B-B「中国を知る②~暴をもって暴に報いることなかれ~」

Category: シュウカツ俯瞰
「中国」のことを考える際に忘れてはならないのが、かつての不幸な時代です。この歴史に関する知識がなければ、中国との間で不要なトラブルに巻き込まれかねません。それは、何度も日本の首相が言及しているように、中国にとってはもちろん、日本にとっても不幸な時代だったということです。そのことに少し触れたいと思うのです。

昭和20年8月15日、そうです、あの悲惨な戦争が日本の敗戦で終わった日です。
その当時、日本の兵隊さんはアジア各国や太平洋の島々をたくさん占領していましたが、この日を境に敗残の兵となりました。
戦場となった現地の人々へいろんな損害を与えてきた訳ですから、当然、この日を境としてその報いを受けることになりました。
もちろん、中には善政(比較的)を敷いていたので、恨まれることなく帰国の途につけた兵隊さんもたくさんいますが、それはかなり運の良いほうであったと言えるでしょう。

この中で最大の兵隊さんが残されたのが他ならぬ中国戦線です。
1931年9月18日の満州事変にはじまったあしかけ14年にわたる戦争でしたし、北はソビエト国境の満州の地から、南はミャンマーと接する雲南省まで、広大な中国大陸に170万人を超える兵隊さんが残されることになりました。
このうち、悲惨を極めたのは満州に残された66万人の兵隊さんで、そのほとんどはシベリアへ抑留され、極寒の大地で帰らぬ人となったのです。また、兵隊さんのほかにも、たくさんの民間の方々、開拓の人々も命を落とすことになりました。

中国本土の100万人を超える兵隊さんも自分たちがどんな目にあわされるか、それこそ生きた心地もしなかっただろうと思います。
そうした中、時の国民党主席であった蒋介石は終戦の日に中国国民へ大演説を行いました。これが有名な「暴をもって暴に報いることなかれ」です。ごく簡単に要約しますと、「もしも暴力でこれまでの彼ら(日本陸軍)の暴力に報い、凌辱をもつて彼らの誤った優越感に応へるならば、恨みは恨みを呼び、永久に繰り返されるだろう。我々はただ彼らに憐憫を示し、彼らをして自らその錯誤と罪悪を反省させようとするだけである。」、どうでしょうか、なかなか言えるものではありません。そして、ほとんどの兵隊さんは無事帰国の途につくことができました。筆者の伯父は中国戦線におりましたが、アメーバー赤痢に侵され、帰国の途上、残念ながら中国湖南省で帰らぬ人となりました。

一方、先日の国会で安倍首相はこういう答弁をしました。
東京の新大久保や大阪の鶴橋という在日外国人(主に朝鮮半島出身者)の多い地域で、連日繰り返されているヘイトデモ(○○を殺せ、○○を叩き出せ、というような過激で差別的なシュプレヒコールを叫ぶデモ)に対して、「一部の国や民族を排除する言動があることは極めて残念であり、他国の人々を中傷することで、我々が優れているとの認識を持つのは、我々を辱しめること。日本人はまさに和を重んじ、人を排除する排他的な国民ではなかったはず。どんなときも礼儀正しく、寛容の精神、謙虚でなければならない。」といった答弁です。

答弁自体は当たり前のことですが、筆者が指摘したいのはヘイトデモがはじまったのは2月で、3月には毎日新聞で取り上げられるほどの社会問題となっていたにも関わらず、日本政府の公式見解は5月というこのタイムラグです。
蒋介石の行った終戦当日の大演説と比較しますと、明らかに遅すぎますし、その内容もどうでしょうか、心なしか迫力に欠けていると思います。
それでも、一国の首相がここまで言ったという事実にはそれなりの敬意をはらいたいと思います。

そして、「暴をもって暴に報いようとする」ヘイトデモ参加者には、蒋介石が示そうとした「徳」のかけらも無いことは言うまでもありません。
古来、東アジアでは「徳」という概念で敵にさえ許しを与える、そうした精神を尊んできましたが、今日の日本ではヘイトデモを野放しにするほど、「徳」が衰えているということではないでしょうか。
皆さんにとっては遠い昔の話かもしれませんが、これから皆さんが中国やアジアを相手にするときに、ぜひ覚えておいてください。「暴をもって暴に報いることなかれ」ということを、です。