諦めて閉鎖的社会を目指すのであれば別ですが)。
従って、TPP交渉が暗礁に乗り上げるかどうかは別として、日本経済はこうした経済や貿易の自由化に乗らざるを得ない、ということです。それは同時に、関税や非関税障壁に守られている産業にはダメージが生じ、海外市場を目指す産業には追い風が生じる、という結果を産むでしょう。こうした観点から、「困る人」「伸びる人」を探すことが、中小企業や小規模事業者にとってのビジネスチャンスを産むと考えていただければ幸いです。

C「BtoCと実店舗」

BtoC(Business to Consumer/Customerの略、会社から個人消費者へ販売する取引関係のことで、通常はインターネットを介した電子商取引)、今やネット通販、あるいはオンラインショップなどの形態で私たちに親しまれています。
かつて、消費者は自分の足で店舗へ通い、自分の目で商品を確かめる、そうした消費活動を行ってきました。それが、大規模小売店の出現で、何ヶ所も店舗を渡り歩くのではなく、一つの大きな店舗で消費活動が完結するように変わりました。そして、今や自分が店舗へ行くのではなく、居ながらにして消費活動を行い、かつ購入した商品は宅配サービスで届けられる、という段階に入った訳です。
こうした消費活動の変化は、簡単に言えば「時間を金で買う」という行為に他なりません。いくつもの店舗を渡り歩き、一つ一つの商品を自分の目で確かめ、購入した商品を自分で持ち帰る、という一連の行動の中で、今や残ったのはインターネットの画面を見て、どの商品を選ぶかを決めるだけです。それ以外の行動はすべて商品を提供する側が行う訳です。
もちろん、こうした消費活動の変化は、物流の簡素化や、大規模仕入れによるコスト削減をもたらしますから、BtoCによる販売価格が従来の一つ一つ店舗、あるいは大規模店舗における販売価格よりも高いという結果にはつがなりません。
この辺が単純にエネルギー消費=価格反映にはならないという面白さではあるのですが、いずれにしても消費者からすれば、自分の時間を費やさずにほぼ同じような価格と品質で商品が手に入ることになりますから、確かに魅力的なサービスと言えます。

12月8日付けの日本経済新聞によれば、こうしたネット経由でのシェアは、音楽やソフトでは2割を超え、海外旅行では予約の56%に達し、書籍や家電でも1割に達しているそうです。
さらに、実際に店舗を展開している小売業者でも、実店舗での販売に加え、実店舗を拠点に宅配することでネット経由での商品販売に積極的に乗り出そうとしています。セブン&アイ・ホールディングス(イトーヨーカ堂やセブンイレブン)では2018年までにネット上で300万アイテムの商品を購入できる仕組みを構築しようとしていますし、イオングループでもネットスーパーを全国に拡大しようとしています。
こうしたBtoCビジネへの消費活動の傾斜は、「自分で店に行く」こと自体が難しくなっているお年寄りの増加もあって、今後ますます増えてゆくことになるでしょう。

そうなりますと、「世の中から店舗が消えてゆく」現象が加速化することになります。既に私たちは、大規模店舗の進出に伴い、商店街が歯抜けとなることを目にしています。それがさらに加速化する、ということです。
既に、旅行業界では最大手のJTBが3年で100以上の店舗を閉鎖しています。日本レコード商業組合では3年で加盟店が3割減ったそうです。本屋さんは毎年500店舗近くが閉店し、古書業界でもあのブックオフが約20店を閉めるそうです。
こうした「実店舗が消えてゆく」現象が何をもたらすのか、私たちは二つの側面で考え、新しいビジネスチャンスにつなげてゆくことが望まれています。
第一の側面は、それで生活圏がどう変わるか、です。そして、実店舗が消えることで発生する「困る人々」に対して、どういったビジネスが必要なのかを考えることです。
第二の側面は、当然ですが実店舗からBtoCへ転換する流れに参加することです。自ら売り手になる、あるいは作り手になることも、また、そうなるためのさまざまな支援を行うことも含め、可能なサービスは無限にありそうです。
いずれにせよ、楽天創業からわずか15年で私たちはここまで来てしまったのです。そうしますと、この先の15年にも同じような大変化が起こることは確実でしょう。さあ、それにどう備えるかです。そこには、中小企業や小規模事業者にとってのビジネスチャンスが必ずあるはずです。

B-E「アジアとの付き合い方番外編③~グルジア~」

「東南アジアだけではなく、中小企業や小規模事業者が市場として考えるアジアの他の国々も紹介して欲しい」というご意見をいただきまして、東南アジア以外の国々をご紹介してきました。いずれも中小企業や小規模事業者が今後考える海外進出の相手となる可能性がありますし、また、日本とは違う環境の中での市場を想像することは、日本国内におけるビジネスチャンスを考えるヒントにもなると思うからです。
ということで東南アジア、東アジア、北アジア、中央アジアとつないできました。この後は南アジア、西アジアと進んでゆく予定ですが、その前にアジアには入らないコーカサス3ヶ国を紹介したいと思います。それは、この山深い地域はヨーロッパの下腹部にあたり、ヨーロッパとアジアを隔てる位置にあり、同時に古くからさまざまな民族が往来し、今でも多様な民族が住む土地として、皆さんが民族問題を知る上での参考にもなると思うからです。

イスラム社会であるアゼルバイジャン、古くからキリスト教を信仰するアルメニアと来まして、今回はコーカサスシリーズ最後のグルジアです。
皆さんがフィギアスケートで注目するソチ・オリンピック、あのソチというロシアの町は温暖な気候から黒海北岸のリゾート地として知られていますが、グルジアはその東に拡がる、ある意味ではアジアの西の端、ヨーロッパの東の端とも言うべき位置にあります。コーカサスの南東に位置し、ワイン発祥の地として知られ、伝統的に黒海観光、柑橘類、茶やブドウの生産を中心として栄えてきました。面積は日本の約5分の1.人口は約400万人、一人あたりのGDPは4,000ドル弱、石油や天然ガスの資源に廻られないことからエネルギーの国外依存が大きく、それが貿易収支を極端な赤字構造にしています。
また、コーカサス特有の少数民族問題はグルジアでも深刻で、オセット人(露鵬や白露山)の住む南オセチアの独立をめぐってロシアとの紛争に発展したことはつい先ごろの話です。

グルジアの主要民族であるグルジア人はコーカサスで最も古い民族と言われ、アルメニアについで古くからキリスト教を国教とし、宗教的には東方正教会(ギリシア正教)に属しています。また、総人口約400万人のうち、グルジアにほとんどが住み、トルコ、ロシア、アメリカ合衆国、イランなどにも少数のコミュニティーが存在しますが、アルメニア人ほど広範囲に拡がってはいません。

このグルジアのカントリーリスクは、ロシアとヨーロッパの間で揺れ動く政治にあります。
ソビエトロシアからの独立以降、シェワルナゼ元外相(ゴルバチェフ時代)のクーデター、バラ革命によるサアカシュヴィリ政権の反ロシア路線とロシアとの軍事衝突、イヴァニシヴァリ政権によるロシアとの関係修復など、基本的にはEU加盟を目指しているものの、ロシアという巨大な市場とのつながりが昔から強かったため、その足並みは政権交代のたびに揺れています。この辺は、ウクライナをはじめとするロシア周辺国家の宿命かもしれません。

さて、いかがでしょうか。アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアと、まったく民族的にも宗教的にも文化的にも異なる3ヶ国が形成し、アジアとヨーロッパの境目に位置するとともに、大国ロシアと隣接するコーカサスという地域に、皆さんが出会ったことのない民族問題のさまざまな形態があることをご理解いただけたでしょうか。これから皆さんが海外で活躍する際には、日本人では想像のつかない民族をめぐる様々な歴史や対立があることをよく認識し、トラブルを招かないように十分な注意をはらっていただきたいと思います。

B-E「アジアとの付き合い方番外編②~アルメニア~」

「東南アジアだけではなく、中小企業や小規模事業者が市場として考えるアジアの他の国々も紹介して欲しい」というご意見をいただきまして、東南アジア以外の国々をご紹介してきました。いずれも中小企業や小規模事業者が今後考える海外進出の相手となる可能性がありますし、また、日本とは違う環境の中での市場を想像することは、日本国内におけるビジネスチャンスを考えるヒントにもなると思うからです。
ということで東南アジア、東アジア、北アジア、中央アジアとつないできました。この後は南アジア、西アジアと進んでゆく予定ですが、その前にアジアには入らないコーカサス3ヶ国を紹介したいと思います。それは、この山深い地域はヨーロッパの下腹部にあたり、ヨーロッパとアジアを隔てる位置にあり、同時に古くからさまざまな民族が往来し、今でも多様な民族が住む土地として、皆さんが民族問題を知る上での参考にもなると思うからです。

前回はコーカサス唯一のイスラム社会であるアゼルバイジャンを紹介しました。そして、アゼルバイジャン人がその3分の2はイランに住んでいることもお伝えしました。自国外に多数の同朋が住む、という現実は私たち日本人にはなかなかピンとこない話だと思います。
その意味で言えば、今回のアルメニアという国はもっと複雑です。その主要民族であるアルメニア人、彼らは古くからアナトリア(今のトルコ)やユーフラテス(今のイラクやシリア)などで栄えた歴史を持ち、今は世界中に拡がる不思議な民族です。母国アルメニアはもとより、ロシア、トルコ、イラン、アゼルバイジャン、イラク、シリア、レバノン、パレスチナのほか、19世紀以降の移民が多く住むフランス、アメリカ合衆国など、世界各地にコミュニティーを形成しています。また、キリスト教をもっとも早く4世紀に国教とした民族でもありますが、そのアルメニア使徒教会は5世紀のカルケドン公会議でローマ・カトリックやギリシア正教と別れた“オリエンタル・オーソドック”という独特の宗派で、聖地エルサレムの聖墳墓教会(イエス・キリストの墓があります)はカトリック教会、東方正教会(ギリシア正教)、アルメニア使徒教会、コプト正教会(エジプトのキリスト教宗派)、シリア正教会(中東のキリスト教宗派)の共同管理となっている事実が彼らの古い歴史を物語っています。
また、19世紀末から20世紀初頭にトルコで起こったアルメニア人虐殺は100万人以上の命を奪うとともに、それが要因となってトルコから世界中にアルメニア人が移住するきっかけともなりました。この問題が、アルメニア人が経済や芸術で大きな影響力を持つフランスがトルコのEU加入に反対する理由になっているのですから、実に複雑な民族問題を今日に残していると言えるでしょう。

さて、そのアルメニアはアゼルバイジャンの西に拡がる標高1,000mから2,000mの山国です。アルメニア人は長年にわたり民族移動を繰り返してきた歴史から、宝飾品の加工技術に優れ(身に付けられる財産)、商才のある民族として有名です。
人口は約300万人と小さく、一人あたりのGDPは約3,000ドルと高くありませんが、アルメニアという国をとらえるよりも世界中に拡がるアルメニア人の母国として理解するのがよろしいと思います。
ちなみにアルメニア人の有名人を上げますと、アンドレ・アガシ(アメリカのテニス選手)、シャルル・アズナブール(フランスのシャンソン歌手)、シルヴィ・ヴァルタン(フランスのポップス歌手)、バラデュール(フランスの元首相)、ハチャトゥリアン(ロシアの現代作曲家)などがよく知られています。

B-E「アジアとの付き合い方番外編①~アゼルバイジャン~」

「東南アジアだけではなく、中小企業や小規模事業者が市場として考えるアジアの他の国々も紹介して欲しい」というご意見をいただきまして、東南アジア以外の国々をご紹介してきました。いずれも中小企業や小規模事業者が今後考える海外進出の相手となる可能性がありますし、また、日本とは違う環境の中での市場を想像することは、日本国内におけるビジネスチャンスを考えるヒントにもなると思うからです。
ということで東南アジア、東アジア、北アジア、中央アジアとつないできました。この後は南アジア、西アジアと進んでゆく予定ですが、その前にアジアには入らないコーカサス3ヶ国を紹介したいと思います。それは、この山深い地域はヨーロッパの下腹部にあたり、ヨーロッパとアジアを隔てる位置にあり、同時に古くからさまざまな民族が往来し、今でも多様な民族が住む土地として、皆さんが民族問題を知る上での参考にもなると思うからです。

まず、コーカサスの位置を見てみましょう。カスピ海と黒海に挟まれ、5,000mにも至る高峰が連なる山脈地帯で、北はロシアと(コーカサスの北側はロシア領)、南はトルコ、イランと国境を接する約44万km²(日本より一回り広い)の地域、コーカサス、あるいはカフカスという名前は古代スキタイ語のクロウカシス(白い雪)に由来すると言われています。旧約聖書で有名なノアの方舟が流れ着いたアララト山はコーカサスの南端にあたります。
また、中央アジアにつながる草原と南北に接する地形から、古代よりさまざまな民族移動の渦に巻き込まれ、多くの山とそれを穿つ渓谷により、山ひだに分かたれた川沿いの盆地が点在する地形とあいまって、数多くの民族が分居する複雑な構成となっています。

その最初はアゼルバイジャンです。コーカサスの東縁にあたり、カスピ海を隔ててトルクメニスタンと向かい合い、南はイラン高原につらなることから、古くからコーカサスの中では中央アジアのチュルク系の民族やイランとの関係の深い国です。
人口の9割を占めるアゼルバイジャン人(アゼリー人)は世界に約3,000万人を数えますが、その7割にあたる約2,000万人がイランに住み(イランの人口の4分の1)、アゼルバイジャンには約800万人を数えるだけです。これは、イランとアゼルバイジャンが極めて深い関係にあることを示しています。歴史的にはカスピ海南岸で起こったサファヴィー朝が16世紀にイランとアゼルバイジャンにまたがる大きな勢力となったことによりますが、宗教的にはそのサファヴィー朝が奉じたイスラム教シーア派を信仰するイスラム社会の少数派となっています(ほとんどのイスラム社会はスンニー派、この違いはイランを紹介する際にお伝えします)。

このようにコーカサス3ヶ国の中ではチュルク系の血が強く混交するとともに、唯一のイスラム社会であるという特徴があります。
経済的には石油をはじめとする地下資源に恵まれていることから、一人あたりのGDPも約7,000ドルとタイより高いレベルにあります。さらに、カスピ海に面する地理的条件から、アジアへ、あるいはヨーロッパへ送られる石油や天然ガスの通過点としても重要で、人口約900万人の規模にそぐわない国際的な存在価値を秘めています。
カントリーリスクとしては、他のコーカサスの国々同様に民族問題を抱えており、隣国のアルメニアとは緊張関係にあります(国内にアルメニア人が、国外のアルメニアにアゼルバイジャン人が住んでいます)。また、アリエフ父子による政権が20年以上も続いており、権力の集中という中央アジア特有の政治課題がアゼルバイジャンでも起こりうる危険性があります。
アゼルバイジャン、コーカサスでただ一つのイスラム社会、しかもイランと同じシーア派という少数派に属し、石油や天然ガスに恵まれた国と認識していただくとよろしいでしょう。

C「読者からの質問41~流通システムとビッグデータ~」

Q:ヤマト、佐川、日本郵政、アマゾン、アスクル、ゾゾタウンなど、日本の流通構造を支えている企業はそれぞれビジネスモデルは異なりながら、「届ける」というサービスで日本を豊かにしています。また、セブンイレブンでも宅配サービスがはじまるように、基本的に顧客は外出しなくても商品を購入できる、家に届けてもらえる時代がくることが予想されます。これらの流通・小売を支えるものがビックデータです。これらの業界はビックデータの処理を施したサービス提供の醍醐味を一番に感じる場所だと思います。こういったリアルの世界を豊かにするためにウェブ上の便利なデータ処理があります。もっと地方にも大手が用いているようなビックデータの利用という形を導入することはできないものでしょうか?地方の経営者の今後の課題だと考えます。また、日本で行われているこの素晴らしい流通システムを海外に輸出する方法は何が最善策なのでしょうか?
A:まず、日本流のいわゆる宅配ビジネスですが、これは既に海外へ進出しています。ヤマトグループは2010年1月に上海とシンガポールでの事業を開始し、翌2011年2月には香港、同年9月にマレーシアでの宅配便事業をスタートしました。今後ますます経済成長が期待できるアジアにおいて、同グループが主体となって現地法人を設立するなど、海外進出を加速させています。佐川急便グループも中国に加えて、2012年からはベトナムへも進出しました。
このように日本の物流関連企業の海外進出は加速度的に進んでおり、それに伴っていわゆるケータリング(顧客の指定するところへ出向いて食事を配膳、提供するサービス)やねネット通販などの流通に関連するビジネスも海外へ進出することになります。ただし、ハブシステムという流通の概念をビジネスモデル化し、オーバーナイトデリバリー(翌朝配達)を可能にしたのは、現在世界最大手のフェデックス・コーポレーション(FedEx Corporation)ですし、中国は世界第3位の宅配便市場となっており、それと連携したアリババ・グループの淘宝網(タオバオワン)はアジア最大の消費者向け電子商取引・ウェブサイトとして、会員数2億人以上、中国での消費者向け電子商取引サイトでは80%のシェアを占めるなど、日本の流通関連企業は世界的な競争の中にあると考えた方がよろしいでしょう。
こうした中で、ヤマトグループや佐川急便グループがアジアへ進出し、ユニクロが中国でのネット通販では淘宝網と提携するなど、さまざまな企業努力が展開されていると言えるでしょう。
次にビッグデータの利用ですが、多くの中小企業では自社内に技術者がいないという理由で二の足を踏む傾向にあります。しかし、クラウドコンピューティングの進歩によって、大規模データの分散処理が行えるオープンソースソフトウェアを活用した外置きのシステムを利用する、あるいはパッケージとしてアウトソーシングする、という手法も取れるようになってきましたので、コストの問題はあるものの、中小企業には無理だ、という状況ではなくなってきていると思います。

F「読者からの質問40~好きなこと・得意なこと~」

Q:私個人としては、「好きなことはできれば2番目」。好きなことを仕事にした場合、その好きなことを嫌いになった場合に仕事を辞めないといけなくなるから。
「得意なことを1番目」、得意なことを仕事の内容に当てはめることは、自分にとって苦を最小限にして仕事の生産性をあげることができるから、と捉えています。
脱線した内容かもしれませんが、「好きなこと・得意なことを仕事にする是非について」というテーマでいつかご意見いただけたらと思います。
A:またまた難しい質問をいただきました。
本当に好きなこととか得意なことがあるのか、などという難しい問題まで発生してしまいそうですが、そこまでは難しく考えずにお答えしたいと思います。
まず、佐久間陽一郎さんの「幸せな仕事人になるためのキャリア・デザイン・ハンドブック」から紹介しますと、
『「好きなこと」を仕事にすれば良いのです。
しかしこれがまた難しい。果たして自分は何が好きなのか、これが分からないのです。分からないから決断を先送りしていると、モラトリアム型のフリーターになったり、ニートになったりします。
哲学者ソクラテスの「汝自身を知れ」という言葉を本書の冒頭で引用しましたが、自分自身を知るということはそれほど難しいということを言っているのです。
しかしここでは余り考えすぎない方が良いでしょう。人は、特に凡庸なる者は、好きなことがはっきりしていないかわり、嫌いなこともはっきりしていないのです。
良くいえば、フレキシビリティーが高い、柔軟性に富むということです。
好きかどうかははっきりしないが、少なくとも嫌いではない仕事の中からどれかを選び、それに専念するのです。するとだんだん好きになってくる。より専念する。新しい疑問、新しい発見が次から次に出てくる。その深さに気づいた頃には、その仕事が大好きになっているものです。
嫌いな仕事と気づいたらどうするか。簡単です。やめるのが良い。やめないと大変なことになる可能性があります。』
いかがでしょうか、まずは明らかに嫌いな仕事にはつかないのがよろしいようです。
もう一つ注意しないといけないことは、高転び(好調の最中にはしごを外されて転げ落ちるさま)です。
人は自分が得意だと思っている分野で失敗しやすい、という現実に注意すべきです。
得意だと思えば、ついつい自分を過信し、得意なことで成果が上がると、ついつい舞い上がり、とんでもない落とし穴に嵌ることがままあるのです。
そういう意味では得意なことを仕事にする、という考え方はよろしいとは思いますが、落とし穴には十分注意することが必要でしょう。

C「読者からの質問39~ブラック企業~」

Q:「ブラック企業」の存在の理由として、「ブラック企業は他社と差別かできる付加価値を持つ製品・サービスが無いために、長時間労働・サービス残業頼みの体力勝負になるから」といった理由も考えられますね。「自分が成長できるから」という視点だけではなく、「今の会社が成長できる材料を持っているか」という視点も若者は持つ必要があると思います。現在大学院修士1年の私の同級生は社会人1年目となっている友人が多いです。はじまって半年ですが、すでに辞職したり、愚痴ったりしている現状があります。このように企業文化をしっかりと自分の将来設計に合わせて判断するように、企業選びを考えることも重要ですね。
A:以前も申し上げましたが、まずご自分のビジョンを持つことです。自分が将来何になりたいのか、です。ここはよく考えないといけません、ただし、あまり細かいところまで決めることはなく、いわば「冗長(必要以上に物事が多く無駄なこと、長いこと)」でかまいません。まあ、こんな感じとか、こういった方向性とか、でかまいません。例えば、組織のトップになるとか、安定した生活を送るとか、生きがいのある仕事に就くとか、弱い立場の人を助けるとか、そんな具合でもかまいません。
そして、そういった自分のビジョンに適した会社かどうかを見極めることが重要でしょう。
また、ご質問にもあるように「今の会社が成長できる材料を持っているか」という視点、これは重要です。
多くの場合、成長する会社に属することは自分自身の成長に反映されやすいのです。
ですので、入ろうとする会社が成長できる材料があるのかどうか、これに注意することはとても重要です。それは、会社の規模ではなく、会社の未来なのだとお考えください。
また、「ブラック企業は他社と差別かできる付加価値を持つ製品・サービスが無いために、長時間労働・サービス残業頼みの体力勝負になる」という観察は実に正しいです。
ブラック企業と呼ばれる会社の多くは、会社のコア・コンピタンス(競合他社を圧倒的に上まわるレベルの能力、競合他社に真似できない核となる能力)が実は安い労働力の大量投入だ、という現実があります。要するに、労働集約型で、それ以外に強みの無い会社がブラック企業になりやすいと言えます。
ですから、第193話で紹介した「若者応援企業」に登録した会社といった国の情報とともに、皆さんも入ろうとしている会社が労働集約型であるかどうか、労働集約以外に競争力があるかどうかをよく観察することです。
また、「上流に位置する会社か下流に位置する会社か」ということにも注意していただきたいと思います。これは、日本の下請け構造によるものですが、クライアントと直接取引ができているかどうか、ということです。クライアントと直接取引できないとすれば、それは下請け、あるいは孫請けの位置にある訳です。クライアントと直接取引する親企業から仕事が回ってくる、という形態では、どうしても低価格を強いられます。低価格は低廉な労働力を求める傾向になりますので、劣悪な雇用環境につながりやすいのです。
このように、①自分自身のビジョン、②コア・コンピタンス、③下請け状態、といった視点で調べることが、「はじまって半年ですが、すでに辞職したり、愚痴ったりしている現状」に陥らないコツかもしれません。

D「読者からの質問38~有国籍国際人~」

Q:僕の尊敬するビジネスマンの一人として、半田裕という人物がいます。
アディダスジャパン、ナイキジャパンと渡り歩き、日本ワールドカップはもちろん、世界中に戦いの場を求めるアスリートと共に仕事をしてきた人物です。
彼とお会いして際に『「有国籍国際人」になれ』と言われました。彼の言いたいことは,自国文化に誇りを持ち、最低限の知識を身に付け、他の国の文化に関心を持ち、尊敬の意を表して、知識をつけることです。
このコラムの「有国籍国際人」の考えも私には伝わっております。「グローバル人材」が増えるために、多くのメッセージ、アドバイスを今後ともよろしくお願いいたします。
A:まあ、このコラムが半田裕さんほど背骨の通ったメッセージになっているとは思えませんが、お褒めをいただいたと承ることにします。
さて、有国籍国際人ですか。
現代マーケティングの世界にフィリップ・コトラーという巨人がいます。ちょうど、日本経済新聞の「私の履歴書」に連載がはじまっていますので、興味のある方はぜひご覧ください。
このコトラーが卓見を述べています。
「グローバル化は普遍的なグローバル文化を生み出す一方、同時にそれに対抗する力である伝統的文化を強化する」ということです。
まさに有国籍国際人を指しているかのようです。
グローバル化が進めば進むほど、人はアイデンティティに依存するようになります。
海外で生活した人が、急にナショナリストのような発言をしだすのは、今も昔も変わりません。
従って、国際的に活躍するには、まず己が何者であるかを知らねばならない、ということだと思います。
前回お答えした海外へ日本のサービスを売るに際しても、売ろうというサービスが日本できちんとした成果を上げていなければ話にもなりません。
売ろうというサービスに自分が誇りを持っていなければ、どうして他人へ勧められるでしょうか。
また、そのサービスを売る相手のことをよく知らなければ、どうしてサービスが売れるでしょうか。
さらに、サービスを買っていただくお客さまを尊敬できずに、ビジネスを長続きできるでしょうか。
まさに、半田さんのおっしゃるとおり、自分のビジネスに誇りを持ち、最低限の知識を身に付け、売る相手の文化に関心を持ち、尊敬の意を表して、知識をつけることが、ビジネスの海外展開には欠かせないことなのだと思います。
コトラーの言う「文化マーケティング(ナショナリズムに代表されるローカル固有の文化や価値観を尊重しなければならず、それらを意識的にマーケティングに組み込んでゆく、という概念)」と、半田さんの言う「有国籍国際人」の間には、ある種の普遍性が存在すると筆者は受け止めています。それは、「多様性と調和」という概念です。

C「読者からの質問37~海外で売れるサービスとは~」

Q:日本の社会システムと海外の社会システムを分析とありますが、インターネットからの情報、現地による情報が有益な情報ですが、国内において、しかも海外の社会システムに「売れる」サービスを見つけることは難しいと思います。常日頃、どのような観点や行動指針から日本のよさや「売れる」サービスを発見されているのでしょうか?
「常識を疑う」ことからかもしれませんが、何かあれば教えていただきたいです。
やはり、海外に足を運ぶことが鉄則ですか?外の人とコミュニケーションを取ることですか?未知の世界に対する情報集めの話にもつながることかもしれないですね。
A:これも非常に難しい課題ですが、わかる範囲でお答えしたいと思います。
第一に、知識がいくら豊富であっても、それが回答につながるとは限らない、ということです。第226話でお伝えしたように、語学力とか異文化理解とかの「知識」レベルだけでは解決できない問題がグローバル化です。
従って、知識偏重に陥るよりは、普遍性に立ち返った方がよいということでしょう。
即ち、困った人がいるからビジネスは成り立つ、という当たり前の原則。
同時にそうしたビジネスは利益を産むものでなければならない、という原則。
そもそも自分、あるいは自分を取り巻くメンバーで、求められるビジネスを実行できるかどうか、という原則。
この三つで考えれば、まずは海外で困っている人を見つけるのが先だとわかります。
また、ビジネスである以上は、費用を上回る売上が見込めるかどうかも問題で、そうなりますと人口規模、所得水準、年齢階層なども重要な要素になるでしょう。
その上で、はたして自分が(あるいはメンバーが)そうしたビジネスを実行できるのか、が問われることになります。
こうしたことから、ビジネスの方向性は定めることができると思います。
とはいっても、何の知識もなければどうしようもありません。なにせ、ビジネスの相手がわからないことになるのですから。「無知がものの役に立ったためしがあるか」という真実はマルクスに指摘されなくても、誰しも認識しているとおりです(エンゲルスの引用による)。
では、どうやって海外の知識を身に付けることができるか、ということになります。
これは前回お伝えしたように、90%以上はWebで手に入ります。
が、問題は臨場感です。
「知る」という行為には、単に文字だけではなく、臭いや味、そうした感覚的なものも欠かせません。皆さんに中華料理と伝えれば、皆さんは中華料理の文章的な説明よりも早く、あの独特のスープの香りとか、紹興酒の焦げたような匂いですとか、甘酸っぱい、あるいはつんとくる辛さとか、そうしたものを思い浮かべるはずです。
これが「現場感覚」というもので、どうしても現地に入らないといけません。ただし、すべての海外に行く必要があるかと言えば別で、おおよその類推ができれば十分でしょう。そうして考えますと、皆さんの海外渡航経験が少ないと仮定すれば、アジアを知る最初の訪問地には台湾をお勧めします。ついで、シンガポールかタイ。本命は中国の大都市以外の都市です。
台湾はビジターにとって楽な土地です、特に日本人には。シンガポールは治安がよいですし、きちんとした国です。タイは日本人に慣れています。大都市以外の中国の都市は、生活レベルがそこそこ受容できる範囲ですし、中国のディープさも垣間見れます。
しかも、この頃はLCC(格安航空会社)がありますので、費用的にも許容の範囲です。皆さんも機会を捉えてぜひ海外に飛んでみてください。

F「読者からの質問36~情報収集~」

このコラムは読者とのキャッチボールも重要と位置づけており、その作業の中から①これから社会に参加する若者の皆さんに「働く」、あるいは「ビジネス」ということがどういったものなのかを知っていただく、②中小企業や小規模事業者で働くために重要な知識やスキル、あるいは社会人基礎力を身につけていただく、③中小企業や小規模事業者の海外進出において必要とされるさまざまな国や地域の情報や文化風土などの基盤的な知見を知っていただく、そうしたことを深堀したいと考えています。

Q:企業の臭いをかぎわけるために、常日頃から高いアンテナや、興味を持った企業に対して入り込んだ情報集めが必要ですね。
会社がつぶれようが、様々な業界に転職しようが、しっかりと新卒の企業選びも見極めたいと思います。
自分が成長する場として会社を選ぶ、という前提に立つならば、その「成長」の量と質も自分で見極めないといけないですね。
また、「自分の成長しやすい環境」も過去の自分と振り返って見極めが重要ですね。
A:まず、情報集めからお答えいたしましょう。
情報収集はもちろん大切なことです。
ただし、何か特別のことをしないとできないのでは、と考える必要はありません。
アメリカのCIA長官が上院で証言したことを引用しますと、「私たちの情報収集活動の90%以上は既に公開されている情報である」ということです。
多くの情報は世の中に出回っています。第一にWebがあります。第二に世の中の評判があります。第三に知り合いの知り合いが知り合いであるというつながりがあります。特に、大学と関係のある企業であれば、これまでの経過や実績などは大学側に蓄積されていますので、Webと併用すればかなりの情報はさほど苦労せずに手に入るのではないでしょうか。
難しいのは二番目の質問で、成長を自分でどう捉えるかということです。
これには、まず自分自身のビジョンを持つことです。
10年後、あるいはさらに遠い将来、自分はどんな大人になっていたいのか、これをきちんとイメージしましょう。ここで言う「きちんと」は精密にとか正確にとかの意味ではありません。すとんと自分の腹に収まるという意味です。まずは自分で得心できるビジョンを持ちましょう。
そして、そうしたビジョンと照らし合わせれば、自分の現在位置がつかみやすいはずです。
さらに、成長の具合を判断するならば、これまでこのコラムで学んだ「知識」「スキル」「コンピテンシー」「価値観」「動機」という尺度で測ることができるはずです。
また、「自分の成長しやすい環境」については、具体的にどういった中身をお考えかわかりかねるところもありますが、基本的には反面教師もまた教師である、ということでしょうから、まったく成長できない環境はないのではないかと思います。より効率的に、という意味でしたら、それは精神的に負荷がかからないとトレーニングにはならないので、あまり効率性を考えてもよい結果を産むとは限らないとだけ申し上げましょう。

F「読者からの質問35~Why的思考③~」

Q:私は欠点の一つが「思考の浅さ」です。おそらく「Why」の教育が圧倒的に足りていないのです。教育者にはこれまで恵まれており、自然と自分から「Why」の努力を怠っていたのかもしれません。それに危惧して、最近の勉強のテーマは「問題解決」です。書店には歩き、根本的な問題解決本からHow to本などできる限りのことをしています。今後も時間を見つけて、勉強や読書に励みたいと思います。経営者の話や経営に関する本は身近な問題解決の勉強の材料かもしれませんね。こういった方法で「Why」に近づけるでしょうか。

A:前回では料理の話から普遍性に辿りつきました。
今回は、「怖れる」と「怯える」の違いです。
知らない人に会うことは恐いことです。
しかし、その恐さは「怖れ」と「怯え」ではまったく違います。
私たちは、知らない世界や対象には思わず身構えるものです。
身構えなければ、明らかに不用心です。
しかし、怯えて身構えれば、ただ単に立ちすくむだけです。
怖れて身構えれば、視野が徐々に拡がるにつれて、前に進むことができます。
ですので、「怖れる」ことは大切ですが、「怯える」ことは避けなければなりません。
言葉を変えれば、「怖れる」ことは用心すること、注意深くすること、乱暴にしないことにつながります。
「怯える」ことは近づかないこと、遠ざかること、崇めることにつながります。
皆さんが社会経験の多い年上の方とお会いすれば、当然のように恐いはずです。恐くなければ、それはそれで大きな問題です。
しかし、その恐さが不用意に振る舞わないという姿勢につながれば多くの実りをもたらす可能性を高めます。
それは、十分に「怖れる」ことだからです。
その逆に不用意に振る舞って、何かしらの逆鱗に触れる、あるいは無視されるとすれば、それは出会いをまったく活かせていないことですし、“羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く”の喩のとおり、次は「怯える」ことに流れてゆくでしょう。
いかがでしょうか、「他人ができることはできるだけやらない」ことは十分な「怖れ」とともに行わなければ、無用なリアクションを招くのは間違いなく、それは孤立への道の一歩にもなりかねない、と心に期していただきたいのです。
また、「怖れる」中から視野を拡げようとする努力は、間違いなくWhy的な思考につながります。How to的な思考では視野は拡がらず、「怖れる」対象との距離は縮まらないからです。
「怖れる」対象の本質を探るプロセスは、「なぜ」と繰り返す思考とほぼ同じです。ですので、かなり辛い作業になります。それは、頭に負荷をかける精神的なトレーニングと言えるからです。

F「読者からの質問34~Why的思考②~」

Q:私は欠点の一つが「思考の浅さ」です。おそらく「Why」の教育が圧倒的に足りていないのです。教育者にはこれまで恵まれており、自然と自分から「Why」の努力を怠っていたのかもしれません。それに危惧して、最近の勉強のテーマは「問題解決」です。書店には歩き、根本的な問題解決本からHow to本などできる限りのことをしています。今後も時間を見つけて、勉強や読書に励みたいと思います。経営者の話や経営に関する本は身近な問題解決の勉強の材料かもしれませんね。こういった方法で「Why」に近づけるでしょうか。

A:第229話で「他人ができることはできるだけやらない」ことをお勧めしましたが、いささか取扱いに注意が必要なことと、この質問にあるWhy的思考とからめて、二回に分けてお話を差し上げたいと思います。
最初にお伝えしたいのは、前回も触れた「普遍性」です。
特定された局面だけで再現できるものではなく(「特殊性」とでも言えるでしょうか)、かなり多くの局面でも再現できる「何か」を私たちの身の周りで起こっている出来事の中から見出す、という作業の重要性です。
これには「なぜ」という問いかけが不可欠です。
例えば、筆者はよく鶏がらを煮込んでスープを作ります。中国流に言いますと、「鶏湯(チータン)」ですね。本当は鶏を一羽丸ごと使うのですが、貧乏人は鶏がら100円で十分です。
このスープを上手に作るこつは、何のことはありません、鶏がらから血合いや汚れをきれいに取り除く、急がずに弱火でひたすら煮込む、出てくるアクを丁寧に取る、それだけのことです。
しかし、そのままの鶏がらを放り込んだり、急いで強火でぐつぐつと煮込んだり、アクを取らずに放りっぱなしにしておけば、とたんにスープは濁り、生臭さが出て幻滅です。
筆者はこの作業をするたびに、「ビジネスも同じだ」と思うのです。
料理の中から見出される普遍性が「手間暇を惜しまない」ことだとすれば、この普遍性はビジネスにも十分再現できます。
また、もう一つ見出される普遍性が「食べる人の身になって考える」ことだとすれば、この普遍性もまたビジネスに十分再現できます。
要するに、手間暇を惜しまず丁寧に、お客さまの身になってサービスや商品を提供することは、ビジネスで成果をあげる基本的な普遍性ではないでしょうか。
「なぜ」鶏がらをそのまま放り込んではいけないのか、それは食材の質を上げるためです。
「なぜ」急いでぐつぐつと煮込んではいけないのか、それは食材からレベルの高いコクを取り出すためです。
「なぜ」アクを取らないといけないのか、それは食味から不純なものを除くためです。
そして、何よりも重要な「なぜ」は、「どうしてこんな手間暇をかけないといけないのか」です。
その答えは、料理を食べる人に美味しさを味わっていただきたいためであって、料理というものはそれ以外の何物でもないのです。
ビジネスもまったく同様です。
ビジネスというものは、お客さまに満足を味わっていただきたいための行為であって、それに対するお客さまからのお返しが売上であり利益であるに過ぎないのです。これは第1話「ビジネスとは」でお伝えした次の原則にあるとおりです。
①ビジネスで利益が上がること
②ビジネスによって、お客さまにプラスを与えられること
③ビジネスを通じて、ビジネスに関わったスタッフ、あるいはスタッフが所属する組織が成長できること
いかがでしょうか、料理の中にも普遍性はあり、その普遍性はビジネスという別の局面でも再現できるものなのです。

F「読者からの質問33~Why的思考~」

Q:私は欠点の一つが「思考の浅さ」です。おそらく「Why」の教育が圧倒的に足りていないのです。教育者にはこれまで恵まれており、自然と自分から「Why」の努力を怠っていたのかもしれません。それに危惧して、最近の勉強のテーマは「問題解決」です。書店には歩き、根本的な問題解決本からHow to本などできる限りのことをしています。今後も時間を見つけて、勉強や読書に励みたいと思います。経営者の話や経営に関する本は身近な問題解決の勉強の材料かもしれませんね。こういった方法で「Why」に近づけるでしょうか。
A:第226話で「言語、文化、習慣、価値観などがまったく違う状況の中では従来の仕組みや進め方は通用せず、いわば『非連続性』を大きなストーリーで乗り越える」ことの重要さをお伝えしました。
実は、Why的思考も同じようなものだとお考えいただいてよろしいかと思います。
要するに、単なる「知識」の積み重ねだけでは駄目だ、ということです。
精神的な能力の中でも、コンピテンシー、あるいは価値観という深い層にまで辿りつかないと、How to的思考から抜け出すのは苦労します。
それは、「今をどうにかして凌ごう、そうしたら明日は別の局面が待っている」という世界とはまったく異なるプロセスを辿らないといけないからです。
「今を凌ぐのではなく、原因をどうにかする」、そこまで徹底するかどうかが分岐点になるとお考えください。
ですので、単なる「知識」を積み重ね、その中でとりあえず今の局面で通用する「ノウハウ」を教えるHow to本は最悪なのです。
そういった「ノウハウ」は、原因まで深堀することは皆無ですから、ほとんど普遍性がなく、局面が変わるとまったく役に立ちません、というよりも違う局面では有害になることすらあります。
重要なことは、起こっている局面から普遍的なものを見つける努力です。そして、見つけ出した普遍性を多くの局面で再現できるように再構築すれば、これはそのときそのときの「ノウハウ」をはるかに超えたものと言えるでしょう。
もちろん、原因を徹底して考え、その中から普遍的なものを見出すのは辛い作業になります。筆者は、こうした思考を何時間も続けると、きまって頭痛に悩まされます。
しかし、フィジカルなトレーニングが筋肉中に乳酸が発生するまで負荷をかけないと意味がないのと同じで、精神的なトレーニングも頭に負荷をかけないと効果が出ないのです。
もちろん、最初からこうした思考を長時間続けることは無理でしかありませんが、マラソンと同じで、徐々に走れる距離を伸ばすことによって、Why的思考に耐えられる精神構造ができあがるとお考えください。
また、経営者の話や経営に関する本については、世の中の評判を参考にするとよろしいでしょう。特に経営に関する本については、「こうしたら成功する」といったHow to本を避けて、ドラッカーやコトラーのような巨匠の著作に挑戦してみてください。こうした読書も頭に負荷をかけるトレーニングでなければ意味が薄いのです。

F「読者からの質問32~若者の立場での人との関わり方②~」

このコラムは読者とのキャッチボールも重要と位置づけており、その作業の中から①これから社会に参加する若者の皆さんに「働く」、あるいは「ビジネス」ということがどういったものなのかを知っていただく、②中小企業や小規模事業者で働くために重要な知識やスキル、あるいは社会人基礎力を身につけていただく、③中小企業や小規模事業者の海外進出において必要とされるさまざまな国や地域の情報や文化風土などの基盤的な知見を知っていただく、そうしたことを深堀したいと考えています。

Q:皆からの評判の良い人という方としっかりと出会い、その関係を継続的に保つことを心がけます。僕の周りでは良いお手本もいらっしゃいます。学ばせていただくことがたくさんあります。また、多くの社会人の方からも学びたいと思います。とりあえず「目上の人間の機嫌を取っていればよい」という浅はかな考えを持たないようにしたいと思います。
前向きに「出会い」を捉えていきたいと思います。そういった考えで若者の立場で人との関わり方を進めてよろしいでしょうか。
A:第69話では「一つは、皆さん自身が出会いを求める前向きの気持ちを持つことです。後ろ向きになれば出会いは自ずと遠ざかってゆくものです。一つは、経路依存症です。第6話では経路依存症から抜け出すための出会いについて述べましたが、逆に一度良い人にめぐり合ったら、その経路を大切にすることです。良い人は良い人を紹介するものです。」とお伝えいたしました。いずれも「出会い」を大切にしてゆくことの延長線上に出てくるものです。
そこで、もう一つお考えいただきたいのが、自分をどうPRするか、です。これは第5話「関係構築力」で、その一端をお知らせしました。そして、「覚えていただくように意識して行動する」ことをお勧めしました。
今回はその発展形です。それは「他人ができることはできるだけやらない」ということです。
「他人ができることはできるだけやらない」ようにしていますと、その結果、「自分でしかできないこと」を探すようになります。これがとても重要なことで、なかなか「自分でしかできないこと」を見つけるのは難しいものです。しかし、これに注意していると、見つけるしかなくなるのです。何せすることがありません。それほど、私たちは常日頃、「他人ができること」をしているということです。
しかし、これはかなり勇気のいることです。何せ、周りのやっていることに同調しない訳ですから。
これを繰り返していますと、世の中の多くの人々は実に同じ方向を向いて行動していることがわかります。誰かが右へ向けば、その周りの多くの人々も右へ向くのです。そういう中であえて左を向く、これは大変なことになります。そこで、「自分でしかできないこと」を探して、それを実行する。
いかがでしょうか、これは間違いなく自分をPRできるでしょう。ただし、かなりの確率で「変わった奴だ」と思われることになりますので、それにはご注意ください。

C「外国人観光客」

中小企業や小規模事業者は「観光」という領域に関わることも多くなっています。直接観光業に携わるだけでなく、情報化、食材、調理、新商品開発、送迎、ガイド、宣伝広告など、実に幅広いビジネスチャンスが存在しています。しかも、その多くは地域内の身近なものです。
しかし、みずほ総合研究所のまとめた「みずほリポート~国内観光市場の見通しと雇用への影響~」によれば、日本人旅行者数は前年割れが続き、2010年から2020年にかけて約3億人から約2億人へと約1億人も減少するそうです。
そうなりますと、日本人に限定した国内旅行に依存していては限界があります。

そこで、皆さんに注目して欲しいのが、外国人観光客の存在です。第191話で紹介したように、政府は“ビジットジャパン構想”を立ち上げ、年間の外国人観光客を1,000万人にしようとしており、その中でも銀聯カード(中国のクレジットカード)を利用できる施設や店舗では、一人あたり20万円近い中国人観光客の観光支出は魅力になります。

12月2日付けの日本経済新聞によれば、円安とLCC(格安航空会社)の影響もあって、今年は年間1,000万人の大台を望めそうです。その背景には、何と言ってもアジアの国々で中間所得者層が厚みを増しており、潜在的な旅行需要が拡大していることがあります。
この外国人観光客が落とすお金は、今年の上半期だけで約7,700億円に上り、これは昨年と比較して25%も多い数字になっています。これが仮に年間2,000万人というレベルになれば、その消費はGDPを5兆円も押し上げる効果があります。この5兆円という金額は、今政府が消費税増税対策で組もうとしている補正予算の規模とほぼ同じですから、その波及効果の大きさがよくおわかりいただけると思います。

しかし、そのためにはそれぞれの地域が競い合って外国人観光客を受け入れる体制を整える必要があります。そして、そうした体制を整えた地域には大きな経済波及効果がもたらされることになるのです。
そのためには、何よりも諸外国の実情をよく把握し、その嗜好性、価値観、食や住の好み、行動パターンなどを周知すること、異なる価値観を受け入れる精神風土を培うこと、多言語を理解するコミュニケート人材を育てること、実にたくさんの課題があります。
こうした課題を解決するビジネスモデルを築くことが、中小企業や小規模事業者の大きなビジネスチャンスになると、ぜひ理解していただきたいと思うのです。

また、第35話で紹介したように、「狙いは東アジアの中高年の富裕層です。健康に病的な関心を持ち、可能であるならば異性にも興味を失いたくない、という共通の心理状態にあるお金持ちです。彼ら彼女らは、心の底から『効く』ことを信じて救われたいのです。そのためならば、お金と時間を惜しみません。」であり、ここにSTPマーケティングがあるのです。
即ち
Segmentation(セグメント化):市場における顧客のニーズごとにグループ化し、市場をセグメントする。様々な角度から市場調査し、ユーザ層、購買層といった形であぶり出し、明確化していく。簡単に言うと“切り口”という意味。
Targeting(ターゲット選定):セグメント化した結果、自社の参入すべきセグメントを選定し、ターゲットを明確にする。選定では、自社の強みを活かせる、あるいは他社の競合のないセグメントを選択することで市場における優位を得られる可能性が高くなる。
Positioning(ポジショニング):顧客に対する利益を検討し、自らのポジションを確立する。そのためには、顧客のニーズを満たし、機能やコスト面での独自性が受け入れられるかがポイントとなる。
ということです。
まさに、セグメント化では東アジアにおける中高年富裕層の消費行動の分析であり、ターゲット選定では健康に病的な関心を持ち、可能であるならば異性にも興味を失いたくない、という人々であり、ポジショニングでは地元の特産物を活用した“薬膳”ではないでしょうか。

A「武田薬品工業に見る社長の人選」

中小企業や小規模事業者にとって重要な経営資源である経営者、この問題は創業者の後継者をめぐって大きな壁となる場合があります(第194話参照)。
そこで、日本を代表する製薬会社である武田薬品工業の社長人選を見てみたいと思います。

12月1日付けの日本経済新聞によれば、武田薬品工業は次期社長にフランス人のクリストフ・ウェバー氏(英グラクソ・スミスクライン社幹部)を選んだそうです。
もともと、世界戦略を意欲的に進める武田薬品工業は最高の意思決定機関であるグロール・リーダーシップ・コミッティー(全社最適な観点からグループの重要案件の審議や意思決定を行う)のメンバー9名中5名が既に外国人ですから、さほど驚くべき人選ではないのかもしれません。
しかし、現社長の後任を決めるに際して、社外の有識者で構成するグローバル・アドバイザリー・ボード(グローバル経営戦略や製品ポートフォリオ戦略について、医薬事業のグローバル戦略を熟知した海外製薬企業のマネージメント経験者がアドバイスする)が内外のビジネスマンを紹介し、それを専門のコンサルティング会社による長期間のインタビューでふるいにかけて絞り込み、最終的に次期社長を決めるという仕組みは、これまでの日本企業と比較して、大変斬新で意欲的なものと言えるでしょう。
現社長はこれまでは「自分の後継者は日本人」と言い続けてきたようですが、第一に買収したスイスの製薬会社のマネージメントを通じて、これまでのやり方が通用しないと実感したこと(非連続性、第226話参照)、第二にスカウトした外国人幹部が実績をあげはじめたことから、「成功体験のある人がやらないといけない」と決断したようです。

こうした武田薬品工業の軌跡を見るにつけ、70億人に選択の幅を拡げる企業と、6,000万人に限定する企業との差を感じざるを得ません。人種や国籍、性別を問わなければ人材は世界から選べますが、日本人男性に限定すればその選択肢は狭まることになるのです。
もちろん、中小企業や小規模事業者が同じように国際的な見地から後継者、あるいは有意な人材を求めることはそう簡単ではありません。専門のコンサルティング会社を使うこと自体、多額の報酬を要求されます(タワーズワトソン、ヒューイット・アソシエイツ、ヘイ・コンサルティング・グループ、マーサー・ヒューマン・リソースコンサルティングなど)。しかし、人選を自社内の人材に限定する、という過ちからは早く抜け出すことが必要でしょう。「身近な人材」ではなく、「企業を成長させる人材」という観点に立てば、自社内に限定する必要は何もありません。

遠く春秋戦国時代に例を取れば、自国に人材を限定した国は衰亡の一途を辿り、他国に人材を求めた国が隆盛を極めたのは枚挙に暇がありません。
魏は賢才を広く募って戦国初期に強国となり、楚はその魏から亡命した呉氏を起用して王権を強め、斉は魏で罪に問われた孫氏を受け入れて魏を破り、燕は中山から亡命した楽毅の力で斉を侵し、秦は商鞅や張儀の改革で中国統一の基盤を作ったのです。
まさに、「千里に賢を求める」でなければ、人材を得ることは難しいのです。

A「地域貢献とグローバル人材」

中小企業や小規模事業者が経営革新を行うとき、頼りになる存在の一つに大学があります。いわゆる産学連携の利点は、大学の有する知的資源を有効に活用できることにあり、上手に連携ができれば大きなプラスが見込まれます(上手な連携には有能な仲介役が必要)。

そうした意味で、日本経済新聞が主宰する大学の地域貢献度調査に注目されるとよろしいでしょう。これを見れば、どの大学が地域に貢献しているかがすぐわかるという優れものです。
2013年の結果を見ますと、地域貢献度は①組織・制度(地域貢献に取り組む組織の充実度)、②ボランティア・防災(災害時の支援体制など)、③住民(公開講座や施設開放)、④学生(地元就職率やインターンシップ派遣実績など)、⑤企業・行政(産学連携や地方自治体との協力の実績)という5つの視点で点数化しているようです。

で、その結果を見ますと、長野県は「凄い」の一言です。
堂々の第1位が信州大学、第6位に私立大学では最上位の長野大学、第9位に松本大学とそろい踏みです。こんな県は長野県くらいなものでしょう。
しかも、この3校は前回もベストテンに入っているのですから大変な話で、まさに競い合いが高いレベルでの成果につながっているのでしょう。

信州大学はボランティア・防災(災害時の支援体制など)と住民(公開講座や施設開放)が前年に続いての1位、それに加えて地方自治体との協力関係を拡大し、産学連携による共同開発も増加したことが二年連続の第1位につながったようです。山沢学長は「首都圏への若者の流出は大きな課題。地域が自前で若い時から地域課題を肌で感じる人材を育成する必要がある。ただ地域課題の解決は大学だけではできず、社会人から地域人材を育成する役割も重要。ものづくりでは企業が上のところもあり、コーディネートとして官の力は大きく、前提として地域と大学が対等だという認識も必要だ。」と述べています。
まさに、「地域中小企業の人材確保・定着支援事業」の必要性につながると言えるでしょう。

さて、こうした地域貢献という課題でも大学は重要な意味を持ちますが、もう一つ、中小企業や小規模事業者の海外進出を支援する人材供給という役割でも大学は欠かせません。まさにグローバル人材の育成を担っているからです。
その意味では、地域貢献に文部科学省の「地(知)の拠点整備事業(COC機能、center of community)」が対応しているのと同様に、グローバル人材には「グローバル人材育成推進事業」が対応しており、信州大学はCOCの採択を受けていますが、グローバル人材の採択はまだのようで、今後の採択が待ち望まれます。

しかし、グローバル人材は語学力とか異文化理解とかの「知識」レベルだけでは解決できない問題であり、未知の状況でゼロから作り出すことを可能にする「精神的な能力」が必要になります。言語、文化、習慣、価値観などがまったく違う状況の中では従来の仕組みや進め方は通用せず、いわば「非連続性」を大きなストーリーで乗り越えることが求められるからです。
そう考えますと、単にグローバル人材と囃したてるよりは、じっくりと腰を落ち着けて人間そのものを鍛えるのが早道なのかもしれず、地道に地域貢献で実績をあげる長野県の大学の行く先に、そうした「非連続性」を大きなストーリーで乗り越えられる人材が見えてくるのかもしれません。
いずれにせよ、中小企業や小規模事業者が大学の力を借りる際には、こうした外部評価の結果も参考にするのがよろしいと思います。

C「東南アジアに見る市場開拓⑫~回転寿司~」

東南アジア(あるいはアジア)への進出をさまざまな観点から進めている日本企業の事例を取り上げることで、より鮮明に中小企業や小規模事業者の新天地になりうる東南アジアを実感していただき、同時に新しい市場を開拓する際に重要なエッセンスを汲み取っていただきたい、そういう思いでお届けしています。今回も、多くの情報を日本経済新聞の記事からいただいております。

回転ずしと言えば、1958年、大阪府東大阪市の近鉄布施駅北口に最初の回転寿司店である「元禄寿司」が“コンベヤ附調理食台(実用新案登録)”として開店したのがはじまりで、今世紀に入ると、外食の定番、庶民のご馳走として私たちの生活に定着しています。
国内では約2,000店舗だそうですが(人口6万人に1店舗)、1990年代から海外への進出もはじまっており、現在では台湾の約200店舗を筆頭に、中国、マレーシア、オーストラリア、韓国、アメリカ、イギリスなどに拡大しています。
特にこのところの日本食ブームは(北アメリカでは2010年の約14,000店舗が2013年には約17,000店舗へと3,000店舗も増加)、こうした海外進出に拍車をかけています。

例えば、スシローでは2020年を目標に韓国で80店舗の展開を見込み、かっぱ寿司も2016年に韓国で30店舗、元気寿司はタイやインドネシアで攻勢をかけるなど、日本企業の海外進出も激しさを増していますが、台湾やマレーシアでは現地企業による開店も相次いでいます。
これは笑いを誘う寿司ネタですが、韓国では「ヒラメのキムチのせ」、台湾では「アナゴと野菜の手巻き」、タイでは「カニかま握り」、オーストラリアでは「チキンとアボガドの握り」が人気だそうで、こうしたことにも嗜好性と言いますか、味覚の違いが見えてきます。「アナゴと野菜の手巻き」はちょっとした生春巻き感覚なのでしょう。

こうした世界的な日本食ブームは、大資本に限らず中小企業や小規模事業者にも海外進出のチャンスが訪れていることを示しています。今回は回転すしがテーマですが、それに限らず大衆食堂、居酒屋、割烹、小料理屋、外食チェーンなど、さまざまな形態で日本の「食」を題材とした新しい市場が拡大していると考えてよろしいと思います。

ただし、その際に注意しなければならないのが食材の調達と人材の確保です。この二つは食を扱う限りついて回る問題で、これを解決しないかぎり、海外進出などは夢物語意に過ぎません。
そこで重要なのが東南アジアです。とりわけタイの重要性は忘れてはいけません。ASEANにおける食材のハブのような存在ですし、その加工技術も備わっています。また、長い間の日本企業との付き合いの中で、商慣行やコミュニケーションにも一日の長があります。
こうした意味からもタイの政情不安が一日も早く収まることを望むばかりです。

A「アジアのカントリーリスク~政情不安~」

中小企業や小規模事業者の市場開拓で重要な位置を占めているアジア、しかし、そこには多くのカントリーリスクも存在しています。こうしたカントリーリスクに注意することが、中小企業や小規模事業者の海外進出には欠かせません。

11月30日付けの日本経済新聞東北欄によれば、仙台市はタイ国際航空が仙台空港へ就航するのとあわせ、市をあげてタイとの交流拡大に走り出すようです。宮城県内の企業へ呼びかけ、メバチマグロや果物、生花などの輸入、仙台牛や三陸の水産物、自動車や電化製品の部品などの輸出と、民営化される仙台空港の将来を考えての布石でしょう。それにしても、地域商社機能の必要性を痛感する筆者としては、さすが仙台市だけのことはあると感心しています。

ところが、皆さんご存知のとおり、今、タイは政治的緊張を高めています。12月1日付けWeb配信のThe Newsによれば、プラユット陸軍司令官が同席する中、反タクシン派のステープ元副首相がタクシン派のインラック首相と事態収拾について会談したそうですが、両者の対立は収まりそうもありません(出稿時点の12月2日現在)。
これがまさにタイのカントリーリスクと言えるでしょう。東南アジアのかなめであり、多くの日本企業が進出するタイ、そこでどうしてこうした政情不安が起こるのでしょうか。今回はそれを少し分析する中から、中小企業や小規模事業者にとってのビジネスチャンスを考えてみたいと思います。

第一に押さえておかないといけないのは、タクシン派と反タクシン派の抗争は、形を変えた農村部と都市部の対立に他ならないということです。タイの経済成長を担ってきたのはバンコクを中心とする都市部で、所得向上も都市部に恩恵は限られてきました。東北部をはじめとする広大な農村部はこうした経済成長の埒外に置かれ、都市部への労働力や資源の供給基地として位置付けられてきたのです(第170話、第171話参照)。
この膨大な農村人口に目を付けたのがタクシン元首相で、それ以降、タクシン派は国家による米の高値買付やインフラ整備による現金雇用の拡大など、農村部へ税(予算)の大規模投入を行って政治基盤を培ってきました。これは、ちょうど昭和40年代後半、都市部と農村部の格差が表面化してきた中、列島改造論で大規模な農村部への税(予算)投入を図ろうとした田中角栄と、健全財政論を展開することにより、都市部(既存工業地域)への集中投資を維持しようとした福田赳夫の対立に近似していると言えるでしょう。当時の日本も今のタイも、農村部は都市部との所得格差こそあれ、まだまだ社会的、政治的な影響力は強く、今日の日本のように過疎化と高齢化で見る影もなく力を衰えさせた状態には至っていないため、より激しい形で対立が表面化しやすいのです、ちょうど昭和40年代の日本における米価闘争を見るように、です(当時は日本でも国が米を買い付けていました)。

第二の要因は、古渡(こわたり)か今来(いまき)か、ということです。タイ族が中国南部の雲南省からメコン川沿いに南下をし、チェンマイからアユタヤ、バンコクと勢力を伸ばしてきたことは第170話でお伝えいたしましたが、中国本土からタイへの移入は現代に至るまで長い間続いており、タイには華人という中国系の人たちが1,000万人近くいるほか、タイで華人の血をひいていない人を見つけるのは難しいと言われるほどです。このため、古くからタイに居を構えた華人(古渡)と、ごく近年タイへ移入してきた華人(今来)との間で勢力争いが生じています。タクシン派を率いる亡命中のタクシン元首相は1860年代に中国の広州から移り住んだまさに「今来の華人」であり、古くからタイに居を構えた華人が握っている既得権を侵す存在と言えるのです。

第三の要因は、「プラユット陸軍司令官が同席する中」が示すとおり軍の存在です。多くの新興国、特に植民地支配を経た国では、全国にまたがる近代的な社会システムが整っていません。そうした中、その出身が特定の地域や階層に依存しない限り、軍は全国にまたがる唯一の社会システムであり、軍が他国の軍との比較で常に評価されるという性格上、依拠する国そのものよりも近代化を先に進めざるを得ないという側面から、新興国における社会的プレゼンスは非常に高いものがあります。とはいえ、軍が政治の表面に出れば、国際世論の反発を招くことは必至ですので、社会的プレゼンスを活かした影響力の行使と、それが表面化しないような配慮のはざまに軍は存在すると言えるでしょう。これはタイも同様で、かつての軍事クーデターという荒療治は控え、いわば政治の仲介役としての立ち回りを見せていると受け止めるべきでしょう。

第四の要因は、第170話でも紹介しましたが、多くの国民の尊敬を集めるプミポン国王(ラーマ九世)が、高齢と病気のために活動が難しくなっており、後継のワチラーロンコーン王子がはなはだ不人気なことから、王室がこうした政情不安の解消に貢献しにくい、ということです。

こうした錯綜する要因の中、タイの政情不安は流血の段階にまで進んでいる訳ですが、基本は経済対立ですので、金の卵を産む鶏(タイ経済)を殺すまでに過激化するとは考えられず、早晩何かしらの妥協点を探ることになるのでしょう。
いずれにしても、こうしたタイのカントリーリスクを前提とするならば、中小企業や小規模事業者のビジネスチャンスは、農村部と都市部の対立を緩和するような方向に存在するのではないでしょうか。農村部における教育、衛生保健、特産品開発、地産地消、フェアトレード、中間コストを省いた買付・販売システムなど、日本で培った様々な社会システムはおそらくタイの地域対立を軽減することに貢献すると考えられます。

B-D「アジアとの付き合い方28~ウイグル~」

「東南アジアだけではなく、中小企業や小規模事業者が市場として考えるアジアの他の国々も紹介して欲しい」というご意見をいただきまして、東南アジア以外の国々をご紹介しております。いずれも中小企業や小規模事業者が今後考える海外進出の相手となる可能性がありますし、また、日本とは違う環境の中での市場を想像することは、日本国内におけるビジネスチャンスを考えるヒントにもなると思うからです。

中央アジアシリーズをカザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジクスタント続けてきましたが、今回は番外編としてのウイグルです。

ウイグルと言えば、昨今、中国(中華人民共和国)における民族問題として報道されることも多い民です。
ウイグル族、約1,200万人の人口を抱えるチュルク系の大きな集団です。約1,600万人のカザフ族がカザフスタン、約800万人のトルクメン族がトルクメニスタン、約3,000万人のウズベク族がウズベキスタン、約500万人のキルギス族がキルギスと、チュルク系の多くの民族が自分たちの国を持っているのに対して、ウイグル族はそうではありません。
ウイグル族は中央アジア(トルキスタン)の東側、タクラマカン砂漠の周辺に住むオアシスの民です。古くからシルクロードの交易に従事し、カシュガル、ホータン、トルファン、ハミ、敦煌といった名高いオアシス都市はウイグル族の土地です。
しかし、ソビエトロシアに属した他のチュルク系民族がその崩壊後に独立の道を辿ったのとは異なり、中国における少数民族としてその統治下に組み込まれて今日を迎えています。
また、古くからオアシス都市での農耕定住の生活を受け入れたため、他のチュルク系民族とは異なって、その90%以上がタクラマカン砂漠の周辺に生活しており、中央アジアにはカザフスタンに約20万人がいる程度で、さほど広域的な拡がりは見せていません。このウイグル族の中心がタクラマカン砂漠を抱える新疆ウイグル自治区です。

中国では国が認定した少数民族が55ありますが、人口規模が大きく、歴史的に特定の地域で大きな集団を形成している5つの民族が自治区という一定の自治権を与えられた地方政府に属しています。まず約1,600万人のチワン族(タイ系)が広西チワン族自治区、約1,000万人の回族(古くからのイスラム教徒で宗教以外は漢民族化が進む)が寧夏回族自治区、約1,000万人のモンゴル族(チベット仏教徒だが宗教以外は漢民族化が進む)が内蒙古自治区、約900万人のウイグル族(イスラム教徒)が新疆ウイグル自治区、約500万人のチベット族(チベット仏教徒)がチベット自治区となっています。
このうち、漢民族化が進んでおらず(宗教、言語、文化など)、自治区内で人口が多数を占めるウイグル族とチベット族が大きな少数民族問題として私たちの目に触れることになります。

とりわけ、近年における西部開発という国策の中で、漢民族が新疆ウイグル自治区やチベット自治区へ大量に移入し、ビジネスにおける優位さから漢民族とウイグル族という自治区内の所得格差を拡大していることが大きな社会問題となっています。ウイグル族もチベット族も中国語を習得した比率が低いことも、彼らのビジネスへの参加を難しくしていますし、ウイグル族の場合は西隣のチュルク系諸民族が独立している事実、チベット族の場合はチベット仏教独特の活仏信仰(ダライラマに代表される転生した高僧への帰依)という問題が、この民族対立を難しいものに追い込んでいると言えるでしょう。

日本の中小企業や小規模事業者にとって大きな市場となりつつある中国ですが、その内部にはこうした少数民族問題があること、特にウイグル族については隣接する中央アジアのチュルク系諸国家との関係の中でそれを捉える必要があることと、この機会に記憶していただければと思います。中国のカントリーリスクの一つがここにある、という認識をすることが重要でしょう。

B-D「アジアとの付き合い方27~タジキスタン~」

「東南アジアだけではなく、中小企業や小規模事業者が市場として考えるアジアの他の国々も紹介して欲しい」というご意見をいただきまして、東南アジア以外の国々をご紹介しております。いずれも中小企業や小規模事業者が今後考える海外進出の相手となる可能性がありますし、また、日本とは違う環境の中での市場を想像することは、日本国内におけるビジネスチャンスを考えるヒントにもなると思うからです。

中央アジアシリーズの五回目はタジキスタンです。ソビエトロシアの崩壊後、共産党系勢力とイスラム系勢力との内戦で国土が荒廃し、停戦後も国際監視団の秋野筑波大学助教授が殉職するなど、政情不安が今も続くパミール高原南部の国です。
チュルク系がほとんどを占める中央アジア5ヶ国の中で唯一のアーリア系タジク族が人口の80%を占めており、白い肌、青い目、高い鼻というコーカソイドの特徴がよく見られます。
このタジク族はチュルク系、モンゴル系の人びとが押し寄せるまで、中央アジアのオアシスや草原を自分たちの土地としていました。このため、タジク族は現在約2,000万人の人口を抱えますが、その半数はアフガニスタン北部に居住し、タジキスタンに約600万人、ウズベキスタンに約150万人、パキスタンに約140万人、イランに約50万人と、中央アジアとその周辺に散らばって住んでいる現状にあります。

タジキスタンは人口約700万人、その多くはタジク族で、他に北部のフェルガナ盆地を中心としてウズベク族が17%程度住んでいます。
内戦で荒廃したうえに、アフガニスタンと接するためにイスラム急進勢力の浸透も激しく、それに対抗するラフモン大統領の強権的な長期政権が続き、地下資源にも恵まれないことから、中央アジアの最貧国として知られ、一人あたりのGDPは1,000ドル未満とカンボジア並みの水準に止まっています。
産業的には豊富な水資源を活かした水力発電を武器に、アルミニウム製錬を大規模に行っていますが(原料となるボーキサイトは輸入)、その利権はラフモン大統領と海外資本にありますので、国民生活への寄与はさほどでもありません。それ以外では、隣国のウズベキスタン同様に綿花栽培が盛んですが、忘れてはいけないのが「出稼ぎ」による外貨獲得です。国内での産業基盤が乏しいタジキスタンではロシアを中心とした出稼ぎが盛んで、その送金はGDPの3分の1を占めるほどです。しかし、ロシアにおける民族主義の高まりは出稼ぎ労働者への圧力を増しつつあり、それがさまざまな意味で中央アジアの政情不安に拍車をかけている現状があります。

こうして中央アジア5ヶ国を見てきましたが、アジアとヨーロッパをつなぐ地政学的な位置、豊富な地下資源、全体として6,000万人を超える人口規模を抱えながら、いずれも政治体制の問題からカントリーリスクも少なくない、というのが地域の実態として浮かび上がってくるようです。また、持てる国と持たざる国、持てる民と持たざる民の所得格差も拡大しつつあり、こうした体制の安定化が強く待ち望まれるところです。
いずれにしても、交通量の拡大や所得水準の向上とあわせて、その市場的価値は今後大きくなると思われますので、カントリーリスクには十分な注意をはらいながら、海外進出の候補として注目することが必要でしょう。

B-D「アジアとの付き合い方26~キルギス~」

「東南アジアだけではなく、中小企業や小規模事業者が市場として考えるアジアの他の国々も紹介して欲しい」というご意見をいただきまして、東南アジア以外の国々をご紹介しております。いずれも中小企業や小規模事業者が今後考える海外進出の相手となる可能性がありますし、また、日本とは違う環境の中での市場を想像することは、日本国内におけるビジネスチャンスを考えるヒントにもなると思うからです。

中央アジアシリーズの四回目はキルギスです。この国もトルクメニスタンと並んで、日本人のあまり聞いたことのない国になるでしょう。

キルギス、次回にお伝えするタジキスタンと並んで中央アジアの最貧国です。もとは他の中央アジアの国々同様、モンゴル語の氏族を意味する“ヤスタン”に由来する「~スタン」をつけてキルギスタンでしたが、理由は定かではありませんが1993年にキルギスと改めました。
語源は“クィールク”、チュルク語で40の氏族を意味し、モンゴル高原のはるか北、シベリアの森林地域で遊牧と狩猟採集をあわせた生活をしていたのですが、モンゴル族の大遠征の過程でその一部に組み込まれ、徐々に西進して今日のパミール高原周辺に拡がったと考えられています。

キルギスは山と森の国、シルクロードから連なる天山山脈が中国との国境を形作り、そこから徐々に西のウズベキスタンへ向かって低くなるパミール高原がその多くを占めています。
砂漠の存在しない緑豊かな山と高原の国ですが、農業と牧畜が主な産業となっていることから、所得水準は低く、一人あたりのGDPは約1,200ドルと、東南アジアで言えばラオス、カンボジアより少し高いくらいの状況です。
人口は約500万人、その80%以上がキルギス族、隣接するウズベキスタンのウズベク族も15%ほどを占めます。

このようにキルギスは決して豊かな国ではありませんが、それに輪をかけたのが政情不安です。2005年に独裁的なアキエフ政権が崩壊しましたが、後を継いだバキエフ政権も強権的な政治に終始し、その混乱の中からキルギス族とウズベク族の衝突が頻発するなど、中央アジアの中でも不安定さは際立っています。その後、2011年の選挙でアタムバエフ政権が樹立しましたが、外国への累積債務の問題、外貨の多くを出稼ぎに頼る経済構造、民族対立などから、現状は極めて厳しいものがあります。

しかし、日本は最大の援助国となっていますし、中国とはシルクロードの時代から陸路でつながっている地理的条件もありますので、緑豊かな山と高原といった自然資源を活かして、観光を中心とする開発に関与することが期待されています。もちろん、政情の安定がその条件となることは言うまでもありません。

B-D「アジアとの付き合い方25~ウズベキスタン~」

「東南アジアだけではなく、中小企業や小規模事業者が市場として考えるアジアの他の国々も紹介して欲しい」というご意見をいただきまして、東南アジア以外の国々をご紹介しております。いずれも中小企業や小規模事業者が今後考える海外進出の相手となる可能性がありますし、また、日本とは違う環境の中での市場を想像することは、日本国内におけるビジネスチャンスを考えるヒントにもなると思うからです。

中央アジアシリーズの三回目はウズベキスタンです。いわゆるシルクロードの隊商が行きかう古代文明の栄えた国です。汗血馬を中国へ送ったフェルガナ、青いモスクで有名なサマルカンド、壮麗な廟所で名高いブハラなど、古代より続くオアシス都市が数多く知られ、かの三蔵法師もインドへの旅の途中に立ち寄ったことでも知られています。

このように長い歴史を誇るウズベキスタンはオアシス農業が盛んで、人口も約3,000万人と中央アジア全体の半分を占めていますが、今でも綿花収穫期には全ての学生と教師、公務員はボランティアで綿花の収穫に駆り出されているほど、ソビエトロシア時代に綿花の栽培にほとんどすべての人的資源を集中させられてきたために、見るべき産業が育たなかったという皮肉を味わっています。
その結果、一人あたりのGDPは2,000ドル以下と、隣国のカザフスタンやトルクメニスタンと比較して立ち遅れた現状にあります。
民族的にはウズベク族が80%を占めていますが、このウズベク族はカザフ族やトルクメニスタン族とは異なり、早くからシルクロードのオアシス都市で農業や商業に従事してきた歴史を持っています。このため、識字率も100%近いなど、その先進性、文化性を誇っていますが、反面、現状の経済水準はカザフスタンやトルクメニスタンと比べて立ち遅れているため、カザフ族やトルクメニスタン族へある種の反感を抱く傾向があり、これが中央アジアの不安定さの一要因となっているようです。
また、国内にはソビエトロシア時代の強制移住に伴う少数民族も韓民族(第217話)をはじめ、タタール人(クリミア半島から)、ドイツ人(ボルガ川流域から)、チェチェン人(コーカサスから)、ギリシア人(黒海沿岸から)、トルコ人(グルジアから)、クルド人(コーカサスから)などが今でも小さなコミュニティを形成しています。

このウズベキスタンもカザフスタン同様に1989年以降、カリモフ大統領の長期政権が続いており、今後の政治体制の変化が大きなカントリーリスクになっています。
また、天然ガスやウランなどの地下資源もある程度は見込まれていますが、トルクメニスタンやカザフスタンのように開発が順調に進んでいるとは言えません。
こうした中、近年は中国資本が地下資源開発、韓国資本(現代自動車)が合弁での自動車生産に進出しています。

このようなウズベキスタンですが、何と言っても中央アジア最大の人口とシルクロードのオアシス都市に恵まれており、消費市場、観光開発、あるいは農業生産などの面で日本企業の進出が大いに望まれていると言えるでしょう。

B-D「アジアとの付き合い方24~トルクメニスタン~」

「東南アジアだけではなく、中小企業や小規模事業者が市場として考えるアジアの他の国々も紹介して欲しい」というご意見をいただきまして、東南アジア以外の国々をご紹介しております。いずれも中小企業や小規模事業者が今後考える海外進出の相手となる可能性がありますし、また、日本とは違う環境の中での市場を想像することは、日本国内におけるビジネスチャンスを考えるヒントにもなると思うからです。

中央アジアシリーズの二回目はトルクメニスタンです。おそらく、日本人にとって聞くことが少ない国名の一つでしょう。
前回お伝えしたカザフスタンがロシアと中国の間に横たわる広大な草原の国であるとするならば、トルクメニスタンはその西南、カスピ海に面した砂漠の国です。
カラクム砂漠(Kara kumはチュルク系の言語で黒い砂)という不毛の砂漠が国土の70%を占め、人口のほとんどはイラン国境に接する南部の山脈北面に住んでいます。

このトルクメニスタンは一言で言えば天然ガスの国、世界第4位の膨大な埋蔵量を抱え、中国やロシアへ輸出することで、一人あたりのGDPは約7,000ドルと、タイよりも高い所得水準に達しています。近年ではパイプラインでトルコを経由してヨーロッパへ供給する計画も進行中です。しかし、長年のニヤゾフ終身大統領の統治下、大統領周辺の蓄財にその多くが費やされ、同時にそれへの反発を抑えるために、政府からのバラマキ的な生活支援として、食料品・日用品や住居の物価が低く抑えられているほか、教育や医療、電気やガス、水道などが無料とされていたため、いわゆる産業振興はほとんど手付かずの状況にあります。

しかし、2007年の大統領選挙でベルディムハメドフが選ばれてからは、高齢者向け年金の復活や閉鎖されていた病院の再開、そしてオペラやサーカス、映画の解禁、インターネットの利用解禁など、前政権の強圧的な専制政治との決別を国際社会へアピールしています。
その意味では、比較的高水準な所得水準を活かして、今後の市場的価値が高まるものと期待されます。

トルクメニスタンの人口は約500万人、その85%がトルクメン族で、この民族はその名前からわかるようにチュルク系ですが、国家形成を経験したことがないため、依然として部族ごとに分立する社会を形成しています。また、遺伝的にはコーカソイド(アーリア系)とモンゴロイドの混血と見られ、古代からの民族混交の名残を今に残しています。この後に紹介するタジク族のようなコーカソイドに属する先住の民族と、モンゴル高原から東進してきたチュルク系のモンゴロイドが中央アジアにおける民族移動の中で合流して今の姿に至ったものと思われます。
このトルクメン族は全体で約800万人を数えますが、その過半はトルクメニスタンに居住し、残りはイランやアフガニスタンなどの近隣諸国に拡がっています。
いかがでしょうか、砂漠と天然ガスの国、トルクメニスタンでした。

B-D「アジアとの付き合い方23~カザフスタン~」

「東南アジアだけではなく、中小企業や小規模事業者が市場として考えるアジアの他の国々も紹介して欲しい」というご意見をいただきまして、東南アジア以外の国々をご紹介しております。いずれも中小企業や小規模事業者が今後考える海外進出の相手となる可能性がありますし、また、日本とは違う環境の中での市場を想像することは、日本国内におけるビジネスチャンスを考えるヒントにもなると思うからです。

シルクロードの香りを今に伝える中央アジアは、平山郁夫画伯に止まらず、昔から日本人の旅情を誘う地域として知られていましたが、実際の中央アジアを知る機会はほとんど無かったのが実情です。それは、中央アジア5ヶ国がすべてソビエトロシアの重要な戦略拠点となり、なかなか日本人を受け付けなかった冷戦時代の後遺症とでも言うべきものです。しかし、今日ではユーラシア大陸の中央部に位置する地政学的なポジションと、豊富な地下資源があいまって、多くの日本企業がビジネスチャンスをうかがう地域へと変貌を遂げました。
この中央アジアは、ロシアと中国に挟まれている関係から、この両国の経済進出が盛んだったのですが、近年では民族的な親近感から(同じチュルク系)、トルコの影響力も増しており、ちょっとした勢力争いが日本やアメリカも巻き込んで盛んになっています。

その最初の国がカザフスタンです。中央アジアの大国、人口は約1,600万人と農業国ウズベキスタンにかないませんが、何よりもアジアでは中国、インドに次ぐ広大な国土、石油をはじめとする地下資源の豊富さは、今では13,000ドルを超える一人あたりのGDP(マレーシアより高く、香港の3分の1、日本の30%)を誇るまでになっています。もっとも、中央アジア全体では人口が約6,000万人とミャンマーの匹敵する規模ですので、その意味でも無視できない市場なのです。
この地下資源に魅力を感じているのが資源消費大国と化した中国で、中国指導部が中央アジアを訪れる頻度は驚くべきほど、その甲斐あって、カザフスタンの石油や天然ガスは、長大なパイプラインを通って(現代のオイルロード)、中国本土へと送られています。

そのカザフスタンはカザフ族の国です。人口の6割をカザフ族が占め、2割がロシア人、残りはウズベク族やウイグル族などのチュルク系の民族です。ロシアからの独立以降、ロシア人が出国する傾向にあり、それを周辺のチュルク系の民族が埋めています。
カザフ族、それは彼らの言葉で「カザク(「独立不羈の者」「放浪者」を意味するチュルク系の自称)」、名は体を現わすと言いますが、同じイスラム教徒のウズベク族などが早くからオアシスでの定住農耕や商業活動を受容したのに対し、彼らはつい先ごろまでは遊牧生活をあくまでも貫いた人々です。
このため、その居住地域も草原の続く限り、東はモンゴル、中国から、西はトルコ、ウクライナまで、約1,600万人が実に広い地域で遊牧を続けており、そのうちの約1,000万人がカザフスタンに住んでいるのです。

現在は石油、天然ガスに加えて、ウラン、ボーキサイト(アルミニウム)、クロム、マンガン、亜鉛、銅、銀などの地下資源が世界の10位以内を占めておりますが、それに加えて交通の要衝として中継貿易の一大拠点を形成しつつあります。
道路網はアジア開発銀行が進める中央アジア横断6ルートのほとんどがカザフスタンを通過し、鉄道網は中国東部の連雲港から中央アジアを経由して西はオランダのロッテルダムに至る約10,000㎞のユーラシア縦断鉄道(シルクロード鉄道)と、中国西部で分岐してカスピ海沿いに南下し、イラン、イラクへ至る南ルートがいずれもカザフスタンを通過することから、「カザフスタンは歴史的役割を復活させ、ヨーロッパとアジアを結ぶ橋になる」と大統領が宣言をしたほどです。
ちなみに、カザフスタンのカントリーリスクはソビエト時代の1989年から25年近くも続くナザルバエフ終身大統領への権力集中で、73歳の高齢から後継問題がいずれ浮上することになります。それとあわせて、近隣のウズベキスタンやキルギスタンからの労働力移入に伴い、民族間の格差問題が生まれつつあり、恵まれた資源収入をどう配分するかも大きな問題となるでしょう。

B-E「アジアとの付き合い方22~モンゴル~」

「東南アジアだけではなく、中小企業や小規模事業者が市場として考えるアジアの他の国々も紹介して欲しい」というご意見をいただきまして、東南アジア以外の国々をご紹介しております。いずれも中小企業や小規模事業者が今後考える海外進出の相手となる可能性がありますし、また、日本とは違う環境の中での市場を想像することは、日本国内におけるビジネスチャンスを考えるヒントにもなると思うからです。

東南アジアから香港、台湾、韓国と東アジアを北上しまして、いよいよ北アジアと中央アジアですが、今回は北アジアのモンゴルをご紹介し、あわせてその周辺についてもお話を差し上げたいと思います。

モンゴルと言えば、皆さんジンギスカンを思い出すのでしょう。13世紀にあの大帝国を築いたモンゴル族の末裔となりますが、彼らからすれば、このモンゴル高原こそがその中心だ、ということになります。
人口はわずか300万人弱、石炭、銅、ウラン、レアメタル、レアアースといった豊富な地下資源に恵まれ、昨今の資源ブームもあって年率10%を超える高い経済成長を続け、GDPは100億ドル程度とフィリピンの20分の1ですが、一人あたりGDPは3,500ドルとフィリピンを少し上回る水準に達しています。
反面、ロシアと中国に挟まれた地政学的位置から、輸出の9割を中国、石油燃料はほぼすべてをロシアからの輸入に依存するというバランスを欠いた経済構造にあり、昔ながらの遊牧生活を行う人々と都市生活に入った人々との所得格差も深刻化するなど、必ずしも安定した国家経営には至っていない現状にあります。
こうした経済構造を安定化するため、砂漠化の防止や水資源の確保、遊牧による肉、乳、皮などの資源利用、あるいは教育などのサービス部門で日本企業が期待されることも少なくありません。モンゴル族は長い間の経験から、商売上手な漢民族に対する半ばあきらめにも似た嫌悪感を少なからず持ち、近年進出が目立つ韓国に対しても同様な感情を有していますので、その反作用的に新日的ムードは大相撲での交流もあって高いものがあり、日本企業の進出には追い風になるでしょう。

もう一つの側面でモンゴルを考えますと、その主要民族であるモンゴル族の国家であり、数多くのモンゴル系やチュルク系諸民族の故地でもあるのです。
モンゴル族は、モンゴルに約250万人を数えるだけですが、内蒙古を中心として中国には約1,000万人、ロシアにはブリヤート人(北方モンゴル族)として約50万人が住んでいるのです。また、モンゴル帝国の末裔であるアフガニスタンのハザーラ族、中国のダウール族(内蒙古、新疆)、トゥ族(青海、甘粛)、ドンシャン族(甘粛)、バオアン族(甘粛)、ユグル族(甘粛)などのモンゴル系民族ネットワークの中心にモンゴルがある、という事実にも注意する必要があります。
また、これから中央アジアのところでお話する多くのチュルク系民族もその多くはモンゴル高原から生まれ、カザフ族などは今でもモンゴルにその一部が居住しています。
こうした移動を繰り返す遊牧の民の中でも悲劇と言われているのがモンゴル族トルグート部の人々で、彼らは17世紀に身内の抗争を西へ逃れて遠くボルガ川(ロシア南部を流れてカスピ海に注ぐ)両岸の草原に一大勢力を築くのですが、ロシアの進出におされて18世紀、再び東のモンゴル高原を目指して帰還の旅に出ました。その際、ボルガ川西岸に住んでいたトルグート部の人々は雪解けの激流でボルガ川を渡れず、今でもロシア領内でチベット仏教を信仰するカルムイク族という小集団を形成しています(ヨーロッパで仏教を信じる唯一の民族)。
このトルグート部に代表されるように、大草原を生きる彼らは数多くの、驚くほど遠距離の移動を繰り返しており、私たちのような農耕定住の民には想像できないほど、互いに混交し、あるいは雑居し、複雑な民族構成を北アジアから中央アジアで築いてきたことを念頭に置いていただきたいと思います。そうしませんと、これから紹介する中央アジアの国々の実態をなかなか理解することができないと思うからです。

こうした民族の事情は遊牧の民に限ることなく、第212話、第213話で紹介した韓民族でも存在します。北アジアの一部を形成する中国東北部(旧満州)には約200万人、中央アジアにはウズベキスタンを中心として約100万人の韓民族が住んでいます。中国東北部では主に吉林省になりますが、これは19世紀に朝鮮半島が度重なる飢饉に見舞われ、満州族が中国本土へ移動した後の無人の大地へ移り住んだものですし、その際にロシア領の沿海州まで移動していたグループが第二次世界大戦の最中に中央アジアへ強制移住させられたのがウズベキスタンの韓民族となります。
こうした民族の歴史にも注意をはらっていただければ、海外進出の際に無用な摩擦を避ける一助となるでしょう。

B-E「民族分布と北アジア・中央アジア」

「アジア全体の市場に対する知見を増やす記事を」という読者の声にお応えして東南アジアをシリーズでお伝えしてきました(第162話~第173話)。そうしたところ、「東南アジアだけではなく、中小企業や小規模事業者が市場として考えるアジアの他の国々も紹介して欲しい」というご意見をいただきまして、東南アジア以外の国々をご紹介したいと思います。いずれも中小企業や小規模事業者が今後考える海外進出の相手となる可能性がありますし、また、日本とは違う環境の中での市場を想像することは、日本国内におけるビジネスチャンスを考えるヒントにもなると思うからです。

中国を取り巻く北アジア、そして中央アジアの国々について、前回は鳥瞰的な理解をお伝えいたしました。“草原の道”ですね。
今回は、この広大な空間に生きる民族の分布をご紹介したいと思います。ただし、長距離移動が可能な人々ですので、かなり血は混交し、日本人が考えるような意味での民族とは違う部分もありますし、歴史的な経緯で変遷を辿った民族も多いので、これにはご注意をいただきたいと思います。

まず、紀元前後の段階で、東はオホーツク海から西はカスピ海に至るまで、おおまかにどういった民族が分布していたのかを見たいと思います。
それは、東から西へ「ツングース系」「モンゴル系」「チュルク系」「アーリア系」と分布していたと考えられます。
「ツングース系」は森林の民、おそらくはもっとも古く土器を産み出した人々で、主に狩猟漁労採集生活を送っていました。この広大な草原の中では森林に居住し、そう遠くまでは移動しなかった(従って、それほど激しく他の民族と混交もしていない)と思われます。より近現代に近づけば、金王朝や清王朝を築いた満州族、原日本人の一部を構成するエベンギなどのシベリアの諸民族、朝鮮半島の祖形を形作った人たちなどが属する集団で、日本人もかなりの割合を彼らに拠っています。
「モンゴル系」は今もモンゴル高原に住む草原遊牧の民で、強大なモンゴル帝国を築いた人々ですが、「チュルク系」とは異なり、西へ進んだ割合はさほど多くなく、モンゴル高原以外ではかつてのモンゴル帝国の領土内に点々と少数民族として分布しています。例えば、アフガニスタンの第三の勢力であるハザーラ族はその一つです。
「チュルク系」は同じく草原の民ですが、モンゴル高原の西部を居住地としていたこともあって、古くから西へと展開し、今ではアナトリア半島のトルコ(トルコ語の発音ではテュルキエ、Türkiye)から、中央アジア一帯、そして中国西北部の新疆などに広く分布し、ほぼ共通する言語を持つ巨大な民族集団となっています。そして、早くも8世紀にはイスラム世界と接触した経緯から、そのほとんどは敬虔なイスラム教徒となっています。
「アーリア系」はオアシスの民で、もともとペルシア高原から中央アジア一帯にはコーカソイドである「アーリア系」の人々が住んでいたと考えられています。あのさまよう湖ロプノールの古都楼蘭から出土した女性のミイラは青い目と高い鼻を持つコーカソイドの特徴を備えていました。しかし、「チュルク系」の人々が西へ進むにつれて、彼らと混交し、いつしか北アジアや中央アジアはモンゴロイドが多くを占める土地に変わっていったのです。しかし、今でもタジク族というコーカソイドの特徴を残す人々が中央アジア一帯に分布しています。

このように、東から西へかけて四つの大きな民族集団が分布し、そのいくつかは西へ拡がり、今日の国家や民族のあり方を形成してきたことをここではご記憶いただきたいと思います。これから、個別の国をご紹介する際に、必ず参考になると思います。

B-E「地政学的な位置と北アジア・中央アジア」

「アジア全体の市場に対する知見を増やす記事を」という読者の声にお応えして東南アジアをシリーズでお伝えしてきました(第162話~第173話)。そうしたところ、「東南アジアだけではなく、中小企業や小規模事業者が市場として考えるアジアの他の国々も紹介して欲しい」というご意見をいただきまして、東南アジア以外の国々をご紹介したいと思います。いずれも中小企業や小規模事業者が今後考える海外進出の相手となる可能性がありますし、また、日本とは違う環境の中での市場を想像することは、日本国内におけるビジネスチャンスを考えるヒントにもなると思うからです。

そこで、香港、台湾、韓国と東アジアをお伝えしましたので、今回は中国を取り巻く北アジア、そして中央アジアの国々をご紹介したいと思います。また、相互の関連からロシアや中国の一部である旧満州(沿海州を含む)、新疆、チベットなどにも触れたいと思います。

まず、鳥瞰的な理解として、東は海に面するロシア領沿海州、それに連なる中国東北部(旧満州)、モンゴル、そして新疆から中央アジアへと拡がる広大な空間を見てみたいと思います。ちょうど、ユーラシア大陸の北部をオホーツク海からカスピ海まで横一文字に貫いている大草原です。正確には、砂漠⇒草原⇒森林と乾燥地域から沿海部や山脈周辺の湿潤地域にかけて、グラデーションのように風景は変わります。

この広大な草原では、かつて人類が“遊牧”という新しい生活様式を身に付け、それに伴って長距離を移動することを可能にしました。その結果が、遠くは紀元前後にモンゴル高原で隆盛を極め、その後、西へ移動してローマ帝国を脅かした匈奴=フン族であり、近くは13世紀にモンゴル高原を拠点に、東は中国から朝鮮半島、西はロシアから中東、南はベトナムやミャンマーまでを勢力下に置いた蒙古=モンゴル帝国です。こうした巨大帝国は、すべて大草原を通じた長距離移動と騎馬戦術がもたらしたものです。
インド洋からの湿った風をヒマラヤの大山脈が遮断するため、「空には飛ぶ鳥なく、地には獣の影すらなし」と言われたタクラマカン砂漠、モンゴル語で「沙漠、乾燥した土地、礫が広がる草原」を意味するゴビ砂漠をはじめ、この広大な空間には乾燥した風の舞う砂漠が拡がります。砂漠にはオアシスが点在し、このオアシスを結んだ道が有名な“シルクロード”となります。また、砂漠の周辺は徐々に草原となり、モンゴル高原からロシアやウクライナの南部に至るまで、それこそ“蒼い狼“と“白い鹿”に代表される広大な草の海が連なっています。この大草原を貫くのが有名な“草原の道”で、“シルクロード”とともに東西文明を結ぶ重要幹線の役割を果たしていました。さらに、草原が海と出会うロシア領沿海州や中国東北部、そして日本列島には鬱蒼とした森林が生い茂り、この森の中から約15,000年前には土器を伴う前縄文文化が生まれたと考えられています。その意味では、日本列島はこの広大な草原の世界の東の果てにあたると言えるでしょう。

この「草原」という開放空間は、海運がいまだ未熟であった時代には重要な交通路としての役割を果たしてきましたが、16世紀以降の大航海時代、さらにはそれに続く植民地時代、海が東西文明を結ぶようになってからは、相対的に重要度を低下し、いつしか北アジアや中央アジアは未開の土地と見做されるようになりました。
しかし、東西冷戦の終了や新興国の経済成長とあわせ、今、アジアハイウェイに代表されるように内陸交通の重要度は増しており、「草原」という開放空間がその価値を取り戻すのと歩調をあわせるように、北アジアや中央アジアの国々の国際的なプレゼンスが高まっていると言えるでしょう。そうです、21世紀は「草原」が再興される時代なのでしょう。そして、日本の中小企業や小規模事業者にも新しい市場が拓かれるのです。