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C「これはイノベーティブでしょうか?~三菱重工業の戦略~」

中小企業や小規模事業者で重要なイノベーションの事例を数回にわたってご紹介してきましたので、皆さんにもイノベーションの具体的なイメージが持てていると思います。
今回は、以前にもお話を差し上げた造船業の動きを題材として、イノベーションはどういったものかを探ってみたいと思います。

造船業の問題は、第138話「読者からの質問24~2014問題~」にあったように、「造船の2014年問題は、要するに新規受注がなくなる、さてどうしましょうか」という話です。そして、その根っこには「より大きな問題は造船業界の乱立状態と企業規模の小ささです。」というオーバーストア状態があります。
とはいえ、なかなか業界の再編成が進まない中で、注目すべき話題が二つありました。
第一の話題は、川崎重工業(社長解任で話題になりました、第52話参照)が中国の海運大手である中国遠洋運輸集団(COSCO)と折半出資で設立した南通中遠川崎船舶工程(NACKS、江蘇省南通市)へ約300億円を投資、2つ目のドックを設け、VLCC(大型タンカー)換算で年間約2.5隻の生産能力を拡大、大型のばら積み船やコンテナ船、VLCCの本格生産に乗り出すという話題です。
これがイノベーティブと言えるかどうか、いかがでしょうか。

もう一つの話題は、三菱重工業や今治造船、名村造船所、大島造船所が、ブラジルの造船大手であるエコビックス・エンジェビックスへ約300億円を出資、ブラジルを拠点に、拡大が見込め、単独では難しい海洋資源分野に資源掘削船などを投入するという話題です。
これはイノベーティブと言えるかどうか、いかがでしょうか。

筆者には川崎重工業の動きは、あまりイノベーティブには見えません。それは、所詮は労働力の安い中国での生産を増やす、そして価格競争に勝つ、というだけに見えるのです。
それに対して、三菱重工業の動きはイノベーティブに見えます。それは、「海洋資源分野」という新しい市場を開拓する、しかも資源大国であるブラジルからそれをはじめるという点が非常にイノベーティブに感じられるのです。
いずれも同じように約300億円を海外に投資する、という意味では同じですが、その動きが「新しいアイディアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす」という視点から見たとき、両者には違いがあると思うのは筆者だけでしょうか。

GEのジェフリー・イメルトが喝破したように、「製造業は割安な労働力を求める時代ではなくなった」という問題意識を持つとき、依然として労働力の安さにだけ惹かれる川崎重工業の動きは何とも時代遅れに見えて仕方ないのです。

もっとも、この二つの投資のどちらがどの時点で会社の利益につながるか、という観点で見ますと、それは何とも言えない、ということもお忘れないようにお願いいたします。

C「トラブルをチャンスに変えよう」

中小企業や小規模事業者で働くことは、組織が小さいだけに直接お客さま(ユーザやクライアント)と向き合うことが多くなります。そこでは、実にさまざまなトラブルが起こるものですが、組織がそれをサポートしてくれる機会には恵まれないこともあります。
そうした場合にどうしたらよいか、これが今回のテーマです。

まず、最初に心に留めておいていただきたいのは、トラブルはお客さまとの距離を縮めるということです。トラブルが発生しますと、お客さまには何かしらの不都合があるのですから、当然ながらお客さまは冷静ではいられません。普段は、常識や礼儀、さまざまな価値観で自分を装っているお客さまの生の地が出る瞬間です。精神的に防御されていない状態である、とも言えます。
こうした状態の時に、プラスの印象を与えることができれば、トラブルは大きなチャンスになるのです。ですので、運悪く(?)トラブルに直面したら、ここはチャンスだと腹を決めることです。

さて、気持ちは決まりました。しかし、どう振る舞うかで大きく結果は異なります。
ここで覚えておいて損の無いのはLEAD法というポール・G・ストルツが「すべてが最悪の状況に思えるときの心理学」という本で紹介したものです。
L(Listen):傾聴です。お客さまの言い分をじっくりと聴き、状況を的確に把握しなければいけません。すべてはそこからはじまります。お客さまの言い分に相槌を打ったり、聴き返したり、要約したりすると、お客さまの主張をより正確に掴むことができます。また、こうしたやり取りの中でお客さまの感情が静まるケースもありますので、無駄になりません。
E(Explore):探究です。トラブルの原因を探りましょう。どこにどんな問題があり、それをお客さまがどう捉えているのか、それをできるだけ掘り下げることです。これが次の行動につながります。
A(Analyze):分析です。傾聴し、探究したトラブルの原因をどうしたら解決できるか、検討してください。その際、選択肢は多い方がよいのはネゴシエーション・スキル(第104話)でお伝えしたとおりです。
D(Do):実行です。分析した結果の対策を実行してください。その際、こうした言葉遣いが有効だと言われています。「本日は(このたびは)ご迷惑をおかけしました。私(わたくし)は〇〇が原因だと考えておりますので、△△のように早急に改善させていただきたいのですがいかがでしょうか。まことに申し訳ございません。」このアンダーラインを引いた言葉遣いが“改まり語”と言って、謝罪の気持ちを改まった雰囲気で醸し出すことができます。この“改まり感”がお客さまにこちらの謝意を伝える上で有効に働くことが多いようです。

トラブルの発生しない仕事はありません。どんな仕事にもトラブルはつきものです。特に初動期には多発するものです。それを怖れてはいけません。ピンチはチャンスだと割り切って、チャレンジブルに対応していただきたいものです。

C「エンパワーメント(Empowerment、自律的に行動できる力を与える)」

仕事というものは、仕事のできる人に集まる傾向にあります。そうしますと、自分ばかりが忙しい、という状態に陥りがちです。そして、そういう人ほど、自分でやった方が早いとか、思ったほどに結果が出ないので二度手間になるとか、ますます仕事を抱え込むことになります。
これは、経営者にも、その下の管理職にも、その下の平社員にも現われる現象ですが、特に人的資源の乏しい中小企業や小規模事業者では避けなければならない問題です。

こうした袋小路はどうしたら抜け出せるのでしょうか。それが“エンパワーメント”というスキルになります。
原語としては、与えられた業務目標を達成するために、組織の構成員に自律的に行動する力を与えることです。簡単に言えば、仕事を任せても大丈夫な状態を作るということでしょう。そして、そのうちに上が仕事を任せるのではなく、仕事は自分で探してくるようになる、そんなレベルまで行けることを言います。

そんなことができるの、という疑問を持つ方も多いでしょう。
それでは、逆にどうしたら失敗するか、を考えてみましょう。
第一の失敗は、任せっぱなしにする、これはうまくいきません。そもそも、下位者は上位者よりも経験も能力も劣るのが普通です。そういう下位者にあれをしなさい、とだけ言って、あとは任せっぱなしでは、免許の無い人間に運転を任せるようなものです。
第二の失敗は、間断なく監督する、これもうまくいきません。下位者からすればたまったものではありません。一言半句まで上位者に監督されるのでは、任されたのやら、操り人形なのやら、訳がわかりません。
第三の失敗は、責任を分かち合わない、これも駄目ですね。仕事を任せるということは、任せた上位者にも任された下位者にも責任があります。上位者が責任を負わなければ、失敗すれば下位者の責任、成功すれば上位者の手柄、これでは話になりません。その逆にすべての責任は上位者が取るのでは、下位者に信賞必罰が及ばないことになります。

そうしますと、この三つの間違いを犯さない、これが前提でしょう。
そのためには、任せる仕事の内容や期限、注意点などは明確に指示しなければいけません。言語化スキルですね。また、指示と押し付けは違います。材料は整えるが、それを料理するのは上位者ではないのです。上位者は下位者を支援する立場だと考えてください。
そして、その進捗状況は定期的に報告させる、上位者は報告だけに頼らず、折につけ状況を客観的に分析することも重要です。
同時に、失敗に備えて、責任を明確化することです。経験も能力も劣る下位者が失敗する危険性は常にあります。しかし、それが想定の幅にあるとすれば、失敗のリカバーは可能ですし、失敗が下位者の成長につながることも多いからです。

しかし、こうしたテクニカルなものだけではなく、より感情に起因する対応も重要になります。
それは、上位者が下位者に積極的、能動的なアクノリッジメント(Acknowledgement、第7話参照)を行うことです。上位者は下位者を励まし、勇気づけ、期待し、評価し、時には叱咤し、激励し、常に下位者のモチベーションを喚起するように働きかけることです。ただし、それも度を過ぎると、「間断なく監督する」という過ちに近づきますので、ご注意ください。

C「イノベーション~GEは語る~」

中小企業や小規模事業者にとって重要なイノベーションをお話しするに際し、格好の材料としてGE(ゼネラル・エレクトリック)を取り上げてきました。ジャック・ウェルチの時代に大胆なイノベーションを起こし、それに安住することなく、新たなイノベーションに挑戦し、成果を上げているからです。
そうしましたら、なんとGEのCEO(最高経営責任者)であるジェフリー・イメルトが先週は日本に来ていたんですね。日経フォーラム「世界経営者会議」に参加していました。あまりのタイミングに驚きです。
それだけ、世の中がGEのイノベーションに注目している、ということでしょう。

そこで、この会議でジェフリー・イメルトが何を伝えたのか、日本経済新聞の記事を参考にご紹介しましょう。それは、ジェフリー・イメルトが伝える「経営判断」の難しさ、厳しさは、企業の規模の大小を問わず、有用な示唆に富んでいると思うからです。読者からは、次のような感想もいただいていますが、こうした感想にも十分耐えうるメッセージだと思います。「先輩経営者から教えられたことがあります。経営者の最大の仕事は選択することだと。しかし、選択には責任もついてきます。」

彼はまずこう伝えます。GEは進化し、変化を続けていると。それは、世の中の変化に適応し、世界をリードするための長期的な競争力を身に付けるためだ、と。
そして、競争力を持つには四つの要素があるそうです。
一つは、「天然ガスの時代」、これは天然ガスが原子力をはじめとする他のエネルギー源を置き換える、とりわけシェールガスの開発はそれを加速化する、ということ。これは、ビジネスを取り巻く環境の変化に対応するということでしょう。
一つは、「インダストリアル・インター―ネット」、これは第178話で紹介しましたが、ものづくりと情報分析の融合が進むという方向性を示しています。
一つは、「より進化した製造業」、製造業は割安な労働力を求める時代ではなくなった(この辺は日本企業にとって耳が痛いでしょう)。労働力に競争力を求めるのではなく、材料や生産プロセスが重要で、作りたいものを作りたい時に作るサプライチェーンのコントロールが大切とのことです。
最後は、「徹底した現地化」、その国で成功したいと思うのであれば現地への密着が欠かせない、権限を積極的に現地へ委譲すること。製造でも、意思決定でも現地が強い発言力を持つような現地化を進めなければならないそうです。

また、こうした考えを持つに際しては、今の社会的変化はこれまでになかったほど大きいという認識と、ジェフリー・イメルトが数多くの起業家と会う中で、彼らが目的主導型(オブジェクティブ)であり、徹底的に顧客指向で、そのために迅速さを重視していることへの共感があったようです。
このため、できるだけ管理部門をシンプルなものとすることで、速い情報の伝達を可能とし、組織がスピード感を持てるようにGEを変えてゆく、と結んでいます。

いかがでしょうか、GEのような規模の大きな会社、しかもイノベーションを社是とする会社であっても、どうしたら経営判断を迅速化できるか、ここに変化の方向性をあわせているのです。また、経営判断の前提となるイシュー(課題となる要素)をどう絞り込むか、それに十分過ぎるほどの注意を払っているのです。中小企業や小規模事業者に同じような危機意識が求められることは言うまでもありません。

C「イノベーション~問題はシステム~」

中小企業や小規模事業者がイノベーションをする際に、ついつい陥りがちなのは、新しい技術、新しい商品、新しいサービスを産み出せばよい、と考えてしまうことです。
しかし、イノベーションとはそれに止まりません。「新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす」、そこにイノベーションの本質があるのです。

筆者も多くの中小企業や小規模事業者から「こんな商品ができました」とか「こんな新しいサービスができます」とか、そういう話を山のように聞かされましたが、その多くは市場を獲得する前に消えてゆきました。なぜでしょうか、それは「社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす」ことまでは見据えていなかったからです。さらに言えば、以前からある商品やサービスの代替でしかなかったからです。それでは、変化は起きません。

例えば、第二次世界大戦を考えてみましょう。当初、日本軍は破竹の勢いで勝ち進みました。その原因は「ゼロ戦」という最先端の戦闘機があったからだ、と言う人がいます。はたしてそうでしょうか。
それは確かに一要素ですが、それがすべてではありません。「ゼロ戦」という戦闘機を使いこなす数多くのパイロットを養成し、「ゼロ戦」という戦闘機を搭載する航空母艦を整え、それをコア戦力として使いこなす司令官がいて、さらにそうしたコア戦力を戦略的な目的に大胆に投入する指導者がいて、はじめて戦争に変化(イノベーション)が生まれたのではないでしょうか。単に「ゼロ戦」を以前の戦闘機の代替として、同じような使い方をしていたのでは、戦争に大きな変化は生まれなかったでしょう。

そういう意味で面白い本をご紹介しましょう。これも日本経済新聞の書評から多くの示唆をいただいていますが、それはポール・ケネディの書いた「第二次世界大戦 影の主役」というものです。ポール・ケネディと言えば、名著「大国の興亡」で有名ですが、またまた示唆に富んだ本を発表してくれました。
その中から、特に筆者が感銘を受けるのは、個別の新兵器や新技術に焦点をあてるのではなく、そうした新兵器や新技術を組み合わせ、システム化してゆく、全体としてのイノベーションがそこにあり、それを実現したのは指導者だけではなく、関係した数多くの人々である、という論点です。

いかがでしょうか、中小企業や小規模事業者がイノベーションを考えるときに重要なことは、産み出した新技術や新商品がどのように社会へ働きかけ、社会へ変化を起こしうるものなのかを想像し、そこへ向けた道筋を組み立てることだと思うのです。そして、それを実現するためにアライアンスが大きな役割を果たす、ということではないでしょうか。
そのような観点からイノベーションを考えていただければ、さまざまな可能性が見えてくると信じています。

これは以前にあった話ですが、スマートフォンを使って地域のお得情報を発信するというシステムを開発した企業がありました。筆者はそのプレゼンテーションを聞いたときに、要するに既存の紙媒体のチラシの代わりか、と思っただけでした。これはイノベーションではありません。仮にそのシステムを使うことで消費者行動が変わる、明らかに消費意欲を喚起して地域の消費循環が拡大する、あるいは地域外の消費者を地域へ呼び込み、外貨を獲得できる、というのであれば、それはイノベーションと言ってもよろしいとは思うのです。ここでお伝えしたかったイノベーションとはそういうことです。

C「イノベーション~GEの新たな挑戦②ジャパン・テクノロジー・イニシアティブ~」

中小企業や小規模事業者がイノベーションをする際に、忘れてはいけないことはアライアンス(alliance、企業同士の提携)です。どうしたって中小企業や小規模事業者は経営資源が乏しいのです。それを補うには、経営資源を持つ相手と組むしかありません。
あのGEですら、積極的にアライアンスを組んでいるのですから、なおさらなのです。

“インダストリアル・インターネット”と世界規模でのインフラ事業を展開しているGE、「製造業は競争優位を築く原動力」と考えているGEはアライアンスを怖れはしません。しかも、その相手の多くは日本企業なのですから、これは驚くべきことです。

日本カーボンが開発した炭化ケイ素繊維のニカロン、軽く、強く、熱にも負けない素材ですが、何しろ値段が高い。このニカロンをGEは新型ジェットエンジンに取り込んでいます。この新しいジェットエンジンは軽いので燃費がよい、当然、価格競争の激しい航空業界では大もてです。
富士フィルムとはバイオ開発に使う高精度の画像解析システム、富士電機とは次世代のスマートメーター(電力計測制御機器)、発光ダイオードで有名な日亜化学工業とは照明技術、なにしろ目白押しです。
これらは、ジャパン・テクノロジー・イニシアティブ(JTI)と呼ぶ、GEの国際戦略なのです。なぜならば、「日本には世界がこれから迎える課題がいち早く現われている」からだそうです。
まさに貪欲とも言える市場開拓の精神、イノベーションそのものではないでしょうか。

そうして見ますと、日本の企業のイノベーションはまだまだ緒についたばかりのようです。
第158話で紹介した「日本のGE」と呼ばれる日立製作所、今懸命に「問題解決型企業」というビジョンのもとにイノベーションを起こそうと必死です。しかし、GEがジャパン・テクノロジー・イニシアティブ(JTI)をはじめる前に、日立製作所自体が日本の他の企業との戦略的なアライアンスへ大胆に取り組むべきではなかったか(日本には限りませんが)、筆者にはそう思えて仕方ありません。
アメリカの巨大国際企業であるGEが日本の企業とアライアンスを大胆に組み、日本の巨大企業である日立製作所はグループ内で多様性と競争意識を醸成することに懸命。これは、どう贔屓目に見ても、日立製作所の方が内内意識から抜け出せていない、と思えるのです。

中小企業や小規模事業者は、こうした内内意識に囚われていてはいけないでしょう。それは、日立製作所のような大企業ではかなり十分な経営資源を社内で確保できます。人材、資金力、技術力、社会的信用、すべて兼ね備えているのです。そうした経営資源を社内で確保できる大企業は内内意識が強くても、そう簡単に経営は傾きません。しかし、中小企業や小規模事業者はどうでしょうか。どれ一つ取っても十分な経営資源は無いのです。とするならば、内弁慶はもう止めて、大胆に(かつ細心に)、外部とのアライアンスに踏み出すべきだと思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。

C「イノベーション~GEの新たな挑戦①ジェフ・イメルト~」

中小企業や小規模事業者にとって、重要な課題の一つがイノベーション(innovation、新しいアイディアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革)です。これは自分の会社においても、そして会社を取り巻くユーザやクライアントにとっても、なのです。
しかし、「いったいどうしたらイノベートできるの」という声もよくお聞きします。確かに難しいことです。とはいえ、市場に新しい価値を提供することが新しい市場を拓くことになるのですから、難しいと言って終わる訳にはいかないでしょう。

そうした意味で、イノベーション企業の象徴とも言われたGE(ゼネラル・エレクトリック)の近年を日本経済新聞の記事から振り返りたいと思います。かつて、20世紀最高の経営者と言われたジャック・ウェルチが率いて、強烈な「選択と集中」を推し進めた会社です(第120話「読者からの質問⑭~事業から事業へと展開するリスクヘッジ~」参照)。
ジャック・ウェルチは、業界で1位か2位になれない事業は切り捨てる(売却する)、1位か2位になるためには企業買収も厭わない、という理念で、40万人いた従業員のうち、10万人を解雇へ追い込み、150あった事業部門を「照明、大型家電などのコア事業」、「産業用電子、医療機器などのテクノロジー事業」、「金融サービスなどのサービス事業」の3つに集約し、13にまで整理したのです(第155話「選択と集中②~経営判断における心構え~」参照)。

しかし、このジャック・ウェルチの後継者がジャック・ウェルチの引いた路線をそのまま継承するのでは、イノベーションとは言えません。それを乗り越え、新しい価値観を構築しなければイノベーションは継続されないのです。ここがイノベーションの辛いこと、柳の下に二匹目のドジョウはいないのです。

では、後継者のジェフ・イメルトはどうしたでしょうか。彼は、新たな「選択と集中」に取り掛かったのです。そのキーワードは「製造業はGEの競争優位を築く原動力」です。
そして、ジャック・ウェルチが育てた保険金融サービス、プラスチック、メディアといった事業は惜しみなく売却しました。そうして得た資金で、石油・ガス関連のメーカーを買収し、研究開発投資を二倍に増やし、着々と技術革新を進めたのです。
その結果、“インダストリアル・インターネット”という事業を展開し、ビッグデータを解析することで「壊れる前になおす」アフターサービスを提供する、まさに顧客の最終的な囲い込みをはじめたのです。ここでのライバルはIBMです。IBMはITから入り、GEはメカから入ったというだけの違いで、目指す市場は同じです。
この「顧客の最終的な囲い込み」という概念は、これからの市場を予測するうえで極めて重要ですので、ぜひこの機会にご記憶いただきたいと思います。

また、こうした技術力を活かして、エネルギー、エンジン、交通機関といったインフラ事業を全世界規模で拡げようとしています。
GEの目は世界を見ているのです。なんと、インフラ事業の戦略拠点は「香港」にあるのです。アジア、中国、インド、アフリカ、膨大なインフラ需要は、まさにそこにあるからです。そして、GEの売上に占める海外比率は既に50%を超えているのです。

先進国ではアフターサービスに重点を置いた顧客の最終的な囲い込み、後進国ではインフラ整備への食い込み。いかがでしょうか、GEのイノベーションのダイナミズムが感じられましたでしょうか。筆者は一種の“わくわく感”を持たずには、GEのイノベーションは語れません。そうです、イノベーションとは“わくわく”することを内包したものなのです。“わくわく”しない会社にイノベーションはありえないのですから。

C「規制緩和の続き~国家戦略特区~」

中小企業や小規模事業者にとって、新しい市場につながる「需要があるのに、供給されない不思議な現象」について、これまで数回にわたってご紹介してきました。
今回は、規制緩和の象徴的な存在である国家戦略特区(第2次安倍内閣が成長戦略の柱の一つと掲げる経済特区及びその構想)についてお話ししたいと思います。

「特区」という言葉は、経済発展のために法的、行政的に特別な地位を与えられている地域を指すものです。英語では “Special Economic Zone(SEZ) ”と言いますが、中国で1978年に設置されたのが最初です。全国一律の規制を緩和して、企業活動が自由に行われるように促進し、経済の活力を呼び込もうという狙いです。
今回の国家戦略特区も日本の国際競争力を復活させるために、様々な日本独特の規制を一部緩和し、柔軟な経済活動が行えるようにして、日本経済を牽引する役割を期待しています。
従って、この国家戦略特区で議論される規制緩和の方向性は、時間をかけながら全国に普及される可能性が高く、それだけ規制を守ろうという人たちと、規制を緩和しようという人たちが激しく争う状況になっています。

議論がはじまってから半年あまりが経過し、いよいよ来月には国会に関連法案を提出する段階まで進みましたので、国家戦略特区のあらましが見えてきました。
この国家戦略特区は、もともと三大都市圏を中心に考えられましたので、必ずしも全国共通の課題に取り組んでいる訳ではありませんが、やはり現在の日本における行き過ぎた規制(岩盤規制)をどうするか、という視点がベースになっています。

その第一は「雇用」です。
雇用問題については、このコラムでも皆さんの働き方につながる問題として数回にわたって取り上げていますが、当然のように国家戦略特区でも重要なポイントとなりました。しかし、結果だけ申し上げれば、厚生労働省をはじめとする規制を守ろうとする人たちの意見が通りそうです。
民間側は「週40時間に縛られた働き方を自由にする」制度を導入するように、また正社員の解雇が極めて難しい現在の解雇ルールを緩和するように強く迫りましたが、 労働契約の根幹をなす部分の緩和を一部の地域だけで認めることは問題、とする厚生労働省の寄り切りで終わりそうです。
反面、有期雇用の限度を5年とするルールは(各地で雇止めが多発している問題)、職種に制限はあるものの10年まで延長する方向でまとまりそうです。

その第二は「医療」です。
ここでの最大の論点は混合医療(保険での医療と保険外の医療を一緒に受けられる)を解禁するかどうかでしたが、あっけなく日本医師会をはじめとする規制を守ろうとする人たちの意見が通り、せいぜい外国人医師や看護師の導入緩和、未承認薬の承認手続きの迅速化あたりで決着しそうです。現行の保険制度を守る力はまだまだ強大だと言うことでしょう。

その第三は「農業」です。
これは以前にも第115話で取り上げたように、企業が農地を取得したり、利用したりすることをどこまで緩和するか、という問題ですが、これも農協をはじめとする規制を守ろうとする人たちの意見が通り、せいぜい農家レストランで農地を使うことは認めましょう(これまではそれも認められなかった)、という程度で終わりそうです。

一方、規制を守ろうとする人たちが少ない分野ではいくつか前進が見られました。建物の高さを制限する容積率の緩和ですとか、公設民営の学校を認めるとか、これからのビジネスチャンスにつながりそうなものがあります。
しかし、いわゆる「岩盤規制(規制を守ろうとする人たちの力が著しく強い分野)」では、アベノミクスも大きな政治力を発揮するには至らなかった、というのが実情のようです。とはいえ、こうした「雇用」「医療」「農業」といった分野は、規制が強ければ強いほど、それが緩和された場合のビジネスチャンスも大きいのですから、皆さんも今後の規制緩和の方向性には十分注意を払っていただきたいと思います。間違いなく、そこに中小企業や小規模事業者の新しい市場が拓けるのです。

C「規制緩和の続き~認可保育所~」

中小企業や小規模事業者にとって、新しい市場を開拓することは大きな課題です。新しい価値を社会へ提供するという社会貢献にも結び付きます。しかし、新しい市場が既存の規制で縛られている、という事例は枚挙に暇がありません。「需要があるのに、供給されない不思議な現象」です。

第30話で横浜の待機児童のことから認可保育所のお話を差し上げました。また、これに触発された読者からの質問に答える形で第115話では農地の問題、第116話では後発薬の問題を取り上げました。今回は、認可保育所の続きです。

2000年には厚生労働省も待機児童の問題を解決するため、これまで地方自治体と社会福祉法人に限定していた認可保育所の開設を民間企業にも開放しました。ビジネスチャンスにスピード感を持って対応できる民間企業の力をようやく認めたのです。
しかし、実態は必ずしも厚生労働省の思惑どおりには進んでいません。横浜市や仙台市のように民間活力の導入に前向きな地方自治体は、全国ではまだ少数派なのです。
これは認可保育所の開設を許可する権限が地方自治体にあるため、その考え方次第で、厚生労働省の指針(各都道府県知事・各指定都市市長・各中核市市長あて厚生省児童家庭局長通知児発第二九五号)が尊重されるかどうかが決まるのです。こういう点では「日本は中央集権ではないな」と思わず苦笑いしてしまいそうです。

従って、どれだけ待機児童が増えていても、「当市は株式会社の参入を認める考えは持っておりません」という地方自治体がたくさん存在しているのです。
その背景には、「民間企業は利益優先で保育の質を下げる」「経営破綻が怖い」「前例がない」といった地方自治体側の心配があります。確かに、民間企業に認可保育所を認めたものの、2年足らずに経営破綻で閉鎖という事例もあったからです。
しかし、もう一つ忘れてはいけないのは、既存の認可保育所からすれば、新規参入の少ない方が競争も楽ですし、お互い以前からの知り合い同士でインナーなコミュニティであればたいがいのことは内内で処理できますから、部外者が市場に入ってくるのは勘弁して欲しい、という話になるのは当然の流れです。

このように、長い間、行政の作った規制で守られてきた業界では、一番大切なお客さまのことよりも(認可保育所の場合は待機児童)、内内の事情が優先され、それを行政に働きかける、という傾向があります。こうした陰に陽に存在する「規制」が私たちの周りの市場を狭めているのです。

しかし、考えようによっては、そうしたところにビジネスチャンスがある、とも言えます。ちょうど、クロネコヤマトが運輸省や既存の郵便局との熾烈な争いを生き残って、“宅急便”という新しいサービスに市民権を獲得したように、です。
皆さんもそういう目で見の周りをご覧になると、いろいろな「規制」が見えてくるのではないでしょうか。そこにこそ、ビジネスチャンスがある、のです。ただし、時代の随分先を考えますと、そこまで辿りつくのに息切れをしてしまいかねませんので、ご用心ください。

C「貿易収支」

中小企業や小規模事業者の経営者の方とお会いすると、会計とか経理に無頓着な方がいて驚くことがあります。もちろん、会計とか経理を知らなければ経営ができない訳ではありませんから、それはそれで致し方ないのです。とはいえ、やはり最低限の会計とか経理を知っていると、経営判断をする際にプラスになることは間違いないでしょう。
そういう意味で会計とか経理とかを学ぼうとしますと、実はこれがあまり面白くない、ということがよくあります。そうした際に、筆者は会計とか経理とかのテクニカルなことを学ぶのではなく(そういうことにはちゃんと専門家がいます)、大きな意味でお金の流れ方、そしてお金の流れる意味のようなことを大掴みすることをお勧めしています。
第51話で国際収支のお話を差し上げたのも、あるいはたびたびアベノミクスなどで過剰流動性の危険性をお伝えしているのも、国際的なお金の流れ、その中の日本の立ち位置のようなことから、お金の流れ方やお金の流れる意味に興味を持っていただきたいからです。皆さんが今後中小企業や小規模事業者で活躍する際に必ずお役に立つと考えています。

そうした中で、今年の上半期と9月の貿易収支が発表されました。貿易収支とは輸出と輸入の差のことで、日本は長い間、貿易収支で巨額な黒字を出していましたが(輸出大国)、近年は貿易収支の赤字が続いており、所得収支(海外からの利子や配当の入りと海外への利子や配当の出の差)の黒字(海外からの利子や配当が大きい)でようやく息をつぐようになっています。
さて、それではそうした状態に大きな変化はあったでしょうか。
プラス要因としては、円安になっていますので、輸出の競争力は増しているはずです。
マイナス要因としては、原子力発電所の事故で天然ガスや石油などの需要が急増していますから、輸入も拡大しているはずです。
結果として、貿易収支はこの9月も赤字で、これで15ヶ月連続の赤字、これは第二次石油ショックの頃の14ヶ月連続を抜いて、過去最長となりました。また、上半期の貿易赤字も5兆円近くなり、これも半期としては最大の赤字です。

原子力発電所の稼働停止で液化天然ガス(LNG)の輸入が急増している、その価格も高騰している、というのは仕方のないことです。原子力発電所を止める以上、代わりのエネルギーが必要になるからです。
しかし、円安にも関わらず輸出が伸びない、というのはなかなか理解に苦しむところです。
その原因としては、輸出の過半を占めるアジア向けが低迷しているので、アジア景気の減速が影響しているという話もあります。しかし、筆者には第一に長引く円高の中で日本から生産拠点が出て行ってしまい、いまさら円安になっても日本に生産拠点を戻す動きにはなりにくいこと、第二に製品の魅力といった日本の競争力そのものが落ちている危険性があること、この二つを強く心配しています。それは、海外に進出していない日本の中小企業や小規模事業者には間違いなくマイナスに働くからです。

また、9月の貿易収支を地域別に見てみると、興味深い傾向が現われます。全体では9,000億円の赤字ですが、アメリカ向けには5,000億円の黒字、EU向けにはほぼトントン、中国向けには6,000億円の赤字、中国以外のアジア向けには6,000億円の黒字、そして中東向けには1兆円の赤字、となっています。
こうして見ますと、日本の実質的な生産工場となっている中国の存在、天然ガスや石油での中東依存、輸出の稼ぎ頭のアメリカという図式がよく見て取れます。
こうした地域バランスが日本経済の今後にとって影響してくるのか、非常に気になるところです。一言で言えば、中東で何かが起こるとエネルギーの確保に支障が出、アメリカの景気が減速すると輸出先に困り、中国の労働力が確保できなくなれば生産そのものが止まりかねない、というリスクが見て取れるのですが、いかがでしょうか。

中国が海洋への関心を高めている背景には、中国が実は石油でも食料でも世界有数の輸入国になってしまい、その提供国と輸送ルートを安全に確保するのが国家的課題だと認識している、ということがあります。中国においても、地域バランスというリスクを強く感じているのでしょう。そう考えますと、ミャンマーやアフリカへの過度とも言える投資の必然性が見えてきます。中東やアメリカにできるだけ依存しない道を探っているのでしょう。同じように、日本の国家的課題とは何か、それを考える先に必ずビジネスチャンスがあるのではないでしょうか。

C「MOOCの続き」

よく中小企業や小規模事業者の経営者の方から、「ビジネスチャンスはどういったきっかけで掴めるものでしょうか」という質問をいただきます。そんなことがわかっていたら、筆者は大経営者になっていたかもしれませんが(経営者に適した能力が備わっていないので無理ですが)、神様でもビジネスチャンスをぴたりとあてるのは難しいでしょう。
とはいえ、いくつかのヒントは差し上げられそうです。
それは、「時代の少し先を読む」ということだと思うのです。時代と同じことをしていてはビジネスチャンスが生まれないのはおわかりいただけると思います。そこで待っているのは果てしない体力勝負です。一方、時代の随分先を考えますと、そこまで辿りつくのに息切れをしてしまいそうです。そこで、時代の少し先を読むのがビジネスチャンスを掴むコツなのでしょう。
例えば、外食が流行りだした頃、旨くて安いメニューを考え、アメリカ産の安い牛肉を仕入れて牛丼をフランチャイズで売り出そうと考えた人は明らかに時代の少し先を読んでいたのでしょう。その時点では、まちの定食屋くらいしかなかったのですから。また、遠い先にある今日の外食ブームのすべてを予想したのでもないでしょうから。

そういう点で申し上げれば、第113話でMOOC(Massive open online course)をご紹介しました。遠隔地でも世界中のどこにいても、Webを通じて有名大学の講義を受講できるという仕組みです。
これなどは、まさに時代の少し先を読んだプロジェクトでしょう。ただし、発案は1960年代ですから、その当時としては時代の随分先を考えたものです。

このアイディアは日本ではますます重要になるでしょう。なぜならば、第一に人口の減少がはじまっていて、労働力、とりわけ質の高い労働力を確保することが重要になること、第二に質の高い労働力を確保するためには、職業訓練や能力トレーニングが重要になること、第三に座学方式では場所と時間の制約から受講に限りがあるため、在宅での訓練環境が強く求められること、といった理由からです。まさに、時代の少し先を読むビジネスチャンスが見えてきます。さすがに、アメリカの研究者は目の付け所がよい。

そうしましたら、やはり日本でも動きが出ました。MOOCに東大や京大が参加するのは当然ですが、日本版MOOC(日本オープンオンライン教育推進協議会、JMOOC)が旗揚げをしたのです。
どんなメンバーが、と調べてみますと、代表は放送学園大学ですが、やはりドコモ、富士通、住友商事、㈱ネットラーニング(eラーニング最大手)などが名を連ねています。
これがビジネスチャンスの掴み方だ、と申し上げたいのです。

世の中が抱えている問題点を見抜き、それを解決するための方法を考え、自分で用意できないものはアライアンスで整え、タイミングを失うことなく、十分なメッセージ性を持って市場へアタックする。その見本のようなプロジェクトだと思うのですが、いかがでしょうか。
よく中小企業や小規模事業者の経営者が陥りがちなことは、他者とのアライアンスを嫌がる、できるだけ身内で固めたがることだと思います。それにこだわっていては、タイミングを失いかねません。もちろん、十分相手を知り、信頼関係が築けることは必要ですが、自分中心で考え過ぎれば、こうしたビジネスチャンスに結び付けることは難しいのです。何よりも重要なことは、世の中のユーザが喜ぶサービスを喜ぶタイミングで提供することなのですから。

B-A「アジアとの付き合い方⑯~カンボジア~」

「アジア全体の市場に対する知見を増やす記事として、『タイを知る』『ミャンマーを知る』『シンガポールを知る』という切り口で書いて下さると、yahoo newsでアジア経済のトピックを断片的に読むよりも知見を深めることができると思います。さらに一番身近である日本企業がその地域にどのように市場をとらえ、ビジネスを展開していったかなどの具体例が含まれますと、より学生が社会を俯瞰的にみる手助けになると思います。」というご意見を読者の大学院生からいただきましたので、数回に分けて、中小企業や小規模事業者にとって重要な位置を占め、人口6億人を超える東南アジアについて紹介しております。

東南アジアシリーズの最後、十番目はカンボジアです。どうしてカンボジアが最後なのか、と言いますと、それは彼らが一番古く東南アジアで栄えた過去を持つからです。今のカンボジアとは比較にならない強大な過去です。

紀元前から中国の支配下に置かれたベトナム北部は別として、古い時代、大陸部の東南アジアで最初に国家形成を果たしたのは、ベトナム中部からメコン川下流域にオーストロネシア系の人々でした。これは、インドネシアにおけるヒンズー社会の影響と思われ、サンスクリット語が使われたことがわかっています。
このメコン川下流域の国家形成に影響を受けたモン・クメール系の人々がカンボジアの地にクメール王国を築いたのです。そして、6世紀から13世紀にかけて、アンコールワットやアンコールトムに代表される巨大な石の建造物で有名なクメール文化を花開かせました。インドの強い影響から、当初はヒンズー教、のちには仏教を信仰していたことがわかっています。また、トンレサップ湖を活用した高度な灌漑技術は豊かな稲作をもたらし、その国力を活かして東はメコン川下流域から西はタイ東北部までの広大な土地を支配下に置いたのです。いわば、東南アジアの大国として古代カンボジア(クメール王国)は繁栄していました。

しかし、13世紀以降、モンゴルの遠征、タイやベトナムの勃興により、カンボジアは日に日に衰え、長い間、外部の勢力下に置かれることになりました。その後、フランス領インドシナの一部としてフランスの植民地となり、1953年にカンボジア王国として独立を果たすのですが、カンボジアの悲劇はその後に訪れました。ベトナム戦争の影響はベトナムに止まらず、ラオスやカンボジアにまで拡がりました。そして、王権支持派、親米派、反米派に分かれて長い内戦に突入し、ベトナムが統一されるのと歩調をあわせて、カンボジアでも反米社会主義政権が樹立されました。これがいわゆるクメール・リュージュ(ポルポト政権)で、その過激な反文明、反都市の農村中心主義は200万人近い犠牲者を出したのです。これは、カンボジアの人々のみならず世界中が忘れたい悪夢の出来事でした(今日でもその犯罪を問う特別法廷が続いています)。

こうした悲劇を乗り越え、ベトナムの侵攻やそれに伴う内戦などはありましたが、1991年にはカンボジア和平パリ協定が結ばれて国連の平和維持活動のもとに国家の再建が図られました。そして、カンボジア王国がおよそ23年ぶりの統一政権として誕生し、ASEANへも加盟して国際社会へ復帰することになりました。現在は、ベトナムの影響力がいまだ強いとはいえ、徐々に再生復興の道筋を辿っているようです。

現在は人口1,500万人、一人あたりGDP900ドル(中国やタイの5分の1、ミャンマーやラオスより少し低い水準)、面積は日本の約半分という小国ですが、何よりも大陸部の東南アジアの歴史を一番よく物語る国として、ご記憶をいただきたいと思います。
なお、国家再建に際しては、日本人の明石事務総長(国連カンボジア暫定統治機構)が活躍したことから、親日感情は強いものがあり、今後の経済成長に日本が貢献することを強く期待されています。その意味では、中小企業や小規模事業者にとっても、経済成長に伴って今後が期待できる市場と言えるでしょう。

B-A「アジアとの付き合い方⑮~ミャンマー②~」

「アジア全体の市場に対する知見を増やす記事として、『タイを知る』『ミャンマーを知る』『シンガポールを知る』という切り口で書いて下さると、yahoo newsでアジア経済のトピックを断片的に読むよりも知見を深めることができると思います。さらに一番身近である日本企業がその地域にどのように市場をとらえ、ビジネスを展開していったかなどの具体例が含まれますと、より学生が社会を俯瞰的にみる手助けになると思います。」というご意見を読者の大学院生からいただきましたので、数回に分けて、中小企業や小規模事業者にとって重要な位置を占め、人口6億人を超える東南アジアについて紹介しております。

東南アジアシリーズの九番目はミャンマーです。ミャンマーについては、第160話でさわりを申しあげましたが、今非常にホットな国として注目されていますので(ヤンゴンのホテルはビジネスマンであふれかえっているそうです)、米、仏教、地政学以外の見地からお話をしたいと思います。

ミャンマーはビルマ族の国ですが、ビルマ族がミャンマーの地に入ったのは随分新しく、10世紀以降と考えられています。もともとは、チベット系の氐(てい)族として、五胡十六国の時代(4世紀から5世紀)には、中国北部にいくつかの征服王朝を作りましたが、その後、中国が隋唐によって統一されると、徐々に南へと追いやられ、タイ族と歩調をあわせるようにサルウィン、イラワジの両大河沿いに南下し、ミャンマーの地に統一王朝を築き、最盛期にはインド東部(アッサム)、タイ、中国雲南省南部にまで勢力を伸ばしたほどです。
このようなビルマ族の比較的新しい歴史からわかるように、ミャンマーには先住の少数民族がたくさん住んでいます。ビルマ族は全体の7割を占めるだけで、他にはタイ系、チベット系、モン・クメール系、ロヒンギャと呼ばれるバングラディッシュ起源のイスラム教徒などが存在し、この少数民族問題がミャンマーの不安定要因となっています。

統一王朝を築いたミャンマーも三度にわたるイギリスとの戦いで独立を失い、植民地化されることになります。このイギリス支配下の圧制(少数民族を優遇してビルマ族を最下層に置く)に反発したビルマ族は、第一次世界大戦中から独立運動を繰り広げましたが、その動きを大きなうねりにしたのが、皆さんもご承知のアウンサンスーチー女史の父であるアウンサン将軍です。
アウンサン将軍は、第二次世界大戦初期、日本軍がミャンマーへ侵攻するのにあわせて、ビルマ独立義勇軍を率いてイギリス軍を追い払い、日本の後押しを得てビルマ国を独立させました。しかし、その実態が日本軍の傀儡(かいらい)であることに絶望し、おりからの日本軍の敗走もあり(インパール作戦の失敗)、アウンサン将軍はビルマ国民軍を率いて日本軍とその傀儡であるビルマ国へ戦いを挑んだのです。そして、戦後、アウンサン将軍はイギリスとの独立交渉に備える最中、わずか32歳の若さで政敵によって暗殺されました。しかし、その意思を引き継いだ人々によって、ミャンマーは1948年に念願の独立を果たしたのです。こうした経過から、アウンサン将軍は「ミャンマー独立の父」として、広く尊敬を集めています。
その後、少数民族との争いの中で独裁的な軍事政権が樹立され、今日に至るまで長期にわたりミャンマーを統治してきたのです。この間、さまざまな民主化の動きが国内外で繰り広げられ、その代表者であるアウンサンスーチー女史がノーベル平和賞を受賞したことはよく知られています。
現在は、軍事政権が限定的ではありますが議会制を導入し、アウンサンスーチー女史も野党議員として議会に所属するなど、徐々に政治的な緊張は緩和されつつあります。しかし、その一方、少数民族問題、特にイスラム教徒であるロヒンギャ族の問題は深刻で、こうした不安定要因が爆発事件の多発などに影響していると思われます。

いかがでしょうか、ミャンマー、なかなか魅力的な市場ですが、その反面、カントリーリスクも少なくないことがおわかりいただけたと思います。「リスクゼロのところに新市場なし」とも言いますから、こうした不安定要因を乗り越えて挑戦することが必要なのかもしれません。

B-A「アジアとの付き合い方⑭~ラオス~」

「アジア全体の市場に対する知見を増やす記事として、『タイを知る』『ミャンマーを知る』『シンガポールを知る』という切り口で書いて下さると、yahoo newsでアジア経済のトピックを断片的に読むよりも知見を深めることができると思います。さらに一番身近である日本企業がその地域にどのように市場をとらえ、ビジネスを展開していったかなどの具体例が含まれますと、より学生が社会を俯瞰的にみる手助けになると思います。」というご意見を読者の大学院生からいただきましたので、数回に分けて、中小企業や小規模事業者にとって重要な位置を占め、人口6億人を超える東南アジアについて紹介しております。

東南アジアシリーズの八番目はラオスです。ちょっと日本人には馴染みの薄い、どこか遠いジャングルの国、というところでしょうか。

ラオスは実はタイ族の国です。メコン川沿いに中国南部の雲南省から南下してきたタイ族のうち、メコン川東岸の地域に住みついたのがラーオ族で、ラーオ族の作った国がラオスなのです。そういう意味ではタイ族と言ってもよいのですが、ラーオ族はタイ族との違いを自らのアイデンティティとし、タイ族はラーオ族を田舎者と見下す、そうした一種の近親憎悪的なところがあるようです。なお、ラーオ族はタイの東北部にも広く住んでいて(イーサーン人)、その数はラオスのラーオ族をはるかに上回る2,000万人規模と言われています。

こうした近親憎悪的な問題とは別に、ラオスがタイと違う道を歩んだ理由は、ラオスがフランスの植民地になったという歴史です。もっとも、その起こりはラオスの王族がタイに対抗するためにフランスの力を頼ったのですから、結局はタイ族とラーオ族の身内の争いなのかもしれません。いずれにせよ、フランス領インドシナに組み込まれたラオスは、タイとは異なり、ベトナム戦争に強烈に巻き込まれることになります。その結果、右派、中立派、左派(パテトラオ)に分かれての争いが20年以上続いたのです。
そして、1975年に王制を廃止し、ベトナムに続く社会主義国としての道を歩んでいます。そうです、ラオスもベトナムと同じ社会主義国なのです。ですから、ベトナムのところで申し上げたように、法治ではなく人治で、コネや賄賂が幅を利かせていることや、長い戦争の後遺症で道路や鉄道、電力といったインフラが整っていないという問題が残っています。

国としては小さなもので、面積こそ日本の7割近くありますが、人口はわずか700万人弱、人口密度は、1㎢あたり24人と、ベトナムの256人、タイの132人、中国雲南省の114人、カンボジアの82人、ミャンマーの74人と比べますと、いかにラオスは人口が少ないかがおわかりいただけるでしょう。ですので、産業は主に稲作中心の農業、ほかにはメコン川を活かした水力発電と林業といったところです。
一人あたりのGDPも1,000ドル台ですので、まだまだこれからの段階と言えるでしょう。しかし、近年は中国の進出が目立ち、ショッピングモールやインフラ整備、鉱業開発などに力を入れています。

なお、ラオスは仏教の国で、人々は生活様式に至るまで仏教の影響を大きく受けています。そして、仏教は人々の連帯をつなぎ、忍耐と受容を教え込んでいます。

いかがでしょうか、小さな国ではありますが、手つかずの市場がラオスにはあるとも言えるでしょう。中小企業や小規模事業者にとっては、ラオスの成長とあいまって、未開の新天地が拓かれるかもしれません。

B-A「アジアとの付き合い方⑬~タイ~」

「アジア全体の市場に対する知見を増やす記事として、『タイを知る』『ミャンマーを知る』『シンガポールを知る』という切り口で書いて下さると、yahoo newsでアジア経済のトピックを断片的に読むよりも知見を深めることができると思います。さらに一番身近である日本企業がその地域にどのように市場をとらえ、ビジネスを展開していったかなどの具体例が含まれますと、より学生が社会を俯瞰的にみる手助けになると思います。」というご意見を読者の大学院生からいただきましたので、数回に分けて、中小企業や小規模事業者にとって重要な位置を占め、人口6億人を超える東南アジアについて紹介しております。

東南アジアシリーズの七番目はタイです。おそらく、多くの日本人にとって東南アジアで一番馴染みのある国で、訪れる割合もたぶん一番でしょう。

タイは植民地になったことの無い、アジアでは数少ない国の一つです(日本もそうですが)。また、現在でも王制の残るただ一つの国でもあります(正式名称はタイ王国)。

経済的には、人口7千万人、一人あたりのGDPも5,000ドル(中国とほぼ同じ、マレーシアの半分、韓国の4分の1)、タイにとって最大の貿易額と投資額、援助額が日本で、日産自動車やホンダ、トヨタ、いすゞ、日野自動車などの自動車関連企業のほか、家電メーカーなども多く進出し(約1,500社が進出)、国内市場への供給に加えて、関税特典があるASEAN諸国への輸出拠点として活用しています。こう書きますと、いかにタイが日本にとって重要で、日本がタイにとって重要か、おわかりいただけるでしょう。

しかし、タイを知るには、その起こりを見る必要があります。
古来、タイの地にはタイ族は住んでいませんでした。モン・クメールというオーストロアジア系の人々が多くを占めていたと考えられます。そこにタイ族が中国南部の雲南省からメコン川沿いに南下をし、チェンマイからアユタヤ、バンコクと勢力を伸ばしてきたのです。そして、18世紀に今の王朝がタイを統一しました。ですので、タイ族は今でも中国の雲南省や東南アジア各地に住んでいます(有名な観光地のシーサンパンナはタイ族の町)。
そして、こうした中国とタイとの関係は、古くから緊密で、タイには華人という中国系の人たちが1,000万人近くいるほか、タイで華人の血をひいていない人を見つけるのは難しいと言われるほどです。こうした血のつながりをベースとして、中国系企業がタイの経済に占める割合は非常に高いものがあります。

一方、タイの不安定要因は、第一に貧富の格差があります。特にバンコクを中心とする都市部と、東北部から北部の農村地域とでは大きな差になっています。また、華人(中国系)の有力者に富と権力が集中する傾向もあって、これもタイ族の反感を呼んでいます。
近年、皆さんもご承知のタクシン派と反タクシン派の対立は、こうした貧富の格差という側面(タクシン派は農村地域を優遇)、有力者間の主導権争いという側面(タクシン派は華人系)が重なり合ったものです。
これまでは広く国民から尊敬を集めるプミポン国王(ラーマ九世)が、こうした不安定さの沈め石として、緊迫した政局の打開に力を尽くしてきましたが、高齢と病気のために活動が難しくなっていることも(後継のワチラーロンコーン王子が不人気なこともあわせ)、現在のタイの不安定さの一因となっています。
第二は最南部のイスラム地域です。タイは仏教の国ですが、マレー系の住民が住み、イスラム教を信仰している地域がマレー半島との接点にあるのです。マレーシアとの国境付近、南部のパッターニー県を中心とする地域ですが、18世紀からタイ王朝が侵攻をはじめ、20世紀初頭には正式にタイ領となりました。民族も言語も宗教も異なり、それが貧困を招いていることから、現在でも治安は最低レベルに陥っています。

とはいえ、親日的な国民性とあわせて、タイが日本にとって、日本の中小企業や小規模事業者にとって、重要な位置を占めていることに変わりはないのです。

B-A「アジアとの付き合い方⑫~ベトナム~」

「アジア全体の市場に対する知見を増やす記事として、『タイを知る』『ミャンマーを知る』『シンガポールを知る』という切り口で書いて下さると、yahoo newsでアジア経済のトピックを断片的に読むよりも知見を深めることができると思います。さらに一番身近である日本企業がその地域にどのように市場をとらえ、ビジネスを展開していったかなどの具体例が含まれますと、より学生が社会を俯瞰的にみる手助けになると思います。」というご意見を読者の大学院生からいただきましたので、数回に分けて、中小企業や小規模事業者にとって重要な位置を占め、人口6億人を超える東南アジアについて紹介しております。

東南アジアシリーズの六番目はベトナムです。島嶼部が終わりまして、いよいよ大陸部の東南アジアがはじまりますが、ベトナムと言えばベトナム戦争、そうです、強大なアメリカを打ち負かして南北を統一したホーチミンのベトナムです。

ベトナムは東南アジアに残る社会主義国の一つです(もう一つはラオス)。そして、1930年から1976年まで、実に47年にもわたる独立と統一の戦いを経た国なのです。半世紀近くも戦って民族の統一を成し遂げる、この信じられないほどの粘りがベトナムをよく現わしていると思います。

ベトナムは中国と広く隣接しているという地政学的な位置から、古くは秦の始皇帝の侵略を受け、紀元前2世紀から9世紀まで1千年もの間、中国王朝の一部に含まれていました(前漢から唐までは北部が中国の支配下)。ですので、儒教や漢字の影響は東南アジア随一で、“チュノム”という漢字をベースにした文字を使っていましたし、苗字は儒教社会の影響から父親の姓を継承し、グウェンさんは“阮”、リーさんは“黎“、ファンさんは“潘”という具合です。
そもそも現代のベトナム人の過半を占めるアンナン族(ベト族、キン族とも言います)は、中国南部の浙江省、福建省、広東省、広西チワン族自治区などに住んでいた「越」の子孫と言われ、今でも中国南部やタイ、ラオスなどに少数民族として残っています。ベトナムという国名そのものが、「越(ベト)南(ナム)」の現地読みなのですから、その深い関係がおわかりいただけると思います。この歴史性が、ベトナムと中国とのなかば近く親しい、なかば反発する関係に結び付いているとも言えるでしょう。

さて、社会主義国ベトナムですが、中国の改革開放路線に見習って、ドイモイ政策を取っていますので、市場メカニズムや海外資本への市場開放などが進められ、今日では中国に続く「世界の工場」を目指しています。
人口は約9,000万人(大きいですね)、GDPは1,500億ドル弱、一人あたりGDPは1,500ドルですので、フィリピンよりも安い労働力が大量に確保できるというのが大きなポイントで、これが「世界の工場」を目指す原動力になっています。

一方、問題点としては社会主義国として一党独裁が続いていますので、中国と同じように法治ではなく人治で、コネや賄賂が幅を利かせていること、長い戦争の後遺症で道路や鉄道、電力といったインフラが整っていないことです。
とはいえ、ベトナム中部からタイ、ミャンマーを経て、バングラディッシュ、インドへとつながるハイウェイも整備が進んでいますので、人口の大きさとあいまって、ベトナムの経済的価値はますます高まるものと期待されます。

B-A「アジアとの付き合い方⑪~インドネシア~」

「アジア全体の市場に対する知見を増やす記事として、『タイを知る』『ミャンマーを知る』『シンガポールを知る』という切り口で書いて下さると、yahoo newsでアジア経済のトピックを断片的に読むよりも知見を深めることができると思います。さらに一番身近である日本企業がその地域にどのように市場をとらえ、ビジネスを展開していったかなどの具体例が含まれますと、より学生が社会を俯瞰的にみる手助けになると思います。」というご意見を読者の大学院生からいただきましたので、数回に分けて、中小企業や小規模事業者にとって重要な位置を占め、人口6億人を超える東南アジアについて紹介しております。

東南アジアシリーズの五番目はインドネシアです。皆さんもご存じのデビ夫人が嫁いだ国です。

インドネシア、古くはインドと中国を結ぶ海の要衝として大いに栄え、ボロブドゥールの仏教遺跡に代表されるように古くからヒンドゥー教、仏教、イスラム教と、さまざまな宗教や文化を東西から受容してきた島々の国です。しかし、17世紀に入るとオランダが植民地化をはじめ、20世紀初頭には最後まで抵抗を続けたスマトラ最西のアチェが占領され、西はスマトラから東はニューギニア西部までを含む、オランダ領東インドが成立しました。そして、第二次世界大戦前後の独立戦争(1928~1949)を経て、1万8千を超える島々はインドネシア共和国となったのです。

インドネシアの特徴を三つあげますと、第一は人口の巨大さです。実に2億3千万人を超える世界第4位の人口を誇り、しかも今でも増加の一途を辿っています。
第二は、イスラム教徒が75%以上を占め、世界で最大のイスラム人口(1億7千万人)を抱えるのがインドネシアであり、同時にイスラム教の東の果てである、ということです。これは、イスラム社会を考えますと非常に重要なことで、イスラムがアジアと交わった最大の国がインドネシアで、しかもイスラム社会で無視できないほどの数の多さがある、ということです。
第三は、島々の多さと多様さです。ジャワ、スマトラ、スラウェシ(セレベス)、カリマンタン(ボルネオ)、ニューギニア、バリと、皆さんもご存じの島だけでも大変です。しかも、島ごとに言語や宗教、文化が異なる多様さです。例えば、皆さんご存知のバリはヒンドゥー教の島ですし、スラウェシ北部にはカトリック、香辛料で有名なモルッカ諸島にはプロテスタントが、それぞれ多くを占めています。
こうしたインドネシアの多様性に着目しませんと、ジャカルタの繁栄だけを見て、インドネシアを論じるという誤りを犯しかねません。

もう一つ重要なことは、これだけ多様性のある国をまとめるのは大変だということで、今でもスマトラ最西のアチェ独立運動、二―ギニア西部のパプア紛争、東チモールをめぐる争いなど、さまざまな問題を抱えています。このような背景もあって、独立以来、スカルノ、スハルトと、大統領が政治を主導する開発独裁が行われ、今でも大統領には強い権限が与えられています。
また、天然ガスや石油などの資源に恵まれている反面、製造業などの産業基盤に立ち遅れが目立ち、世界的な不況や国際経済の不安定が資源の輸出低迷につながり、貿易収支の赤字や通貨不安を招きやすいという構造上の問題を抱えています。
とはいえ、人口2億3千万人、GDP9千億ドル(世界第16位、韓国の次)、一人あたりGDP3,500ドル(中国やタイの7割程度)という経済規模は、魅力的な市場と言えるでしょう。

なお、インドネシアと日本の関係は極めて深いものがあり、独立戦争ではかなりの数の日本人(旧軍人)が独立側に立って戦い、戦後もいち早く国交を樹立し、さまざまな経済援助を行う一方、日本企業の進出や日本への輸出が盛んで、インドネシアの最大の輸出相手国は日本だということもご記憶いただきたいと思います。インドネシアに対する日本企業の進出は資源やインフラなどの分野だけでなく、小売や日用品にも及んでいます。近年では、吉野家やえびすカレーなどのレストラン、セブンイレブン、ファミリーマートなどのコンビニエンスストア、そごうや無印良品、ユニクロなどの百貨店やアパレルが次々とインドネシアに出店しているのです。

B-A「地政学的な位置と東南アジア」

「アジア全体の市場に対する知見を増やす記事として、『タイを知る』『ミャンマーを知る』『シンガポールを知る』という切り口で書いて下さると、yahoo newsでアジア経済のトピックを断片的に読むよりも知見を深めることができると思います。さらに一番身近である日本企業がその地域にどのように市場をとらえ、ビジネスを展開していったかなどの具体例が含まれますと、より学生が社会を俯瞰的にみる手助けになると思います。」というご意見を読者の大学院生からいただきましたので、数回に分けて、中小企業や小規模事業者にとって重要な位置を占め、人口6億人を超える東南アジアについて紹介しております。

フィリピンまでご紹介してきましたが、ちょっと横道に入って、どうして東南アジアなのかを考えてみたいと思います。それには、人口の大きな、経済も成長している地域だ、しかも人口が今も増えている地域だ、ということもありますが、今回は「地政学(Geopolitics)」という観点から見たいのです。
地政学、それは地理的な環境が国家に与える政治的、軍事的、経済的な影響を巨視的な視点で研究するものですが、そう意味で東南アジアを見ますと、皆さんもお感じになるとおり、中国とインドという二つの巨大な地域をつなぐ、ある種の結節点のような位置にあるのです。これが、東南アジアの地政学的な最大のポイントでしょう。
ですので、東南アジアにはインド系の人々、中国系の人々がたくさん住んでいて、経済的に重要な位置を占めています。また、インドから伝わった仏教やヒンズー教、そしてイスラム教が大きな影響を及ぼすとともに、中国から儒教や漢字、あるいは中国的な道徳観や価値観もベトナムを中心として伝わっています。
このように、インド、そして中国と巨大な地域にはさまれ、それと個別に対抗するにはいささかポテンシャルが小さいという点が東南アジアの特色とも言えます。従って、今日でも東南アジアはASEAN(東南アジア諸国連合)という組織にまとまって、インドや中国と対抗しようという傾向があります。例えば、世界から孤立していたミャンマーの軍事政権をASEANに加盟させ、国際社会へ復帰する道筋をつけようとしたことなどが、その典型と言えるでしょう。

日本の中小企業や小規模事業者にとっても、こうした東南アジアの地政学的な位置をよく認識しますと、東南アジアへの進出がインドやバングラディッシュ、あるいは中国へ進出する足場になることも理解できるでしょう。とりわけ、マラッカ海峡を擁するインドネシアやシンガポールが「海」を通じた地政学的な価値を強く持っているのと同じように、大陸部の東南アジアもベトナムからミャンマー、そしてバングラディッシュ、インドへ延びるアジアハイウェイ1号線(東西線)によって、「陸」を通じた地政学的な価値を高めることになるでしょう。単に地続きだ、というだけでは地政学的な意味は少なく、それが物流でつながる、ということになって飛躍的にその価値を高めることになるからです。

さて、それでは日本という国の地政学的な位置はどうでしょうか。筆者は端的にこう考えています。それは、アジア的な価値観の中心である中国と、ヨーロッパ的な価値観の中心であるアメリカをつなぐ位置にある、ということです。
この立ち位置から考えますと、日本に迫られているさまざまな課題も自ずと見えてくるとは思いませんか。中国とアメリカに挟まれ、二つの強烈な価値観の間にあって、それをつなぐ架け橋のような島国、筆者にはそう思えてなりません。
最後に、そういう意味で高橋和己(小説家で中国文学者)の言葉(予言)をご紹介しましょう。
「現代中国は過去の儒教中国と本質的にはそんなに異っていないと考える。キリスト教を背景とするヨーロッパ圏と、中国を中心とする漢字文化圏との対立が、近い将来ゆくところまでゆくと思う。日本は政治的にはたいした役割ははたせないが、その二つの対立を文化的にかけはしし得る唯一の存在として将来の任務は重い。」

B-A「アジアとの付き合い方⑩~フィリピン~」

「アジア全体の市場に対する知見を増やす記事として、『タイを知る』『ミャンマーを知る』『シンガポールを知る』という切り口で書いて下さると、yahoo newsでアジア経済のトピックを断片的に読むよりも知見を深めることができると思います。さらに一番身近である日本企業がその地域にどのように市場をとらえ、ビジネスを展開していったかなどの具体例が含まれますと、より学生が社会を俯瞰的にみる手助けになると思います。」というご意見を読者の大学院生からいただきましたので、数回に分けて、中小企業や小規模事業者にとって重要な位置を占め、人口6億人を超える東南アジアについて紹介しております。

東南アジアシリーズの四番目はフィリピンです。東南アジアで一番異質な国、それがフィリピンです。
異質であることは、民族とか国家とかの概念の無い、フィリピンが家族制中心の社会だった15世紀にアジアで先立ってスペインに征服されたこと。そして、そのあとに“自由と民主主義”を標榜するアメリカの植民地として割譲されたこと。これにつきます。
さらに加えて言えば、島嶼部の東南アジアの最北に位置するため、インドの影響力がまったく働かず、仏教もヒンズー教もイスラム教も浸透しなかったのです(南部の島嶼群だけは違うのは前回お話いたしました)。そして、これも重要ですが、海流の強さの故に中国との行き来が少なく、漢字や儒教といった中国的価値観もまるで入ってこなかったのです。インドと中国、この二つの巨大な文化圏の影響を受けなかったアジアの国はありませんが、唯一の例外がフィリピンと言ってよいでしょう。

こうした異質な国フィリピンの問題点は、大きく三つあります。
その第一は、スペインの支配下において拡がった大土地所有制に端を発する貧富の差の大きさです。俗に“百家族”と言いますが、国民の10%程度の上流階級がフィリピンの富の90%以上を支配するという、アジアでも例の少ない格差社会であることです。これは、“自由と民主主義”を標榜するアメリカも放置した現実です。
その第二は、ミンダナオ島を中心とする南部はイスラム教の世界であり、それ以外はスペイン時代からのカトリック、あるいはアメリカ時代からのプロテスタント、いずれにしてもキリスト教の世界だということです。東南アジアの国々で、イスラム教とキリスト教が直接向き合う国はフィリピンくらいなもので、他は仏教とかヒンズー教とか、あるいは地元の伝統的な宗教が間に入り、緊張を緩和できていますが、フィリピンではそうはいきません。
その第三は、7,000を超えるという稀に見る多島国家で(インドネシアは約2万)、しかも民族や国家を形成した歴史が無いために、非常に多様性に富んだ、逆に言えば国家としてのまとまりの無い状態にある、ということです。

こうした問題点はあるものの、英語圏である、そして1億人弱の人口を抱える有意差と、二代目アキノ政権の有能さがあいまって、現在は年率4%程度の堅調な経済成長を続けており、GDPは2,000億ドルを超えてシンガポールやマレーシアより一回り小さい程度で、一人あたりGDPも2,500ドルと、マレーシアの4分の1、タイの半分くらいには達しています。
しかし、最大の産業が「出稼ぎ」、特に看護婦や家政婦、接客業などの女性の仕送りが国を支えていること、1日2ドル未満で暮らす貧困層が4,000万人近いということを考えますと、フィリピンが中所得国に離陸するにはまだ時間がかかりそうです。皆さんもフィリピンに行かれる際は、観光リゾートで浮かれていないで、こうしたフィリピン社会の現状にも目を向けていただきたいものです。

B-A「アジアとの付き合い方⑨~ブルネイ~」

「アジア全体の市場に対する知見を増やす記事として、『タイを知る』『ミャンマーを知る』『シンガポールを知る』という切り口で書いて下さると、yahoo newsでアジア経済のトピックを断片的に読むよりも知見を深めることができると思います。さらに一番身近である日本企業がその地域にどのように市場をとらえ、ビジネスを展開していったかなどの具体例が含まれますと、より学生が社会を俯瞰的にみる手助けになると思います。」というご意見を読者の大学院生からいただきましたので、数回に分けて、中小企業や小規模事業者にとって重要な位置を占め、人口6億人を超える東南アジアについて紹介しております。

東南アジアシリーズの三番目はブルネイです。「ブルネイ?」という方が多いと思いますし、かろうじて「そういえばボルネオ(カリマンタン)の北に小さな王国があって、石油か天然ガスが豊富だとか」と認識している方もおられるでしょうが、「どうしてここで取り上げるのか」ということになるでしょう。
その訳は、東南アジアを大陸部と島嶼部へ分けるとすれば、島嶼部東南アジアを理解するうえでブルネイは欠かせない存在だからなのです。

今日のブルネイは人口わずか40万人の小さな王国(イスラム教における政治と宗教の二つの権威を握るスルターン制)ですが、石油と天然ガスの輸出で非常に潤っており、所得税も医療費もかからないので、一人あたりGDPは3万ドル程度ですが、生活コストを考えますと4万ドルの日本よりも豊かだと言えるでしょう。
ですので、「ブルネイのスルターンのパーティーに招待されたら金の腕輪をもらった」とか、「スルターンに歌を披露したらキャデラックを1台いただいた」とか、現代のアラビアンナイトのような噂が満ち満ちているのです。

さて、問題はそうしたことではありません。「なぜブルネイなのか」です。
それは、こんな小さな国がイギリスにもオランダにも呑みこまれずに、イギリス保護下とはいえ、奇跡的に“独立”を続けられた理由にもつながります。
16世紀からはじまったヨーロッパ諸国の侵略は、スペインがフィリピンを、オランダがインドネシアを、イギリスがマレー半島をそれぞれ勢力下に置くことで安定しますが、当時のボルネオ(カリマンタン)は一面のジャングルに覆われ、また主要な貿易路から外れていたこともあり、一種の空白地域として残されていました。
そうした空白地域の支配権をめぐって、フィリピン南部のイスラム勢力、マレー半島のイギリス勢力、島の奥地の原住民勢力などが、ちょうど群雄割拠のように勢力を争うようになりました。

その中で、フィリピン南部のイスラム勢力はフィリピンとボルネオの間に散在する島嶼群を支配下に置き、スールー・スルターン王国を築き上げたのです。これが、今日でもフィリピンにとって頭の痛いミンダナオ島やその周辺の島嶼群に生活するイスラム教の人々で、フィリピンへの帰属意識よりも、同じイスラムを信じる周辺地域との親近感により多くを傾ける傾向があり、今もフィリピンの不安定要因となっています。
また、面白いことにイギリスの冒険家ジェームズ・ブルックは、ボルネオにとうとう自分の手で王国を作り上げ、親子三代の支配を確立したのです。なんと19世紀から20世紀にかけて、ボルネオ島に白人が王国を作ってしまったのです、驚きですね。
そして、この二つの勢力に挟まれていたのがブルネイ・スルターン王国でした。これが、のちにマレーシアと合併するボルネオ北部の状況で、ブルネイ以外の地域はマレーシアと一緒になる道を選んだのです。

いかがでしょうか、16世紀以降の東南アジアがヨーロッパ諸国の思惑や野望でいかようにでも料理され、たまたま価値が少なかったが故に独立性を保て、今日の王国へとつながる、まさに歴史の皮肉を感じていただければ幸いです。そして、島嶼部の東南アジアがどれほど多くの島々から構成され、島々ごとに異なる歴史や文化、宗教や民族性を持つという非常に多様性に富んだ地域であることを認識していただきたいと思います。

B-A「アジアとの付き合い方⑧~マレーシア~」

「アジア全体の市場に対する知見を増やす記事として、『タイを知る』『ミャンマーを知る』『シンガポールを知る』という切り口で書いて下さると、yahoo newsでアジア経済のトピックを断片的に読むよりも知見を深めることができると思います。さらに一番身近である日本企業がその地域にどのように市場をとらえ、ビジネスを展開していったかなどの具体例が含まれますと、より学生が社会を俯瞰的にみる手助けになると思います。」というご意見を読者の大学院生からいただきましたので、数回に分けて、中小企業や小規模事業者にとって重要な位置を占め、人口6億人を超える東南アジアについて紹介しております。

東南アジアシリーズの二番目はマレーシアです。マレー半島と、ボルネオ北部にまたがる人口3,000万人弱の国です。
シンガポールのところで人民行動党による政治体制が50年近く続いていると言いましたが、このように一党優位の政治体制のもとに、経済開発を強力に推し進めることを「開発独裁」と呼びます。マレーシアも同じように統一マレー国民組織の率いる国民戦線が50年以上にわたって一党優位の政治体制を取っています。これがある種の政治経済の安定をもたらし、今日のマレーシアの土台を築いたことは否定できません。

マレーシアは人口の6割をマレー系、3割を中国系、残る1割をインド系が占めていますが、伝統的にブミプトラ政策というマレー系優遇の仕組みを維持してきました。具体的にはマレー系への税の軽減、公務員や大学への優先採用などで、これに反発したシンガポールが独立の道を選んだことは前回お話をいたしました。
そして、このマレー系優遇の仕組みを支える重要な存在が国営企業で、特に三菱自動車やフォルクスワーゲンの技術を導入した自動車メーカーでのプロトンは有名です。さらに、工業化を積極的に進め、コンピュータのデルをはじめとするIT企業、あるいは日本企業も約1,500社が進出しています。日本企業の進出には、4代目の首相だったマハティールがルックイースト政策(日本の集団主義と勤労倫理を学び、過度の個人主義や道徳・倫理の荒廃をもたらす西欧的な価値観を修正すべきであるという親日政策)を取った背景もあります。

こうした経済政策の結果(アジア通貨危機の困難もありましたが)、マレーシアはシンガポールより少し大きめのGDPと、1万ドル近い一人あたりのGDPを誇るようになりました。1万ドルという一人あたりのGDPは、シンガポールの5分の1、日本の4分の1とはいえ、韓国の半分、中国やタイの2倍にあたるレベルで、マレーシアが「東南アジアの優等生」と言われる所以でもあります。

しかし、俗に「中所得国の罠」と言われる状況にマレーシアも陥っているという評価がかなりあります。これは、一人当たりのGDPが1万ドルに達した後、次のステップである2万ドルにはなかなか達しない状況を指し、低所得の新興国が安い労働力や資源を原動力として経済成長し、中所得国の仲間入りを果たした後、人件費の上昇や後発の新興国の追い上げ、先進国のイノベーション(技術革新)に挟まれて競争力を失い、経済成長が停滞する現象です。
まさにマレーシアがそうだ、ということで、特に「ブミプトラ政策というマレー系優遇の仕組みがマレーシアの競争力を削いでいる」という意見が多いのです。こうした問題をはらんで、マレーシアでは統一マレー国民組織の政治的な優位が揺らぎつつあり、こうした政治課題はカントリーリスクとして認識していただきたいと思います。
なお、マレーシアはマレー系を中心とするイスラム教国であり、東アジアの非イスラム教国に住むイスラム教徒は、一般にマレーシアの見解に従うことが多いということからも、その宗教上の位置がおわかりいただけると思います。こうした宗教上の問題にも注意をはらう必要があるでしょう。

B-A「アジアとの付き合い方⑦~シンガポール~」

「アジア全体の市場に対する知見を増やす記事として、『タイを知る』『ミャンマーを知る』『シンガポールを知る』という切り口で書いて下さると、yahoo newsでアジア経済のトピックを断片的に読むよりも知見を深めることができると思います。さらに一番身近である日本企業がその地域にどのように市場をとらえ、ビジネスを展開していったかなどの具体例が含まれますと、より学生が社会を俯瞰的にみる手助けになると思います。」というご意見を読者の大学院生からいただきましたので、今後数回に分けて、中小企業や小規模事業者にとって重要な位置を占め、人口6億人を超える東南アジアについてお話したいと思います。

その第一はシンガポールです。もともとは、シンガプラ(ライオンのまち)というサンスクリット語(インドの古い言語で釈迦の教え=仏教もこの言語で日本に伝わりました)がその起こりですから、地政学的にはインド亜大陸の影響が強い地域だとわかるはずです。

シンガポールを一言で言えば中国系の人々が地元のマレー人と一緒の国になりたくない、という強い思いからできあがった、マラッカ海峡に面し、マレー半島とは狭いジョホール海峡で隔てられた小さな島国です。面積はわずか700㎢、琵琶湖より少し大きいだけ。
その島国に540万人の人が住み、世界40位くらいのGDPを誇り(エジプトやアイルランド、ナイジェリアとほぼ同規模)、一人あたりのGDPは5万ドルと日本を上回り、国民の6人に1人は100万ドル以上の資産を持つ富裕層という、小さいけれど豊かな国です。

では、どうしてこんな国ができたのでしょうか。
それは、第二次世界大戦にまで遡ります。当時、イギリスのアジア支配の重要拠点であったシンガポールには、イギリス資本の銀行や商社などが軒を連ね、中国系(華僑)、インド系の労働者がたくさん移住してくる国際都市となったのです。
その国際都市シンガポールを占領した日本軍は、中国系を中心とした反日闘争を抑えるため、1942年2月に“シンガポール華僑虐殺事件”を起こし、数千人とも数万人とも言われる中国系の人々を殺害したのです(このとき、事件から逃れて生き残ったのが、のちにシンガポールを建国するリー・クワンユーです)。その記念として、二度とこのようなことを起こさないようにとの願いを込め、シンガポールに“日本占領時期死難人民記念碑”が立てられています。この大量の流血が中国系の人たちに独特の感情を根付かせ、後日の建国につながっていると筆者は考えています。

そして、戦争が終わり、イギリスが植民地から撤退した1957年、マレー半島にマラヤ連邦が独立し、1963年にはそれにシンガポールやボルネオ北部が加わってマレーシア連邦となったのですが、マレー人優遇を進める連邦政府とシンガポールとの軋轢は拡大し(人種暴動で多数の死傷者が出る騒ぎになりました)、1965年にシンガポールは独立したのです。

とはいえ、小さな島でしかありませんから、その後、50年近くにわたり、加工・組立、貿易・海運、金融、IT、バイオなど、常に最先端の産業を誘致することに力を注いできました。それを可能にしたのが、リー・クワンユーが創設した人民行動党が優位を占める政治体制です。この強力な政治体制はシンガポールの隅々にまで行きわたっており、その独特の育民思想(国民を優秀な国民へと育てる、国民は国家に忠誠を尽くし、国家は国民に恩恵を及ぼす)とあいまって、ファインアンドファイン政策(トイレの水流し忘れや、紙屑一片のポイ捨てにも罰金が科せられます)、世界でも最高水準の医療システム、徴兵制(シンガポールは軍事国家でもあります)といった独特の政策を展開しています。また、移民や外国人労働者にも寛容な政策を取っていますので、資格や能力に恵まれた外国人には活躍の場が用意されています。ちなみに、日本の女性も数多くシンガポールで活躍していますが、シンガポールには女性差別や外国人差別が希薄だという事情もあるでしょう。

いかがでしょうか、中国系が75%以上を占め、英語と中国語とタミール語(インド系)とマレー語が公用語で、今もリー・クワンユーの息子が指導者を務め、豊かで清潔で美しい島シンガポール(チキンライスも美味しい)。しかし、近年は高齢化の進展とあわせ、移民や外国人労働者よりも自国民を優遇するように求める動きが見られるなど、社会の深層部では変化がはじまりつつあるようですが、依然として東南アジアで重要な位置を占める国であり、日本の中小企業や小規模事業者にとっても最初に進出を検討する国の一つであることに変わりはないのです。

B-A「アジアとの付き合い方⑥~東南アジア概観~」

このシリーズは、中小企業や小規模事業者にとって重要な市場となっているアジアのさまざまな情報を、大学生や大学院生の皆さんへ紹介し、今後、中小企業や小規模事業者で活躍する自分のイメージを醸成していただくのが目的の一つになっています。
そうした中、「アジア全体の市場に対する知見を増やす記事として、『タイを知る』『ミャンマーを知る』『シンガポールを知る』という切り口で書いて下さると、yahoo newsでアジア経済のトピックを断片的に読むよりも知見を深めることができると思います。さらに一番身近である日本企業がその地域にどのように市場をとらえ、ビジネスを展開していったかなどの具体例が含まれますと、より学生が社会を俯瞰的にみる手助けになると思います。」というご意見を読者の大学院生からいただきましたので、今後数回に分けて、市場としてのアジア、生産基地としてのアジアについて触れてみたいと思います。

では、まず皆さんがアジアという際にイメージのつきやすい(意見をいただいた大学院生のように)、そして今や人口6億人を超える東南アジアについて、その概要をお話したいと思います。ちょうど、ミャンマーのお話を第160話で差し上げたばかりですので。

東南アジア、そうですね西はミャンマーから東はベトナムまで、北は台湾、フィリピンから南はインドネシア、ニューギニアまで、そんなイメージでよろしいと思います。このエリアは、大陸部と島嶼部に大きく分かれますが、島嶼部は氷河期と間氷期の水面の移動によって、巨大な大陸(スンダランド)を生じたり、それがいくつかの島に分かれたりと、年代によってその有様はさまざまです。それに対して大陸部は、概ねヒマラヤ山脈からチベット高原にかけての西の高原地域から東南、あるいは南へと流れ出す急峻な川に刻み込まれ、一つ川筋を違えればなかなか交流できないという縦に分断された地形をしているのが特徴でしょう。従って、西からイラワジ(エーヤワディー)、サルウィン(怒江)、メコン(瀾滄江)、ソンコイ(紅河)と、それぞれにミャンマー、タイ・ラオス・カンボジア、ベトナムを形作っており、それぞれの国境は険しい山脈で隔てられています。

この大地で最初に繁栄を遂げたのがモン・クメールの人たちで、オーストロアジアという古い言葉の体系を持ち、かつてはインドシナの各地で栄えましたが(アンコールワットなど)、これからお話する新しい人間の波におされ、今ではカンボジアとビルマ南部が生活圏となっています。
最初に訪れた人間の波がオーストロネシアの人たちで、もともとは中国南部に生活していましたが、漢民族などにおされて、台湾からフィリピン、マレー半島、インドネシアへと海を渡って移住し、今では東南アジアの島嶼部を中心に4億人近い人口を抱える大きな集団となっています(さらにマダガスカルやサモア、ハワイにまで拡がりました)。さらに、約800年前からイスラム教がインドネシア、マレー半島、フィリピン南部(ミンダナオなど)へと、南のエリアへ拡がりました。
次の波は中国本土から訪れました。まず、福建省や広東省などのエリアに広く生活していたアンナン族が漢民族などにおされて南下し、2,000年以上前には今の北ベトナムの地に勢力を拡げ、その後のベトナム人を形成することになります。この地域は中国と近く、10世紀までは中国の支配を受け、漢字や儒教を受け入れた独特の文化を築くことになります。
次に、雲南省に独自の勢力を伸ばしていたタイ族が7世紀あたりからメコン沿いに南下し、今日のタイとラオスを形作りますが、タイ族そのものは違う川筋も南下しましたので、ミャンマーやアッサム(インド東北部)にも少数民族として生活しています。また、その一部は中国にも生活していますので、タイは中国との関係が特に強い地域です。
次に、チベット高原東部に生活していたビルマ族がイラワジ(エーヤワディー)沿いに南下し、今日のミャンマーを形作ります。しかし、ミャンマーは特に山脈が険しいので、タイ族をはじめとする数多くの少数民族が山岳部に生活しており、それが政治体制の不安定要因ともなっています。

いかがでしょうか、一口で東南アジアといっても、オーストロネシアの島嶼部(南部はイスラム化)、大陸部は古い歴史のあるカンボジアと、その後に伸びてきたベトナム、タイ、ラオス、そしてミャンマー、さらにそれぞれの国境地帯に生活する少数民族、最後に近代に入って各地にコミュニティを作る中国人(華僑)と、実に複雑な織物のようになっていることに、まずはご理解をいただきたいと思います。とりわけ、華僑の存在はその経済力ともあわせて大きなものがあり、それがマレーシアからシンガポールを分離独立させる大きな要因となったほどです。

C「日経産業天気インデックス(日経DI)」

皆さんがこれから中小企業や小規模事業者で活躍するに際して、特に注意しなければならないのが、皆さんの会社を取り巻く経済環境や景気はどうなっているのか、ということがあります。
経済には好不況があり、それは日銀短観などの経済指標で把握することができますが、それは経済全体の好不況が主なもので、個別の業界については今回ご紹介する日経DIが参考になると思います。しかも、四半期ごとに公表されますので、かなりリアルタイムでわかるのです。

今回公表された日経DI(10月~12月期予想)は、おおよそ以下のような内容でした。
まず非製造業という括りで見ますと16.7(ゼロが景気中立、プラスは晴れ=好況で最大100、マイナスは雨=不況で最大―100)、この数字は5年半ぶりの高い水準です。一方、製造業はちょうどゼロに回復し、二つあわせた全産業でも8.3と4期連続の回復となりました。
いずれも当初の予想よりも高い水準となり、アベノミクスが一定の成果を上げていることは明らかです。

では、業界ごとに見てみましょう。
「晴れ」は通信です。スマホへの買い替えが好況を支えています。
「薄日」はネットサービス(通販や電子書籍など)、旅行・ホテル、アミューズメント、百貨店、コンビニエンスストア、食品・飲料、繊維・アパレル、自動車、鉄鋼・非鉄、建設・セメント、マンション・住宅といったところです。この中で興味深いのが百貨店、長らく低迷の続く産業ですが、高額商品、高級ブランド、外国人観光客などが伸びているのですね。アベノミクスがもたらした株高が消費者の購買意欲を誘い、アジア経済の伸びが外国人観光客の来店を後押ししているのです。そういう意味でも、中小企業や小規模事業者にとってのアジアはますます重要なキーワードになるでしょう。
その反面、「小雨」はスーパー、家電、精密機械、プラント・造船、石油、紙・パルプといったところです。この中では家電が「雨」から「小雨」に好転しましたが、その多くは記録的な猛暑に伴うエアコンなどの白物家電でしたので、依然として先行きは不透明なようです。メーカーのもくろみ通りに、年末商戦で4Kテレビ(高解像度の薄型テレビ)が売れるかどうか、ここが正念場になりそうです。また、スーパーは食品や日用品を中心とする安売り競争が激しさを増していて、売上の低迷につながっています。さらに、このところのネット通販の拡大が店売りには響いているようで、スーパー業界も宅配サービスやプライベートブランドなどの新しい経営戦略を迫られるのでしょう。
最後に「雨」ですが、これは皆さんの想像どおりに電力、原発事故への対応に加え、原発停止による燃料費の高騰が経営を大きく損ねています。

興味深いのは、経営者がこの先の景気をどう見ているかですが、いくつか代表的なものをご紹介しましょう。
外食業界では、「シニア層への高品質商品の提供と、外国人向けの商品開発が鍵でしょう。」
スーパー業界では、「高価格品と低価格品の二極化が顕著になっています。プライベートブランドを中心として、高価格品と低価格品、それぞれの品ぞろえを強化します。」
家電業界では、「スマホ関連の部品や製造装置が大きいので、海外新興国でのスマホ販売の動向がポイントになります。」
建設業界では、「東京オリンピック関連のインフラ整備に注目しています。」

いかがでしょうか、何となくでもそれぞれの業界の経営環境を感じていただければ、皆さんが中小企業や小規模事業者で活躍する際の参考になると思います。

B-A「アジアとの付き合い方⑤~ミャンマー~」

前回は中国でしたが、今回はミャンマーです。中小企業や小規模事業者において、これからが期待できる新しい市場です。そういう意味では、「ミャンマーは遠い」のではなく、皆さん、そして中小企業や小規模事情者にとって近い国なのですから。

ミャンマーが素晴らしいことは、第一に米の文化があること、第二に仏教の国であること、第三に西のインドと東の中国をつなぐ地政学的な位置にあること、です。

米の文化があると何よりもまめな国民性につながります。水田は粗放的では難しく、どうしても集約的(まめに)に管理する必要があるからです。ここが粗放的な麦文化との根本的な相違点でしょう。水田は手入れさえすれば、何千年でも同じように使えるのですが、そのためには集落ごとに共同作業を丁寧に行う必要があるのです(田植え、水管理、稲刈りなど)。

仏教への信仰は何よりも過激な行動を自制させてくれます。多神教には一神教のような厳しさが無い反面、受容する精神を涵養してくれます。とりわけ、ミャンマーは上座部仏教で戒律の厳しい宗派が主体ですので、なおさらです。

インドと中国を結ぶ回廊に位置する有利さは、今さら言うまでもありません。二つあわせれば世界の人口の4分の1を超えるのです。ましてや、ミャンマー自体も5,000万人を超える大きな市場です。

いかがでしょうか、ミャンマーの魅力がおわかりでしょうか。これまでは軍事政権下で政治が不安定なこともあり、国際的にも孤立していましたが、このところの開放政策でかなり風向きは変わってきました。もちろん、第二次世界大戦での日本占領下の問題はありますので、相手の感情には十分な配慮が必要なことは言うまでもありませんが、現実的には反日感情はほぼ無視してもよいレベルです。
この前も知り合いの起業家と話していたのですが(彼はかれこれ十年前からタイやミャンマーからアパレルを仕入れるフェアトレードを手掛けています)、「今ミャンマーに行って、日本語と英語が話せれば確実にビジネスになる」ということです。何せ、ミャンマーの将来に賭ける日本人の企業人がヤンゴンなどの都市部のホテルに鈴なりですから、彼らの需要を満たすだけでも十分なビジネス環境にあると言えるでしょう。
そして、これは笑い話ですが「日本で先行きの無いビジネスを苦労するくらいならば、いっそ思い切ってミャンマーに渡った方が先がある」という結論で落ち着きました。もちろん冗談ですが、それだけ活気のあるミャンマーを意識しない方がおかしいのではないでしょうか。

ミャンマーの経済指標をおさらいしますと
① 面積:676,578平方km(タイより一回り大きく、日本の約2倍)
② 人口:約5,000万人(韓国や南アフリカとほぼ同じ、日本の約半分)
③ GDP:682億ドル(日本の約100分の1、福井県と同じくらい)
④ 一人あたりGDP:1,159ドル(日本の約50分の1)
いかがでしょうか、これからの経済発展が十分期待できそうな数字です。
皆さんもぜひミャンマーを新しい市場としてご認識いただきたいと思います。なお、ミャンマーを訪れる際は、知人の起業家を紹介可能ですので、ひと声おかけください。

B-B「中国を知る⑥~自由貿易試験区~」

これまで何度も、中小企業や小規模事業者において、新しい市場としてのアジアの価値は大きいこと、その中でも中国を中心とする東アジアの存在は重要なことを紹介してきました。第123話「中国を知る⑤~薄熙来事件~」でも、「『多少の波乱はあるでしょうが、依然として中国市場は日本の中小企業や小規模事業者にとって魅力的であり続けるでしょう。』ということに変わりはありません。しかし、国内の矛盾が対外的な行動をかえって強硬にさせることもありますので、引き続き注意を払う必要があるのではないでしょうか。」とお伝えしたとおりです。

そうした中、中小企業や小規模事業者にとってもビッグなニュースが中国から飛び込んできました。「上海に自由貿易試験区」という内容です。具体的には、貿易や金融の自由化、投資の簡略化、行政の簡素化(規制緩和)を柱とする特区を新たに設けるというものです。
「今までの開発特区と何が違うのか」と言われそうですが、これは大きな前進です。何よりも、既得権が網の目のように張り巡らせ、その中で新たに参入しようとすれば、想定外のコストや手間が要求される今の中国市場において、ちょうど香港のような自由なビジネス環境を整えようというものだからです。
いみじくも、日本も成長戦略の柱の一つとして「世界で一番ビジネスのしやすい環境」を実現する「国家戦略特区」を設けようとしていますが、基本的には同じような方向性を目指すものと言えるでしょう。まるで、日本のアベノミクス、中国のリコノミクスで歩調をあわせるように、です。

これが中小企業や小規模事業者にとって重要なのは、中国進出の足場としてこうした自由貿易試験区を活用できることにあります。既に、銀行、海運、ネットサービス、ゲーム、信用調査、旅行、人材仲介、娯楽、教育、医療などの18分野での規制緩和が打ち出されており、合弁や単独出資での進出が容易になりそうです。また、当面は上海のみの指定となりそうですが、今後は大連、天津、青島(山東省)、舟山(浙江省)、厦門(福建省)、広東省などへと拡大する見込みですので、そういった意味でも中小企業や小規模事業者には中国進出の好機となるでしょう。

また、こうした中国進出の際に中国の反日感情を気にする方も多いでしょうから、もう一つビッグなニュースをお届けしましょう。
それは、ほぼ時期を同じくして、中国から大訪問団が日本を訪れたことです。メンバーを見ると驚きます。中信集団(CITIC、政府系金融グループ)、中国投資(CIC、政府系投資ファンド)、三一集団(建機大手)、網通寛帯網絡(通信)、鳳凰衛視(テレビ)など、中国を代表する大手企業のオンパレードです。
上海での自由貿易試験区とあわせて、これだけの経済界の訪日と考えますと、これは明らかに日本へ向けた中国への投資や進出のラブコールと考えてよさそうです。
「政治が冷えていても経済は熱い」、そういう状態を中国指導部が願っている、これも一つのメッセージだと受け止めてはいかがかと思うのです。

C「選択と集中⑤~日立製作所の事例~」

もう一つ、皆さんが中小企業や小規模事業者において経営判断に参加される場合、参考になる経営判断をお伝えしたいと思います。
それは、「日本のGE」と呼ばれる日立製作所の苦悩の10年間です。

皆さんもご承知のとおり、日本を代表する大企業です。情報・通信システム、電力システム、社会・産業システム、電子装置・システム、建設機械、高機能材料、オートモティブシステム、デジタルメディア・民生機器、金融サービス、その他の10の事業部門から構成されており、東芝、三菱電機とともに総合電機メーカー3社の一角を占めています。連結売上高は10兆円程度、連結純利益は2,000億円を超え、総従業員数36万人強は、総合電機メーカーで最大の規模であり、日本中でもトヨタ自動車、NTT、本田技研工業に次ぐ大きさです(全世界では48位)。1960年代から日本最大の製造業として知られ、1新日本製鐵(現・新日鐵住金)とともに戦後第一期の日本経済をリードしてきた、本当の意味で日本を代表する大企業です。何となくかつてのGEと似ているとは思いませんか。

しかし、その日立製作所は近年「悩める巨象」として、右往左往した経営でも知られています。
大きな問題点として、あまりにも数多くの事業分野と子会社を抱え、どこを主戦場として成長するのかがまるで見えない、あるいは子会社へのガバナンスが働かず、本社と子会社、子会社と子会社で重複する事業が多いなど、要するに「日立という会社は何をしたいのかがわからない」という評価だったのです。
その結果、2009年3月期の決算では8,000億円近い赤字に陥り、子会社へ出されていた元の副社長を本社の社長に迎え入れるという荒療治に踏み込まざるを得なくなったのです。

それから5年あまり、新しい経営陣は経営の立て直しに奔走する日々となりました。IBMから巨額な費用を投じて買収したハードディスク駆動装置(HDD)事業を世界1位のトップ企業へ売却し、子会社を完全子会社へ切り替えてガバナンスを強め、本社の求心力を立て直すなど、「悩める巨象」から「前に進む巨象」へと転換を図ってきたのです。
そして、今、日立製作所が考える未来は「問題解決型企業」です。
具体的には、クライアントが抱えるさまざまな経営課題に対して、「技術力を核に据えた問題解決能力で対応する企業」という未来像でしょう。ちょうど、IBMがITを核に据えた問題解決能力で対応するように、です。例えば、高速鉄道の車両だけではなく、運行管理から保守点検まで、安心定時での運用を請け負うようなことです。こうなりますと、単なる車両製造だけの問題ではありません。高速鉄道の運行という総合的なソフトウェアを提供することになるのです。

そして、こうした“問題解決能力”を高めるために、海外子会社の外国人経営者から直接経営陣が意見を聞き(これまでやっていなかったのが不思議)、経営陣にも外国人を登用し、社員採用の1割を外国人とし、グループ約900社、約32万人の人事情報を総合管理し(これまでやっていなかったのが不思議)、日立製作所グループの中に多様性と競争意識を醸成しようとしているのです。
それはなぜかと言いますと、経営陣の言葉を借りれば「放っておくと孤立し、どんどん世界から離れる」という危機意識をメッセージとして伝えなければならないからだそうです。そうした危機意識が根付けば、自ずと会社としての“問題解決能力”は向上できると考えているのです。

いかがでしょうか、日立製作所のような日本を代表する大企業でも、気を抜けば必ず立ちすくみ、前に進むことを止めてしまうのです。ましてや、経営資源の乏しい中小企業や小規模事業者では、常に経営陣が自らの経営判断を関係者へ発信し、あらゆる関係者が前に進むことのできるよう鼓舞し、激励し、共感しなければならないのです。それが、中小企業や小規模事業者の経営では極めて重要ではないかと筆者は考えています。

C「選択と集中④~富士フィルムの事例~」

皆さんが中小企業や小規模事業者において経営判断に参加される場合、一つ参考になる経営判断をお伝えしたいと思います。
それは、富士フィルムの事例です。

富士フィルム、みなさんはどういった企業を想像されますか。「写真フィルムの会社」、「デジタルカメラの会社」など、さまざまな意見がおありだと思います。しかし、今日の富士フィルムは、デジタルカメラなどの「デジタルイメージング」、医療診断機器や医薬品などの「ヘルスケア」、液晶フィルムなどの「高機能材料」、携帯電話のカメラモジュールなどの「光学デバイス」、子会社の富士ゼロックスが手掛けるデジタル印刷などの「ドキュメント」や製版などの「グラフィックシステム」と6つの事業領域を持ち、2兆円を超える売上をあげ、将来は“総合ヘルスケア企業”として3兆円の売上を目指しています。
こう書きますと、「選択と集中とは違う多角経営ではないか」というご意見をいただきそうです。

そうではありません。富士フィルムは、「フィルムに関連する技術」を選択し、集中してきたのです。既に皆さんは、あらゆる技術や商品、サービスには賞味期限があり、いずれは廃れるものだ、と理解されているはずです。
その意味では、かつて富士フィルムは写真フィルムという市場で7割のシェアを握り、利益の3分の2を稼ぎ出していました。まさしく、「写真フィルムの会社」だったのです。しかし、写真フィルムという商品は既に黄昏を迎えつつありました。巨大なデジタル化の波の中で、まもなく沈んでしまうボロ船のようなものでした。
これに危機感を抱いた富士フィルムは、写真フィルムで培ったさまざまな技術力を写真フィルム以外の領域で活かそうとしたのです。それが、フィルム技術を使った高機能材料であり、膜技術を使った医薬品や化粧品であり、画像解析技術を使った医療診断機器やデジタル印刷です。
筆者はここの富士フィルムの「選択と集中」を見て取ることができます。

一方、富士フィルムの大先輩であるイーソトマン・コダック、つい先ごろ破産に追い込まれましたが、この会社は当時利益をあげていた“写真フィルム”という分野にすべてを投入してしまったのです、「今の時点で最大の利益をあげれば株主にも従業員にも評価される」という理由で。その写真フィルムが黄昏を迎えつつあったにも関わらず、です。
筆者はここに誤った「選択と集中」の典型を見ることができます。
従業員にもおもねらず、株主にもおもねらず、クライアントにもおもねらず、関係者全員が最大の幸せを得ることができると信じる道をひた走りに進むのではなく、あらゆる関係者におもねり、その時点での利益だけを優先するという、恐ろしい経営判断がそこにあったのです。

いかがでしょうか、経営判断というものが、一歩間違えば数多くの関係者に多大の被害をもたらす、その被害が未来にもたらされるものであってもですが、そういった怖さを皆さんも中小企業や小規模事業者で経営判断に関わる際に自覚していただければ幸いです。

C「選択と集中③~見通した未来にとって最善の選択~」

中小企業や小規模事業者が経営判断をする際の心構えについて、前回はジャック・ウェルチのGEにおける「選択と集中」を材料にお話をしてまいりました。“ぬるま湯にひたった老いた巨象”を奮い立たせるために、多くの事業部門に再建か閉鎖か売却かを突きつけ、40万人いた従業員のうち、10万人を解雇へ追い込んだ、という話でした。
こうした経営判断がそのまま皆さんの関係する中小企業や小規模事業者で可能かどうかは別の問題です。アメリカと日本では法律も違いますし、社会の状況も異なりますから、それによって得られる社会的評価も変わるからです。
しかし、皆さんが今後中小企業や小規模事業者で活躍するに際して、最低限経営判断において必要なことは何か、をご理解いただきたいと思うのです。

なぜ、ジャック・ウェルチが「選択と集中」を経営理念としたのか、です。企業としての背景は前回お話をいたしましたが、もう一つ重要なことは、そこで働く数多くの従業員にどういったメッセージを伝えるのか、という問題があります。
あらゆる企業を実際に動かし、利益をあげているのは従業員です。従業員が自分の役割をきちんと果たさなければ、どんな経営者でもお手上げです。もちろん、従業員は雇用契約に基づいて働きますので、雇用契約に反する行動は許されません。しかし、雇用契約に定めてあるさまざまな条項よりも重要なことは、どういうモチベーションで従業員が仕事に向き合うかということです。

筆者はかつて中国の長春でVW(フォルクスワーゲン)の合弁工場を視察したことがあります。そのとき、筆者はものづくりではまだまだ日本は中国に負けないな、と感じたことがあります。
それはどういうことかと言いますと、長春の工場では生産ラインの脇になぜかストックが置いてあるのです。例の冷たいものを保管する長細いストックです。「いったい何に使うのだろうか」と見ていますと、なんと生産ラインで働いている従業員はそのストックからアイスキャンデーを取り出して休憩時間に頬張っているのです。もちろん、夏の長春はかなり暑く、しかも生産ラインは熱を発しますから働くのは大変です。そこでストックからアイスキャンデーというのは理屈ではわかりますが、さあどうでしょうか。
自動車の中にアイスキャンデーの棒なんか入らないのだろうか、そこまでゆかなくとも溶けた汁はどうなるんだろうか、などと筆者は心配になってしまいます。
従業員の福利厚生?を考えて、従業員のモチベーションを維持するためにストックを置き、休憩時間にはアイスキャンデーをその場で頬張れるようにする、はたしてそれが経営者の伝えるべきメッセージなのでしょうか。

GEでジャック・ウェルチは、「このまま惰眠を貪るとこの会社は危ないぞ」と従業員に伝える必要があったのだろうと思うのです。それが、「世界で1位か2位になれない事業部門は要らないのだ、残りたいならば世界で1位か2位になれ」という強烈なメッセージだったのでしょう。

経営者の行う経営判断で重要なことは、自分の見通した未来にとって最善の選択を行うことです。そして、選択したことに全力で集中することです。決して、数多くの関係者におもねることで平和を保つことではありません。従業員にもおもねらず、株主にもおもねらず、クライアントにもおもねらず、関係者全員が最大の幸せを得ることができると信じる道をひた走りに進むことに他なりません。
そして、同時に自分のくだした経営判断が一歩間違えば、そうした数多くの関係者に多大の被害をもたらす怖さを心に刻み込むことです。
皆さんも中小企業や小規模事業者で経営判断に関わる際は、そうした怖さを自覚しつつ、関係者全員が最大の幸せを得ることができると信じる道を選択していただきたいものです。

C「選択と集中②~経営判断における心構え~」

中小企業や小規模事業者のもう一つの悩みに、「経営判断をする際に、どういった心構えが必要なのか」という問題があります。これは、経営判断というものが必ずしも関係者のすべてから歓迎されるばかりではなく、多くの場合ではその経営判断で不利な立場に追い込まれる関係者の反対にあう、という現実があるからです。
これも皆さんが中小企業や小規模事業者で働く際に必ず付きまとう経営上の問題で、早い時期からこうした経営判断に近い存在になりうるところが、中小企業や小規模事業者の有利さの一つになります。

筆者はそうしたときに、GE(ゼネラルエレクトリック)の最高経営責任者(CEO)だったジャック・ウェルチが1980年代に行った「選択と集中」という経営理念の背景を考えるのです。GEにおける「選択と集中」は、40万人いた従業員のうち、10万人を解雇へ追い込み、150あった事業部門を13にまで整理したのです。その結果、彼はニュートロン・ジャック(中性子爆弾男)」という多分にネガティブな意味合いのあだ名をつけられたほどです。「建物や設備は残っても人間はみないなくなる」という意味合いですね。

では、どうして彼はそうせざるを得なかったのでしょうか。その背景にはGEを蝕んでいたどうしようもない官僚主義があったのです。彼の就任当時、GEは歴史ある優良企業と言われ、売上高250億ドル、利益15億ドル、株式時価総額全米第10位ですから、決して駄目な企業でないことは明らかです。
しかし、彼の目から見えるGEは、じり貧に陥る老いた巨象のようなものでした。一応利益は確保しているので誰もが守りに入り、数多くの事業部門はほどほどの利益さえ出していれば安泰という気分に満たされ、イノベーションなどは考えもつかない有様です。まさに、“ぬるま湯にひたった老いた巨象”です。
こうした企業風土を変えるには、何よりも衝撃が必要だと彼は考えたのでしょう。その結論が世界で1位か2位になれない事業部門はすべて切り捨てるという「選択と集中」でした。

具体的には、GEの150もの事業部門、原子炉から電子オーブン、ロボット、さらにはリゾートマンションまで多岐にわたっています。しかし、わずかに電球、発電システム、モーターの3事業部門だけが1位か2位の地位を得ていました。また、海外で競争力を保っていたのは、プラスチック、ガスタービン、航空機エンジンの3事業部門だけでした。 そこで、彼は150の事業部門を「照明、大型家電などのコア事業」、「産業用電子、医療機器などのテクノロジー事業」、「金融サービスなどのサービス事業」の3つに集約し、それ以外の事業部門については再建か閉鎖か売却かを突きつけたのです。

もっとも典型的な事例は、GEの創業時代からの花形だったテレビやエアコンをはじめ、扇風機やトースターといった小型家電でした。当時、GEの小型家電は1位、2位ではありませんでしたが、大きな市場シェアを確保していました。しかし、彼は付加価値が低く、将来性がないと考え、これを処分することにしたのです。当然、小型家電に関わる多くの人たちからは強い抵抗を受けましたが、彼は断行し、GEを復活へと導いたのです。

いかがでしょうか、経営判断における心構えとはこういうものだと思うのです。経営理念を丸呑みや模倣せずに自分の言葉に置き換え、かつ抵抗のある経営判断を押し通すための理由や言い訳に使ったのではありません。自分自身の言葉で考え、自分自身の言葉で語り、自分自身が未来を予測し、自分自身が経営判断を行い、自分自身でその責任を負う、そういうことが“経営判断における心構え”と言えるのではないかと思うのです。

C「選択と集中①~経営資源~」

中小企業や小規模事業者の悩みの一つに、「どういう分野に乏しい経営資源を投入したらよいのか」という問題があります。これは、皆さんが中小企業や小規模事業者で働く際に必ず付きまとう経営上の問題で、こうした経営判断に近い存在になりうるところが、中小企業や小規模事業者の有利さの一つになります。大企業では皆さんがそうした経営判断に近づくには、気が遠くなるような時間が必要になりますから。

中小企業や小規模事業者のほとんどはさしたる経営資源を持っていません。せいぜい、
経営者本人の頑張りとかやる気とか、ごく限られた技術力とか開発力とか、まあ、そんなところでしょう。しかし、多くの中小企業や小規模事業者では、そうした限られた経営資源を有効に使っている訳ではありません。むしろ、外的な要因や経営者自らの嗜好性に応じて、方向性も無く、そのときそのときの判断で、あっちへ進んでみたり、こっちへ進んでみたり、というケースも少なくありません。

そうした経営者によく贈られるのが、「選択と集中」という言葉です。これは、自社の得意とする事業分野を明確にして、そこに経営資源を集中的に投下する戦略のことで、GE(ゼネラルエレクトリック)の最高経営責任者(CEO)だったジャック・ウェルチが1980年代に行ったもので、簡単に言いますと彼はGEの事業分野のうち、世界で1位か2位になれない事業分野はすべて処分し、GEの経営資源を残された世界で1位か2位の事業分野に集中させたのです。その結果は、長らく官僚的な企業風土に犯され、低迷が続いていたGEの業績を急回復させ、彼は20世紀のもっとも偉大な経営者の一人とたたえられることになりました。
この「選択と集中」という経営理念は、1990年代後半から日本に紹介され、バブル崩壊後の低迷が続く日本企業の多くが模倣しようとしました。しかし、その結果は必ずしも成功ばかりとは言えず、むしろ失敗事例がたくさん囁かれるようになりました。
例えば、もっとも有名なのがシャープです。液晶事業にほとんどの経営資源を投入したシャープが、今や1兆円を超える有利子負債に悩まされ、身売りと倒産の瀬戸際に追い込まれていることは皆さんもご存じでしょう。
1998年から2007年までの10年間は、液晶への選択と集中は巨額の利益と社会的プレゼンスをシャープへもたらしましたが、2008年のリーマンショック以降の景気減退期にも液晶への巨額な投資を継続したシャープは、選択と集中の故にその後の液晶テレビの売行き不振の大波をまともに受けて、年間5,000億円もの赤字を垂れ流す結果となったのです。

こう書きますと「選択と集中」という経営理念は間違っているのか、と早とちりされる方も出かねませんが、決してそうではありません。
問題は、「選択と集中」を丸呑みし、模倣し、教条的に(内容を疑ったり異を唱えたりすることは絶対に許されないという姿勢や態度)実行したことにあると筆者は考えています。

どんな商品やサービスにも賞味期限があります。いわゆる「旬」の時期があって、いつかは廃れてゆくものです。ですので、「選択と集中」は、そうした成長プロセスを見定めなければ、先の無い袋小路に企業を追い込むことになりかねません。
また、どんな商品やサービスにもリスクがあります。例えば、牛丼は外国からの安い牛肉(ショートプレート、ばら肉)が確保できなければ成り立たない商品です。ですので、狂牛病などの病気が発生しますと、とたんに輸入が途絶えてしまいます。

こうした成長プロセスやリスクを十分に考え、その上で経営資源をどこに投入するかを考える「選択と集中」であれば、これはよろしいのではないでしょうか。
しかし、当時、「選択と集中」を導入した経営者の多くは、不採算部門を切り捨てる理由に使い、あるいは短期的に利益を確保する言い訳に使い、という傾向があったと筆者は考えています。

従って、中小企業や小規模事業者にとっても「選択と集中」は重要な経営理念ですが、それを使う際には、丸呑みや模倣をせずに自分の言葉に置き換え、かつ抵抗のある経営判断を押し通すための理由や言い訳に使ってはいけないと、よく心得るべきではないかと思うのです。